天界への生贄の持ち込みは禁止されています

椿

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「あそこに見えるでっかい木が大天木。天界はあの木の根を中心に成り立ってるんだ。ほら、ここにも根が見えるでしょ?」

 指を移動させると、それにつられるように少年の頭が向きを変えた。可愛えぇ~~。

 天界の地形は、一言でいうと、巨大な木を内包する山だ。
 木の枝葉がある中心部分が最も高い位置にあり、そこから下方に行くにつれて、ボコボコと大きく二段に分け根が隆起している。そのため、天人の居住地は大まかに三層に別れているのだ。
 今晴君らが居るのは、根の先端と土の地面で構成された最下層。ここは三層中最も土地が広く、天人も多く暮らしている場所だ。かくいう晴君の自宅もこの層である。
 上層と中層を仰げば、まだ人間の現代技術では追い付いていない奇抜な形の建物が多く見えるが、下層はどちらかというと素朴で、今の人間界と近しい暮らしぶりをしている。
 急に連れてこられた人間にとっては下層の方が馴染みやすいことだろう。
 しかしそれでも、一つの村の中だけで過ごしてきた少年からすると物珍しいものが多いらしい。今もキョロキョロと首を動かすのに忙しそうだ。
 何にせよ、気を紛らわすことが出来たのなら晴君の目的はほぼ達成したようなものである。
 少年に場所の解説をすることも忘れ、隣で上下するつむじをひたすらデレデレと眺めながら歩いていると、前方に複数の人影が見えた。
 十歳程の見た目をした、まだ幼い天人達である。
 彼らは晴君に気付くと、「ごきげんよう、晴れの君」とそれぞれ胸前で手を合わせて挨拶をしてくれた。
 晴君も「こんにちは」と軽く返し、……いつもならそこで終わるところなのだが。彼らはどこかそわそわと落ち着かないような、興味津々の顔で続ける。

「その子供は、もしや晴君のでしょうか?」
「えっ、あー…、えっと、うん。そ、そんな感じかな?」
「やはり!しかし、今まで天子を採用してこなかったという貴方様がどんなお心の変化でしょう。彼を天子にした決め手は?」

 な、何かグイグイくるな。
 若干勢いに押されながら、晴君は「き、決め手ぇ?」と視線を左右に泳がせた。

 天子とは、ある程度の地位を持った、例えば晴君のような天人が教育を受け持つ、教え子のような存在である。一応は師事者の後継としての肩書きになるが、寿命も死の概念もなく、代替わりの機会もほぼない天人だ。必然的に天子というのは、師事者の小間使いになっている場合がほとんどである。
 幼子を連れ回しているこの状況的に、自身の天子だということにするのが一番怪しまれにくいか、と咄嗟に質問に肯定してしまった晴君。
 嘘も方便である。しかしボロを出すわけにはいかない。何とか無難にこの場を切り抜けようと、晴君は必死に平静を装って頭を捻った。

「き、決め手ね、勿論あるよ?えー…、ひ、一目、見た時からー…」
「一目で!確かに、すこし変わって…ではなく。個性的で目を引きますね、彼は」
「?」

 個性的?
 疑問と共に目の前の彼の視線を辿ると、その先、つまり晴君の真隣で、少年が土下座の体勢をとっているのを発見する。
 背中を深く丸め、更にちんまりした姿となった彼は、目の前の天人らに向かって「神様、どうか雨を止めてください」と懇願していた。
 う、うおーーー!!まずい!!
 晴君は慌ててその少年を抱き上げると、「ごめんまだこの子にちゃんと天界のこと教えきれてなくてぇ!!」などと弁明し、その勢いのまま離脱する。
 挨拶をしてくれた彼らは怒涛の展開にぽかんとしていたが、そんなことを気にしていられるほどの余裕はなかった。


 ある程度離れたところでホッと息を吐く。そこでやっと腕に抱く少年の状態に意識が向いた。
 急な抱き上げに驚いたのか、彼の体は強張り、可哀想に硬直しているようだった。
 傍からでも感じ取れるその緊張に、晴君は少年の薄い背を撫でながら謝罪する。

