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しおりを挟む「先生、戻りました」
「千晴!おかえ──、すっごい満喫してる!!」
自宅にて出迎えてくれた晴君は、動物の耳を模した飾りを頭につけ、風船と土産袋で両手を塞ぐ浮かれ切った格好の千晴に目を見開いていた。
「あのっ、帰る前に聖に『ゆうえんち』というところに連れて行ってもらって、あっ聖とは上層で友達になって、その、すっごく早い乗り物とか、ピカピカするのとか……あっお土産、おみやげを、置物っ、聖が上層で流行ってるって、置物を…っ!」
「お、落ち着いて千晴!ちゃんと全部聞くから!」
荷物も置かないまま早口でまくし立てる千晴をなだめ、机を挟んだ対面に座らせた晴君は、ゆっくりと湯気の立つ茶を置いてから千晴の話を一つ一つ丁寧に聞き取っていく。
そうして、千晴が言いたいことを全て吐き出し、その興奮をようやく収めた頃。楽しそうに頷きながら話を聞いてくれていた晴君が、ふと感心したように呟いた。
「上層はそんなに発展してるんだね。そこまで進歩させられるなんて、光帝陛下の運営方法がいいんだろうなあ」
その一言で、千晴の浮かれ立っていた気持ちは一気に現実へと引き戻される。
そうだ。上層の魅力に呑まれて一時的に忘れてしまっていたが、千晴は晴君と光帝陛下の関係をまだ完全に知り得ることができていなかった。
それどころか、陛下の発言によって千晴の不安と疑念は以前より大きくなってしまっている。
勿論、陛下による暴虐も忘れられない恐怖の記憶としてあるが、それすらも千晴の中では、陛下があんな過激な行動に出るほど、二人の関係は特別なのではないか、という最悪の想像を裏付ける材料になっていた。
正直、二人の関係について、千晴は『こうじゃないか』と予想しているものがある。
──それは、恋仲だ。
そうであればあの親密さにも簡単に説明がついてしまうし、……下手すれば今もその関係が途切れていない可能性だってあった。
胸の奥でざわつく不安を振り払うように、千晴は浮かれた頭の飾りを外し、晴君の前で正座をする。
お土産の置物を珍しそうに眺めていた晴君は、突然まっすぐ姿勢を正した千晴に、きょとんと目を瞬かせていた。
「先生は、光帝陛下とどんな関係だったんですか?」
つ、遂に本人に聞いてしまった……。
二人きりの時に、こんな風に正面から晴君の過去へ触れる質問をするのは初めてだった。
今までなんとなくそれを躊躇っていたのは、随分前、まだ千晴が天界に連れてこられたばかりの頃、人間のことで雨君と言い合っていた晴君が、傷ついたような顔をしたところを見たことがあったからだ。
そんな顔は見たくなくて、ましてや自分がその原因になるのは絶対に避けたかった。だから千晴は、自分から直接晴君に聞くのではなく、他から情報を集めるという小狡い手法をとっていたのである。
しかしおそらく晴君は、千晴のその欲求を既に察していたように思う。
彼が今回、千晴が単独で上層に行くことを許可してくれたのも、そこで何かを知る機会を千晴に与えようとしていたのでは……?などと邪推した。本当のところはわからないが。
緊張から乾く自身の喉を、唾を呑み込み潤す。
もしかすると光帝陛下と対峙した時より緊張しているかもしれない。
晴君の回答を待つわずかな時間にも耐えきれず、千晴は焦燥をごまかすために発声を続けた。
「その、光帝陛下、の、……元、もと…っ」
「なんだ、やっぱりもう聞いてたんだね」
「えっ」
やっぱり元恋仲だった!?
