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迷殻舟の深みへの入口は部屋の中央にある扉である。そこには扉だけが立っていて背後には何も無い。しかし扉を開ければ、そこには迷路の様な空間が広がっている。一体どの様な仕組みになっているのか、誰が何の目的でこの扉を作ったのか、ケンイチには分からない。
トモベが扉を開いた。細い回廊が奥へと続いている。壁が仄かに青白く光っていた。ケンイチとトモベは歩き始めた。
お召し替えが近い事をトモベはどの様に察知したのだろう。お召し替えが近づけば自分も分かるのだろうか。それは雨の気配を察知して空魚が騒ぎ出すのと同じ様なものなのかもしれない。元々備わった本能に近いものなのだろうか。
二人が回廊を進むと前方にまた扉が見えてきた。銀色の回転扉である。微かな音を立てて廻っているその扉に二人は滑り込んだ。
扉の向かうにはまた新たな回廊が奥へと続いていた。回廊の壁と天井は鏡張りである。回廊の床は透き通っていて、甲冑を被った様な空魚が泳いでいる。ケンイチが床板を叩くと空魚はすぐに泳ぎ去った。どうやら床板の底には水が張られていて、空魚はそこを泳いでいるらしい。雲間を泳ぐ空魚はいつも見ているが、水中を泳ぐ空魚を見たのは初めてだった。水中でどの様に呼吸しているのだろう。ケンイチはふと思った。空魚は太古の昔この様に皆水中を泳いでいたのではあるまいか。「空魚はイデンシを操作したんだ」。お召し替えに赴いたユウシンは言っていたが「イデンシ」が何なのか、ケンイチには分からない。だがユウシンによれば「クローン」と言って、自分そっくりな自分を創造する技術もあったらしい。
回廊の鏡は湾曲しており、歪んだ二人の姿を映し出した。ケンイチとトモベが歩を進める度に二人の姿は伸び縮みする。やがてトモベが歩を止めた。回廊が二手に別れていた。右が黒の扉。左が赤の扉。
「どうする?」
ケンイチが言うとトモベは懐を弄り始めた。やがてトモベが取り出したのは、ダイオウシダの葉だった。そこには複雑で細密な絵図が描かれている。
「迷殻舟の深みへと向かう絵図だ。ユウシンから受け取った」
ユウシンは迷殻舟の深みに何度も潜ったらしい。単なる好奇心からだろうか。しかしこの詳細な絵図を見る限りそれだけとは思えない。
「右が迷殻舟の深みへと向かう回廊のようだ。絵図に目印がついている」
トモベが右の扉を開けると、またも回廊の壁と天井は鏡張りである。回廊の両側には等間隔に椅子が並んでおり、そこに座っているのはなんと大きな空魚だ。空魚には二本の脚があった。空魚はぴくりとも動かなかったが、ケンイチとトモベが傍を通ると、眼をぎょろぎょろさせて二人を眺め回した。
回廊は幾つにも分岐していたが、二人はユウシンの絵図を頼りに奥へと進んだ。
どれ位の回廊を通り抜けた時だったろう。ケンイチは、はっと息を飲んだ。反対側から二人連れが歩いて来る。それはケンイチとトモベ。もう一人の自分達なのだ。無表情に此方に向かって来る。ケンイチは思わず立ち止ってしまった。驚愕している二人ともう一人の自分達がすれ違った。
「何だ。今のは」
ケンイチは振り返った。二人は回廊の向こうへと消えていく。
「考えるな。先を急ごう」
トモベはそう言ってまた歩き始める。回廊の分岐は更に複雑になっていった。やがてユウシンは白い扉の前で立ち止った。
「ここだな。この扉の向こうが迷殻舟の深みだ」
扉には何か書かれている。僅かに「我」「魂」「忘」「替」等の文字が読み取れたが、後は理解不能な文字乃至は記号である。
「入るぞ」
トモベは扉を開けた。
そこは非常に広い部屋、と言うより空間だった。端から端までは百メルデ。天井の高さは二百メルデ程もあるだろうか。
