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しおりを挟む天高くそびえ立つ巨大な四角柱の建造物たち。太陽よりも近い距離でチカチカ色とりどりに輝く画面と電飾の明かり。
視界に突き付けられる全てに圧倒されながら、上向きに首をのけぞらせた千晴は、その場で声もなく立ち尽くしていた。
「千晴君、こっちだよ」
そんな千晴を現実に引き戻したのは、あらゆる光に負けじとキラキラ輝いていた光帝陛下である。
千晴はそちらにも若干「ウッ」と目を傷めながら、彼の促しに従い小走りに駆け寄った。
天徒昇格試験大会後、突如現れ、千晴を光の天徒に勧誘してきた光帝陛下は、唖然とする千晴たちを前にして「よく考えて欲しいから」と、直々に彼の居住区でもある上層の見学を提案してくれた。
千晴はその厚意に甘える形で、日を跨いだ今、恐れ多くも陛下直々に上層を案内してもらっているところである。
勿論千晴は晴君以外の下に付くことなど考えてはいないし、光の天徒になる気もない。
それなのに招かれるがまま上層に来たのは、光帝陛下から得られる晴君の情報に興味があったことと、……あともう一つ。
陛下のあとを付いていく途中、多くの上層の天子とすれ違った。
その中でたった一人、千晴が見覚えのある白髪の天子の姿が目に入る。
聖だ。
そう。千晴はあの試験の日からずっと、彼のことが気掛かりだった。
千晴を剣で刺した後、聖の様子は明らかにおかしかったと思う。
しかし、試合中傷を負っていた千晴は色々と余裕がなく、彼の不可解な行動も「千晴への手加減」という安直な理解で片づけてしまっていた。
冷静になって考えると、千晴に押され気味になった際にひどく悔しそうな表情を見せていた聖が、大事な最終局面で手を抜くわけがない。
何か試合に集中できなくなるような異常事態が起こったのだ。具合が悪くなっていたのかもしれない。
だが、千晴はそれを無視して試合を進めてしまい、聖の不調にお膳立てされてやっと踊れた剣舞の結果で調子に乗って、「一位をとれるかも」なんてのぼせ上がった幻想すら抱いてしまっていた。
最終的に聖も千晴と同じく合格者には名を連ねていたが、元々彼も一位を目指していたはずなのだ。
ともかく一度、彼の不調に気づけず試合を続けてしまったことを謝りたかったし、聖が無事か確認したかった。
通路の脇で礼をし、陛下が通り過ぎるのを待つ聖に、千晴は駆け寄る。
「あの、聖……」
「千晴君、おいで。このビルだ」
陛下の声がかかるが、目の前にいる聖は手を合わせ頭を下げた礼の姿勢を崩そうとせず、千晴が呼び掛けても黙したままだった。
……言葉を交わすのも嫌になってしまったのかもしれない。
千晴はツキン、と少しだけ傷む胸を意識しながら、やむを得ずその場を後にした。
陛下から連れられたのは、この上層の中心地にある、ひときわ縦に長い建物の中だ。
段を上がらずとも、建物内の上下移動は神力を通す特別な移動装置で容易に行えてしまうようだった。
ピカッ!と身体ごと眩しく光ったかと思うと、次の瞬間には違った風景が現れる。
この技術は下層と上層間の移動にも使われていて、千晴も今回それを使って上層まで来ることができていた。
とにもかくにも、陛下に案内されて辿り着いたのは建物の上層階だ。
透明なガラスに囲まれた、白基調の整った一室は、千晴の知っているあらゆる部屋とはまるで雰囲気が異なっていた。
未知のものへの興奮より、何か粗相をやらかしてしまわないかの恐れの方が勝った千晴は、極力埃を舞わせないよう借りてきた猫のごとく入り口でちんまり身を縮める。
「どうぞかけて」
「はい……」
陛下から革張りの横長い椅子に座るよう促され、恐る恐る腰掛けた千晴。
しかしそこに尻をつけた瞬間、ふか…っ、とあまりの柔らかさに沈み込みそうになり、再度慌てて立ち上がった。
「!?!?」と椅子を振り返り動揺する千晴を見て、対面の陛下がクスクスおかしそうに笑う。
失態だ。
猛烈な恥ずかしさから、千晴の顔は赤く発熱していた。
今度は注意深く座りなおしてやっと身を落ち着けたところで、少し席を外した陛下が細い取っ手のついた小洒落た容器を持って戻ってくる。
「ごめんね。簡単なものしか出せないけど」
そう言って彼が差し出した容器の中に入っていたのは、明らかに水ではない、茶色く濁った液体だった。
ど、泥水……?
