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第三章 灰色の対極

3-26 灰色の結末 後編

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 世界は空虚でできている。感情を揺さぶる何かでできていない。世界はどこまでもモノクロで、どこまでも退屈でしようがないものだと私は思うのだ。

 心を揺さぶる何かは存在しない。感情にあふれる出来事も何も存在しない。同年代であれば、きっと恋をして、彩にあふれた世界を謳歌するのだろう。それが私にとっては非現実的でしかなく、夢のような世界だとそう思った。

 そんな私にも秘密はある。実はそんなことを非現実的に思うのは馬鹿らしいほどに、私は非現実の世界に生きている。

 私は魔法使いなのだ。しがない魔法使い。炎の魔法をよく使う。それ以外にも魔法は使うけれど、父にそれ以外はあまり使うな、って言われているから特には使わない。私を魔法使いであると証明する紋章が、炎だからだろう。

 ……でも、別にどうでもいい。魔法使いならば世界を目指せ、とそんなことを父親に言及されるけれど、世界を目指してどうなるものか。結局は、ただの暇つぶし。どこまでも退屈な時間を生きて生きるだけ。

 私にも、恋心などがあれば世界は彩にあふれるのだろうか。でも、体験のないものについては憶測も及ばないから仕方がない。

 恋に恋する……、いや、恋に恋さえできていない存在が私。

 モノクロの灰色みたいに生きているのが私なのだ。





 「最近テンション低くない?」

 魔法教室で魔法を練習していると、立花先生は少しばかり眉間にしわを寄せながら、私に声をかけてくる。

 「ほら、魔法ってテンション上げて使わないとつまらないよ?ほら、『アルティメットファイヤー!』とか叫びながら、魔法を使ってみようか。絶対に楽しいから」

 「……やりませんからね」

 そんなことをするのが楽しいのは立花先生だけだろう。立花先生はよくゲームというものをやっているらしい。私は父にそういった遊びを禁じられているから、よくわからない。

 そして立花先生は私に対して「最近、テンション低くない?」と呟いたけれど、私のテンションなんていつも変わらないだろうに。

 魔法教室ではいつもこんな感じだ。

 人に絡んでくる立花先生、真面目にいつも練習をする雪冬くん、なんか少し関わりたくない雰囲気を持つ軽薄な明楽くん。以前までは先輩の人も二人いたけれど、今は大学進学に向けて勉強中らしい。ここ最近で見かけることはなかった。

 ──彼らはどうして魔法を使うのだろう。そして、どうして私は魔法教室に通っているのだろう。その理由を考えると嫌になる。結局は父親の言いなりであることを意識してしまうから、どうしようもないことに気づくのだ。

 魔法を使うのに、私の意志は関係ない。魔法を使うのは、父にそう言われているから。父に従わなければいけないから。

 そんな私と比較をして、魔法教室の人はそれぞれの気持ちで魔法を使っている。

 雪冬くんは、なにか明確な目的を持っているのかもしれない。それこそ、魔法使いの究極の目的である世界に到達することを野望にしているのだろう。それほどに彼は真剣に魔法に向き合っている。

 明楽くんについては、──全く魔法が使えていないというか、そもそも血を出すのが苦手な人だから、なんで魔法教室に来ているのかはわからない。前までは女の先輩によく絡んでいたけれど、最近は先輩も来ないから来てもしようがないのに。そして、私に対して、なにかよからぬ視線を孕ませて見てくるから、やはり彼とは関わりたくない。

 ──それぞれ、やはり明確な目的があるのだ。それならば、あやふやなままで生きている私は、どこか世界に背反しているのだろう。

 だから、私には彩がない。彩を持つことが許されていない。だから、世界はいつまでたっても灰色なのだ。





 予定があって、近所にあるデパートに赴く。予定といっても大したものではない。単純にデパート内にある本屋に行き、好みの文庫本や、高校生の学習で必要な参考書を買うだけ。

 以前、先輩が大学に行くのならば今の段階で準備をしておいた方がいい、とアドバイスをくれたのだから、なんとなくそれに従っている。……父には進学したい、とは伝えていないから、もしかしたらそれは叶わないものかもしれない。でも、別にそれでいい、というかどうでもいい。結局、進学してもやりたいことなどないのだから。

 夕焼けに彩られる帰り道。デパートにはそこそこに人がまばらにいたのに、帰り道の交差点になると、途端に人が消えうせたように静かになる。足音は私が鳴らす靴音一つだけ。歩行者信号は赤信号、ここの信号はいつも待ち時間が長くて面倒だ。

