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しおりを挟む翌日。
どこかから練習用の剣を貰ってきたらしい晴君が、やる気に満ち溢れた調子で言う。
「すっかり忘れてたんだけど、ほら僕人間観察が趣味でしょ?剣とか刀とか使った戦い方を真似して覚えた時期があったんだよ。カッコよかったから!」
「はあ…」
「桜鈴ちゃんが『対戦試合』だって言ってたし、雷君も剣でガンガン攻撃してきてたから、それをある程度捌けるような戦闘訓練は必須だと思うんだ!」
「それはそうだと思いますけど……。でもそれ、俺が習ったところでちゃんと使いこなせる技術なんですか?」
「千晴なら出来るっ☆」
「軽い……」
「大丈夫だって!僕、天子に教えた実績もあるから!」
「天子に…って、先生も雷君みたいに講習をしてたんですか?」
「え?……いや、教えたの、一人だけだけど……」
「……不安だ」
反応が悪い千晴に焦ったのか、晴君は必死になって言葉を捲し立てた。
「お願いお願い!大丈夫だから!絶対役に立つ事だから!ね!?僕にも先生っぽいことさせてよ千晴ーー!!」
「うわっ!足掴まないで下さい!」
下半身に縋りつき、なりふり構わず懇願する晴君。
先に折れたのは千晴の方だった。
「仕方ないですね…。じゃあ、お願いします」
「千晴っ……!」
ぱあっ!と明るく変わった師事者の表情に、千晴もたまらず目元を緩ませる。
──が、すぐにその選択を後悔することとなった。
ぜえ、はあ…っ。
ぼたぼたっ、と地面に暗いシミを作っていたのは、千晴の汗だった。
呼吸が身体の状態に追いつかず、ひゅうひゅう乾いた音を立てて空気が喉を行き来する。
限界を訴えて細かく震える身体には、もう力も碌に込められなかった。かろうじて剣を持ち、二本足で立てている今が精一杯である。
あの後、「早速教えるね!」と庭に連れ出され始まった、晴君による戦闘訓練。
確かに、素人目に見ても彼の剣捌きは素晴らしいものだった。
まず構えというか、姿勢や佇まいがしっかりしている。
剣の動きも速く滑らかで、余計な力は入っていなさそうなのに、衝撃は驚くほど重かった。
身体の動きは最小限。…というより、まるで晴君自身の動きが最小限になるよう、千晴の動きを誘導しているみたいだ。千晴がどう攻撃するか、全部分かっているとでも言うような剣の受け方。どこにも隙が無く、時間が経つほどに打ち込む場所がなくなっていくのが分かる。
動きを制限されているような感覚に、確かにこれが出来れば相手の舞を妨害することも可能だろうな、と千晴は納得した。
だけど、教え方が雑…っ!
「千晴は目がいいから、実際にやって覚えた方が早いよ!」とかなんとか言って碌な基礎知識の説明もないし、教えること自体に気分が高揚しているのか、千晴の体力の限界やこの後千晴が舞の講習に行くことなんかもすっぽり頭から抜け出ていそうだ。
勿論休憩などない。ぶっ続けの打ち合い。拷問じみたすさまじい訓練が今ここで行われていた。
「じゃあもう一回行くよ。ほら千晴、構えて!」
いや無理です。
晴君の溌溂とした声掛けに、千晴は心からの戦慄を覚えた。声を出すのも辛い息切れの中で、何とか限界を訴える。
「あの…っ、そろそろ……っ、」
「あ、ごめん、今ぐらいじゃ全然捌けてるから退屈だったよね。もっと速くしようか!」
「え」
まずい死んだ。
拒絶の言葉も紡げないまま、千晴は頭上に迫る銀色の軌跡に見惚れていた。
直後、ガツン!と強い振動に視界が揺れる。
ぐわんと頭が混ぜられる感覚に立っていられず、そのまま地面に倒れた千晴。
それを見て、晴君が慌てたように千晴へ駆け寄った。