千晴が眉を寄せて机上のそれを凝視している間に、陛下は同じく自身にも用意していたその液体に躊躇なく口をつけた。
……なるほど。上層の天人は、水だけでなく土からも神力を取り込む習慣があるのだろう。
それに、ここは大天木の枝を地面として成り立っている層だ。そもそも土が珍しいから、こんな風に水に混ぜてまでありがたがって飲んでいるのかもしれない。
千晴は納得できる理由を見つけ、一人頷いていた。
そして、郷に入っては郷に従えだ。千晴も泥水や泥ご飯を食うのは初めてじゃない。別に好きで飲み食いしていたわけではないが、それもこの日のための訓練だったと思えば感謝すら湧いた。
陛下の真似をして容器を持つと、千晴は口につけたその液体を一気にあおる。
……なんか苦くて香ばしいな。天界の泥水はこんな味なのか。あと全くじゃりじゃりしてない。舌触りはまるでただの水だ。
下界との泥水の違いを冷静に分析しているところで、千晴を見ていた陛下が「コーヒー気に入った?」と笑いかけてきた。
上層では泥水をそう呼ぶらしい。
特に気に入ってはなかったが、陛下の好みを否定するのもはばかられ、千晴はひとまず彼の問いに頷きを返しておいた。
「上層の印象はどうだい?下層とはまた雰囲気が変わるだろう」
「はい」
陛下が千晴の容器に泥水のおかわりを継ぎ足してくれるのを眺めながら、若干集中を欠いて短い返事をする。
そんな状態ではあったものの、しっかり質問の意図は理解できていた。
正直、変わっているのは雰囲気どころの話ではない。
技術も、建物も、住まう人も、生活様式も、千晴が知っている下界や下層の範疇を100も200も飛び越えている。
天人が使う神力のような人智の及ばない神業とはまた違う、固定概念を根底から覆される感覚に圧倒されるばかりだった。
当然、それを仔細に表現できる知識も千晴には足りていない。
場を濁すため、ひとまず注がれた泥水を再び飲み干した。
というか、これはどのくらい飲むのが正解なんだ。永遠に継ぎ足されて飲みきれなくなった時はどう止めればいいんだ。
それすらもわからず、千晴は内心怯えていた。
「上層は光以外にも、音と時の概念の君主が存在しているからね。特に時の君の恩恵で、上層のあらゆるものは『あるかもしれない下界の進化の事象』を反映して出来ているんだ」
「……下界がいずれこうなるだなんて、まったく想像できないです」
「あはは、僕も昔はそうだったな」
「!」
会話中に出た『昔』という言葉に、千晴は敏感に反応してしまった。
露骨に上がった顔。大きく開かれた視線。当然それに気づいた陛下は、こちらの問いを促すように優しく笑み、緩く首を傾ける。
その些細な動きに、長い金髪がキラキラと光を反射させて肌を滑っていた。
初めて見た時から思っていたが、ひどく美しい人だ。
どの角度から見ても欠点など見当たらない、誰もがその完璧さに見惚れ、ため息をつくほどの美貌と体躯。
言葉一つ、仕草一つにいたるまで磨き上げられた品格が感じられ、たとえどんな人物であろうとも、彼を粗雑に扱うことは決して許されない雰囲気がある。
少し動くたびに、音もなくチカ…と周囲に光の残滓が瞬くさまは、光の具現化とはこうである、という概念を眼前に突きつけられるかのような、完成された美の形を体現していた。
そしてそれは外見だけにとどまらない。
彼は自身の地位を含めたその全てを決して驕らず、千晴のような下層の一天子にも手厚く、親し気に接してくれている。
その時点で人柄の良さははかり知れないものがあるし、この天界をずっと統治し続けられているという揺るぎない実績から、その突出した能力の高さも窺えた。
先生はこんな、何もかもが優れた人とどれほどの期間一緒にいたんだろうか。どんな関係だったんだろうか。
陛下は先生から剣を教わったと言っていたし、もしかして彼も千晴と同じように、先生に選ばれて、大事な扱われ方をしていたのかもしれない……。
どどどどどどどどうなんなんだ本当に気になる。
まさか好きじゃないよな?陛下も先生も、お互いの事好きじゃないよな!?
感情の碌な取り繕いもできないまま、千晴は若干の後ろめたさが混じるボソついた小声で「晴君とはどういう関係なんですか」と問いかけた。
すると対面の陛下は一瞬目を丸くして、……すぐにそれで三日月のような深い弧を描く。
「へえ、そんなことも知らされてないんだ」
「──、」
やや棘のあるような言い方に、千晴は呆気にとられた。
しかし、陛下の表情はいつも通り、それよりもむしろさっきより機嫌が良さそうに笑んでいる。
……気にし過ぎか。
千晴は、陛下の第一印象とは結び付かないその発言を自身の勘違いだと片付けながら、「そうだなぁ」と話し出した彼の言葉を取りこぼさないよう集中する方へと意識を傾けた。
「一言で言うなら『互いの全てを知り得ている関係』かな。業務、交友関係、性格、好み、癖、身体の隅々の状態に至るまで、互いが最も詳しかった」
想像以上に親密さが窺える関係性に、千晴は衝撃を隠せなかった。
か、身体って、なんだ。どうやって隅々の状態を知るんだ。
千晴が真っ先に思い浮かべたのは晴君との口づけだったが、それをやるのは初めてだと本人が言っていた。
じゃあそれとは違う、何か、特別なことを……。
悶々と際限なく広がっていく想像の中、陛下は思い出を懐かしむような顔をして一人ごちる。
「本当に、あの頃は幸せだったな……」
その発言で千晴もふと我に返った。
そうだ、彼も言っているように、今の陛下と晴君は千晴の知る限り接点が全くない。その証拠に、陛下と会った晴君も、彼に対して久しぶりだと言っていた。
今晴君の一番近くに居るのは千晴で、陛下が言っているのはあくまで昔の話。
……だからといってどうでもいいと捨て置けるわけでもないが。
「どうして、昔とは変わってしまったんですか?」
気になって問うと、コーヒーを飲もうとしていた陛下がいったん動きを止め、口をつけないまま容器を元の位置に戻した。
やや緊張を纏った雰囲気に、自然と千晴の背筋も伸びる。
「偉大なる神の怒りに触れたのさ」
まっすぐこちらを見ながら言った陛下の声にどんな感情が含まれているのか、千晴には読み取れなかった。
ただ、すぐに伏せられた彼の目が、これ以上千晴に与えられる情報がないことを示しており、「具体的に先生は何をしたんですか」などとは到底聞けない雰囲気に、千晴もおとなしく黙り込む。
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