透明な書架が四方の壁と床を埋め尽くしていた。これがユウシンが言っていた「モノガタリ」だろうか。
二人は一つ一つ書架を見て廻った。古びた皮表紙の書物が五十音順に並べられている。 書名は人名の様でもあり、二人が見知っている人名も幾つかあった。
二人は其処から「ケンイチ」「トモベ」と書かれた書物を見つけ出した。自分達の名前が書名となっている事に不思議さを感じながらも、二人はそれぞれの書物を読み始めた。
ケンイチの「モノガタリ」は此の様な文章で始まっていた。
遠雷が鳴っていた。微かに雨の匂いもする。河豚のような小さな鰭のある空魚たちが、西の空へと飛んでいった。
そして二人が迷殻舟の「深み」に赴く事になった経緯が書かれた後に「深み」に至るまでの道程が書かれていた。
しかしケンイチが読み進める事が出来たのは其処までだった。
「そろそろ戻ろう。少しは寝ておかないと」
文字を追う事に疲れ切った顔でトモベが言った。
二人はそれぞれの書物を脇に抱え、元来た回廊を戻り始めた。ユウシンの絵図が無ければ迷っていたに違いない。二人は細い回廊を抜け幾つもの分岐点を逆に辿った。
そうして沢山の分岐を抜けた時、やはりそれは起こった。ケンイチとトモベ。もう一人の自分達が反対側から歩いて来るのだ。もう一人の自分達が驚愕しているのが見て取れた。ケンイチとトモベ。二人はもう一人の自分達とすれ違った。
「やっぱりそうだ」
トモベが呟いた。
「俺達が出会ったのは迷殻舟の深みへと向かう自分達自身だったんだ」
迷殻舟の深みへと向かう回廊では空間だけでなく時間までもが歪むらしい。
やがて二人はまた二本脚の空魚達のいる回廊へと戻ってきた。やはり空魚達は眼をぎょろぎょろさせるだけで、ぴくりとも動かない。ケンイチは思った。この空魚達は門番なのかもしれないな。空魚達が動き出さないのは、ケンイチ達を害の無い存在と見做したからかもしれない。
鏡張りの回廊を抜け、やがてケンイチとトモベは仲間達のいる場所に戻ってきた。二人とも疲れ切って会話をする余裕も無かった。二人は身を寄せ合い丸くなって眠った。泥の様な眠りだった。
トモベが扉を開いた。細い回廊が奥へと続いている。壁が仄かに青白く光っていた。ケンイチとトモベは歩き始めた。
お召し替えが近い事をトモベはどの様に察知したのだろう。お召し替えが近づけば自分も分かるのだろうか。それは雨の気配を察知して空魚が騒ぎ出すのと同じ様なものなのかもしれない。元々備わった本能に近いものなのだろうか。
二人が回廊を進むと前方にまた扉が見えてきた。銀色の回転扉である。微かな音を立てて廻っているその扉に二人は滑り込んだ。
扉の向かうにはまた新たな回廊が奥へと続いていた。回廊の壁と天井は鏡張りである。回廊の床は透き通っていて、甲冑を被った様な空魚が泳いでいる。ケンイチが床板を叩くと空魚はすぐに泳ぎ去った。どうやら床板の底には水が張られていて、空魚はそこを泳いでいるらしい。雲間を泳ぐ空魚はいつも見ているが、水中を泳ぐ空魚を見たのは初めてだった。水中でどの様に呼吸しているのだろう。ケンイチはふと思った。空魚は太古の昔この様に皆水中を泳いでいたのではあるまいか。「空魚はイデンシを操作したんだ」。お召し替えに赴いたユウシンは言っていたが「イデンシ」が何なのか、ケンイチには分からない。だがユウシンによれば「クローン」と言って、自分そっくりな自分を創造する技術もあったらしい。
回廊の鏡は湾曲しており、歪んだ二人の姿を映し出した。ケンイチとトモベが歩を進める度に二人の姿は伸び縮みする。やがてトモベが歩を止めた。回廊が二手に別れていた。右が黒の扉。左が赤の扉。
「どうする?」
ケンイチが言うとトモベは懐を弄り始めた。やがてトモベが取り出したのは、ダイオウシダの葉だった。そこには複雑で細密な絵図が描かれている。
