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〇38 大雪の日のプロポーズ
しおりを挟むその日は、近年まれにみる大雪の日だった。
その影響で、首都圏の交通網は麻痺。
駅には帰宅困難者が溢れている有様だ。
自身が勤めている会社の中、テレビでそんな光景を見た由美は、帰れそうにないと悟った。
時刻はあと一時間ほどで日付をまたぐような頃合い。
由美の家に向かうまでは、普通なら一時間ほどかかるのだが、この雪ではそれ以上の時間がかかりそうだった。
だから由美が、勤め先の会社に泊まると判断したのは、自然な流れだった。
残業に一区切りつけ、休憩していた由美は、休憩所のテレビを見てため息をついていた。
夕食は、会社の食堂で食べた。
だから、後は、一日分の作業をまとめて、眠る準備をするだけだ。
幸いにも由美のつとめている会社には、仮眠室やシャワー室などもあるため、一夜すごすくらいなら困らない。
しかし、すぐに行動をおこす気になれなかった彼女は、ぼんやりとテレビを見ながら時間を過ごしていた。
部屋の窓の外には、天使の羽みたいな雪が降っている。
暖房のきいた温かい部屋の中にいる分には綺麗な光景だが、氷点下を記録する外で見るには辛い光景だ。
子供ならばそんな環境でも雪を楽しめるかもしれないが、あいにく時刻は深夜。
無邪気な様子を見て、そのほほえましさに胸をあたたかくするのは難しいだろう。
「なんだ、由美も残業していたのか」
そんな中、部屋の扉が開いて、声がかかった。
スーツを着た男性が入ってくる。
「知らなかったよ」
その男性は、由美の近くにやってきて親し気にはなしかけてきた。
彼は、由美とは違う部署で働く人間だ。
接点はあまりないはずだが、事あるごとにこちらに話しかけてくるので、少し相手をするのが面倒くさいと感じていた。
人づてから聞いた評価によると、仕事もできるようだし、性格も良いらしい。
業績優秀な天才という言葉がぴったりくる人物だ。
営業の仕事では、先輩をおさえてトップに君臨しているらしい。
しかし彼は、自分の行動に絶対的な自信を持っている所があった。
「退屈そうだな。良かったら、一緒に近くの食べ物屋にでも行かないか?」
「結構よ、私もう夜のは食べてしまったから。それにこの雪でしょ? ここら辺は駅の近くだし、人が多いんじゃない?」
「こんな事もあろうかと、昼間に予約をとっておいた。由美の分もついでにとっておいたんだ。せっかくだから、どうだ?」
「気持ちはありがたいけど。悪いわ」
「そんなつれない事いうなって」
彼はかなりの自信家だ。
間違いなく今の彼は、自分が誘えば、かならず成功するに違いない、と思っている。
頭もいいし、性格もいい、それに実は顔も良かった。
そのため、女性を誘って断られてきた事があまりないせいなのだろう。
由美がしつこい誘いにどうしようかと悩んでいたら、また違う男性がやってきた。
「あれ、由美さん、今日は帰ってなかったんだね。良かったの?」
新たに現れたその男は、凡庸といった言葉がしっくりとくる人物だ。
とりたてて目立つ特徴もない代わりに、欠点もない。
一般人、にカテゴライズするに申し分ない男性だった。
しかし、由美はそんな彼といる時間をこのましく思っていた。
共にいる時に流れる穏やかな時間は、由美の心を不思議と落ち着けてくれる。
「ええ、雪がちょっとね。それより卓也さんはいいの?」
「今から時間かけて家に帰るっていうのもね。大変だろうしさ」
肩をすくめる男性・卓也は、部屋に入ってきてテレビに視線を向けた。
相変わらず番組内では、どこぞのリポーターが大雪の影響について真剣な様子で話をしている。
そこで、自分の不利な流れになったのに気が付いたのだろう。
凡庸じゃない方の人が、「気が変わったら声をかけてくれよ」とそう言い残して部屋を出ていった。
彼が出ていった事で、一気に室内の空気が変わったような気がした。
具体的に言うと、緊張感が消えて、キラキラした感じが減った。
卓也は「あれ、邪魔しちゃった?」とおどける。
「ううん、助かったわ。たまにしつこくて困ってたの。ただの食べ物屋さんに行こうって言ってたけど、予約が必要な所って。そういうのは、高い所かもしれないじゃない?」
「ああ、そういうの気後れしちゃうよね。いくら善意でも」
同意する彼の価値観に心の底からほっとしてしまう。
どうやら私は出来る男性と過ごすキラキラした時間よりも、安定した心安らぐ時間の方が好みらしい。
しかし、卓也には好きな人がいるらしい。
だからどんなに好いていても、由美の思いはかなわない。
仕事の合間に休憩室で談笑している時も、慰安会や歓迎会などで顔を合わせた時だって、彼の頭の中にはべつの人間がいるのだ。
それにこの間、その人に贈る誕生日プレゼントについて相談をもちかけられていた。
由美に気があるなら、普通そんな事は聞かない。
その時の卓也の顔は、とてもこわばっていて緊張しているように見えた。
普段はのんびりおだやかなオーラをまとっている彼に、そこまでさせる女の子とは一体どんな子なのだろう。
気になったが、自ら傷口をえぐるような真似はできなかった。
卓也の横顔をみながら考え事をしていると、ふと視線があってどきりとした。
「そういえば由美さん。この間欲しいって言ってたものの事だけど」
「え?」
卓也は真剣な表情で話をくりだしたのだが、なんのことか分からず首をかしげてしまう。
そんな話をした記憶はないからだ。
卓也は、ズボンのポケットからとりだした小さな箱を差し出してきた。
私はおそるおそるうけとって、その箱を開く。
するとそこには、美しい花の意匠が彫られた指輪があった。
見栄えのするような大きな宝石はないけれど、慎ましく愛らしいデザインだ。
由美は、「あっ」と声をあげた。
それは、卓也にアドバイスしたプレゼントの物と同じ模様だったからだ。
卓也は照れた顔をしながら、頭をかいた。
なんて凡庸なプロポーズなのだろう。
実は、想い人は自分だったとか、本人に欲しい物を聞いてしまうところとか。
もう少し工夫のしようがあると思う。
それは、様々なドラマや漫画で使い古されたようなシチュエーションだった。
華々しくイケメンから告白されるようなものではなく、その添え物として描かれたカップルが最終回近くでくっつく時のような。
けれど、そんな愛の告白に安心する自分がいた。
「叶わない恋だと思った私の時間、返してくれる?」
「今度、一緒に公園に遊びにいこうよ」
嬉しさとともにこみあげてくる涙が、指輪におちて光の花をきらりと咲かせた。
その光はなぜか、窓の外で、ビルの光を反射して輝く雪の花と同じに見えた。
卓也となら、こんな面倒な雪の日に外に出るのも悪くないように思えた。
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