帰ってきた言葉に敏感に反応した千晴が、ガーンとみるみる顔を青ざめさせているところで、晴君はそれと対照的な、普段と変わらない穏やかな笑みを浮かべて告げる。
「そうだよ。僕が元光帝」
「──は?」
「光覇……今の光帝陛下は、元々僕の天子だったんだ。碌な引継ぎもできないまま色々押し付けちゃったから、あの、本当、合わせる顔が無くて……」
「ちょ……、ま、まっ、待ってください!」
衝撃的すぎる情報に脳が追いつかず、千晴は思わず声を張り上げていた。
混乱のまま瞬きを繰り返す千晴に、きょとんとした晴君が「あれ?」とわずかに眉を下げて、
「聞いてなかった?」
「聞いてません……」
「そっか。でもまあいいよ。隠すようなことでもないし」
呆然とする千晴に対し、晴君は本当に気にしていないような軽い笑みを返す。あまりのあっさりした口ぶりに、むしろ千晴の混乱は加速するばかりだった。
「先生が、その……光帝、だったことは、皆知っていることなんですか?」
「んー雨君とか雷君とか、僕が光帝だった頃に天界に居た子たちは知ってると思うよ。でも天候区に移った後は元光帝ってことは隠されてたみたい。そんな扱いになってたなんて僕もついこの間まで知らなかったんだけどね」
「……それ、俺に言ったらまずいってことじゃないんですか?」
「え?あ……。じゃ、じゃあ今の話は他の人には内緒で!」
何ともいい加減なその対応に、千晴は思わず呆れる。しかしその呆れこそが、先程までの混乱を幾分か収めてくれていた。
千晴は、改めて対面の晴君をじっと見つめる。
焦り交じりに「あちゃ~」と頭を抱えるその様子は、千晴にとって見慣れたいつもの晴君で、どう頑張っても光帝陛下の姿とは結びつかなかった。
雨君や雷君などによる周囲からの扱われ方も、その威厳のなさを助長させる理由の一つだろう。いや、むしろその親しみやすさこそが晴君の魅力でもある。
……というかあの二人は元光帝に対してあの扱いなのか。それほど付き合いが長く親しい間柄ということなのだろうが。
余計な部分にまで思考を飛ばしていたところで、ふと陛下の言葉がよみがえった。
──偉大なる神の怒りに触れたのさ
その記憶に、千晴は思わずハッとする。
もし晴君が元光帝だったというのなら、同時に光帝でなくなった理由も存在するはずだった。
晴君が神の怒り──天界において最上級の禁忌に触れた、そんな出来事が。
一度緩みかけた緊張がまた千晴を襲う。
聞いていいのかわからない。そもそも千晴の耳に入っていい情報なのかということも。
だが知りたかった。
他の天人が、光帝陛下が知っているだろう晴君のことを、千晴も知っていたかった。
そして何より、それを打ち明けてもらえる存在でありたかった。
それは、千晴が天徒になりたかった理由のひとつでもある。
大多数に対して力を示せれば、晴君はもっと千晴に信頼を寄せてくれるのではないかと、そう思っていた。
……しかし、あの試験でそこまでの力を示せたかと言われれば、千晴自身疑問が残る。
その自己評価は、今自信をもって声を張るには届かず、千晴はただ、悔しさを滲ませた静かな眼差しを晴君へと向けるだけに留まっていた。
すると、晴君はそんな千晴を見て、ふ、と柔らかく微笑む。
「そうだなぁ、どこから話そうか」
それは許容の笑みだった。
千晴の胸がどくん、と熱く高鳴る。
晴君からの信頼への歓喜と、長く渇望していた知識欲が満たされることへの期待感によるものだった。
千晴は急いでまた背筋を伸ばし、絶対に聞き逃すまいという強い意志で身体を前のめりにさせる。
晴君は「前提から話すね」と端的に前置いてから、聞き取りやすい声で話し始めた。
「僕たちのいう神は、この世界の唯一の創造主を指すんだけど、実はそういう世界や創造主は、僕たちが認識できない場所に無数に存在してるんだ」
おもむろに紙と筆を手に取った晴君は、その場で丸と線だけの簡潔な図を描いていく。
丸は、空間と時間をすべて含んだ一つの世界、そして格子状に走る線は、その世界同士を断絶する仕切りのようなものを示しているようだった。
「僕たちの世界は人間が栄えててー、ここの世界は例えば魚が栄えてるとこでー……」と数個の丸に簡易な文字情報がつけ足されていくのを見て、千晴は、先刻光帝陛下が言っていた『人間が支配する世界』に今更ながら理解が及んでいた。
「世界にはそれぞれ、姿形は違っても僕らみたいな管理者が配置されていて、神様自身も時々手を加えながら一緒に運営をしてるんだ」
不意に「何のためだと思う?」と問われ、質問の意図すらよくわからなかった千晴は素直に「わかりません」と首を振る。
