世界樹の麓に

関谷俊博

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来訪

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高杉さんが亡くなってから、僕は絵筆をもつことができなくなった。高杉さんはもう、この世界のどこにも存在しない。そう思うと、しぼられたように胸がいたみ、呼吸があらくなった。涙があふれて、とまらなかった。くらい穴に落ちたように、僕はじぶんを見失っていたように思う。
やがて高杉さんの死のきっかけをつくった理沙を、僕は心の底から憎むようになった。
胸の奥からなにか得体のしれないドス黒い感情がこみあげてきて、大量発生したバッタの大軍のように、僕の心を食い荒らした。
しかし新学期がはじまっても、理沙はずっと学校を休んでいた。
「おい、客がきてるぞ。接客室」
施設の男性職員が、いきなり僕の部屋のドアをあけた。男性職員は、ぶっきらぼうな顔で声をかけると、すぐに去っていった。あきらかに不機嫌だった。この養護施設の職員は慢性的にいそがしい。スタッフの人数が絶対的に足りていないのだ。
ノックして、接客室のドアをあけると、黒ぶちのメガネをかけた男が、イスからピョンと立ちあがった。
「おいそがしいところを、まことに申し訳ありません」
男は深ぶかと頭をさげた。エリマキトカゲみたいだ、と僕は思った。お役所的な外見をしているが、どこか笑いをさそうところがあるのだ。ふんい気はまるでちがうが、歳は高杉さんとおなじくらいだろうか。
「いいえ、まったく、おいそがしくはありません」
僕は、そう答えた。
「そうですか。よかった…わたくしは、こういう者です」
男がさしだした、めいしには、こう書かれていた。
「福井弁護士事務所   所長・弁護士   福井一」
「ふくいいち…」
「それは、はじめ、と読みます。福井はじめ、です」
福井弁護士はきまり悪そうに、すこしほほを赤らめた。
「きょうは、亡くなられた高杉さまの遺言書のことでうかがいました」
「遺言書…」
僕は意味がわからず、福井弁護士がいった言葉をくりかえした。
「そうです」
福井弁護士は力づよくうなづいた。
「亡くなられた高杉さまは、公正証書遺言を作成しておられました。わたくしはその遺言書の証人となった者のひとりです。遺言執行者にも指名されています」
「遺言執行者…」
僕はまた福井弁護士の言葉をくりかえした。
「はい。遺言書によれば高杉さまの遺産相続人は、あなたになっています」
福井弁護士はいった。
「僕が…」
「そうです。養子と養親の関係はきれていますが、遺言書があるのですから、遺産相続人となることに、まったく問題はありません」
「高杉さんには本当に身寄りがなかったのですか」
「ねんのため調べさせていただきましたが、いらっしゃいませんでした」
「ひとりも?」
「はい、ひとりも」
福井弁護士はうなづいた。
「高杉さまは本当におひとりだったのです。ですから遺留分などの問題も発生いたしません」
高杉さんの相続財産は、ゆうに億をこえていた。
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