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〇128 婚約者の浮気で運命の相手が変わったようです
しおりを挟むとある日の夜。
一つの大きな屋敷では、パーティーが行われていた。
「お誕生日おめでとう! 私たちのかわいい娘!」
「今日でお前は七歳だぞ!」
誕生日を迎えた貴族の少女――私エルミナーシュ、両親に祝ってもらっていた。
笑顔が絶えない食卓に、用意されたケーキ。
その日は幸せであふれていた。
「ありがとう! お母さま! お父さま!」
「明日は貴方の欲しいものを何でも買ってあげるわ」
「何がほしいか言ってごらん。私達は貴族だから、大抵の事は叶えてあげられるんだぞ」
「えーっとね! ピアノ! ピアノがほしいな」
そして、私は誕生日ケーキを食べながら語るのだ。
将来の夢はピアノの演奏者だと。
プロの演奏者になって、お客さんの前で演奏したいのだと。
その時の私はまだ、知らなかった。
十歳になった自分がコンクールに出場する程の実力を手に入れること。
そして、そのコンクールの前日に、指に怪我をしてピアノが弾けなくなってしまうことを。
人の運命はだいたい七歳頃に全てが決まる。
私が生きるこの世界には、運命を見通す占い師が存在していたから。
七歳になった者達は、自分が通る道筋を知る事ができるのだ。
だから私は、その運命の通りに生きてきた。
どんなに悲しい事でも、その通りに。
だって、避けられないと思っていたから。
怪我をした動物へ不用意に近づき、指に怪我をして、ピアノのコンクールに出れなくなる事も。
好きでもない男と婚約する事も。
一応、運命に抗おうと努力はした。
怪我をしないようにあの日は、人一倍気を使ったし、運命が示す者ではない他の者と婚約しようともした。
けれど、運命は強固だった。用意されたその道筋から外れる事はなかったのだ。
幼馴染の男の子ライランは、「自分が決めたもんでもないものに、自分から進んで従うなんて馬鹿らしい」と言っているけれど。
私には、彼の様な勇気は持てなかった。
私室の窓を除いたら、馬車から降りてきた婚約者がいる。
婚約者の男性ダインだ。
彼はこの家の玄関へ向かってきた。
どうやら私の家に訪問してきたようだ。
約束などしていなかったが、急な用事でもできたのだろうか。
私は彼を出迎えるために、玄関へと向かった。
使用人に手伝ってもらいながら、手早く服を着替える。
玄関に向かってみると、普段とは違った彼がいた。
客間に通されずに、まだここにいたようだ。
それは、使用人たちが彼を扱いかねていたからだろう。
「エルミナーシュ! エルミナーシュはどこだ!」
ダインは、何やら興奮したように騒いでいる。
あちこち視線をさまよわせて、ずかずかと室内に入り込もうとしているが、使用人たちに止められていた。
当然だろう、理由も分からないうちに、興奮した男を屋敷の中へ入れるわけにはいかないのだから。
婚約しているといっても、彼はまだ他人なのだし。
私は、息をついて彼の元へ向かった。
「ダイン様どうかされたんですか」
話しかけると、はっとした顔で彼がこちらを向く。
そして、息をきらしそうな勢いで、何事かをまくしたてた。
「ああ、聞いてくれ。我が婚約者エルミナーシュ。どうやら俺は運命の人に出会ってしまったようだ!」
「はい?」
内容を理解するのに、数秒かかった。
運命の人?
それは目の前にいるのでは?
この国で生まれた人間は、ほぼすべて占い師によって運命を教えられてきている。
ダインも、幼い頃に運命を教えられて、婚約するのが私だと知っているのではなかったのだろうか?
