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しおりを挟む少し沈黙の時間があって、それも気まずくなってきた頃、唐突に陛下が「時に千晴君」と口を開いた。
「僕達が何故人間と同じ姿をしているか、疑問に思ったことはない?」
……正直そんなことを考えたこともなかったが、言われて今、確かに何故だろうと疑問が浮かぶ。
千晴が回答を待っていると、彼は少しの間の後に、淡々とした口調で続けた。
「それはね、この世界そのものが、最初から人間が支配するよう定められていたからだ。だからそれを管理する僕らの姿も人間を模しているのさ。いや、むしろ天人を人間が模しているといった方が自然かな。身体機能に不都合がない、完全な人間の形が僕たち天人だからね」
「??」
千晴はその説明の意味を完全には理解できないでいたが、陛下にとってそこは重要ではなかったらしい。
「まあそれはいいよ」とにこやかに流した陛下は、口元にその美しい指を添え、何かを思案するように告げる。
「問題は、ガワは同じなのに何故彼が天人より人間を気にかけているかだ。彼自身が元よりそういう風に形作られていたのか、はたまた弱者を愛でる嗜好があったのか。それだけは僕も知りえないままだった。……人間に入れ込んだりしなければ、今まで通りでいられたのにね」
そうして、指を顔から離した陛下は、次いで、ただ静かに話を聞いている千晴を真正面から見据えて言った。
「だから、僕は彼と違って、人間のことがどうしても好きになれないんだ」
──ガンッッ!!
言葉を結んだ直後、激しい音を立てて、両者を挟む低い机に足が乗せられる。
それをしたのは陛下だった。
強い衝撃で互いの茶器は床へと落ち、それぞれ呆気ない音を立てて砕け散る。
突然のことに肩を竦めて固まる千晴に、革張りの椅子の縁で頬杖をつき、長い足を見せつけるよう机上でゆっくりと組んだ陛下が、その横柄な体勢とは真逆の困り笑いで告げた。
「それなのに、どうしてこんなところに紛れ込んでいるのかな。──人間」
「──!!」
バレてる……!
身構える暇もなかったその指摘に、狭くなった喉から微かにヒュ、と掠れた動揺の音が出る。
じっと逸らされない暗く深い藍の目が、今の発言が冗談でもなんでもなく、ただ分かりきった事実を確認しているに過ぎないことを物語っていた。
「な、何を言っているのか……」
遅すぎる取り繕いは意味をなさない。
消え入りそうに言ったそれは、今までの笑み全てを取り払った陛下の視線に気圧されて尻すぼみに途絶えた。
バクバクと耳元で心臓が鳴っているような激しい動悸に、身体ごと揺れる心地だった。
自然と息も浅くなり、それを全て目の前の彼に見られている現状に冷や汗が滲む。
ひりついた静寂の中、陛下は瞬きもしない無表情のまま、口だけを動かして告げた。
「この前の試合の天候操作、驚いたよ。だって、その全てが彼の神力で形作られたものだったからね。その他大勢の天人は誤魔化せても、長く彼の傍にいた僕には隠せない」
陛下は千晴の頭部を指差し、それから下方へ、ゆっくりと胴をなぞるように移動させていく。
「不純物のない綺麗な神力だ。今の君の状態は、多少でも自身の神力をその身に宿している天人ではまずもってあり得ない。──どうやってそれを奪った?」
向けられたのは明確な敵意。
陛下の目が細められると同時、ゾワリと総毛だった身体が耐えきれず千晴を立ち上がらせた。
無礼を、などと考えている余裕はない。とにかくここに居続けるのだけはまずいと、肌を突き刺す本能的な危機感が警鐘を鳴らしていた。
「本当に何を言っているのかわかりません。今日はもう失礼します…っ」
千晴は陛下の返事も聞かぬまま、ほとんど走るような速足で扉へ向かう。
光帝陛下に人間だとバレてしまっている事が今後どんな問題を引き起こすのか、冷静になれないこの状況では判断も難しく、その事実を否定し続ける以外に千晴にできることは何もなかった。
とにかく、早く下層に戻って先生に──、
逸る気持ちで扉の取っ手を掴もうとしたとき、手が空を切る。
明らかに動揺している自分に内心舌を打って、取っ手の位置を正確に捉えるため、再度千晴は自身の手元を確認した。
そこには、すっぱりと手首が切り落とされた円形の肉の断面が見えた。
え、
脳が理解を拒んだ一瞬、「忘れものだよ」と後方から声をかけられる。
反射的に振り向くと、優雅に椅子へ収まったままの陛下が、切り離された千晴の手をにこやかな表情で振っていた。
状況を理解した瞬間、千晴の腕にすさまじい激痛が走る。
「──あ、ぁああ゙あ゙ぁ゙ああ゙ーー!?」
なんだ?何も気づかなかった、何をされた?斬られた?何で?いつ?刃物もないのに?どうやって?
