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第四章 異質殺し
4-8 止め処なく溢れる
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◇
「……たまき?」
天音は何も気づいていないようだった。もしくはそう振舞っていた。天音の目は俺の視線を追いかけようとしていた。俺はそれに気づいた瞬間に目を逸らした。
でも、一瞬で再び視線は葵を追っていた。目を逸らすことができなかった。
──彼女が無表情に、涙をこぼす姿を、ずっと追いかけていた。
それ以外の情報を、視界にとらえることができなかった。
■
彼と目が合っていた。
彼と視線が合っていることに気づいて、呼吸することを忘れてしまった。
息苦しい感覚の中にある、頬を伝う雫の感触に、私は戸惑いを抱いてしまった。
──どうしようもない、知らない感情が心の中で騒いでいる。叫んでいる。その感情の勢いにのまれてしまいそうになる。
心臓が軋む、軋んでいる。胸の痛さに悲鳴を上げてしまいそうになる。心臓の軋みと鼓動、それが錯乱して痛みだけが反芻する。
どうなっているのかわからない。私が涙を流しているわけも理解できない。
悲しいわけじゃない。私は悲しいわけじゃない。だが、感情の裏に潜む何かが、ただただ咽び泣いているような、そんな感覚。
「──大丈夫?」
私の耳に、言葉が届く。
艶やかな声だと思った。誰が発しているのかわからなかった。その声のほうに視線を向けようとした。
声のほうに視線を向けようとして、向けられないことに気が付いた。
私の体は、私の意識で操縦することができないまま、ただ灰色の彼を追っていた。
──でも、そんな彼を、隣にいる彼女が腕を引いている。
そうして、彼が視線を逸らしたことを、私は見逃さなかった。
◇
視線を逸らした。それ以上に彼女のことを見つめていても、俺にはどうしようもなかったから。
今の俺に、僕に何ができるというのだろう。
関わることを許されてはいない僕が、彼女に、葵に何ができるというのだろうか。
既に彼女からの拒絶を受け取った僕に、何が許されるというのだろう。
視線をそらしても、彼女がこちらを追いかける視線が針のように突き刺していることに気づいている。
──でも、どうせ覚えているわけがない。
だから、仕方がないのだ。
■
彼は諦めたように視線を逸らした。
前からかけられる声は、私を心配するような言葉を吐いていた。
それでも、私は灰色の彼から視線を逸らすことができなかった。
心臓が、心がずっと軋んで音を立てている。立て続けている。
俯瞰で、平常心でしかいない私の裏腹に、叫び声をあげている誰かがいる。
大丈夫、と声を掛けられ続けている。
その声は、水月先輩からのものなのだろう。
私はそれに返事をしたかった。
大丈夫です、大丈夫なんです。
実際、私は大丈夫だ。私は大丈夫なのだ。
でも、裏に反芻し続ける感情が、衝動が、止めどなく溢れてしまうのだ。
涙が、嫉妬が止まらないのだ。
『──私が拒絶をしたから、なのかな』
ぽつりと、私の中にある何かは呟いていた。
何かが、何を言っているのか、私には理解できなかった。
手を伸ばしそうになった。視線を逸らした彼に、力なく手を伸ばしてしまいそうになった。
そんな衝動をなんとか抑えて、私は景色を眺めることだけをした。
灰色の彼が、彼女とともに歩みを進めていくのを、いつまでも視線で追いかけてしまう。
『──ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい』
ただひたすらに、感情を紡ぐ心とともに、私は彼から視線を逸らした。
意識的に、強制するように、視線を逸らすことしか、私にはできなかった。
◇
「まさか、いるだなんてね」
天音はジェットコースターの列を抜けてから、ぼそっと独り言のように呟いていく。
先ほどの場所から、遠く離れている。そこまで歩いたつもりはなかったけれど、俺が呆然と過ごしている間に、天音が遠くに連れ出してくれたらしい。
「気づいていたの?」
「だって、立花先生は目立つし」
彼女にそう言われれば、確かに立花先生の白衣は列の中でも目立っていたような気がする。
葵のことばかりに意識が向いて、詳細に先生の姿を思い出すことはできない。周囲にいた魔法教室の面々もいたことを思い出せるけれど、それでも葵の、あの表情ばかりが意識を反芻する。
──彼女が涙を流している姿を見たことは、これまでに一度だって存在しなかった。
幼いころからの付き合いだ。そんな付き合いだからこそ、彼女のことについては一番理解していると、おそらく彼女の肉親以上に理解していると思っている。
だからこそ、俺は彼女の涙を見たことがないし、彼女が涙を見せなかった姿を理解している。
赤原 葵は、弱さを隠す人間だ、魔法使いだ。
俺が弱かったから、それを覆い隠すように優しさですべてを塗り替えてくれる。だからこそ、彼女は強くあろうとしてくれた。彼女は強いまま、人に弱さを見せることはない。
俺はそうしている葵をずっと見ていた。彼女がどれだけ悲しい気持ちを抱えていたとしても、強く振舞おうとしている姿を見ていた。
俺には何もできなかったから、そうする姿を見ていることしかできなかった。
だから、俺はあの涙を知らない。
どうして、涙を流しているのか。
どうして、彼女が俺を見たのか。
どうして、彼女は縋るような瞳をしていたのか。
記憶を失っているはずの彼女が、どうしてそんなことをしたのか──。
「──きっとさ」
俺の考えに答え合わせをするように。
「わたしたち、髪の色が変だからだよ」
誤魔化すように、天音は笑った。