「ごめんね急に。えっと、何から説明するべきかな。さっきの彼らは、というか僕も、神ではなくてね」

 人間の世界における神の認識として、万物に宿り、またそれを支配し得る数多の崇高な存在、というのが一般的だろう。
 つまり、天界でいう天人=人間にとっての神、というのもあながち間違いではないのだが、天界における神の定義とは明らかに異なる。
 天界における神とは、天人の更に上位存在である、唯一神を指す言葉だ。
 無から世界そのものを生み出した創造主。晴君ら天人が決して逆らうことの出来ない絶対的権力者であり、天界ともまた異なる別次元に存在する概念体。
 それがここで神と呼称される存在なのである。

 そのようなことをできるだけ噛み砕いて伝えるが、少年からの反応は薄い。
 まだ難しかったかな?まあ追々教えていけばいいか。
 まだ強張りの残る少年の身体を胸に抱いたまま、晴君は歩みを進める。

「あ、そういえば君の名前は?僕は天候の、特に晴れを管理しているから、晴れの君とか晴君って呼ばれてる。役職持ちは基本それが呼び名になるんだ。君も好きに呼んでよ」

 情報量が多かったか、少年はしばし思考を整理するように沈黙した後、「名はありません」と俯き加減に呟いた。
 何となく、罰されるのを待つかのようなその仕草に、晴君は「そうなんだ」とだけ答えて別の話題を振る。
 今まで碌にしていなかった天界の案内もここぞとばかりにやった。あれが僕の仕事場だよとか、中層に見える大天木の枝葉の集合地で天人は生まれるんだとか、その程度ではあるが。
 そしてそんな時間の経過と共に、段々と少年の緊張も解れていったようだ。
 彼がピンと背筋を伸ばしていたことで出来ていた二人の隙間が少しずつ狭くなり、そしていつの間にか上体をもたれてくれるまでになる。
 密着し、預けられる身体に、体温とは別の何かで胸の奥がじわあっと温かくなる感覚があった。
 最初こちらを警戒していた少年が今は腕の中でくつろいでくれている。たったそれだけのことがこうも嬉しいものなのかと、ニヤつきそうになる口角を必死に引き結んで耐えた。
 そうこうしているうちに、岩場と、その先に広がる果てない海が見え出す。
 天界の淵へと到着したようだ。

 天界は周囲を水に囲まれた、人の世界で言う島や大陸のような見た目になっている。と言っても、海の向こうは虚無で、大天木のあるここ以外に陸などありはしないのだが。
 そして、今回の散歩の目的地はここだった。
 晴君がこの天界で最も気に入っている場所であり、少年にどうしても見せたかった場所だ。

「ここから人間の世界が覗き見れるんだ」
「!」

 比較的足場が整った場所に少年を降ろし、付近の水たまりへと手招く。
 二人してしゃがみ込み覗き込んだ水面には、どこかの村だろうか、生活を営む老夫婦の姿が映し出されていた。
 少年が驚いたようにそこを凝視する。勢いあまって倒れ込まないか一瞬不安になって、そうなってもいいように密かに支える準備を整えた。

 天界を囲む水は、人間の魂の通り道だ。
 下界で天寿を全うした彼らの魂は、こことは反対側の柔らかい砂浜に流れ着き、大天木に吸い上げられ、天界を川で下りながら浄化される。それが最終的にこちらの岩場に辿り着き、そしてまっさらに清められた魂はまた下界に戻っていくのだ。
 魂の残滓が残りでもしているのか、一度この岩場を通過したことのある人間の現在の姿が、水たまりを介して映し出されることがあった。
 もっと本格的に下界を観察しようと思えば、下界水鏡と呼ばれる正式な道具もあるが、晴君は暇さえあれば…いや特に暇がなくとも、誰も来ないこの穴場スポットを好んで利用していた。
 天人は基本的に、下界や人間に関心を持たない。いつも人間を管理している側であるため、人間=仕事の認識が強く、それ以外は関わりたくないと思う人が多いのだろう。
 そんな中で唯一人間好きを豪語している晴君は、この天界でちょっと、いやかなり変人として扱われている自信があった。

