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第2章 霧の中の足音
第11話 開かれたもの、封じられたもの
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ロウソクの火が灯っているわけでもないのに、その通路には妙な明暗の揺らぎがあった。
翔は招待状を折りたたんでポケットに戻すと、棚の裏へ開いた狭い隙間に、そっと足を踏み入れた。続いて結衣と水沢が続く。
狭い通路は、壁の内側に無理やり穿たれたような構造だった。壁はむき出しの石材で、ところどころに古びた釘や裂けた板が打ち込まれている。天井は低く、照明もない。だがなぜか、奥へ進む足を止めようとは思わなかった。
翔は呟く。
「この先に……誰か、いるかもしれない」
結衣が小さく頷いた。
「ううん、誰かが“いた”場所かも。まだ“居る”かもしれないけど、もう“いない”可能性もある……そんな空気」
「言い得て妙だな」と水沢が低く応じた。
通路の先は、半地下のような広さの空間に繋がっていた。
四方を本棚に囲まれたその部屋は、書庫と呼ぶにはあまりにも無秩序で、資料とみられる箱やファイル、巻物や新聞の切り抜きが雑然と積み上がっていた。しかも、どれも数十年前のもののようで、封筒の宛名には“文芸評論家 鵜飼幸蔵”の名前が何度も繰り返し現れていた。
「これは……先生の“個人アーカイブ”?」
水沢が声を低くしたまま、興奮を隠しきれずに机の引き出しを開けていく。
翔と結衣は、一番奥の壁に目を奪われていた。
そこには、びっしりと紙が貼られていた。文字ではない。名前でも、記号でも、日付でもない。
誰かが夢の中で見たような断片的なイメージを、鉛筆とペンと指で直接なぞるようにして描いた痕跡。
あるものは山。あるものは火の粉に包まれた扉。あるものは、血のついた白い手。
「……これ、絵じゃない。記憶の“スケッチ”みたい」
結衣が囁くと、翔も深く頷いた。
その瞬間だった。
後方から、かすかな物音が聞こえた。
扉の閉まる音ではない。足音でもない。けれど確かに“何か”が、今この部屋に気づいたような気配だった。
「……翔」結衣が翔の袖をそっと引いた。
翔が振り向くと、通路の入り口――そこには、森涼太郎の姿があった。
「来ていたか」
その声に、全員が驚いたように振り返る。
「森さん……ここに?」
「案内されたんだよ」森は壁の方へゆっくりと目を向けながら言う。
「誰かが、俺たちをここへ導いてる」
「“誰か”って……」
森は、いつもの落ち着いた声色のまま答えた。
「言い切れる確証はない。ただ、この館にはまだ“使われている部屋”と“意図的に見せられている部屋”がある。その区別がつかないうちは、油断はできない」
相川もすぐ後ろから現れた。彼の顔には、珍しく緊張の色が浮かんでいた。
「おい、ここの“隠し部屋”……鵜飼の私物どころじゃない。これ、たぶん――」
言葉を切ったその先で、床の一角が、かすかに軋んだ。
翔が視線を下げると、古びた木の床板が一枚だけ色合いが異なっている。細い隙間から、さらに下へと続く小さな金属製の取っ手が覗いていた。
結衣が息を呑む。
「まだ……続いてるの?」
森が静かに言った。
「記録は、深い層にこそ真実を残すものだ。表面にないなら、より深く掘り下げるしかない」
だがそのとき、入り口から再び声がした。
「それ以上は……お控えください」
その場に全員の視線が集まる。
立っていたのは、中川響子だった。
声は静かだったが、今までと違う、“制止の意思”をはらんでいた。
彼女は一歩ずつ中へ進みながら、言葉を継いだ。
「その床の下には……先生の最期に関わる記録があります。でも、それは同時に、あなた方を“巻き込む”危険を孕んでいます」
「中川さん……あなたは、どこまで知っているんですか?」
翔の問いかけに、中川は小さく、苦笑のような微笑を浮かべた。
「私は、この館で“静かに見届けること”しか、許されていないんです。でも……」
彼女は、床の取っ手をそっと見つめた。
「あなたが開けるのなら、私は止めません。もう“記録”は止まらない。そういう段階に来てしまっていると……私自身が、そう感じているからです」
