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第1章 月下の招待
第5話 沈黙の余白
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午後一時を少し回った頃、館内のスピーカーから低く女性の声が流れた。
「皆様、予定しておりました午後の館内ご案内および懇談会は、諸事情により中止とさせていただきます。各自、ご自由に館内でお過ごしくださいませ」
それだけを告げると、音声はすっと途切れた。
翔は思わず顔をしかめた。「懇談会って……聞いてないよな?」
相川がロビーの壁にもたれながら、手にしていたコーヒーカップを静かに置いた。
「そうだな。館内ご案内も初耳だし、何を案内するつもりだったんだか。スタッフもあんまり見かけないし、準備してたようにも見えなかったけど」
結衣が腕を組み、思案するように口を開く。
「もしかして、私たちの行動を先に観察してから、何か仕掛けるつもりだったのかもしれない。全体で話し合う場を“中止”する理由が、私たち側じゃなくて、主催側にあるとしたら」
場には再び妙な沈黙が漂った。時計の針は淡々と進んでいるはずなのに、どこか時間そのものが止まってしまったような、静止した空気が辺りを支配していた。
翔は立ち上がり、ロビーの大理石の床をゆっくりと歩いた。絨毯の模様には古典的な幾何学が刻まれ、壁には抽象画が飾られている。だが、どれもあまりに整然としていて、不気味なほど整いすぎていた。
「なあ、ここって、もしかして俺たち……“監視”されてないか?」
低く漏らした翔の言葉に、結衣が目を細める。
「同感。誰かがこの空間を観察しているような、そんな感覚は確かにあるわ」
そのとき、水沢がローテーブルの上に手を置き、ゆっくりと立ち上がった。
「ちょっと、気になることがあるんだけど……」
彼女は鞄から封筒を取り出し、中から招待状を抜き出す。白地に銀のエンボス加工が施された紙には、整った筆跡でこう記されていた。
『このたび、蒼月館にて故・鵜飼幸蔵を偲ぶ会合を開きます。先生に縁ある方をお招きしたく……』
水沢はそこまで読み上げると、目を上げて言った。
「この文面、おかしくない? “縁ある方”って、どれくらいの範囲を指してるの? 編集者の私ならまだ分かる。でも、大学生の早乙女くんや、俳優の相川さんまで……?」
翔は苦笑した。
「僕はサークルで先生の著作を知って、応募しただけです。まさか選ばれるとは思ってなかったんですが」
「俺なんて、事務所宛に招待状が届いただけだし。鵜飼先生と直接会ったこともないんだぜ?」
相川が肩をすくめる。
森が、ゆっくりと眼鏡を押し上げた。
「つまり、“縁がある”というのは建前で、何らかの基準で選ばれた者たちがここに集められたということか。問題は、その“選定基準”だが……」
その先は、誰も続けられなかった。だが、全員が同じ感覚を抱いていた。“何か”を知る者の手によって、ここに“何か”を隠された形で呼び寄せられたのではないか、と。
ふと翔は玄関方向に目を向けた。誰も出入りしていないはずの扉の奥に、人影が揺れたように見えた。だが次の瞬間には、薄いカーテンがかすかに揺れているだけだった。
そのとき、また“あの音”が鳴った。
カチ……カチ……。
金属音。昨日よりも、わずかに大きく、そして不規則。
「やっぱり、これ……偶然じゃない」
翔が呟くと、結衣が頷いた。
「誰かが“時間”を動かしてるような……そんな音に聞こえるの。私の勘だけど、あれ、館のどこかの仕掛けが動いてる」
翔は足元に視線を落とす。磨かれた床。その下に、何か“隠されているもの”があるとしたら?
