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〇33 甘やかされて育ったお嬢様は、自分の思う通りにならないと嫌だと我儘ばかりを言っている。
しおりを挟む俺の婚約者はかなり我儘だ。
久しぶりに遊びに行ったら、かなりひどい性格になっていた。
婚約を決めた時はそれほどでもなかったけれど、一体なにがあったのだろう。
その日俺は、婚約者の家に訪問した。
彼女の部屋で最近の話をしながら談笑しながら過ごしていたらメイドの女性がおやつを持ってきた。
しかし、婚約者の少女は、そのおやつを見て機嫌を急降下させた。
「このオヤツは嫌い! だから捨てといて!」
そう言って、おやつのマフィンをメイドに突き返す。
なので俺は、「せっかく作ってくださったんだから、一口くらい食べてはどうですか?」と言った。
ゴミがついているわけでもないし、間違ったものを作ってきたわけでもないのに、そんな態度はあんまりだと思ったのだ。
しかし注意された婚約者はきょとんとするばかり。
「どうして? この屋敷のお嬢様である私の命令は絶体よ。メイドはそれにさかえないんだから」
そういう問題ではない。
悪気のない行為だったらしいが、だからといって見逃していい行為だとは思えなかった。
「そうだけど、理不尽な命令をするのはよくないよ」
「理不尽? 理不尽ってなぁに? 私が言ってるのは当然のことじゃないの?」
まさかそこから説明しなければならないとは。
俺は懇切丁寧に「悪い事をしていないのに、酷い事を言ったりやったりしてはいけない」と説明したのだが、婚約者は腑に落ちない顔のままだった。
「でも、貴族がしゅちょーするのが当然の権利なんでしょ?」
それは主張じゃなくてわがままだと思う。
少し前は、我儘を当然の行為だと考えるような子じゃなかったのに。
一体なにがあったというのだろう。
違う日に遊びに行くと、彼女はどうしても欲しい物があると駄々をこねていた。
婚約者は泣いたり怒ったりしながら、メイドを責め立てる。
「どうして手に入れてくれないの! 私が欲しいって言ってるんだから、ちゃんと買ってきなさいよ!」
「そんな事を言われましても、限定品は月日が過ぎてしまったら購入できなくなてしまうので」
「だったら、人からもらってくればいいじゃない!」
「大変な貴重品ですし、誰が持っているのか調べるとなると」
「やだやだやだ! 欲しいったら欲しい! 買ってきてくれなくちゃ首にしちゃうんだから」
立場を利用して相手を思う様に動かそうだなんて、いけない事だ。
俺は未だに喚き続ける婚約者を注意した。
「駄目ですよ、そんな事をしては。そんな事を続けていると、誰も仕えてくれなくなってしまいますよ」
「そんな事ない、お金をたくさん出したら仕事したいっていう人いっぱいいるもん」
確かにそういう人もいるだろうけれど、そういう場合は忠誠心など皆無に等しい。
裏切られてしまうのが目の見えている。
婚約者は目の前にいるメイドを一人の人間として見てはいないようだ。
誰もが同じ事をする、変わりのきく存在だと思っている。
特別な人間ではない彼らはある意味そうなのかもしれない。
けれど、その事を面と向かって言われては、いい気にならないのが当然だろう。
「どうしてそんな理不尽な事ばかり言うのですか。我儘を控えないと、皆貴方に愛想をつかしてしまいますよ」
「そんな事ないもん! 私はお金持ちのお嬢様だから、願いを叶えてもらうのは当然の権利だってパパとママがいってたもん!」
まさかそんな身近な所に元凶がいたとは。
「大人になるんだから、もっとしっかり自分の意見を主張しなさいって言ってたのよ!」
この婚約者がこんなになってしまった元凶が、はっきりした瞬間だった。
けれど、他人の家の事に口を出すのは、難しい問題だ。
他人のくせにと一蹴されたり、ウチはウチ他所は他所と言われるだけ。
困った。
俺は将来我儘に育った婚約者と結婚したくはないんだけどな。
婚約者は一つの家にずっといるから、一つの家庭に価値観に染まりきってしまっている。