室内が、静まり返る。
翔は一歩前に進み、ゆっくりと、膝をついた。
そして、その冷たい金属に、手をかけた。
翔は招待状を折りたたんでポケットに戻すと、棚の裏へ開いた狭い隙間に、そっと足を踏み入れた。続いて結衣と水沢が続く。
狭い通路は、壁の内側に無理やり穿たれたような構造だった。壁はむき出しの石材で、ところどころに古びた釘や裂けた板が打ち込まれている。天井は低く、照明もない。だがなぜか、奥へ進む足を止めようとは思わなかった。
翔は呟く。
「この先に……誰か、いるかもしれない」
結衣が小さく頷いた。
「ううん、誰かが“いた”場所かも。まだ“居る”かもしれないけど、もう“いない”可能性もある……そんな空気」
「言い得て妙だな」と水沢が低く応じた。
通路の先は、半地下のような広さの空間に繋がっていた。
四方を本棚に囲まれたその部屋は、書庫と呼ぶにはあまりにも無秩序で、資料とみられる箱やファイル、巻物や新聞の切り抜きが雑然と積み上がっていた。しかも、どれも数十年前のもののようで、封筒の宛名には“文芸評論家 鵜飼幸蔵”の名前が何度も繰り返し現れていた。
「これは……先生の“個人アーカイブ”?」
水沢が声を低くしたまま、興奮を隠しきれずに机の引き出しを開けていく。
翔と結衣は、一番奥の壁に目を奪われていた。
そこには、びっしりと紙が貼られていた。文字ではない。名前でも、記号でも、日付でもない。
誰かが夢の中で見たような断片的なイメージを、鉛筆とペンと指で直接なぞるようにして描いた痕跡。
あるものは山。あるものは火の粉に包まれた扉。あるものは、血のついた白い手。
「……これ、絵じゃない。記憶の“スケッチ”みたい」
結衣が囁くと、翔も深く頷いた。
その瞬間だった。
後方から、かすかな物音が聞こえた。
扉の閉まる音ではない。足音でもない。けれど確かに“何か”が、今この部屋に気づいたような気配だった。
「……翔」結衣が翔の袖をそっと引いた。
翔が振り向くと、通路の入り口――そこには、森涼太郎の姿があった。
「来ていたか」
その声に、全員が驚いたように振り返る。
「森さん……ここに?」
「案内されたんだよ」森は壁の方へゆっくりと目を向けながら言う。
「誰かが、俺たちをここへ導いてる」
「“誰か”って……」
森は、いつもの落ち着いた声色のまま答えた。
「言い切れる確証はない。ただ、この館にはまだ“使われている部屋”と“意図的に見せられている部屋”がある。その区別がつかないうちは、油断はできない」
相川もすぐ後ろから現れた。彼の顔には、珍しく緊張の色が浮かんでいた。
「おい、ここの“隠し部屋”……鵜飼の私物どころじゃない。これ、たぶん――」
言葉を切ったその先で、床の一角が、かすかに軋んだ。
翔が視線を下げると、古びた木の床板が一枚だけ色合いが異なっている。細い隙間から、さらに下へと続く小さな金属製の取っ手が覗いていた。
結衣が息を呑む。
「まだ……続いてるの?」
森が静かに言った。
「記録は、深い層にこそ真実を残すものだ。表面にないなら、より深く掘り下げるしかない」
だがそのとき、入り口から再び声がした。
「それ以上は……お控えください」
その場に全員の視線が集まる。
立っていたのは、中川響子だった。
声は静かだったが、今までと違う、“制止の意思”をはらんでいた。
彼女は一歩ずつ中へ進みながら、言葉を継いだ。
「その床の下には……先生の最期に関わる記録があります。でも、それは同時に、あなた方を“巻き込む”危険を孕んでいます」
「中川さん……あなたは、どこまで知っているんですか?」
翔の問いかけに、中川は小さく、苦笑のような微笑を浮かべた。
「私は、この館で“静かに見届けること”しか、許されていないんです。でも……」
彼女は、床の取っ手をそっと見つめた。
「あなたが開けるのなら、私は止めません。もう“記録”は止まらない。そういう段階に来てしまっていると……私自身が、そう感じているからです」
室内が、静まり返る。
翔は一歩前に進み、ゆっくりと、膝をついた。
そして、その冷たい金属に、手をかけた。
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