彼が言いたい事を理解できずに首をかしげるしかない。
しかし、彼は続ける。こちらの事を置き去りにして。
「違うんだ。いや、違ったんだ。俺の運命の相手は君じゃなかった!」
「は?」
「だから婚約は無しにしよう」
「そんな。相談もなしに勝手な」
自分達の感情はともかく、思い付きで互いの家が振り回されてはいけない。
彼も貴族で、貴族同士の婚約には様々な手続きや準備があるのだから。
そう思って、口を開こうとするのだが、彼は聞いてはいなかった。
「まるで地上に舞い降りた天使。宝石のような瞳、俺は彼女に心をわしづかみにされてしまったんだ! ああ、彼女が呼んでいるようだ!」
「え?」
「今行くよ! 君の元に!」
元婚約者は正気かどうか疑わしい様子で、玄関から出ていく。
開かれた扉の向こうで、ダインはまた馬車に乗り込み、せわしなくどこかへと行ってしまった。
怒涛の婚約解消だった。
普段の彼はあんなものじゃなくて、もっと知的で冷静だったのだが。
変な食べ物でも食べたのだろうか。
夢か幻かと思って頬をつねってみたが、どうやらまぎれもなく現実のようだった。
それから数日後に、私達は正式に婚約を解消する事になった。
「という感じで婚約がなかった事になったの。お母様もお父様も、そんな人に娘は任せられないって言ってたからいいんだけど。向こうの家のご両親は申し訳なさそうだったわね」
「何というか、変な奴になったな。頭やったのかそいつ」
「そんなわけはないと思うけど」
数日後、私は幼馴染のライランにその事を話した。
彼もやはり、呆然として呆れてという表情を見せる。
彼はたまにこの屋敷にくる事があるから、ダインの事も数回顔を合わせていたのだ。
ダインは平民とつきあう事はしないので、直接言葉を交わしたことはなかったが。
話を聞いていたライランは肩をすくめる。
「大変だったな。まあでも、よかったじゃないか。だってお前、そいつの事好きじゃなかったんだろ?」
私は一つ頷いた。
「それは、そうだけど。こうもあっさり、解消されると複雑なのよ。彼が熱を上げている女性より、私の魅力は下なのかしらって思うと」
「まあ、それは、うん。そうなるよな」
ダインは、好きでも何でもない相手だったが、それとこれとは別だ。
あっさり捨てられると、複雑な心境になってしまうのだ。
割り切れと言われても、割り切れない。
気を取り直したように、彼は咳払い。
「ごほん。ともあれ、それなら今のお前は誰のものでもないって事でいいんだよな」
「そうなるわよね。もの扱いはいただけないけど」
なるほどなるほど。腕くみをして考え始めたライランは、私の顔をじっと見つめた。
一体何をそんなに熟考する必要があるのだろう。
自分の事ではなくて、人の話なのに。
不思議に思っていると、彼が口を開いた。
「なら、一週間後。もう一度会いに来る」
「え? ええ。分かったわ。屋敷の人達にも伝えておくわね」
私の身分は貴族で、彼は平民。
身分の違いはあるが、屋敷の者達はそういう事に関しては寛容だった。
だから、ライランは比較的自由に私に会いに来る事ができるのだ。
彼と接する時間は不思議と楽しいから、会えなくなったらと思うと悲しい。
「ああ、待っててくれよ。驚くような事、言ってみせるからさ」
妙に真剣な様子でその場を去っていく幼馴染。
その背中を見ても、思い当たるふしはなかった。
婚約解消になってから、私は時々ピアノ部屋へ向かっている。
事故があってから、訪れる事がなくなった部屋だったが、心境の変化によってまた来たいと思う様になったのだ。
鍵盤に指を降ろして、音楽を奏でてみるが、その手つきはぎこちない。
長く演奏していなかったせいもあるが、怪我のせいでもある。
貴族という身分もあり、日常生活ではあまり不便する事はないが、細かい作業をする時は怪我の影響が出てしまう。
何分か演奏してみたが、音楽とよべるものにはならなかった。
「もしかしたらって思ったけど。やっぱりだめね」
ピアノの蓋を降ろしてその部屋を去る。
次にその部屋に入る時は、当分先になるように思えた。
ライランは妙な事を口にしてから、きっかり一週間後。
彼は屋敷へとやってきた。
しかし、様子がおかしい。
妙に緊張した様子だ。
必然的に、頭の中に元婚約者ダインの顔が浮かんでしまう。
「どうしたの? そんなに仕立ての良い服を着て」
問いかけると、「そりゃまあ大事な日だからな」と返された。
彼は、なぜか貴族が着るような上質な服を身に着けている。
彼は平民なのに。
平民でもいるところには富んでいる人がいるみたいだけれど、彼はそうじゃないはずなのに。
記憶にある限りは、このような服を用意できるような財力ではなかったはずだが。
「身だしなみを整えるのは、当然だよ。俺、貴族になったから」
「えっ?」
理解が追いつかずに間抜けな声が出てしまう。
ここ最近、人の行動に驚いてばかりだな、と頭の中でそう思った。
私が停止している間に、彼は続きを口にしてしまう。