だから、頭ごなしに間違っているというより、色々な価値観があると教えた方が良い気がした。
たぶんあまり頭が良くない彼女は、理屈で解いても理解できないと思うので、色々な人の生活の雰囲気を肌で感じて学んでもらう方が良いのだろう。
そういうわけで、俺は婚約者の再教育のため家出計画を立てた。
婚約者の興味を引きそうな話題を調べた俺は、様々な話術を駆使して彼女を外に出した。
家出グッズも揃えて、彼女の両親の手の届かない所に出発だ。
もしかしたら、騒ぎになるかもしれないが。一人の人間の将来が危ないし、これくらいの荒療治をしないとなおらないので仕方がない。
それに、我儘な少女と婚約なんてしていたくないし。
「なんだかわくわくするわね! こっそり外に出て冒険するなんて!」
「そうですね。怪我をしないように気を付けたくださいね」
「分かってるわよ!」
見るものすべてに瞳をキラキラさせた少女は、年相応の普通の少女に見える。
けれど育ち方を間違えたらその無邪気さが、人を傷つける凶器になるのだろう。
俺達は変装して、婚約者に平民たちの暮らしぶりを知ってもらうために、下町へ向かった。
「みんなずいぶん忙しそうね!」
「ああやって働かないとお金が手に入らないからね」
「貴族はのんびりしてるだけで、お金が手に入るってパパとママが言ってたわ!」
「貴族だって働かなくちゃいけないんだよ」
「えっ、そうなの? 嘘言わないでよ」
「本当ですよ」
「このサンドイッチ美味しいわ!」
「ちょっと値上がりして百十ゼニスだったね。今年は葉物が不作だから」
「不作は野菜がとれなくなるって事だっけ。そうなるとなんで物の値段が高くなるの?」
「色々説明はあるけど、簡単に言うと珍しくなるから、かな」
「なるほど! 分かりやすいわ! 珍しい物って高いものね!」
「あそこのお店だけ、ちょっと他の所より豪華ね!」
「あそこは、貴族用のお店なんだろうね。ここから先はお金持ち達のための区画だ」
「パパとママとはちあわせちゃったらまずいわ!」
「そうだね、避けていこう」
「それにしても、なんでお店が違うのかしら。皆一緒のお店で買い物できないの?」
「扱ってる商品が違うし、必要な金額も違うから」
「そうね! せいかつよーひんとか、たべものとかやさいは売ってないわね! 平民ももっとキラキラしたものが変えればいいのに」
「それは無理だよ。収入が少ないからね」
ざっと見て回った俺達は、そんな感じのやり取りを行った。
婚約者は貴族でない者達がどれほど大変な生活を送っているのか、気がついたらしい。
「メイドにひどい事を言っちゃったわ」としょげかえっていた。
ちょっと頭がアホっぽいけど、根は良い子なんだろう。
俺とはじめて社交場で会った時も、転んだ俺を気遣ってハンカチをさしだしてくれたし。
あの時は、普通にいい子だったんだけどな。
「でも、それでもパパとママはやりたい事があったら、遠慮なく言っていいんだって。我儘を言っても貴族なら許されるって言ってたから」
しかし、まだこれだけじゃ彼女を更生させるには足りないようだ。
「それはある意味間違ってはいないよ。どうしてもやるべき事があるなら、人の事情より自分を優先してもいいと思う。けれど」
彼女が言う我儘は、どうしてもその時やるべき事には見えなかった。
他の時でもできるし、何かを犠牲にしてまでやるような事ではないと思うのだ。
俺は、彼女の手を握ってある場所へと案内した。
「ついてきて」
俺が向かったのは、青空教室だ。
この時間なら、まだ勉強が行われているはず。
そこにいるのは大部分が平民の子供だったけれど、少なからず貴族の子供らしき者達もいた。
所作が違うし、まとう雰囲気とか気品みたいなものも違うから、分かりやすい。
「あの子達、貴族でしょ? なんでこんなところにいるの? なんで平民と交じって勉強しているの?」
「それは、彼等が捨てられた子だからだよ」
「えっ」
跡継ぎにできない程体が弱かったり、妻との間に子供がいるのにメイドなどとも子供を作ってしまった場合、邪魔な子供は捨てられてしまう。
そういった子供は、平民として暮らしていかなければならないのだ。
