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59.後悔は波のように
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狼に見えるけど、その大きさは桁違い。魔獣であることは疑いようもない。
夜闇のような毛並み、年月を重ねたことを思わせる牙……。
「もしかして、フェンリル……?」
話に聞いていた、違法に捕まえた魔獣なのだと目を瞠る。だけど、それならこのフェンリルは人間に対して怒っているんじゃ……?
ごくりと唾を飲み込みじっとフェンリルの様子を探ってみる。あの鋭い牙や爪で転がされるだけでも致命傷になるはず。下手に動いちゃだめよ、と自分に言い聞かせながら、刺激しないように息をつめる。
重たい空気の中、フゥ……、フゥ……、というフェンリルの息遣いだけが響いた。
「……ん?」
フェンリルは伏せたまま、肩で息をするように荒々しく体を上下させている。
なんだか苦しそう。睨まれていると思った瞳は薄く開かれ、鋭いというよりどこか遠くを見ている様子。……あれ?
「もしかして、具合が悪いの……?」
その体に目を走らせると、体の下に広がる血。檻の隅に転がる筆舌しがたい数々の道具を見て察した。
「~~~~~っ、なんて酷いことを……」
フェンリルにゆっくり近づいてみるも、殺意が感じられない。さっきの殺気はあのヤンキーハンターとネズミ商人に向けられたのだと理解した。
そぉっと手を伸ばし、その毛並みに触れてみる。……表面の太い毛は少しごわついているけど、内側はふわふわしていた。
「……ぐすっ、あなただってそんなことされたら痛いよね。かわいそうに……」
無性に悲しくなり、涙が止まらない。ぎゅうっと漆黒の体に抱きつくと、フェンリルは目を閉じた。
「……ずびっ、……そういえば、あのネズミ商人、んぐっ、……部屋になんか放り込んだって言ってたような。ちょっと待っててね」
檻の隅に置かれたいくつかの木箱を覗いてみると、そこには薬草や鉱石なんかが無造作に入れられていた。これでフェンリルを治療しろってことなのかな。
薬草の箱をかき分けていたら、涙が滲んできた。
「ごめ……、ごめんなさいっ……、私、薬草、知らなくて……っ」
薬師の娘か何かと間違えられたの? この時代のお嬢さんならみんな薬草に詳しいとでも? 草のまま、こんなにごちゃごちゃに入れられてたら余計にわかんないよ……。
「何も、……私には、何もできない……、ごめんなさい、フェンリルさん、ごめんなさい」
最低だ。もっと社交を頑張っていれば、どこかで役立つ薬草の話を耳に挟んでいた?
ルートヴィヒ様ともっと仲良しだったら、困った時の応急処置を教わっていたの?
ドラちゃんが怪我をした時のために、どうしてちゃんと治療法を教わっておかなかったの?
後悔が波のように押し寄せる。だけど、ここには頼れる人はいない。
「…………ぐすっ、今はとにかく、フェンリルさんの怪我に使える物を……」
薬草はわからなくても、消毒とか手当てならできるかも……。使えそうなものがないか箱の中を漁っていると、消毒液やガーゼの類はなかったけど、瓶に入った液体は色々あった。蓋を開けて匂いを嗅ぎ、手につけたり舐めたりして確認する。
「これなら……」
使えそうな物を箱に入れ替え、フェンリルの元へ急いで運ぶ。汚れたドレスを見下ろし、ドレスやチュールをビリビリに破いた。
「ごめんね、止血に使える布がないからこれで許してね。それから多分しみるけど、怪我を悪化させないためだから我慢してね」
夜闇の毛を掻き分け、隠れていた傷を探す。その下には数えきれないほどの傷。すでに塞がっている古傷も多いけど、新しい傷も多い。
魔獣同士の戦いもあったのかもしれない。それでも、明らかに道具で開けられた傷に涙が止まらない。捕まった時の傷にしては多すぎるし、ここに来てからも虐待されたの……?
流れる血を拭き、消毒代わりのお酒をかけることを繰り返した。
「ごめんね、このくらいしかできなくて……」
お酒をかけるたび、ぴくっと揺れる大きな体。それでも、これは傷つけているのではないとわかってくれている様子。とうとうお酒の瓶を使い果たし、血まみれの布切れがそこら中に散乱する中、私のドレスもすっかり膝丈になっていた。
じっと私を見つめるフェンリル。
「あ、このドレス? 気にしないでね。また、夫に作ってもらうから」
また、夫に…………。
「……っ」
ルートヴィヒ様には、また会えるんだろうか。
フェンリルに抱きつき、少しでも痛みが紛れればと撫でている時だった。
鼻先で私をどけたフェンリル。よろよろと立ち上がった血だまりの中、そこには黒い塊が落ちていた。
「何かを隠していたのね。私に見せてくれるの?」
血だまりに足を踏み入れる。それが何かを理解し、慌てて駆け寄り抱き上げた。
「~~~~っ! 赤ちゃん! あなた、赤ちゃんを守っていたの?」
そこにはぐったりとした赤ちゃんフェンリルが横たわっていたのだ。
夜闇のような毛並み、年月を重ねたことを思わせる牙……。
「もしかして、フェンリル……?」
話に聞いていた、違法に捕まえた魔獣なのだと目を瞠る。だけど、それならこのフェンリルは人間に対して怒っているんじゃ……?