晴君はそんな千晴を責めることはなく、むしろその反応を期待していたかのように微笑んで続けた。
「あのね、神様同士で、自身の創造した世界がどんな発展を遂げているのか定期的に見比べるんだって。つまり僕らも含めたこの世界は、品評会に出される作品の一つなんだ」
「ここまでは大丈夫?」と確認してくる晴君に、千晴は大きな頷きを返す。
おそらく晴君は、千晴が理解しやすいよう、だいぶ人間よりに表現を落とし込んで説明してくれたのだと思う。依然、千晴には現実感がなく完璧な理解は難しかったが、何となく大枠はつかめた。
それに晴君はほっと安心したような顔をして、いよいよ千晴が知りたかった本題へと話を踏み込ませる。
「そんな中で僕も頑張って働いてたわけなんだけど、……えーっと、その、僕が途中から、人間のことが可愛くて仕方なくなっちゃって、過度な干渉をしてしまったんだよね」
急に落ち着かない様子で手元の筆をもてあそびながら、晴君は遠い昔を見つめるように薄く目を伏せて告げた。
「まだ天候の概念も無かった頃だったからさ、常に気候を過ごしやすいものにして、食料や水は欲しい時に欲しいだけ用意したし、病気や怪我もすぐに消してた。そうやって天界全体で、人間達が何不自由なく暮らせる世界を運営していたんだけど……そしたら、人間の発展、止まっちゃって」
失敗失敗!と自身の頭を軽く叩き、おどけたように自虐した晴君だったが、真剣そのものの顔で話に聞き入る千晴の視線に気づくと、気まずそうに咳ばらいをする。
「……当然、神様はお怒りになった。せっかくの作品なのに、いつまで経ってもまるで変化がないんだから当たり前だよね。それで僕は責任を問われて、丁度新設された天候区に異動させられたんだ。その時に僕の天子だった子が繰り上がって、現光帝陛下として華々しく活躍中って流れかな」
綺麗に区切られたその語りに、千晴はしばし呆然とした。
拍子抜けだったのだ。その程度で……?と思わずにはいられない理由だった。
勿論、天人にとっては、神の意にそぐわない行為というのは絶対に犯してはならない禁忌で、晴君がしたことは世界を揺るがすほどの大問題だったのかもしれない。
しかし、先ほどの話の中で恩恵を受けるばかりだった人間側の千晴からすれば、晴君が悪行を成したとは到底思えなかったし、むしろそれは優しい彼の行動としてひどく妥当だとすら感じた。
雨君をはじめ、千晴が話を聞いた人からはなんとなく深刻な雰囲気を感じていたので、もっとこう、誰から見ても明らかにまずいと思えるようなことをしたんじゃないかと思っていたが、全くの杞憂だったようだ。いや、話の規模は想像以上だったが。
若干の違和感はあったものの、千晴が知りたかった晴君と光帝陛下の関係や、『最初から偉かった』という晴君の発言の真相、雨君から聞いていた前科、そして晴君の人間好きが周囲から非難されているらしいことも、先程の話で全て補完されたように思えた。
それに何より、千晴は晴君が自分の意志でそれを千晴相手に打ち明けてくれたことが嬉しかったのだ。
そのため、歓喜を濁らせる些細な疑問は全て『人間と天人の意識の違い』で片づけ、意図的に深く考えることをやめた。
そうして確かに形として見えた信頼を、千晴が大切に胸の奥へと仕舞っていると、そんな千晴の様子を微笑まし気に眺めていた晴君が、ふと何かに気づいたように告げる。
「あれ、神力減ってるね」
「……」
その指摘に、千晴の身体はギシ、と硬直した。
心を満たしていた温かな余韻が、光帝陛下のあの冷たい眼差しを思い出した途端音もなく冷え切っていく。
晴君は、急に様子の変わった千晴を不思議そうに見つめて首を傾げたが、千晴は彼にその理由を説明する気にはなれなかった。
それは、あの鮮烈な痛みの記憶をもう思い出したくなかったというのもある。だが一番は、晴君に陛下の話をすることで、彼の頭の中に少しの間でも陛下が居座るのが嫌だったからだ。
それに、千晴が陛下に人間だと見抜かれてしまっている、なんてことを晴君に言えば、彼はそれをどうにかしようと陛下の元へ向かってしまうかもしれない。
もしそうなった場合、「何でも言うことを聞け」というような理不尽な要求も断ることができず、晴君は陛下に何らかの望まない行為を強要させられてしまう可能性も……。
まさか、陛下が俺を見逃したのはそのため!?
その千晴の思考は雷君にも似た飛躍具合だったが、嫉妬混じりの不安に視界が狭まった彼に、その暴走を顧みる余裕はなかった。
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