「そんなの、ひどい。かわいそうだわ」
婚約者は悲しそうな顔で涙をこぼした。
俺はハンカチをとりだして、その涙をぬぐってやる。
「身分の違いなんて、誰かの都合で簡単にどうにでもなってしまうものなんだよ。人として本当に大事な物は、そんなものじゃない。だから権力とか立場をかさにきて人に言う事を聞かせようとするのはやめた方が良いんだよ」
「でもっ、でもっ。パパとママは、言ってたから」
俺は首をふって、彼女に残酷な言葉をつきつけた。
「人間だから、君の大好きなご両親だって間違える事があるんだ。完璧じゃない。だから俺は、君まで間違えてほしくないんだよ」
「そんなの嘘だ! 嘘だもん!」
彼女はその場で盛大に泣き喚いた。
俺はその背中を叩いて慰めるしかできなかった。
人間的にできてない親の下に生まれてしまった彼女は、これから嫌な物を見ていかなければならないだろう。
俺がこんな事を教えなければ、ずっと幸せだったかもしれない。
けれど、俺は俺が好きになった少女が、我儘で傲慢な少女になってしまうのが嫌だったのだ。
青空教室に参加していた者達や周囲にいた者達が何事かとこっちを見てくる。
いたたまれない気持ちを味わいながら、せっかくだからどこかで一泊ぐらいしたいなと思った。
家出が日帰りで終わるなんて、短すぎる。
その日の夜は、町の宿屋に向かって、止まらせてもらう事にした。
宿屋の主人は家出と聞いて仰天していたが、俺が理由を説明すると快く建物の中に入れてくれた。
お金を多めに渡したり、何かあっても主人に迷惑はかけないと書いた誓約書まで出したのが効いたのかもしれないが。
それから夕ご飯を部屋まで届けてもらって、二人で食べた。
塩辛いと顔をしかめた婚約者は「平民のご飯ってなんだか味が濃い気がするのよね」と言った。
頼んだのは、体を使って労働する人向けにつくられたご飯だから、塩分が高めなのだろう。
脂っぽくて肉にくしいのもあったけど、女の子にそれはハードルが高そうだと思ったので、やめておいた。
夜は、誰にも手伝ってもらわずに、一人で着替えたり、身を清めたり。
もちろん覗いてはいないいないし、不埒な事はしていない。
婚約者は「こんな面倒くさい事、平民は毎日してるのね」と慣れない事をやったせいか疲れた声でいった。
寝る前には、宿の窓から星を見たり通りの様子を眺めたりした。
仕事が遅くなってか、家へ急ぐ者もいれば、玄関の前で誰かの帰りを待つ女性などもいる。
たまにゴミをあさった野良犬や野良猫が通ったりも。浮浪児などもいたりした。
何気ない景色だったが、様々な人がいると言う事を知るには良い機会だっただろう。
平民だって、身分でひとくくりにするべきではない。
一人一人それぞれ、違う人生があるのだから。
翌日、俺はまず婚約者を家に送り届けて怒られた。
そして、迎えに来た俺の家族にも怒られた。
両親からの雷がかなり落ちたので、当分の間は罰として私室に閉じ込められる日々がくるに違いない。
婚約者は複雑な表情で自分を叱る両親を見ていた。
もうかつてのように純粋に二人の親を信じる事ができなくなったからだろう。
彼女はこれからその家で何度も、自分の価値観をかけた戦いをしなければならないだろう。
それは、何も知らなければせずに済んだ苦労だ。
つまり俺の我儘のせいで、彼女の人生はちょっとだけ不幸になった。
罪悪感にさいなまれながらも、この婚約関係を解消したいとは微塵も思えないから、なかなかひどい人間だと思う。
だって俺は、初めて会った時自分の手が血で汚れるのもかまわず、不器用にハンカチを巻いてくれた彼女の事が好きだから。
もしも、彼女が成人して俺の事が嫌いだといったのなら、その時は潔く身を引こう。
俺の行動の意味は、何も話さずに彼女から離れる事にする。
けれど、彼女がその時になっても、こんなひどい事をした俺を好いてくれるというのなら、その時は。
出会った頃から好きだったから、彼女にそうしたんだと、その時になってから初めて伝えよう。
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