「……やっぱり、館を歩いてみよう。何か、見落としてるかもしれない」
誰も明確に反対しなかった。むしろ一同の中に、小さな違和感が確実に芽生え始めていたからこそ。
翔は思わず、頭の中で数を数えた。
自分と結衣、水沢、相川、森——
五人。
(でも……バスに乗っていたのは、六人のはずだ)
色の褪せたジーンズに、パーカーを羽織っていた無口な青年——
「……森川、だっけ?」
翔の呟きは、霧の中に溶けるように消えていった。
森川亮太。不在となった唯一の参加者。
誰もが気づかぬままに過ごしてきた数時間の“欠落”。その重さが、改めて翔の胸に沈み込んでいく。
そのとき——
「……あの……失礼します」
遠慮がちな声がロビーの奥から響いた。
一同が振り返ると、奥の廊下から一人の女性が現れた。
「皆様に、お伝えしなければならないことがございます。少し、お時間をよろしいでしょうか」
その言葉に、場の空気がかすかに揺れた。
(始まった。これは、事件だ)
その確信が、静かに胸に刻まれた。
「皆様、予定しておりました午後の館内ご案内および懇談会は、諸事情により中止とさせていただきます。各自、ご自由に館内でお過ごしくださいませ」
それだけを告げると、音声はすっと途切れた。
翔は思わず顔をしかめた。「懇談会って……聞いてないよな?」
相川がロビーの壁にもたれながら、手にしていたコーヒーカップを静かに置いた。
「そうだな。館内ご案内も初耳だし、何を案内するつもりだったんだか。スタッフもあんまり見かけないし、準備してたようにも見えなかったけど」
結衣が腕を組み、思案するように口を開く。
「もしかして、私たちの行動を先に観察してから、何か仕掛けるつもりだったのかもしれない。全体で話し合う場を“中止”する理由が、私たち側じゃなくて、主催側にあるとしたら」
場には再び妙な沈黙が漂った。時計の針は淡々と進んでいるはずなのに、どこか時間そのものが止まってしまったような、静止した空気が辺りを支配していた。
翔は立ち上がり、ロビーの大理石の床をゆっくりと歩いた。絨毯の模様には古典的な幾何学が刻まれ、壁には抽象画が飾られている。だが、どれもあまりに整然としていて、不気味なほど整いすぎていた。
「なあ、ここって、もしかして俺たち……“監視”されてないか?」
低く漏らした翔の言葉に、結衣が目を細める。
「同感。誰かがこの空間を観察しているような、そんな感覚は確かにあるわ」
そのとき、水沢がローテーブルの上に手を置き、ゆっくりと立ち上がった。
「ちょっと、気になることがあるんだけど……」
彼女は鞄から封筒を取り出し、中から招待状を抜き出す。白地に銀のエンボス加工が施された紙には、整った筆跡でこう記されていた。
『このたび、蒼月館にて故・鵜飼幸蔵を偲ぶ会合を開きます。先生に縁ある方をお招きしたく……』
水沢はそこまで読み上げると、目を上げて言った。
「この文面、おかしくない? “縁ある方”って、どれくらいの範囲を指してるの? 編集者の私ならまだ分かる。でも、大学生の早乙女くんや、俳優の相川さんまで……?」
翔は苦笑した。
「僕はサークルで先生の著作を知って、応募しただけです。まさか選ばれるとは思ってなかったんですが」
「俺なんて、事務所宛に招待状が届いただけだし。鵜飼先生と直接会ったこともないんだぜ?」
相川が肩をすくめる。
森が、ゆっくりと眼鏡を押し上げた。
「つまり、“縁がある”というのは建前で、何らかの基準で選ばれた者たちがここに集められたということか。問題は、その“選定基準”だが……」
その先は、誰も続けられなかった。だが、全員が同じ感覚を抱いていた。“何か”を知る者の手によって、ここに“何か”を隠された形で呼び寄せられたのではないか、と。
ふと翔は玄関方向に目を向けた。誰も出入りしていないはずの扉の奥に、人影が揺れたように見えた。だが次の瞬間には、薄いカーテンがかすかに揺れているだけだった。
そのとき、また“あの音”が鳴った。
カチ……カチ……。
金属音。昨日よりも、わずかに大きく、そして不規則。
「やっぱり、これ……偶然じゃない」
翔が呟くと、結衣が頷いた。
「誰かが“時間”を動かしてるような……そんな音に聞こえるの。私の勘だけど、あれ、館のどこかの仕掛けが動いてる」
翔は足元に視線を落とす。磨かれた床。その下に、何か“隠されているもの”があるとしたら?
「……やっぱり、館を歩いてみよう。何か、見落としてるかもしれない」
誰も明確に反対しなかった。むしろ一同の中に、小さな違和感が確実に芽生え始めていたからこそ。
翔は思わず、頭の中で数を数えた。
自分と結衣、水沢、相川、森——
五人。
(でも……バスに乗っていたのは、六人のはずだ)
色の褪せたジーンズに、パーカーを羽織っていた無口な青年——
「……森川、だっけ?」
翔の呟きは、霧の中に溶けるように消えていった。
森川亮太。不在となった唯一の参加者。
誰もが気づかぬままに過ごしてきた数時間の“欠落”。その重さが、改めて翔の胸に沈み込んでいく。
そのとき——
「……あの……失礼します」
遠慮がちな声がロビーの奥から響いた。
一同が振り返ると、奥の廊下から一人の女性が現れた。
「皆様に、お伝えしなければならないことがございます。少し、お時間をよろしいでしょうか」
その言葉に、場の空気がかすかに揺れた。
(始まった。これは、事件だ)
その確信が、静かに胸に刻まれた。
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