 「──やあ」

 ──後方から、声が聞こえる。

 先ほど認識した通り、そこには人がいないはずだ。そんな状況で声が聞こえるということは、私に声をかけているのだろう。

 私は、そうして振り返る。

 ──どこか非現実的な髪の色。白と見まがうような灰色。煤みたいな色。そんな人間がいるのは、どこか奇妙だ。

 ……声をかけてきたのだから、私の見知っている人間だと思ったけれど、そこにいる彼はどこまでも見知らぬ他人でしかなかった。

 「……ナンパですか?」

 私がそう言うと、彼は灰色の髪をくるくるといじりながら、どうなんだろう、と返した。

 ……彼でさえ行動についてを把握していないのなら、私がそれ以上に何かできるということはないだろうに。

 「なんとなく、話しかけたくなった……、みたいな?」

 「……なんで疑問形なんですか」

 苦笑してしまう。そのやりとりの意味の分からなさに。

 ──でも、そのやりとりにどこか懐かしさを覚えるのはなぜなのだろう。なんで郷愁的なものを彼に感じずにはいられないのだろう。

 ──どうして、心が潰れそうな感傷に浸ってしまいそうになるのだろう。

 ──私は、気づかぬ間に目から雫がこぼれていたことに、今さら気が付いた。

 「……私たち、会ったこととかってありましたっけ」

 本能のままに気になって、彼にそう聞いてみた。

 いつもの私ならしないこと。人に対して興味は抱いても、行動することにはつながらない。普段の私からすれば、こうして人と会話を紡ごうとすることもないだろうに。

 「……どうだろう」

 彼は困ったように笑った。

 「人の性格っていうのはさ、記憶から形成されるものなんだ。俺が君に対して作用していたのなら、それはきっと事実なんだ」

 ──よく、わからない。それは答えになっていない。卵が先か鶏が先か、みたいな話じゃないか。

 彼には説明する気がないような雰囲気を感じる。どこか立花先生みたいだ。どこか懐かしい感覚が拭えなくて仕方がない。

 「……ま、君が元から君だったというのなら、俺とは会ったことがないんだろうね」

 裏腹がありそうに、彼はそう答える。少しばかり尊大な態度を彼はわざと振舞っているようで違和感がある。

 ──違和感とは、元の状態を知っていなければ覚えないはずなのに。

 どうしてそんなことを思うのか、私にはわからない。

 「……それなら、私とは会ったことがないんですね」

 「──……ああ、そうなんだろうね」

 彼は笑う。仕方がない、という諦観を孕ませた視線を泳がせながら。

 ──そんな目をするくらいなら、吐き出した方が楽になるだろうに。彼はまた抱え込むのだ。

 ……”また”?

 「悲しそうな顔をしてどうしたのさ」

 思考がちらつく。そのちらつきを集中するように彼の顔を覗いてみる。

 「……あなたに言われたくないです」

 ──今にも泣きだしてしまいそうな、寂しそうな顔をしているのは、そっちの方じゃないか。私以上にそんな顔をしているのだ。私からこれ以上は言葉を紡げない。

 「……大丈夫。大丈夫だよ。きっと大丈夫」

 私に言い聞かせるように、彼自身にも言い聞かせるように。でも、絶対的な肯定を彼はせず、逃げ場を生み出す優しさを感じる。彼は、そうして言葉を紡いだ。

 「世界は、何色だと思う?」

 「……唐突ですね」

 彼の言葉を咀嚼する。私から言葉を紡ぐことができなくても、彼から問われたのなら答えなければならない。

 「──灰色ですよ。世界も、……私も」

 世界はどこまでも空虚なのだ。幼い頃からそうだったのだから、空虚であるなら灰色こそが世界にはふさわしい。

 私には私がない。世界には世界がない。だから灰色でしかない。

 白は明るい色だ。黒は暗い色だ。でも、そのどちらにも個性はある。白とも黒ともつく世界なら、きっとそこに色彩はあるのだろう。モノクロであっても、それは空虚ではないのだ。

 空虚ならば、どこまでも何色にも属さない灰色だ。

 灰色だけが、心にある。私も、世界も、すべて灰色だ。

 「……僕は君を赤色だと思っていたよ」

 「……そんな明るそうに見えますかね」

 「うん。君は赤色なんだ」

 赤色なんて、私からはとても遠い色だろう。彩にあふれた名前を父は私に付けてくれたけれど、その名前に見合うほどに、私には色彩はない。青でも、赤でもない。心情に彩は溢れない。

 「君は赤色だ。どこまでも人を包むような、そんな燈のような赤色。人の温もりを感じられるような赤色だよ」

 「……無理ですよ」

 私は彼の言葉にそう返した。

 「私、人が好きじゃないんです。人と関わることが嫌いです。だから、そんな彩にあふれた色は、私には似合いません」

 「……そうかな?」

 「そうですよ」

 「そっか」、と彼は私の声を聞いて笑った。きっと、笑うしかなかったんだと思う。

 赤の他人にこんな話をされても、結局は戸惑うだけだ。彼から始まった会話だけれども、その責任の所在は私にあるような気がする。こんな話をされて、どう反応するべきなのか、正解などわからない。

 「信号、青だよ」

 彼はそうして私から視線を逸らした。会話の終わりが来たのだと、そう知らせるように。

 「…………」

 何か、言葉を紡ぐべきだ。彼に対して、きちんと向き合わなければいけない。彼との接点をこれ以上失くしたら、私はどうすればいいのだろう。

 ──でも、声は紡げなかった。

 私は後ろを振り返って、信号を視界に入れる。

 この信号を渡らなければ、きっとまた長い時間待ちぼうけになる。そうすれば、彼と会話は紡げるかもしれない。

 そうして、渡らずに赤信号。ここで振り向けば──。

 ──だけど、そこに彼はいない。

 感じたことはないはずの悲しみが、おかえりなさい、と私に声をかけた。

 それ以上に声は返ってこない。

 もう、声は、返ってこない。
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