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しおりを挟むまっすぐ帰る気になれなかった千晴は、天界の淵の岩場にしゃがみ込み、ぼーっと水たまりを眺める。
懐かしい下界の風景を目に映しながら、しかし千晴の意識は別のところにあった。
──おまえには天徒になるための素質が無いからだよ
──そもそも師事者に試験すら受けさせてもらえない筈だけど
雷君に言われたことを思い出して、腹の底がズンと重くなる。
晴君の汚名を晴らせるだなんて、分不相応なことを出来て当然のように勘違いしていた自分が恥ずかしかった。
そして何より、晴君に俺が試験に合格することを微塵も期待してもらえていなかったことが、こんなにも悔しくて、悲しい。
千晴は自身の膝に顔を埋め、まるで世界から隠れるかのように両腕で頭を抱え込んだ。
このまま岩になって晴君の腰掛として使われた方が今より役に立てるのでは、というどうしようもない思考すらよぎる。
所詮、一人では生贄からも脱する事が出来なかった、その考えすら浮かばなかった無能だ。
天人と比べれば千晴は出来ない事だらけが当然で、出遅れているにも程があって。だからこそ、晴君にもっとよく思ってもらえるように、見限られてしまわないように、何か少しでも役に立てる存在だと示したかった。
──流石オレの天子
雷君が桜鈴に言ったように、俺も、先生にそう思って欲しかった。
……やっぱり、晴君の汚名晴らしのために天徒を目指すというのは建前だったかもしれない。
少し遠回りして自宅へ戻ると、玄関の前に晴君が立っていた。
千晴に気付いた彼は、扉にもたれかかっていたのをやめて、
「おかえり。随分可愛い格好してるね」
その全てを分かっているかのような微笑に、千晴の胸が鈍く痛んだ。
*
身を清めた千晴の前に、一枚の紙が差し出される。
それは以前、千晴が晴君に対して出していたのと同じ署名用紙。前と違うのは、そこに晴君の名がしっかりと書かれていることくらいか。
晴君は落ち着いた口調で言った。
「これ、僕の字に似せてるけど、署名した記憶がないんだ。説明してくれる?」
責める意図がないとわかる柔らかなそれに、千晴は今までのことを包み隠さず話す。
困っていた千晴を見かねて桜鈴が協力してくれたこと、試験に落ちたこと、雷君に理由を聞いたこと。
……唯一、雷君の酷い妄言の部分はまるっと省いて伝えたが。
「勝手なことをしてすみませんでした」
千晴はその場で頭を下げ、唇を強く引き結んだ。
そうしないと、「不合格になると知っていて、何故それを教えてくれなかったんですか」などといいう、筋違いにも程がある台詞を吐いてしまいそうだったからだ。
晴君は最初からずっと止めていたのに、それでも己を過信し、強行したのは千晴だ。身勝手な行動も実力が伴っていなかったのも、悪いのは全て千晴。晴君に落ち度はないどころか、寧ろ知らぬ間に千晴の目的に据えられていた被害者ですらある。
天徒になれるだなんて夢みたいな自惚れは捨てて、まずは晴君から期待してもらえるような人間になる方が先だった。
もっと地に足の着いた、身の丈に合うことで、役に、立てるように……。
俯いた視線が微かにぼやけ始めたその時、沈黙を破る声がした。
「千晴はさ、何でそんなに天徒になりたいの?」
「……」
答えないでいると、彼は続ける。
「正直天徒と天子の違いってそこまでないし、天徒を置いてない師事者も多いよ。師事者に何があった時の後継って役目はあるだろうけど、寿命も怪我もない天人に何かがあるのは物凄く稀だし…」
そうやっていくつか並べ立てた後、不意に訪れた沈黙。
気になって顔を上げると、正面にやや困り眉で笑う晴君が見えた。
「もしも天徒になりたい理由が僕にあるなら、僕は千晴の実力関係なく、君は天徒にはならなくていいと思ってる」
それを聞いて呆然とする千晴に、晴君は慌てて何かを補填するみたく言葉を重ねる。
「たっ、多分千晴はさ、僕が変人だとか仕事が出来ないとか馬鹿にされてるから、それを何とかしたいと思ってくれてるのかもしれないけど。僕は正直もう慣れちゃってるっていうか……あ!それで千晴が辛い思いをしてるなら、」
「……から…です」
「え?」
「先生に、褒められたかったから、です…」
今度は晴君がぽかんと虚を突かれたような表情をして、
「……え、それだけ…?」
静寂の中、思わずといったように呟かれたそれに、千晴の中の何かがぷつんと切れる音がした。
「~~何ですか!?犯罪ですか!?」
「い、いや、」
顔に熱が集中する。羞恥か怒りか、整理されていない感情のまま、千晴はまくしたてるように言葉をぶつけた。
「いいだろ別に!褒められたくて!!俺はアンタと違って人間で、寿命とかっ、時間ないんです!だから他の天人より短い間隔で褒められないと損っていうか!?……っ、先生の役に立って、記憶に少しでも残りたいんです!あわよくば何か凄い優秀だったって感じで!!」
