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しおりを挟むガリ、ボリ。ちゃぶ台を挟んだ対面の千晴の口から、硬いものを噛み砕く音がする。
「お、おかしいな…今度はちゃんと水がなくなるまで茹でたのに…」
前日の失敗を取り返そうと、今度は事前に米の調理法を勉強しなおしてから挑んだのだが、またも成功とはいかなかったようだ。
例の岩場で見たのを真似てやったのに、なんでまだこんなに中が硬いんだ?千晴に「また罰か…」とか思われて失望されたくないのに…。流石に次は美味しい米を食べさせてあげないと、いい加減見限られてしまう!
うーんうーんと必死に改善策を練るため唸っていると、米を砕きながらこちらを見ていた千晴がぼそりと呟いた。
「多分、蓋は閉じたままがいいんだと思います」
「えっ」
咄嗟に視線を向けると、千晴は何となく照れくさそうな感じで俯いて、口に米を運ぶ速度を上げた。
呆然とその様子を眺めていた晴君は、やや緊張しつつ問う。
「もしかして千晴って……料理、出来るの?」
「……一応、経験は」
「えーっ!えーーっ!」
作って欲しい教えて欲しい!と興奮して身を乗り出す晴君に、千晴の咀嚼速度も更に上がった。
千晴を天界に連れて来てから一日が経った。
昨日は散歩の後、この小さな一軒家を人間仕様に整えるために時間を使ったので、内装は随分と様変わりしている。
元々人間の生活を真似たかったため調理場はあったが、天人は食事をしないので排泄もない。勿論便所はなかったし、入浴のための浴槽などもなかったため、一から全部作ったのだ。
実際に手を動かした訳ではないが、結構な力を消費して、全てが終わった後はドッと疲れた。
他の『君』のところで、天子が増えるたびに部屋数などを増やしてお屋敷みたくなっているのを見かけたりもするが、……よくやるよな本当。実際に経験して、初めてその苦労を垣間見た晴君であった。
改築は見よう見まねながらも案外良くできてる方だと思う。
その証拠…になるかどうかはわからないが、千晴にはあれ以降『俺を食べてください』とは言われていない。
ひとまずはここでの生活を受け入れてくれたのだろうか。そうであるなら嬉しい。頑張って改築した甲斐があったというものだ。
反芻していた時、ふと、千晴に伝えておくべきことがあったことを思い出した。
急に真剣な顔で居住まいを正し出した晴君に何かを感じたのか、千晴もその両手に持っていた箸と茶碗を置く。
真っ直ぐな目が晴君へと向けられた。
「君が人間だってことは、僕以外の天人には秘密にしておいて欲しいんだ」
千晴の反応を見つつ、晴君は慎重に言葉を重ねる。
「本来、天界に人間を連れてくることは禁忌で、もしもバレたら、千晴はきっとここに居られなくなる。ごめん。勝手に連れてきたのは僕なのに、君に不自由を強いてしまう形になって」
…まあ、もしかしたら既に飯が不味くて逃げ出したいかもなんだけど!
不安を抱きながら恐る恐る千晴の返事を待っていると、彼は話をする前と変わらない淡々とした様子で「わかりました」、とそれだけを言って頷いた。
案外簡単に終わってしまった話に、拍子抜けする。
よ、よかった、あっさり。拒絶されたらどうしようかと…。
ほう、と思わず安堵の息を吐いた。同時に、不安が取り払われたことで気分が明るくなる。
爽快!元気!今なら何でもできそう!米だって美味しく調理できそう!!あれ?わざわざ自分で調理なんてせずに、『力』を使って米を食べられる状態にすれ、ば……?
真理に気付きかけた晴君だったが、その視界に、まだ話が続くと思って待機している健気な千晴を収めたことで思考が塗り替えられる。
「ごめんね食べて食べて!まずいだろうけど!」と促され再び箸を取った千晴は、今正に目の前で、自身の生活の質を向上させる機会が失われたなどとは思いもしていなかった。
「連れてくる途中もバレないかヒヤヒヤしてたんだよね。特にこういうのバレたら面倒臭そうな奴がいてさ。基本的に真面目な性格なんだけど、ちょっと口うるさいっていうか正義感が強いっていうか…絶対怒られるし…」
食事をとる千晴を頬杖をついて眺めながら、浮かれ調子で世間話に興じる晴君。しかし内容が悪く、その肩は徐々に落ちていった。
思い出したのは昨日も会った雨君のことだ。
あの時、千晴を入れていた袋の件で追及されていたところを、力技で振り切って逃げてしまったのだが。
一日経って、有耶無耶になってくれてないかな…。あれ?そういえば他にも何か大事な事を忘れているような…?
疑念が思考を掠めた、その時だった。
ビシャン!と大きな音を立てて開いたのは背後の引き戸。
飛び上がるほどの驚きに慌てて振り向くと、そこには黒く陰鬱な波動を纏った亡者……、もとい、話題の人物である雨君が立っていた。
「 提 出 期 限 」
「キャーー!!」
畳を揺らす重低音に、思わず絹を裂いたような悲鳴が出る。本人に対する驚きと恐怖は勿論あったが、それ以上に、彼の言葉に気付かされたことへの焦りが大きかった。
忘れてたそうだった!!僕、来季の天候予定出せって言われてたんだった!!