「千晴!ごめん大丈夫!?」
「……っ」
初めて千晴の状態を冷静に見れたのだろう。
衝撃による痛みだけではない、疲労でぐったりとした身体と荒い息を吐くその様子に、晴君は一気に青ざめる。そこでやっと、千晴に無理をさせてしまったことに気付いたのだ。
すぐに患部に手を当て神力での治癒を試みるが、それで怪我は治っても千晴の体力までは戻らない。
「ど、どうしよう、あと何すればいい!?」
「……水、ください…」
「すぐ持ってきます!」
急いで駆け出して行った晴君。
千晴は仰向けに寝そべったままそっと目を伏せ、遠ざかっていくその足音を耳で感じていた。
指導は中々に鬼畜だったが、晴君が千晴だけに何かを教えようとしてくれるのは純粋に嬉しい。
それに、こうやって怪我をする可能性がある訓練は、人間だとバレる危険性が高まる。晴君に指導してもらうのが最も理想的だった。
……先生のあの様子を見るに、そんなことまで考えていない気もするけど。
張り切っていた晴君を思い出して、千晴はふ、と口元に柔く弧を描く。
コロコロと表情が変わって、無邪気なところがなんとなく子供っぽいというか、……可愛かったな。
思考の途中、ジャリ、と近くで土を踏む足音が聞こえた。
晴君が戻ってきたようだ。…随分早いな。
千晴は心ばかり表情を引き締め、水の礼を言おうと、その閉じていた目を開ける。
「必死なんだね」
千晴の真上。
眩しい日光を遮るようにしてこちらを覗き込んでいたのは、逆光でニコ、と作り物じみた笑い方をする、千晴と同年代程の少年だった。
「っ!?」
先生じゃない!?
咄嗟にがばっ!と起き上がり、座ったまま後退って距離をとる千晴。
予期せぬ事態に動揺しつつも、そうしたことで少年の全体像を見ることが出来た。
光に溶けてしまいそうな儚い美しさに、思わず息を呑む。
細く透明度の高い白髪は、光の当たる角度によって様々な色彩に変化して見えた。
しかしそんな繊細な煌めきの反面、長い睫毛に縁どられた大きな瞳は、真昼の太陽のような何もかもを照らし出す力強さを持って千晴を射抜く。
直視し続けると焼け焦げてしまいそうなその眼力に、本当に太陽みたいだ、なんて安直な感想を抱いた。
服も独特で、千晴のような和装とは違う。パリッとして身体に沿った見慣れない衣服を着こなしていた。
総じて、ここ──天候区では見かけない雰囲気の天人だ。
無意識の警戒に小さく眉を顰める千晴。
すると、それを見た少年は更に笑みを深めて告げた。
「ああ、ごめん。さっきのは嫌味じゃなくて、ここには設備がないから非効率で泥臭いことしか出来ないんだろうなあって、ただの感想」
「……」
いや、多分嫌味だろそれは……。
思ったが、本人に悪気はなさそうだったので口には出さないでいると、彼はきょろきょろ周囲を見回して、
「晴れの君に用があってきたんだけど、いないのかな?」
「先生ならついさっき家に…」
「えっ、じゃあさっきすれ違った人がそうだったんだ。……ふぅん、大分想像と違うな」
少年はやや芝居がかった動きで顎に手を添えた。
想像と違う晴君……。彼の周りで先生はいったいどんな風に認識されているのだろう。千晴は少しだけ気になった。
「待てばすぐ戻ってくると思うけど」
「いやいいんだ。あまり長居もしたくないし。ほら、下層って土埃とかすごいし、空気も澱んでそうでしょ?試験会場は土地が余ってる下層だから慣れなきゃいけないのは分かってるんだけど、どうしてもね?」
「……」
ただ単純に正直な奴というだけなのだろうが、なんとなく言い方が鼻につく。
いや、しかしそんな些末なことはどうでもよくて、
今、試験って言わなかったか?
