始まりは、身体でも

彼方 紗夜

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3. 繋がりたい

8. ※

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 長かったような、短かったような時間が経って、深淵を彷徨っていた意識がすうと浮上した。シエナは内側から促されるようにそっと瞼を押し上げた。

 いつの間にか陽は落ち、部屋は薄暗くなっていた。焦点を合わせようと瞬きを繰り返す。ぼんやりと広がる見慣れない景色はだが、包み込まれるような温もりのお蔭で心細さを感じるものではなかった。何だか温かい……軽く身動ぎすると、すぐ後ろから低く穏やかな声がした。

 「目が覚めたか?」
 「……うん……」

 居てくれたのだ、と思うとそれだけで涙が零れそうになって、慌てて目を伏せた。
 それで温もりの正体に気付いた。視線を下に遣ると、シャツに包まれた太い腕がシエナの腰を抱き込むように巻き付いている。
 あ、と小さく声を上げた。
 背後を振り向くと、恋人となった幼馴染の笑みがあった。笑みは何処か、企みが成功したとでも言うような不遜ささえ湛えている。その笑みにどきりとしてしまって、シエナは咄嗟にまた前を向いた。

 「シエナ」
 「うん?」

 背後から掛けられた吐息がくすぐったい。赤い顔でもう一度振り返ると、頭を起こしたウォーレンに唇を塞がれた。
 思わず、ん、と鼻から抜ける声が漏れる。
 目を閉じて暫く与えられる感覚に酔う。これまでのどのキスとも違う、ただ甘やかなキスだった。

 どちらからともなく唇が離れて、また容易く蕩けた頭でウォーレンを見る。彼はシャツを着ていた。はっとして自身を見下ろすと自分だけまだ何も着ていない状態のままで、シエナは途端に狼狽えた。

 「やだ、ちょっ、見ないで、私も服……」

 慌てて身体を起こそうとしたが、腰に回っていた腕がそれを許さなかった。どころかむしろベッドに縫い止めるように肘で腰を押さえつけると、伸びた指先が露わになっていたままの乳房の先端をきゅっと摘んだ。途端に吐息と共に力が抜けていく。そのまま掌が包み込むようにやわやわとシエナの張りのある乳房を揉み始めた。
 また甘ったるい声が漏れそうになって、慌ててその手を掴んだ。振り向いてウォーレンを睨む。

 「だめ……戻らなきゃ……」
 「まだいいだろ」
 「でも、……んっ」

 後ろから首筋に唇を這わされると、思わずぴくりと腰が揺れた。唇は首筋から上へと這い、耳の後ろを丹念になぞりあげる。そうされると呆気なく彼の手を掴んだ力は緩んでしまった。

 「俺、やっと帰って来た気がする」
 「え?」
 「やっぱり此処は居心地がいいな」

 声が何処と無く柔らかい。表情はわからないが、きっとくしゃりと頰を緩めていそうな、そんな気がする。
 そう言えば、彼はトゥーリスから戻った所だった。

 「んっ……、向こうは、どうだった?」

 唇がまた首筋に落ちるのに吐息を漏らしながら、シエナは見たことのない国を想像した。

 「寒かった。海辺の方はそうでもないけど、内陸に行くと一面雪で覆われてて、息をすると肺が凍るんじゃないかって思った。こっちは暖かいな……」

 ウォーレンがシエナを抱き締める腕に力を込めた。ふに、と乳房がそのごつごつした手に包まれる。

 「ん……無事で良かった」

 甘やかな溜息と共にシエナがそう呟くと、ウォーレンがふっと笑った。

 「俺もそう思う。レースの輸出についても大方の目処が付いたし、実際に行ってみて、向こうに合う品に改良する手筈も出来たし。まだこれからだけど、まあ当初の目的は果たせたな」
 「また行くの?」
 「いや、後は個別交渉だから俺が行く必要はないな。まあでもまた行きたいとは思う」

 何だかウォーレンが急に大きく感じた。それは背中を丸ごと包まれているからかもしれないが、彼の声色からは、負った責任を果たした故の自信が窺えた。背を包む温もりが力強い。シエナは表情をふっと緩めた。