ぶわっと脳内で蘇る未処理の業務内容に、冷や汗が噴き出す。
「ご、ごめん!今日やるから許して!」
何よりも先に謝罪だ、誠意を見せるべきだ、と晴君は頭上で手を合わせて全力で許しを請うた。
しかし、いつもなら額の血管を一、二本切る勢いで怒鳴ってきそうなところなのに、今日は待てど暮らせど反応がない。
不思議に思い、そろりと片目で見やると、雨君はその場で立ち尽くしたまま、何かを諦めたような虚無顔でこちらを見下ろしていた。
目が合って、はーーっと、これみよがしにため息をつかれる。続けて、彼にしては珍しく覇気のない声で告げた。
「どうせ貴様は、他人のことなど心底どうでもいいんだろうな。だから簡単に約束を反故にするような真似が出来る」
「そ、そういうわけじゃ……」
「俺は昨日、貴様が言い残して逃げた特別講習をやったぞ」
「流石雨君!!いやあー!多忙だっていうのに君は本当に素晴らしい人だ尊敬するよ!!」
少しでも気分良くなってもらおうと、出来るだけ明るく褒める晴君だったが、
──ビュン!!
小さな水滴が、顔の真横スレスレを一直線に通り抜ける。それは凄まじい速さでチリッ!と晴君の髪の毛を数本千切れさせてから、激しい衝撃音と共に後方の壁に穴を開けた。時間差でひび割れた塗装が次から次へと崩れ落ちていく。
不快だったようだ。ゾッと晴君の背筋を恐怖が走り抜けた。
雨君は右手を掲げた、何かをこちらに投げた後のような姿のまま静かに続ける。
「貴様が居る限り、俺はずっと割を食っているような気がしてならない。……もううんざりだ」
「う、雨君…?」
何だか今まで見た事がない雰囲気だった。恐ろしくなった晴君は、とにかく落ち着いてもらおうと彼の名を呼ぶ。
次の瞬間だった。
「貴様なんぞもう首上だけでいいわ!!植木鉢に入れて管理してやる!!発言は業務に関わることのみ許可する!!良かったな!?そうすれば俺と同じ素晴らしい天人に貴様もなれるぞ!!」
「いやだーー!!植木鉢の中で素晴らしくなりたくないーー!!」
目にも止まらぬ速さで晴君をちゃぶ台へとうつ伏せに押さえつけた彼は、その首に水で出来た刃物を当てがう。危機感からじたばた暴れる晴君だったが、そうするとまるで脅すように刃が皮膚へと食い込んだ。
えっ痛っ!?コイツ本気だ!!本気で植木鉢に首だけ植え替えられてしまう!!
そうなった未来を想像して素直にゾッとする。首だけになってしまっている自分の姿もそうだが、生首相手に仕事の話を振っている雨君も普通に異常者だ。怖い。一緒に仕事したくない。
別の意味で恐ろしすぎて動きを止めた晴君だが、雨君の意識は既に別のところへと向けられていた。
彼の視線の先には、千晴が居た。
突如目の前で繰り広げられた悶着に理解が追い付かず、呆然と固まっていた千晴。手には米が盛られた茶碗と、子供には余る大きめの箸。
一瞬訪れた静寂に、彼の口内に含まれていた米がコリ、と控えめな音を立てて砕けた。
──天人は、食事をしない。
この状況、もしかして物凄くまずいのでは?
「……晴君…っ、貴様…」
「あっ、こ、これはっ、」
噴火直前のような恐ろしい震え声が背面からかけられる。同時に雨君からの拘束が若干弱まった気がした。それを好機とばかりに、晴君は弁明のため慌てて後ろを振り返る。
しかし、その眼前で振り上げられ影を落としていたのは、強く握り込まれた雨君の拳だった。
「自分の天子に人間の真似事をさせる外道がいるかぁああーー!!」
「いってぇええーー!!」
ゴッッ!!
骨同士がぶつかる音を立てて脳天に落とされた拳骨は、全身を芯から振動させる。
凄まじい痛みに、晴君はたまらず床で頭を抱えて転げ回った。目には涙も滲む。
しかし、そんな晴君の内心を占めていたのは、苦しみ以上の純粋な安堵と歓喜であった。
よ、よかったー!雨君、僕のことを千晴に人間ごっこを強要している頭のおかしい天人だと思ってくれてる!
いつも人間好きを豪語してたからこういう時にバレないんだ!よくやった今までの僕!!
「貴様の人間好きを天子にも押し付けるとは、何たる侮辱か…!そこの天子!お前もお前だ!嫌なら断れ!こんなっ!締め切り一つ守れないっ!いい加減なヤツの命令などっ!」
「うっ、ふひっ、ぐえ」
横たわった身体を更に踏みつけられ罵倒されているのに、痛みの隙間に喜びを隠せていない晴君の様子に、千晴がちょっとだけ怯えの目を向けていた。
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