俺は、それに頷くことで、一旦の納得をすることにした。
「……たまき?」
天音は何も気づいていないようだった。もしくはそう振舞っていた。天音の目は俺の視線を追いかけようとしていた。俺はそれに気づいた瞬間に目を逸らした。
でも、一瞬で再び視線は葵を追っていた。目を逸らすことができなかった。
──彼女が無表情に、涙をこぼす姿を、ずっと追いかけていた。
それ以外の情報を、視界にとらえることができなかった。
■
彼と目が合っていた。
彼と視線が合っていることに気づいて、呼吸することを忘れてしまった。
息苦しい感覚の中にある、頬を伝う雫の感触に、私は戸惑いを抱いてしまった。
──どうしようもない、知らない感情が心の中で騒いでいる。叫んでいる。その感情の勢いにのまれてしまいそうになる。
心臓が軋む、軋んでいる。胸の痛さに悲鳴を上げてしまいそうになる。心臓の軋みと鼓動、それが錯乱して痛みだけが反芻する。
どうなっているのかわからない。私が涙を流しているわけも理解できない。
悲しいわけじゃない。私は悲しいわけじゃない。だが、感情の裏に潜む何かが、ただただ咽び泣いているような、そんな感覚。
「──大丈夫?」
私の耳に、言葉が届く。
艶やかな声だと思った。誰が発しているのかわからなかった。その声のほうに視線を向けようとした。
声のほうに視線を向けようとして、向けられないことに気が付いた。
私の体は、私の意識で操縦することができないまま、ただ灰色の彼を追っていた。
──でも、そんな彼を、隣にいる彼女が腕を引いている。
そうして、彼が視線を逸らしたことを、私は見逃さなかった。
◇
視線を逸らした。それ以上に彼女のことを見つめていても、俺にはどうしようもなかったから。
今の俺に、僕に何ができるというのだろう。
関わることを許されてはいない僕が、彼女に、葵に何ができるというのだろうか。
既に彼女からの拒絶を受け取った僕に、何が許されるというのだろう。
視線をそらしても、彼女がこちらを追いかける視線が針のように突き刺していることに気づいている。
──でも、どうせ覚えているわけがない。
だから、仕方がないのだ。
■
彼は諦めたように視線を逸らした。
前からかけられる声は、私を心配するような言葉を吐いていた。
それでも、私は灰色の彼から視線を逸らすことができなかった。
心臓が、心がずっと軋んで音を立てている。立て続けている。
俯瞰で、平常心でしかいない私の裏腹に、叫び声をあげている誰かがいる。
大丈夫、と声を掛けられ続けている。
その声は、水月先輩からのものなのだろう。
私はそれに返事をしたかった。
大丈夫です、大丈夫なんです。
実際、私は大丈夫だ。私は大丈夫なのだ。
でも、裏に反芻し続ける感情が、衝動が、止めどなく溢れてしまうのだ。
涙が、嫉妬が止まらないのだ。
『──私が拒絶をしたから、なのかな』
ぽつりと、私の中にある何かは呟いていた。
何かが、何を言っているのか、私には理解できなかった。
手を伸ばしそうになった。視線を逸らした彼に、力なく手を伸ばしてしまいそうになった。
そんな衝動をなんとか抑えて、私は景色を眺めることだけをした。
灰色の彼が、彼女とともに歩みを進めていくのを、いつまでも視線で追いかけてしまう。
『──ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい』
ただひたすらに、感情を紡ぐ心とともに、私は彼から視線を逸らした。
意識的に、強制するように、視線を逸らすことしか、私にはできなかった。
◇
「まさか、いるだなんてね」
天音はジェットコースターの列を抜けてから、ぼそっと独り言のように呟いていく。
先ほどの場所から、遠く離れている。そこまで歩いたつもりはなかったけれど、俺が呆然と過ごしている間に、天音が遠くに連れ出してくれたらしい。
「気づいていたの?」
「だって、立花先生は目立つし」
彼女にそう言われれば、確かに立花先生の白衣は列の中でも目立っていたような気がする。
葵のことばかりに意識が向いて、詳細に先生の姿を思い出すことはできない。周囲にいた魔法教室の面々もいたことを思い出せるけれど、それでも葵の、あの表情ばかりが意識を反芻する。
──彼女が涙を流している姿を見たことは、これまでに一度だって存在しなかった。
幼いころからの付き合いだ。そんな付き合いだからこそ、彼女のことについては一番理解していると、おそらく彼女の肉親以上に理解していると思っている。
だからこそ、俺は彼女の涙を見たことがないし、彼女が涙を見せなかった姿を理解している。
赤原 葵は、弱さを隠す人間だ、魔法使いだ。
俺が弱かったから、それを覆い隠すように優しさですべてを塗り替えてくれる。だからこそ、彼女は強くあろうとしてくれた。彼女は強いまま、人に弱さを見せることはない。
俺はそうしている葵をずっと見ていた。彼女がどれだけ悲しい気持ちを抱えていたとしても、強く振舞おうとしている姿を見ていた。
俺には何もできなかったから、そうする姿を見ていることしかできなかった。
だから、俺はあの涙を知らない。
どうして、涙を流しているのか。
どうして、彼女が俺を見たのか。
どうして、彼女は縋るような瞳をしていたのか。
記憶を失っているはずの彼女が、どうしてそんなことをしたのか──。
「──きっとさ」
俺の考えに答え合わせをするように。
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俺は、それに頷くことで、一旦の納得をすることにした。
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