 「私も……行ってみたいな」
 「いつか一緒に行くか。お前がいれば向こうでも暖かいだろうな」
 「変わらないよ……ぁっ……」

 ウォーレンと雪を踏み締める所を想像して目を細める。と、彼の指先がまた不埒な動きを再開した。指先がゆっくりとシエナの両胸の頂を摘んでは捻り転がし始める。

 「でもまずは今暖まりたい……夕食を後でこっちに運ぶように言ってあるから、食べてから帰れよ」
 「ん、ぁ、はぁっ……」

 いっそもどかしくなるほど漫然とした動きなのに、だが話す間も手は止まらない。シエナはまた疼きが募っていく感覚に悶えた。返事をしようとするのにままならない。ウォーレンの片手は胸を弄るまま、もう一方の手が胸を離れ、脇から腰にかけてなだらかな曲線を辿るように撫でていく。辿り着いた先で、閉じたその場所の隙間から指が潜り込んだ。聞くに耐えない音が上がった。

 「あっ」
 「……此処また濡れてる」
 「やっ……だ、め」

 緩々と其処を指が往き来して、駄目だと思うのに、知らずその指を誘うように足をずらしてしまっていた。さっきの激しい繋がりから程遠い、緩慢な動き。だけど確実にシエナの中の官能は燻り、今にも発火しそうだった。

 「俺はさっきのじゃ全然足りない」
 「あっ、ん……」

 とん、と彼の指が敏感な突起をつくと、反射的に大きく背が反った。また蜜が溢れる。そこには先程の彼の残滓も混ざっているに違いなかった。

 「それに、これからは沢山しないといけないだろ?」
 「えっ」

 耳を疑う台詞に思わず大きな声を上げると、ウォーレンが意地悪い笑みを浮かべた気配がした。子供のことを言っているのだろうと気付く。自分が告げたのは回数の問題じゃない……そう思うのに、彼の言い振りを聞いていると何故か、所詮その程度の問題なのではとも思えてしまって、自分の淫らな想像に頰が紅潮した。これではまるで、自分もそれを求めているようではないか。
 羞恥を隠すように振り返ってウォーレンを睨もうとする。だが与えられた愉悦の方に身体が先に反応してしまった。溢れた蜜を塗り付けるように、指が突起の先から下へ進み、水音を立ててシエナの中へ侵入した。

 「いい口実が出来た」
 「んっ……あっ、あっ……」

 抗議をする筈の声は、喘ぎ声に変わってしまっていた。侵入した指が中を奥へ奥へと向かう。勿体ぶるような一連の動きを、シエナの膣が生々しく快感として拾い上げていった。指が中を往き来する度、淫猥な音が耳を犯した。
 もう一本指が増やされる。二本共が、妙に緩慢に動いてシエナを追い詰めていく。いっそ激しくしてくれたらすぐに昇り詰められるのに、嬲るように動かれるとそれも叶わなくて、もどかしさに腰が勝手に揺らめいた。

 「ウォー、レン……もう……」

 耳元まで紅く染めてかろうじて上げた声は、自分でも信じられないほど艶めいていた。
 ウォーレンが、追い詰めた獲物を喰らうように、再びシエナに伸し掛かった。









 結局、離宮に戻ったのは翌日の明け方になってしまった。

 指を動かすのさえ億劫だった。どうにかお仕着せに着替えたものの、歩き回るのは辛い。それでも二日も続けて休めばセシリア達に迷惑を掛けてしまうと思うと、休むわけにはいかない。シエナはせめてまだ微かに腫れの残る目元が少しでもマシになるように濡れタオルを当てながら鏡の中の自分を見ていた。

 何だか変化が急過ぎて、自分が自分ではないみたいだ。
 ついこの前までは、穏やかに毎日を過ごして一人で生きていくのだと、ずっと此処で働いていこうとさえ思っていたのに。
 それが、今は。
 後頭部を鏡に映すように鏡台の前で首を横に向けると、上半分だけ結い上げた髪で煌めいている花が見えた。そっと壊れ物に触れるように、その花に手を添えた。

 『これ』

 屋敷を出る直前、照れ臭いのを隠すように殊更むすっと手を差し出したウォーレンの顔を思い出す。最初それがまさか自分への物だとは思わなかった。ウォーレンの手に載ったその髪飾りに呆然と魅入られはしても、手に取るなど思いも寄らなかったのだ。いつまで経っても視線をそこに固定させたままのシエナに、焦れたウォーレンが少々ぞんざいな足取りで彼女の背後に回ると自ら髪に挿してくれたのだった。だからまだシエナは手に取ってさえいない。