折り重なった思考が、次の瞬間には純粋で強烈な『痛み』に塗り潰されて跡形もなくなった。
抑えても指の隙間からぼたぼた溢れ出して止まらない、おびただしい量の血液。
試合で腹を貫かれた時も今と同じかそれ以上に血は出ていたのだろうが、実際に抜け出た量が見えるのと見えないのとでは衝撃がまるで違う。
それに、自分の身体の一部が消失してしまっている覆しようのない事実も、巨大な絶望を乗せて千晴の焦燥を煽っていた。
立っていられず床で蹲るが、当然痛みは止まない。
千晴は脂汗の滲む額を冷たい床に擦り付けて、食いしばった歯の隙間から漏れ出る荒い呼吸と共に、獣のような呻き声を上げていた。
そんなどうしようもなく無様で弱々しい千晴の元へ、陛下の足音が近づいてくる。
コツ、コツ
革靴の音と共に響く振動が、床を伝って千晴に陛下の位置を教えていた。
それが千晴のすぐそばで止んだと同時、眼前に影が差す。
その場でしゃがみ、まるで石の裏に居る虫を確認するような気安さで千晴を覗き込んでいた陛下と目が合った。
瞬間彼は、少しだけ驚いたようにその瞳を瞬かせる。
「あれ、傷が塞がってる」
場違いにも聞こえる、あっけらかんとした物言いだった。
彼の視線の先、千晴の切り取られた片手首は、血には塗れているものの、先程まで断面だった部分が健康的な皮膚組織で丸く覆われている。
千晴はまだ痛みの余韻が残るそこを抑えながら、絞り出すようなかすれ声で言った。
「天人…なんだから、当たり前です…っ。手、返してください、付けたいので……!」
少しばかり攻撃的な物言いをしてしまったが、こちらは手を切り取られているのだ。その程度の反抗は許してほしい。
急だったが、神力を使った治癒が成功してよかった。
実は試験大会の後、今後もしも同じような怪我をする機会があったらまずいからと、晴君が千晴に治癒のやり方を教えてくれていたのだった。
といっても、それは当然天人には不要な行為なので、誰かに見られているところでは使えないという制限があるが。
そして、これは実際にやってみてわかったことだが、治癒は神力の消費が恐ろしく激しい。
それは多分、千晴の技術が未熟で、それを神力でのごり押しで補っているからというのが大きな理由だろう。
……結論として、そう何回も使えるようなものではないというのが千晴の見解だった。
ぽたり、と滴になった冷や汗が床に落ちる。もうずっと早鐘を打つ心臓は、一時たりとも休もうとしない勤勉さで千晴の身体を揺らしていた。
どうかこれで諦めてくれ。
祈るような目で陛下を見ていると、傷が塞がった千晴の手首をじっと見下ろしていた陛下が「……一回程度じゃ治癒もできるか」などと淡々と状況を分析するように呟く。
その直後、彼の手が千晴の後ろ髪を容赦なく鷲掴んだ。
「っ!!」
グッ!と首がのけぞるほど強く引き上げられた顔は、陛下のそれと至近距離で突き合わせられる。
ブチブチ髪が抜ける強い痛みに、千晴が反射的に顔を歪めたと同時、正面に見えた飲み込まれそうなほどの怨念を蓄えた暗い瞳に、本能的な恐怖が背中を駆け上がった。
「さっさと全部出し切って?あの人の力がオマエの中に入ってるとか、烏滸がましいにも程があるからさ」
ニコッと笑んだ陛下の手が千晴へ伸びると、丸く傷を塞いでいたその腕の先端をあっさり切り落とす。
凶器は刃物でもなんでもない、一瞬の閃光だった。
ぺちょ、と肉だけの塊が床に張り付いて、再び襲い来るのは脳すらも焼き焦がす痛みだ。
「──ア゛ッッ…、~~ッッ!!」
ガッ!!