「迷殻舟の深みへと向かう絵図だ。ユウシンから受け取った」
ユウシンは迷殻舟の深みに何度も潜ったらしい。単なる好奇心からだろうか。しかしこの詳細な絵図を見る限りそれだけとは思えない。
「右が迷殻舟の深みへと向かう回廊のようだ。絵図に目印がついている」
トモベが右の扉を開けると、またも回廊の壁と天井は鏡張りである。回廊の両側には等間隔に椅子が並んでおり、そこに座っているのはなんと大きな空魚だ。空魚には二本の脚があった。空魚はぴくりとも動かなかったが、ケンイチとトモベが傍を通ると、眼をぎょろぎょろさせて二人を眺め回した。
回廊は幾つにも分岐していたが、二人はユウシンの絵図を頼りに奥へと進んだ。
どれ位の回廊を通り抜けた時だったろう。ケンイチは、はっと息を飲んだ。反対側から二人連れが歩いて来る。それはケンイチとトモベ。もう一人の自分達なのだ。無表情に此方に向かって来る。ケンイチは思わず立ち止ってしまった。驚愕している二人ともう一人の自分達がすれ違った。
「何だ。今のは」
ケンイチは振り返った。二人は回廊の向こうへと消えていく。
「考えるな。先を急ごう」
トモベはそう言ってまた歩き始める。回廊の分岐は更に複雑になっていった。やがてユウシンは白い扉の前で立ち止った。
「ここだな。この扉の向こうが迷殻舟の深みだ」
扉には何か書かれている。僅かに「我」「魂」「忘」「替」等の文字が読み取れたが、後は理解不能な文字乃至は記号である。
「入るぞ」
トモベは扉を開けた。
そこは非常に広い部屋、と言うより空間だった。端から端までは百メルデ。天井の高さは二百メルデ程もあるだろうか。
透明な書架が四方の壁と床を埋め尽くしていた。これがユウシンが言っていた「モノガタリ」だろうか。
二人は一つ一つ書架を見て廻った。古びた皮表紙の書物が五十音順に並べられている。 書名は人名の様でもあり、二人が見知っている人名も幾つかあった。
二人は其処から「ケンイチ」「トモベ」と書かれた書物を見つけ出した。自分達の名前が書名となっている事に不思議さを感じながらも、二人はそれぞれの書物を読み始めた。
ケンイチの「モノガタリ」は此の様な文章で始まっていた。
遠雷が鳴っていた。微かに雨の匂いもする。河豚のような小さな鰭のある空魚たちが、西の空へと飛んでいった。
そして二人が迷殻舟の「深み」に赴く事になった経緯が書かれた後に「深み」に至るまでの道程が書かれていた。
しかしケンイチが読み進める事が出来たのは其処までだった。
「そろそろ戻ろう。少しは寝ておかないと」
文字を追う事に疲れ切った顔でトモベが言った。
二人はそれぞれの書物を脇に抱え、元来た回廊を戻り始めた。ユウシンの絵図が無ければ迷っていたに違いない。二人は細い回廊を抜け幾つもの分岐点を逆に辿った。
そうして沢山の分岐を抜けた時、やはりそれは起こった。ケンイチとトモベ。もう一人の自分達が反対側から歩いて来るのだ。もう一人の自分達が驚愕しているのが見て取れた。ケンイチとトモベ。二人はもう一人の自分達とすれ違った。
「やっぱりそうだ」
トモベが呟いた。
「俺達が出会ったのは迷殻舟の深みへと向かう自分達自身だったんだ」
迷殻舟の深みへと向かう回廊では空間だけでなく時間までもが歪むらしい。
やがて二人はまた二本脚の空魚達のいる回廊へと戻ってきた。やはり空魚達は眼をぎょろぎょろさせるだけで、ぴくりとも動かない。ケンイチは思った。この空魚達は門番なのかもしれないな。空魚達が動き出さないのは、ケンイチ達を害の無い存在と見做したからかもしれない。
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