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第一章 灰色の現実

1-21 僕にできること

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 「な、え!?先生、水、水!」

 目の前の慌てるべき状況を、立花先生は特に慌てふためくこともなく、冷静に僕を手でいなす。

 「あー、大丈夫大丈夫」

 そう言いながらも、先生の服は、白衣はまだ燃えている。だが、その燃えている光景を先生は数秒おいた後、腕を切って、以前僕に教えてくれた水魔法の詠唱を行った。

 そうして火は鎮火する。続けて先生はまた魔法の詠唱を行う。僕は訳が分からなくて、その詠唱を聞き逃してしまったけれど、いつの間にか燃えていた白衣は元に戻っていて、先ほどの光景は何事もなかったということを演出しているみたいに。

 「うん、というわけなんだよ」

 「どういうわけですか!?」

 ついこの前魔法使いになった時のことを思い出す。この状況はあの時のように意味が分からないものが続いている。理解させることを放棄しているような、そんな現状。

 「……正直、僕もよくわかっていないけど、結論だけ言おうか」

 僕はその声に頷くと、先生は語る。

 「君への魔法は、”反発”する」

 



 一週間前、とある事件が起こった。それは事件というべきなのか、もしくは事故というべきなのか、と先生は言いあぐねたけれど、そこはどうでもいい。とりあえず、模擬戦闘の時に話は遡る。

 戦闘後、大量の出血を繰り返してしまい意識を失った僕。それを見て、先生は不足した血液を補うために保健室から輸血セットを取りに行っていた最中にそれは起こったらしい。

 戦闘が終わった後、動揺が激しく残った天原は、その動揺のせいか、倒れていた僕に大量の血液を消費してまで氷魔法を発動し、そうして射出したそうだ。

 倒れている僕はもちろん避けることができず、そのまま氷塊は僕にあたるはずだった。だが、その時に起こったことは、その想像を超えるものだったらしい。

 ──氷塊は”反発”した。

 先生は、だからこそ今実験してみたんだけどね、と付け足して、また話を戻した。

 僕に触れた氷塊は反発し、そして詠唱を唱えた天原本人へと返っていく。それを意図するわけもない天原は、それをまともに食らってしまい、左腕を切断することになった、ということらしい。

 「あ、天原は無事なんですか?!」

 「おいおい、君が蘇生した時のことを忘れたのかい?普通に魔法で何とかしたよ」

 先生は話を続ける。

 一応、魔法で天原の腕をくっつけ、結局、身体上は何事もないように思えた。だが、僕と同じように大量に出血をしたことで、今のところ目は覚めていない、とのことだった。

 「命に別条はないんだ。継続的に貧血を起こしていた君は幸か不幸か、大量の出血に慣れていたんだろうし、葵ちゃんがすぐに輸血した事なきを得たけれど、それと比べて、まともに血を不足するくらいに出血をしたことがない彼にとっては、だいぶ重いダメージなんじゃないかな」

 「……そうですか」

 自分が意識を失っている間にそんなことになっているとは知らなかった。

 「……というか、輸血する人はいなかったんですか?他の人とか、もしくは家族の人とか」

 「うーん、前も言ったとは思うけれど、輸血は魔法使いにとっては婚姻と同じくらいのことだから、生徒の血を輸血する、というわけにはいかなし、他の生徒もやろうとはしなかったさ。まあ、葵ちゃんは君にすぐ輸血したけどね。

 あと、確かに家族からの輸血だったらどうにかなるだろうけれど──」

 そうして、先生は言葉を紡ぐ。

 「──彼、家族はもういないんだ」





 「これを本人が目覚めていない間に、そこまで知っている仲でもない君に話すのも、正直どうなのかなとは思うけれど、生徒の疑問にはきちんと答えるのが先生の義務だから話そう。彼には、天原くんには家族はもういないんだ」

 「……そんな」

 魔法使いは不死みたいなものだと、僕は思っているけれど、その言い方はまるで魔法使いが死んだ、というような言い方じゃないか。

 「ありえない、って思うかい?

 でも、ありえるんだよ。魔法使いだって死なないわけではない。まあ、自ら死のうと思うほどでなければ、きっと死ぬことはないんだろうけれどね」

 「……ということは」

 「……どうなんだろうね。僕も正直わからないんだ」

 立花先生は、話を続ける。

 「僕は彼の家族について詳しくは知らない。本人もそこまで教えてくれるタイプの性格をしていないし、僕から聞くのも憚られるからねぇ。だいたい魔法使いの家族関係なんて後ろめたいことが多いから、暗黙の了解で聞くことなんてないんだよ。

 でも、確実なのは、彼にはもう家族がいない。何度か尾行して、家の中に侵入した時にも、彼は孤独に過ごすだけ。

 なんとか痕跡を探そうと思ったけれど、それでも彼の家族についての情報は見つからない。まるで、存在しないとでも言わないばかりに。

 だから、輸血云々はもうどうしようもないんだ。いつか目が覚めるのは分かっているのだから、僕たちはそれまで待つしかないんだよ」

 ……その言葉を聞いて、罪悪感を覚えるのは思い上がりなのだろうか。後ろめたさがあるのは何なのだろうか。

 きっと、僕が悪いわけじゃない。反発がどうとか、よくわからないけれど、僕が彼に対して罪を犯したわけじゃないのは正しいはずだ。

 ──それでも、心に付きまとう後ろ暗さがあるのはなんだ。事情を知らずに事を進めていたことが後ろめたいのだろうか。……そんなのは世界にありふれているだろう。気にするのも無駄なほどに。

 でも、それでも拭えない後味の悪さが心にはびこり続ける。

 「……先生、僕の血を──」

 「やめておきなよ。彼が魔法なんて撃たなければこうなることはなかっただろうに。君が気にする必要はないじゃないか」

 「……それは、そうですけど」

 「あと勝手に輸血したら、彼は一生君を許すことができないと思うよ。それほどまでに魔法使いの輸血という行為が重いということを、そろそろ知るべきなんじゃないかな」

 「……」

 言葉を返すことはできなかった。魔法使いの価値観を未だに理解できていない僕が、それ以上に言葉を紡ぐことは許されない。

 それは天原に対しての冒涜だ、葵の行為に対する軽視だ。そのすべてが大罪ではないだろうか。

 「……ま、それでも後味が悪いならお見舞いにでも行けばいいさ。彼はずっと保健室ですやすや寝ているからね」

 だから君はここで寝かせたんだけどさ、と先生は付け足して、僕に行動をゆだねる。

 せめて、自分にできること。劣等感を抱えるだけの無能な僕ができる、一つのこと。

 「うん、いい目になったじゃないか」

 先生は僕の顔を見て、そう呟いた。

 ──それなら、僕は僕にできることを行うだけだ。
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