千晴が絶叫する間もなく、後頭部を掴んでいた陛下の手によってその頭は床へと強く押さえつけられてしまった。
じたばた激しく暴れる身体は背中に乗り上げた陛下の重みで制御され、傷ついた腕すらも靴の裏で固定された千晴は完全に逃げ場を失う。
見開いた視界が警告を示すように赤く明滅していた。
激しく乱れた呼吸と共に泡になった涎が溢れ、血が抜けたせいか、それとも純粋な恐怖かよくわからないままに全身がブルブル細かく震える。
陛下はそんな千晴の背中で優雅にくつろぎながら、自身で踏み抜き、床に張り付けたその血塗れの細腕を見下ろして言った。
「どうしたの?さっきみたいに治療しなよ。早く」
頭皮に食い込む指が、急かすように千晴を床へ強く押し込む。
優し気な口調と苛烈な行動が何一つ噛み合っていなかった。
こいつ、やばい……!
発散できない痛みは限界を迎え、恐噛みと共に限界が近づく。
その時だった。
ガチャリ。
控えめな音を立てて開いた扉。
その方向をかろうじて掠れた横目で見やると、近い位置にあったそこに立っていたのは、先程も見た、千晴が唯一知り得る光の天子──聖だった。
「陛下? な……何を、なさっているんですか……?」
明らかに動揺した風に顔を引き攣らせた彼が、震える声で状況を問う。
陛下は、現状を把握するように下敷きにしている千晴へと視線を落としてから、もう一度聖を見上げた。
そして、この惨劇の中心に到底ふさわしくない、ひどく穏やかで美しい微笑みを浮かべる。
「入室許可は出していないよ」
「も、申し訳ございません。叫び声が聞こえたので、緊急事態かと思いまして……」
もしも二人に協力されてしまったら、千晴が人間であることを誤魔化すのは絶望的だ。
陛下の視線が逸れた瞬間にギリギリ治癒を施せた千晴は、そんな最悪な未来を想像して、二人の会話に息を潜めていた。
そんな中、千晴の背中からふっと圧が消え失せる。
陛下が立ち上がったのだ。
彼の重みから解放され、急に入り込んできた空気に肺が驚いたのか、千晴はその場でたまらずゲホゲホと咳き込む。
「少し確かめたいことがあっただけだよ。でもそれももう済んだ。聖、彼を下層まで送ってあげて」
「はい」
「千晴君」
「!」
陛下に声をかけられて、ようやく息が整ったところだった千晴は大きく肩をビクつかせた。
その眼前に彼が差し出したのは、最初に切り取られた千晴の手だ。
視線の先で、陛下が美しく微笑む。
「またいつでもおいで」
「……っ」
ゾワッ、と全身を駆けた恐怖心に従って、千晴は、まるで陛下と友好の握手でもしているかのように持たれた自身の手をすぐに奪い返した。
そのまま急いで立ち上がり、足をもつれさせながらも逃げるように扉の外へ出る。
最後に振り返った時、閉まる寸前の扉の奥に、こちらを見つめ続ける暗い目が見えた。
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