もしかしてこの彼も天徒昇格試験を……。
千晴がそれを思い至ったところで、少年と目が合った。
「今度の実践試験、一位通過はボクだから」
まるで、もうそれが決定した未来だとでも言わんばかりに、彼は不遜に、意気揚々と、何の恥ずかしげもなくそれを宣言する。
千晴はそんな彼を見て、
かっこいいと、心からそう思ってしまった。
……そして、そんな風に思った自分が悔しかった。
以前、晴君は試験を受けようとする千晴にこう言った。
──僕の天子がこんなに優秀でかっこいいんだってこと、天界中に知らしめてよ。
それはもしかすると、言葉通りの意味じゃないかもしれない。
それでも、晴君の言葉はいつだって、千晴の中では何よりも優先される重さがあった。
俺は晴君の天子として、かっこいいところを見せなければいけない。
結果を残して、師事者である晴君のことを大勢の人に認めさせたい。
だから俺は、こいつに勝たなきゃいけない。
「じゃあ、練習も程々にね」と千晴に背を向けた少年。
千晴はそれを追いかけるように素早く立ち上がると、彼の手を掴んだ。
やや乱暴に引き留められた少年は、驚愕に勢いよく振り返って、
「ちょっ、ボクの玉のような肌は下層の天子が気安く触れていいものじゃっ、」
「一位を取るのは、俺だ」
少年の大きな目が一瞬、更に大きく見開かれる。そして、それはすぐに可哀そうなものを見るかのように細められた。
「えっと.......、キミは多分想像もできないだろうけど、無理だよ。だって神力も…ともかく、生まれつきの資質と環境が違うんだ。ボクは選ばれた天人だよ。でもキミは違うだろ?あ、これは嫌味じゃなくて──、」
「俺も晴君に選ばれた」
筆記試験は、桜鈴が言ったみたいに誰もが合格するようなもので、そこにわざわざ力を入れる天子はいないんだろう。
でも千晴は、このために沢山時間をかけて勉強して、必死に知識を詰め込んだ。
そうじゃないと、天界では普通になれないから。
桜鈴や晴君はそんな千晴の事を褒めたけど、本当に賢いのは千晴以外の全員だ。
舞の練習も、他の訓練も、まだ始めたばかりで全然駄目。
神力もない。元々の能力だって誰よりも低い。それは俺が一番よくわかってる。
でも、ただ一つ、晴君に選ばれた。その、何にも代えられない自信だけはあった。
だから努力する。何にでも変われる。
無理じゃない。
──千晴は天徒になれるよ
記憶の中の晴君が笑った。
「──かっこいいお前に勝ちたい」
「!!」
ずぎゃーーん!!
目の前の少年の反応から、何故かそんな衝撃音が鳴った気がした。実際は当然無音だが。
驚愕の表情で固まり千晴を凝視する彼は、徐々にその頬を上気させていく。
「なっ、そ…っ、…~~~っ、とっ、当然だよね!そうだよ、ボ、ボクはかっこいいんだ!なんたって光……、いや、ウン……」
わたわたと早口で喋っていたが、途中で恥じたように口を噤んだ。
それからふーーっと深く息を吐いたかと思うと、落ち着いた顔の少年が千晴を正面から見る。
「ボクの名前は聖。キミは?」
「千晴」
少年──聖は満足げに頷いた。そして、
「千晴、また試験で会おう。負けないから!」
手を振る彼の笑みは、最初とは違い随分と自然で、何かを心待ちにする子供のように煌めいていた。
聖の姿が見えなくなったタイミングで、千晴の視界の端に晴君の姿が映る。
晴君は盆に大量の湯呑を乗せ、こちらまで運ぼうとしているようだった。
倒さないように集中しているのか、その足どりは酷くゆっくりでぎこちない。
……あ、こけた。
ばしゃんと水が零れ、湯呑が四方に散らばっていくその中心で、うつ伏せの晴君が「あーーっ」と悲鳴を上げていた。
「大丈夫ですか」
「ご、ごめん遅くなって…。なんか、水以外にもお茶が良かったりするかなとか思って、量も、どのくらい飲むかなって、……思ってたら、何も持ってこれませんでした……」
「あははっ……すみません笑って。いいですよ。自分で飲みに行くんで」
「本当にごめぇん…」
千晴は転がった湯呑を盆に戻しながら、しなびた晴君に先程の出来事を話そうとして、
しかし、声に出す寸前で口を閉ざす。
「……先生」
「ん?」
「俺、実践試験で一位取ります」
「……分かった。普通の訓練だけじゃ足りないってことだね」
「えっ」
「色んな状況を想定した訓練をしよう。この、水でドロドロの足場でも動き続けられるように、とか…!!」
「どんな状況ですかそれ」
──ここには設備がないから非効率で泥臭いことしか出来ないんだろうなあって、
聖のその発言を思い返しながら、本当の意味で泥臭い訓練になりそうだ、と予想する千晴。
しかし、同じ温度で頑張ってくれようとする晴君を前にして、千晴の顔はとても困っているようには見えない様子でほころんでいた。
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