ここ最近の怒涛の展開は、ダインの婚約解消だけではなかったようだ。
「だって、身分が釣り合わねぇと色々大変だろうと思ってさ」
「どういう事? 何が大変なの?」
「お前と結婚するのに」
「――え?」
意識が空白を作っているうちに、彼は私の前でひざまづいて、どこからか取り出した指輪を差し出した。
「俺と結婚してくれ」
「えええええええええええ!」
それは、どこからどう見ても、疑いようもない求婚の現場だ。
後に使用人たちは語る。
お嬢様の叫び声は屋敷中に響き渡るようでしたよ、と。
ライランは、どうやら私の事が好きだったらしい。
運命なんてものの存在があっても、諦められなかったくらいに。
私の事を思い続けていた彼は、商人の手伝いをして商業ギルドに所属し、昇りつめた。
そして、貴族の立場をお金で購入したらしい。
その後に、元婚約者ダインとの婚約解消が起きた。
それを知った彼は、指輪を購入して、私に求婚した。
というのが、話の流れだ。
全てを聞いた後、私は絶句した。
彼がずっと私の事を好きだったという事や、運命の言葉に屈しないほど想いをよせていてくれた事とか、いつのまにか貴族になっていた事とか。
話が濃すぎる。
「特に最後のは全然知らなかったのよ。どうして教えてくれなかったのよ」
「だって、頑張ってるところを知られるのは、恰好悪いじゃねぇか」
「そういう問題なの? 男の人って妙な事を気にするわよね」
「そういう問題なんだよ。男にとって、好きな奴に恰好つけるのは大切な事なんだ」
何のてらいも嘘も、裏の事情もなく好きと言われて、私は思わず頬を赤く染めてしまう。
誰かからこんな風に思われる事なんて、今までなかったから、どう接していいのか分からなくなりそうだ。
「時間が欲しいわ。考える時間が、悪いけれど、それまで待っていて」
「分かった」
「えっと、こんな事を言った矢先に、あなたに聞いて良いのか分からないけれど、一つ聞いて良い?」
「いいぜ」
「どうして運命なんて乗り越えられると思ったの?」
私はこの一週間ずっと気になっていた事を尋ねた。
私は簡単に屈してしまったのに、彼はどうして乗り越えようと思ったのかと。
「俺は運命を絶対のものだなんて思わない。俺の両親がそうだったからな」
ライランは語る。
自分が生まれる時、母子共に危ない状態だったという過去を。
本来なら、二人とも死んでしまう所だったという事を。
けれど、無事に二人とも生きて今を歩めているという事を。
「そんな事があったの。それも知らなかったわ」
「わざわざ言う事でもないからな」
けれど、分かった。
彼がどうして運命に立ち向かおうと思ったのか。
「よく考えてみるわね。貴方の事も、色々な事も」
すでに運命の道からは外れてしまっている。
だから私は、これからどうするか、よく考えなければならない。
それからは、様々な人に意見を聞いたり、元婚約者の様子を調べたりして過ごした。
色々と考えた結果、私は彼の求婚を受ける前に、ある事をしようと思った。
運命という言葉であきらめていた夢を叶えるという事を。
子供の頃のけがでやめていたピアノを、また初めてみる事にしたのだ。
どこまでできるか分からないけれど、答えを出すためには必要な事だと思ったから。
医者からは「ピアノが弾けない体になった」と言われていたけれど、やはり自分の心の奥は納得できていなかったのだろう。
一度決めてしまうと、すぐにピアノを弾く事に夢中になっていった。
「意外にも体が覚えているものね。それとも、忘れたくなかったから、忘れないように記憶の中にとどまっていたのかしら」
過去の経験はすぐによみがえった。
記憶をなぞるように、指先が動いていくのを、心地よく思う。
そんな風に、怪我の影響はあるものの、私のピアノの腕は少しずつ元に戻っていく。
やがてその努力は形となり――。
そして、とうとうコンクールに出場できるまでになった。
結果的には、予選は突破。
本選ではすぐに脱落する事になったけれど。
答えを出すには十分な結果だと思った。
だから、「私、あなたの求婚を受けようと思うわ」とライランにそう伝えた。
ライランは、頬を赤くして、興奮した様子で「やったぜ」とこちらに抱き着いてきた。
気が早い。
まだ、両家の両親に挨拶したり、手続きしたりもしなければならないのに。
それでも、彼は障害なんてないもののように考えている。
「きっと大丈夫だ。何があっても、俺達は運命を覆せたんだから」
彼が言うと本当にそんな気がしてくる。
浮気したダインがその流れの一部を作ったのはしゃくだが。
でも、ライランと一緒ならば、
この先に何が待ち受けていたとしても乗り越えられる気がしてきた。
「結婚式は盛大に好きなようにやろうぜ」
「そうできるお金を、もう貴方は持っているものね」
「そう、お前の為に手に入れた財力がな」
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