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第16話【Side アレクサンドル】
しおりを挟むマリアンヌと玄関ホールで別れた後の事。私は一度私室に戻り軽く着替えると、夕食を食べるためにダイニングへと向かった。
(マリー……。マリー、か……)
歩きながら、頭の中でその名を繰り返す。
以前感じていた不確かな存在に対する渇望は、あの舞踏会の夜からすっかり落ち着いていた。
(仕事が終わって帰ってきた時に、愛しい人が出迎えてくれるというのはこんなにも嬉しいものなのか……)
その代わりといっては何だが。彼女を見る度、彼女の事を考える度、少しずつだが確実に、彼女を愛しく想う気持ちが募っていくのを感じている。
兄が強引に話を進めてきた事に、少しばかり感謝したい気持ちだった。
「お帰りなさいませ、旦那様。すぐに食事をお持ち致します」
「ん。ああ、頼む」
そんな事を考えていると、ダイニングへと着いた。席についてしばらくすると、食事が運ばれてきたので食べ始める。
「なぁ、ジル? マリーと会ってみて、どうだった?」
途中、側に仕えていたジルに私は尋ねた。
「第一印象といたしましては、美しい方だなと感じました。容姿はもちろんですが、ふとした瞬間の所作までも、優雅で、お美しい。あの若さであそこまでのものを身に付けていらっしゃるとなると、幼い頃から並々ならぬ努力をされてきたのだなと感じました」
「ふむ」
「あとは……、そうですね、優しく、愛らしい方だなと。ウブ童貞な旦那様が一目惚れされたと聞いて、どんな小悪魔系の令嬢に誑かされてしまったのだろうかと心配しておりましたが。……実際にお会いしたマリアンヌ様は、我々に高慢な態度をとることは一切されず、優しく話しかけてくださいました。それに、笑った表情がとても魅力的でございましたね」
「さりげなく私の悪口を言うなよ。……それにしても、お前がそこまで人を褒めるのは珍しいな」
「私だけでなく、ソフィやサラも、私と同じような事を言っておりましたよ」
「そうか。メイドたちも」
「私、人を見る目はそれなりにあると自負しております。あの方はおそらく、生粋の人たらしでございましょうね。旦那様を誑かしてくださったのがあの方だったのは、我々にとってはまさに僥倖」
「……お前たちが彼女を気に入ったのは分かった。まぁ、良かったよ。彼女は一人でこの屋敷に来たのだからな。これからも優しくしてあげてくれ」
「もちろんです。……それにしても、旦那様が女性に対してここまで心配りができるなんて奇跡では? お帰りも予定より早かったですし、あの花束だって。一体どうされたんですか?」
ジルが眉間に皺を寄せ、怪訝な表情で私を見てくる。酷い言われ様だと思ったが、自覚もあったために文句はとりあえず飲み込んだ。
「あー、あれはな。……オスカーに怒られたんだ」
「オスカー様に?」
「ああ。婚約者が初めて家に来るのに、遅くまで仕事をするなとな。迎えに行けないなら、せめて花束ぐらい用意して、ちゃんと謝罪しろと言われんだ」
「なるほど。それはオスカー様に感謝をしなくては。あの様な素敵な女性を待たせているという罪悪感で、我々、イラ……ヒヤヒヤしておりましたので」
そう言ってニッコリ笑うジルの圧力が凄まじい。
(イライラしていたのか。どおりで……)
屋敷に入った瞬間に、あちらこちらから感じた冷気はそのせいだったかと合点がいった。もう夏を迎える時期だというのに、一瞬背筋がヒヤリとしたのだ。
「まだしばらくは仕事が忙しいが、出来るだけマリーとの時間をとるようにするよ」
「承知しました。是非、そうして下さいませ」
ジルが一歩下がったところで、ワインを一口飲む。
ホッとした瞬間に思い出すのは、先程のマリーとのやり取りだった。
(……嫌がられなくて良かった……)
花束を抱えた彼女が可愛らしくて。
赤くなった耳が愛しくて。
気が付けば、無意識に手を伸ばしてしまっていた。
気付いてからは慌てて手を離したけれど、もう少しだけ彼女に触れていたかった、というのが正直な気持ちだ。
(ああ、マリー……)
――それは、衝動にまかせて手に入れた存在。
後悔はしていないが、未だ疑問は残っていた。
(何故私は、あんなにも見ず知らずの相手を求めていたのだろうか……?)
最初は、ただ私が忘れているだけで、昔に出会っている過去があるのかもしれないと思った。だが、あれから色々調べても、私が記憶喪失になるような事故や事件もなく。そもそも私と彼女が出会うことができる、その可能性すら出てこなかった。
私は騎士団の仕事以外ではほとんど王都にいたし、彼女はずっと王都から離れたシュヴァリエ侯の領地にいた。唯一接近したのが、私が視察で領地を訪ねた時だったが、その時も結局会わずに終わっているのだ。
では、あの感情はどこから湧いてきたものだったのか?
この問いに対しては、未だ説明ができないままなのである。
だが、彼女を見れば愛しく感じ、側に寄れば抱き締めたくなる。それもまた事実で。
柔らかそうな髪、滑らかな白い肌、照れた時に赤く染まる耳に、潤んだ瞳。そのどれもが私を魅了して止まない。
(……これから毎日彼女に会えるなんて……、ッッ)
明日の朝食に思いを馳せる私が、ジルの生温かい視線に気付く筈もなく。彼女の事を考えるとどうしても緩みそうになる口元を隠すように、私は、グラスに残っていたワインを一気に飲み干したのだった。
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