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第一章 灰色の現実

1-12 さあ、ナイフを出すんだ!

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 今日の魔法教室は、事前に僕の魔法練習というところで、先に僕が学校に行き、その後に葵が来るということになった。だから、この中学校に不法侵入をするのは、またもや僕独り。

 葵はこの前みたいに転移魔法とやらを使うみたいだけれど、僕はなるべくその魔法を早く覚えたい気持ちがこれで強くなる。もしくは、先生のような認識を阻害する魔法とかがいい。とりあえず、これからの不法侵入に罪が問われない魔法をさっさと覚えたいような気がする。

 「お、ちゃんと来たね」

 空間に来ると、立花先生が白い床に寝転びながら出迎えてくれる。その手元には携帯ゲーム機が握られていて、僕が来た途端にその電源を落としてくれた。

 「いやあ、約束していても来ない生徒が大半だからねぇ。その中でも君と葵ちゃんと天音ちゃんはちゃんと来てくれるから教師みょうりに尽きるって感じだなぁ」

 「結構なメンツがサボってるんですね」 

 眼鏡の天原っていう人と、チャラ男の明楽くん、そしてまだ僕は紹介されていないけれど、後二人の面々はよくサボるのだろう。

 「ま、基本自由参加だからね。やりたい人がやりたいようにやるのが普通だし。特に真面目にやりたいという気持ちがなければ、こちらも強くは言わないし、そっちの方が楽って言うのもある。

 あ、君に関してはサボりは受け付けないからね。もしサボるようなことがあれば、家にピンポンダッシュをして遊びに行くから」

 「……」

 ……一瞬サボることがいいいのかと思ったけれど、面倒なことになりそうだから、休まないようにしよう。遅刻も面倒なことになりそうだから、きちんと時間よりも早くに来ておこう。

 「さて」

 先生は寝転んでいた姿勢から起き上がると、ポケットの中に手を入れて、なにかをまさぐる。そうして出てきたのは、魔法使いとしてはお馴染みらしいナイフだ。

 「というわけで、実践と行こうかな」




 「さて、宿題について、きちんとやれたかチェックしようかな!それではリピートアフターミー?」

 昨日と同じように、英語教師に声をかけられるみたいに。

 「Enos Dies」

 「Enos Dies」 

 「Enos Dies」

 「Enos Dies」

 葵にコツを教えてもらったときのように、僕は口に空気を溜めながら発音をすると、先生は、うんうんと頷きながら「ま、及第点ってところかな」と返してくれる。

 「もっと爽やかに詠唱してほしい気持ちもあるけれど、これは僕の好みだから別にいいや。……でも、割とまだ恥ずかしい発音だということは自覚しておいてね」

 「……はい」

 まだ何か変な発音なのかはわからないけれど、とりあえず頷いておく。これに関しては自分ではよくわからないから、また葵とかに話を聞いてみよう。

 「というわけで昨日の続きだ。ようやく実践だね。いやあ長かったね。他の生徒たちは割と簡単に出来ていたから、そこっまで時間がかからなかったと思うけれど、君はなんというか、本当に現実的な人間なんだろうね」

 「……」

 ほめられてはいないと思うので、無言のままにいる。

 「ちなみに、葵とか他の人は何歳くらいからここに通ってるんですか?」

 「うん?確か小学校を卒業してからだよ。幼い頃から訓練しても、理論が理解できないんじゃしょうがないから、だいたいの魔法使いが中学生に上がったときからこんな学習をしているよ。

 つまりは、まだ君の魔法レベルは中一レベルということだね」

 ……本当に、煽ることに対して特化しているよな、この先生。

 「まあ、そんなことはどうでもいいじゃないか。実践って言っているんだから実践をさせてくれたまえ」

 「……はい」

 無意識に茶々を入れて、なんとか場を誤魔化そうとしていたのかもしれない。詠唱についてはなんとかなっても、その次にやらなければならない行為がずっと頭の中で引きずっている。

 「それじゃあ、試しに、さくっと!やってみよう!さあ、ナイフを出すんだ!」

 「……ええと」

 やりたくない。めちゃくちゃ痛そうなのに、それをやってまで魔法を行わなければいけないのだろうか。……まあ、やらなければいけないんだろうな。葵も普通にやっていたわけだし。でも、リストカットってすごく痛そうじゃないか、本当にやらなければいけないのか?

 「えと、ナイフを忘れました」

 そんな頭の中に湧きあがった苦悩を、いつの間にか言い訳に出していた。無意識的に。

 「……いや、普通にポケット膨らんでいるけど」

 「……ええと、これは携帯です」

 「持っていなかっただろう君」

 「……ええと、その、……はい」

 それ以上言い訳はできなかった。




 「はあ、しようがないなぁ。何に対して恐怖を覚えているのかはわからないけれど、改めて君に僕の魔法の詠唱を見せるから、それを見たらやるんだよ?絶対だよ?約束だからね?」

 「……はい」

 少し延命された気分だけれど、やる運命は結局変わらないことを認識して憂いを帯びる。というか、本当は自分でやるだけではなく、他人の物を見るのも苦手なのだけれども、それでも立花先生はやるようだった。

 「じゃあ、そこで見ていなよ」

 そう言った後、先生はもともと持っていたナイフを左腕に当てた。

 左腕に刃が食い込む。浅いか深いかわからないほどに食い込んで、食い込んだ刃を横にすらっと轢いていく。

 垂れていく血液、特に苦悶にあえぐこともなく。

 「Enos Dies,Merctor」

 そして、僕がまだ聞いたことのない呪文の詠唱を初めて、そうして垂れた血が無に還元されていく。

 その詠唱で、きっと魔法は発動されたのだろう。その結果、起こる非現実的事象は──。

 「……水?」

 先生の手元から、水流が勢いよく流れていく。それは少しばかり歪な弧を描いて、そうして数秒で止まった。

 「うん、水。君に教える最初の魔法」

 「……」

 ……なんか想像していたのとは違う。

 「不服そうな顔をしているねぇ。炎魔法とか教えてもらえると思ったのかい?」

 「なんとなく、そう思ってました」

 「ははは、最初に炎魔法を教えて、そのまま手を焦がしてしまったらどうするのさ。だから、最初は水魔法からだよ。基本的も基本としてね」

 まあ、確かに炎魔法をよく理解していないうちにやったら皮膚が焦げそうで後始末がつかなそうではあるから、納得はする。

 「とりあえず、これが出来てから他の魔法だ。それまでは他の魔法の練習は禁ずる!」
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