ごくりと唾を飲み込みじっとフェンリルの様子を探ってみる。あの鋭い牙や爪で転がされるだけでも致命傷になるはず。下手に動いちゃだめよ、と自分に言い聞かせながら、刺激しないように息をつめる。
重たい空気の中、フゥ……、フゥ……、というフェンリルの息遣いだけが響いた。
「……ん?」
フェンリルは伏せたまま、肩で息をするように荒々しく体を上下させている。
なんだか苦しそう。睨まれていると思った瞳は薄く開かれ、鋭いというよりどこか遠くを見ている様子。……あれ?
「もしかして、具合が悪いの……?」
その体に目を走らせると、体の下に広がる血。檻の隅に転がる筆舌しがたい数々の道具を見て察した。
「~~~~~っ、なんて酷いことを……」
フェンリルにゆっくり近づいてみるも、殺意が感じられない。さっきの殺気はあのヤンキーハンターとネズミ商人に向けられたのだと理解した。
そぉっと手を伸ばし、その毛並みに触れてみる。……表面の太い毛は少しごわついているけど、内側はふわふわしていた。
「……ぐすっ、あなただってそんなことされたら痛いよね。かわいそうに……」
無性に悲しくなり、涙が止まらない。ぎゅうっと漆黒の体に抱きつくと、フェンリルは目を閉じた。
「……ずびっ、……そういえば、あのネズミ商人、んぐっ、……部屋になんか放り込んだって言ってたような。ちょっと待っててね」
檻の隅に置かれたいくつかの木箱を覗いてみると、そこには薬草や鉱石なんかが無造作に入れられていた。これでフェンリルを治療しろってことなのかな。
薬草の箱をかき分けていたら、涙が滲んできた。
「ごめ……、ごめんなさいっ……、私、薬草、知らなくて……っ」
薬師の娘か何かと間違えられたの? この時代のお嬢さんならみんな薬草に詳しいとでも? 草のまま、こんなにごちゃごちゃに入れられてたら余計にわかんないよ……。
「何も、……私には、何もできない……、ごめんなさい、フェンリルさん、ごめんなさい」
最低だ。もっと社交を頑張っていれば、どこかで役立つ薬草の話を耳に挟んでいた?
ルートヴィヒ様ともっと仲良しだったら、困った時の応急処置を教わっていたの?
ドラちゃんが怪我をした時のために、どうしてちゃんと治療法を教わっておかなかったの?
後悔が波のように押し寄せる。だけど、ここには頼れる人はいない。
「…………ぐすっ、今はとにかく、フェンリルさんの怪我に使える物を……」
薬草はわからなくても、消毒とか手当てならできるかも……。使えそうなものがないか箱の中を漁っていると、消毒液やガーゼの類はなかったけど、瓶に入った液体は色々あった。蓋を開けて匂いを嗅ぎ、手につけたり舐めたりして確認する。
「これなら……」
使えそうな物を箱に入れ替え、フェンリルの元へ急いで運ぶ。汚れたドレスを見下ろし、ドレスやチュールをビリビリに破いた。
「ごめんね、止血に使える布がないからこれで許してね。それから多分しみるけど、怪我を悪化させないためだから我慢してね」
夜闇の毛を掻き分け、隠れていた傷を探す。その下には数えきれないほどの傷。すでに塞がっている古傷も多いけど、新しい傷も多い。
魔獣同士の戦いもあったのかもしれない。それでも、明らかに道具で開けられた傷に涙が止まらない。捕まった時の傷にしては多すぎるし、ここに来てからも虐待されたの……?
流れる血を拭き、消毒代わりのお酒をかけることを繰り返した。
「ごめんね、このくらいしかできなくて……」
お酒をかけるたび、ぴくっと揺れる大きな体。それでも、これは傷つけているのではないとわかってくれている様子。とうとうお酒の瓶を使い果たし、血まみれの布切れがそこら中に散乱する中、私のドレスもすっかり膝丈になっていた。
じっと私を見つめるフェンリル。
「あ、このドレス? 気にしないでね。また、夫に作ってもらうから」
また、夫に…………。
「……っ」
ルートヴィヒ様には、また会えるんだろうか。
フェンリルに抱きつき、少しでも痛みが紛れればと撫でている時だった。
鼻先で私をどけたフェンリル。よろよろと立ち上がった血だまりの中、そこには黒い塊が落ちていた。
「何かを隠していたのね。私に見せてくれるの?」
血だまりに足を踏み入れる。それが何かを理解し、慌てて駆け寄り抱き上げた。
「~~~~っ! 赤ちゃん! あなた、赤ちゃんを守っていたの?」
そこにはぐったりとした赤ちゃんフェンリルが横たわっていたのだ。
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