はぁ、はぁ、と感情的に言い切り息を乱す千晴を、晴君は驚いたように目を丸くして見つめる。
その反応を見て、徐々に千晴の頭も冷静さを取り戻していった。
「……これでいいですか。いちいち理由とか聞かないでください。どうせ試験落ちると思ってたくせに。こっちは傷心なんだよ。労りの心ってものはないのかこの人でなし!」
「ごめんごめん!!褒めて欲しかったんだ…ね…」
「復唱するな」
強い羞恥と後悔の念にまともに君の顔を見ていられず、机へ顔を突っ伏す千晴。
ああもう最悪だ。よく見られたいのに、この人の前じゃいつも上手くいかない。
だからこその試験だったのに、それも不合格。
その上幼稚で鳥滸がましすぎる欲求まで赤裸々に公開してしまった。
やっぱり晴君の腰掛け岩になった方がいいかもしれない。いやそれも烏滸がましいかもしれない…。
「千晴、顔上げてよ」
「嫌です。岩になりたいので」
「な、ど、どうした??」
少しだけ戸惑うような沈黙があって、その後、机と頭の緩衝材になっている千晴の手につん、と微かな温度が触れた。
それは晴君の指先だった。
最初は控えめにつんつんと手の甲をつつき、しかし反応がないからか、次は千晴の指を揉みこんで弄るような動きを見せる。
子供が構って欲しさにするようなその拙い行動に、千晴の喉から……ンギュ、と変な音が漏れた。
手の先に全神経が集中する。
岩を模す過程で少し冷めてきていた熱が、またすさまじい勢いで全身を駆け巡っていた。
何でこの人はそう、いつも……っ、こんな…っ。
「千晴。ちーはーるー。千晴さーん」
「……」
「ねえ、お願い。顔が見たいよ」
そろ…、とやや血色のいい顔を上げると、こちらを覗き込んでいたらしい晴君と至近距離で目が合う。
次の瞬間、ぱっ、と喜びを示すように明るく変わったその表情を見て、千晴の心臓は誤魔化しようもなく高鳴った。
あまりの衝撃に固まる千晴を他所に、晴君は少し前のめりになっていたその姿勢を正すと、真剣な表情を作って頭を下げる。
「ごめんなさい。君の本気を侮ってしまっていた」
それは謝罪だった。晴君の、心からの。
「勝手に想像して、軽んじていた。でもそうだよね。君には君の理由があって、それはいつも、すごく一生懸命なんだ」
顔を上げた晴君は、まるで自分自身に言い合めるような静かな口調で告げる。
「僕が天徒の試験に反対だったのは、君自身の時間を大事にして欲しかったからだ。でもね、僕は君が本気でやりたいことを阻む存在でもありたくないんだよ」
彼は一度差し出していた用紙を自身の方へ引き寄せると、どこからか取り寄せた筆で署名の上から二本線を引いた。
続けてその近くの余白に滑らかな動きで自身の役職を書きつけ、再度千晴へと紙を戻す。
以前千晴があれだけ求めていた紙が、正真正銘、千晴の唯一の師事者である晴君の名が書かれたあの署名用紙が、今千晴の手元にあった。
どこか現実感なくぼうっと眺めていると、上から声がかかる。
「受けよう。天徒の試験」
「えっ」
「僕の天子がこんなに優秀でかっこいいんだってこと、天界中に知らしめてよ。それでその後、目一杯褒めさせて」
慈しみを含んだその笑顔がどうしようもなく眩しくて、千晴はまともに直視すらできないままその顔を俯けた。
ばくんっばくんっ、と全身を揺らすほどの鼓動を必死に体内に収めて、細く絞られた喉から声を絞り出す。
「で、でも、もう落ちました…」
「再試験とかないんだっけ?」
「ある、そうですけど…、でも、俺には天徒になるための素質が無いから、合格出来ないって…。……先生も知ってたんですよね?」
「えっ、何それ」
「えっ?」
「千晴物覚えいいし、筆記試験とか得意そうなのにね。まあできなくても可愛いけど」
む、と千晴が眉を寄せると、晴君はおかしそうに笑って、
「ごめんごめん。素質って何だろうね。雨君に聞いてみようか」
なんだ…。期待されてなかったわけじゃないのか……。
安堵にやや気分は浮上するものの、しかし不安が完全に拭い去れるわけでもなかった千晴は、立ち上がる晴君へ咄嗟に付き従うことができなかった。
そんな心中を察したのか、晴君は座ったままの千晴に優しく手を差し伸べると、
「大丈夫。千晴は天徒になれるよ」
……ああ、何でこの人の言葉はこんなにも力を持っているんだろう。
彼に肯定されると、自分が何にでも変われそうな気がしてしまう。
生贄から人間にしてもらえた、あの時のように。
失意の底と畳の床から千晴を引き上げ、立ち上がらせてくれた晴君の手。それが離れる間際、もう一瞬だけ勇気をもらいたくて。千晴は重なる指先に、小さく力を込めた。
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