蒼月館の招待状

天音 翔杜

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第1章 月下の招待

第6話 霧にほどけた約束

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 遠慮がちな声が、ロビーの奥から聞こえた。

 参加者たちが一斉に視線を向けると、奥の廊下から一人の女性が現れた。グレーのスーツに身を包み、控えめな所作で歩み出る姿は、どこか事務的でありながら、その目元には張り詰めたような緊張があった。

「皆様に……お伝えしなければならないことがございます」

 その言葉に、館の空気が再び静まり返る。女性は一呼吸置き、慎重な口調で続けた。

「申し遅れました。私、中川響子と申します。蒼月館にて事務補佐を務めております」

 彼女は一礼をした後、わずかに伏し目がちになりながら続けた。

「本来、本日午後に予定されていた懇談の集い……故・鵜飼先生を偲ぶ場ですが、主催者側の意向により、中止とさせていただくことになりました」

「偲ぶ会……中止に?」水沢葵がゆっくりと問い返す。声は穏やかだが、明らかに訝しさを含んでいた。

「はい……。もともとは、先生と関わりのあった皆様が自由に語り合えるよう、ささやかな会を予定しておりました。ただ……今朝、急遽“開催を見直すように”との連絡が、主催者から届きまして……」

「見直すって、どういうこと?」相川が眉を寄せた。

 中川は少し口ごもる。だがその仕草から、彼女自身もこの変更に納得しきれていないことがうかがえた。

「私自身も、詳細までは……。ただ、先生の遺族のご意向により、今は“静かに見守ってほしい”という方針に変わったとだけ聞いております」

「つまり、“詮索するな”ということか」森涼太郎が低く呟いた。

「そのように……受け止めております」

 中川の声には理知的な抑制があったが、内側に揺れがあるのは隠せなかった。

「……何か、まだ話していないことがあるのでは?」結衣が柔らかい声で切り出した。

 中川は視線を落とし、わずかに黙った。やがて小さな声で、ぽつりとこぼす。

「……実は、先生が亡くなられてからというもの、この館には一人として宿泊者を迎えておりません。今回の皆様のご滞在が、“例外”だと聞かされています」

 その言葉に、場が一瞬で凍りついた。暖炉の火の音さえ遠のいて聞こえるほどの静寂が支配した。

 そのときだった。カチ……カチ……。

 館の奥から、また“あの音”が響いた。不規則な金属の摩擦音。まるで、古びた歯車がどこかで軋みをあげているかのような。

「まただ……」翔が低く呟く。

「この館のどこかで……何かが動いてる」結衣が目を上げる。

「中川さん。この建物に、監視カメラは……?」水沢が静かに問う。

「ええ、最低限の防犯カメラは設置されています。ただ、皆様の個室や暖炉の間のような共有スペースには設置されておりません。ですから……その音の出所について、私にも確かなことは……」

 言葉を濁したまま、中川は小さく頭を下げた。

 その瞬間だった。

 階段の上から、革靴の小さな足音が下りてくる。姿を現したのは、黒のベストを着た志倉だった。白手袋を外しながら、彼はゆっくりとロビーに降りてくる。

「中川さん、ご苦労さま」

 そう言って彼は一礼し、参加者たちの前に出た。

「皆様、ご不安を招いていることをお詫び申し上げます。本来であれば、皆様にお集まりいただき、鵜飼先生を偲ぶ時間を設ける予定でした。しかし……」

 彼は一拍置き、語気を緩めた。

「ご遺族より、“過度な詮索は望まない”というご意向が届きました。それを受け、館としても会の内容を再考し、中止という判断をいたしました」

「では、今後の予定は……?」森が穏やかに尋ねる。

「本日午後は、自由行動としております。館内の散策やお部屋でのご休憩など、ご自由にお過ごしください。外出の際は、霧のため視界が悪くなっておりますので、どうかお気をつけて」

 志倉の口調はあくまで柔らかだった。だが、その穏やかさの裏に、どこか踏み込ませない“線”を感じ取った者は少なくなかった。

 その背中を見送りながら、翔は心の中で呟いていた。

(何かが、ある)

 確信ではない。だが、ただの懇談会中止では説明のつかない“違和感”が、微かな潮のように胸の奥に広がっていた。

「翔」

 結衣がそっと声をかける。

「もう少し、館を見てみよう。何か、手がかりがあるかもしれない」

「うん……俺たちの目で、確かめてみよう」

 それぞれが立ち上がったときだった。

 ――ガタン。

 どこかの扉が、軋んだ音を立てて開いた。

 その音は明らかに誰かの“意志”を感じさせた。

 そして蒼月館は、またひとつ、新しい顔を覗かせようとしていた。
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