 『オルレアの花……、お前にぴったりだと思って』

 その花は目を凝らせば一粒一粒が見事な輝きを放つ宝石で出来ていて、随所に意匠の凝らされた物だとシエナでもわかるものだった。きっと普通の店では買えないような、特別に作らせたもの。それも随分と時間と手間が掛かる手仕事だと思われた。これがふらりと立ち寄った店でつい買ったものだ、というならシエナも戸惑いはしても可愛い、と自ら手に取っただろう。だけど、これはそんな生半可な物では無かった。侯爵家に嫁ぐということはこういう事なのだと、覚悟を迫られたような気がした。同時に、彼の覚悟と想いの強さをも見せられたような気もしていた。

 正直に言えば、まだ信じられない。想いを寄せ、焦がれた日々が長過ぎて、まだ自分に都合の良い夢を見ているのではないかと何処かで思ってしまうのを止められない。あれほど……熱く、深く、心ごと繋がったのに。

 じわりと全身に熱が昇る。首を巡らせたお蔭で、鏡には耳の直ぐ下の鬱血痕までが映っていた。襟の詰まったお仕着せでも、髪を一部下ろしたままにしても、隠せない場所。それは良く見なければ目立たない物だったが、夢では無かったと知るには充分でもあった。
 昔、ただ一度だけ付けられたことのあった痕は、今お仕着せにの下に幾つあるのかもわからないほどだ。数だけじゃない。心を交わした繋がりは、これまでとは全く違うものだった。想いの届かない苦しさの代わりに与えられたのは、息が詰まる程の歓びだった。
 つい先程まで注がれていた熱は、まだ引かない。離れても尚、あの腕の中にいるような気がして、でももう既にあの場所が恋しくなっていた。




 『改めてパーセルの家に求婚をするから、今度は断るんじゃないぞ』

 離宮まで来た別れ際、半ば怒りを込めた声でウォーレンに釘を刺された。そのくせ蜂蜜色の瞳には僅かに縋るような色が映っていようにも見えた。もうしないよ、とふわりと微笑むと、ほっと胸を撫で下していた様子が印象的だった。

 『もうお前は俺の婚約者だからな。今度の国王陛下の生誕祭は俺と一緒に出ろよ』

 やや強引に決められた、お披露目の日。その日は王宮で大規模な舞踏会が一日中催される。その日に国王へ二人の婚約を報告し、他の貴族達に公にするという事なのだろう。シエナはまだこの状況に付いていくだけで精一杯なのに、ハイド家次期当主として、侯爵位を継ぐ立場として、 ウォーレンはその先までを考えていた。貴族社会で生きるために必要なこと。これから彼の隣に並び立つためにやらなければならないこと。彼の為に出来ること。自分もこれから先に目を向けなければと思う。

 オルレアの花のような、可憐さも凜とした美しさも、自分にあるだなんて思ってない。
 今の自分にあるのはただ、この人の傍にありたいと、だからこの人の恥にならない自分でありたいと強く願う気持ちだけだ。それ以外には自分は何も持たない。
 けれどその気持ちだけは、何にも折れないと思う。
 覚悟は決めた。「はい」と告げた瞬間に。彼が何度もその手で梳いたこの髪に、オルレアの花が咲いた瞬間に。
 だから、もう一度あの腕の中に戻る時の為に、今出来ることをしよう。

 シエナは鏡の中の自分を見ながら、重ねられたキスですっかり腫れたように膨らんでしまった唇に、そっと薄く口紅を引いた。





 



 それからの日々は慌ただしく過ぎて行った。

 ハイド家から再び求婚の手紙が来たと慌てふためいて離宮までやって来た両親に、お受けします、と伝えたら二人ともぽかんとしていた。両親には、頭を下げて断って以降のことは伝えていなかったのだから当然ではあったのだが、シエナは思わず苦笑してしまった。
 それから三人でまたいつかのようにハイド家を訪問し、改めて求婚を受け二人は婚約者となった。ただし婚約は王家に報告して承認を得た後に正式なものになる。その日はウォーレンの宣言した通りであるなら、国王陛下の生誕祭の日であるはずだった。
 結婚はシエナの希望で、侍女としての勤めを終える一年後となった。せめて一般的な勤務年数の二年は働き通したいと言ったシエナに、ウォーレンは一瞬眉を寄せたものの、わかった、と頷いた。

 セシリアには一通りの事情を打ち明けた。もう一年は働きたい、と告げるとセシリアは一瞬驚いたように目を瞠ってから、勿論よ、と微笑んでくれた。すんなり解決したでしょ?と片目を軽く瞑って付け足した彼女に頰を赤らめながらも、シエナは辞める時まで精一杯働こうと決意を新たにしたのだった。




 そして、瞬く間にその日はやって来たのだった。
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