「見れる人間は日によって変わるんだ。水たまりの場所でもね。ほら、こっちでは何か催しをやってるみたい」

 少し横にずれて指さすと、少年も同じようににじり寄る。じっと水面にかじりつく真剣な表情を、晴君は目を細めながら眺めた。

「ここで君を見つけたんだよ」

 不意に告げると、赤い目がこちらを見上げる。
 何も言わず、しかしずっと逸らされないそれは、話の続きを待っているようだった。

「生贄だってすぐに分かった。それで、放置するつもりだった」
「……」
「でも、なんでかな、君のことが頭から離れなくて。実際に人間界に降りてみて、会って、ボロボロの君がお礼を言ってくれて、──君に、生きて欲しいと思った。……了承もなく天界に連れてきちゃったのは申し訳なかったけど」

 水面下で催しを行う人間達を指差しながら「えっと、戻りたかったりする…?」と窺うと、少年は何と答えていいのか分からないふうに視線を下げた。
 それから少しだけ沈黙の時間があって、ふいにしゃがんでいた晴君が腰を上げる。
 咄嗟に追従するように立ち上がった少年。そんな彼を、晴君は再び勝手に抱き上げた。
 急な上昇に驚いた少年が晴君の首へと腕を回し、互いの距離が近づく。
 晴君の見上げた先、丸く見開かれた赤があらゆる光を反射して煌めいていた。

「名前がないって言ってたよね。『千晴ちはる』はどうかな?幾千の人間の中からただ一人、晴れに選ばれた子だ」

 大きな障害物のないそこで風が吹いて、二人の髪を巻き上げる。前髪が取り払われ、互いによく見えるようになったその顔を突き合わせたまま、晴君は続けた。

「今日で生贄はやめて、これからは、僕に選ばれた千晴として生きてよ」

 一瞬、少年の目が心の動きを示すように揺らいだ気がした。
 しかし次の瞬間、首に回されていた手が唐突に外され、晴君と距離をとるように胸を押される。体勢が不安定になったことで少年の体重を支えきれず地面に下ろすと、地に足が着いた瞬間一歩後退りされ、微妙な空間を開けられた。視線はやや俯き加減だ。
 そのよそよそしい反応に一瞬呆気にとられた晴君だったが、先程までの自分の発言を反芻し、じわじわ、じわじわと耐え難い羞恥が襲ってきた。
 引かれたーー!!待って本当にごめんちょっと気分上がっちゃってたっていうか、『僕に選ばれた千晴として生きて』とか流石にクサ過ぎるよね!?いやそれ以前にすごく傲慢でしたよね!?何様って感じだよね!?何で僕は……口に出す前に…っくそぉ…!
 思い出せば思い出すほど湧いてくる恥と後悔に頭を抱えて唸る。出来ることならこのまま空気に溶けてなくなりたい。見ないで。こんな僕を見ないで。
 消滅欲求を強めていた晴君だったが、不意にくしゅん、と聞こえた少年のくしゃみの音によって思考は中断された。咄嗟に顔が上がる。

「戻ろうか、ここは風が強くて冷えるし」

 晴君はそう言うと、少年に駆け寄って手を差し伸べた。ゴツゴツした岩場を歩くのは子供の足では酷だろうと思っての配慮だったが、自分で差し出したそれを見てハッとする。
 僕、さっきのやり取りで引かれてたんだった!!
 悲しい事実を再確認し、慌てて手を引っ込めようとした、──その直前。小さな指先が触れる。
 引き止められるようなその感覚に、思わず呼吸を止めてしまった。
 少年は、晴君の手を掴んでいた。
 そっ、と指の先を握るそれは控えめで、先程腕に抱いていた時よりも触れる面積は少ないはずなのに、何故かすごく暖かい。
 これが子供体温、というやつだろうか。少年の頬も、心なしか血色がいいような気がした。

 手を握り返して、簡単に繋がりを深める。
 たったそれだけのことなのに、手を介して胸まで温まったような感覚に、自然と目尻が下がった。

「足元気をつけてね、千晴」
「はい」

 否定されなかった呼び名が嬉しくて、きっと今、手を繋いでいなかったらその場で飛び跳ねていたかもしれない。
 覆った口の中で抑えきれずぐふふと笑うと、不審なものを見る目で見上げられた。


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