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第四章 異質殺し
4-38 心臓の記憶
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◇
朱音から翌日の作戦についての話が終わると各々の自由時間となった。自由時間とは言いつつも、俺は眠るだけしか選択肢がなかったし、天音たちも特に作戦決行まですることはなかった。
彼女らは安宿の方へと戻っていくらしい。どうせ俺も眠るだけなのだから、特に呼び止めることはしなかった。そうして睡眠に励もうと、ベッドの隙間に寝ころんでいると、身体の中にある疲れを重く感じているのに、それでも目覚めた意識が寝ることを許してはくれなかった。
何か頭の中に引っかかる懸念がある。言葉にするための具体性はつかめないけれど、それがどうしてもこびりついて離れることはなく、もどかしい感覚だけが反芻する。
身体は少しずつ動くようになってきた。その拍子に何度か寝相を変えてみたりして、なんとか眠ることへと専念しようとするけれど、それで簡単に眠ることはできなかった。三日間ほど寝ていたらしいのだから、きっと寝過ぎていることもあって寝付くことができないのかもしれない。
はあ、と俺はため息をつく。誰もいない空間に、それは虚しく響き渡った。
散歩にでも行こう。
見慣れない街で、親しむことはできないかもしれない国の中で、唐突に散歩をするだなんて不用心かもしれない。だけど、何かをしていないと落ち着かないのだから、と心の中で誤魔化して、俺はゆっくりと起き上がる。
気だるさはある。重さがある。いつもよりも背中に重くのしかかる気だるさが身を包んでいる。でも、身体は動くのだから、ちょっと散歩をするくらいはいいかもしれない。
俺は起き上がった後、立ち上がって朱音の部屋を後にする。彼女らに対して申し訳なさを少しだけ抱きながら、俺は外の空気を味わいに外に出た。
◇
「なにしてんだよ」
朱音が暮らしている宿から数歩ほど外へと歩いたところで、唐突に声がかかって、その拍子に心臓がぴくりと弾んでしまった。
声をかけられるとは思わず、静かに言葉をかけてきた主へと振り返ると、そこには不満そうな表情を浮かべている朱音がいた。俺にはその表情が怖かった。
「ちょっと散歩にでも行こうかと……」
「ん? ごめん、聞こえなかったわ。もう一度言ってくれないか?」
「……えと、寝ます」
「そうだよな。当たり前だよな。三日間も寝ていた重症の患者が、目覚めていきなり外に散歩に行くとか有り得ないもんな」
な? とこちらに同調を促す声を彼女は出している。俺はそれに渋々頷くしかない。
「というか、散歩をしても面白くねぇだろ。ここら辺、何か面白いものがあるわけじゃないし」
「……なんか、眠れないんだよね」
俺は素直に言葉を吐いた。俺の言葉に、朱音は「まあ、昼寝した後の夜ってなかなか眠れないもんではあるけどよ」とよくわからないことを言った。
「でも、眠れなくても目を瞑ればいい。そうしたら時間の境目も曖昧になって、いつの間にか寝た気分にはなる。なんたって明日でこの事件を終わらせなければいけない。お前にはやってもらうことがあるからこそ、ここではゆっくり休んでもらいたいんだけどな」
彼女の言いたいことはわかる。わかっている。ここで休むことの重要性も、必要性も。
けれど、どうしても頭の中に引っかかることがある。具体性のなかった表現が、そうして口から零れた。
「──俺って、対極を受け容れることができていないのかな」
俺の言葉に、彼女は沈黙をした。
……僕は対極を受け容れた。それは確かに物理的ではあったかもしれない。心臓を交換することで、彼を、……対極を受け容れたつもりだった。この心臓の交換で、それでも俺が生きることができたのならば、きっとそれは本物だと。それが受容なのだと。
でも──。
『──いや、あるだろうが』
──あの時、確かに僕の中には対極が顕現した。
模擬戦闘で雪冬を殺そうとした時のように、天使時間で魔法使いを殺そうとした時のように、教会の空間で天音を殺そうとしたときのように。
僕は、確かにあの時、対極を自分の身に宿していた。
自分の恐怖は塗りつぶされていた。それはもう自分のものではない、と対極は語っていた。
対極が僕の体を支配した。そのうえで、適切な判断を、悪魔祓いとしての特性を生かして、苦しいあの場面を打開した。
対極は自分の中にいる。嫌いで仕方なくて、それでも自分でしかない対極が、自分の中に──。
「──いや、お前はきちんと受け容れたんだろうさ」
「……何を根拠に」
「前も言わなかったか? 髪色だよ、髪色」
そう言ってから朱音は僕の方に近づいて──。
「──痛っ」
僕の頭髪を抜いた。そして頭髪を抜いてから、その髪を見せびらかすようにこちらに向けてくる。薄い暗闇の中でもわかるように、どこか白のような薄い灰色がそれに沁みついている。
「すべからく対極を受け容れた魔法使いの頭髪は元の色とは異なるものになる。まあ、なんで髪なのかっていうのはよくわかってないけど、そういうシステムだと思った方がいい。これが根拠」
「……でも、心臓を交換した作用かもしれないだろ──」
「──それなら、なんでお前はずっと『俺』と自分を語り続けているんだ?」
朱音は言葉を吐いた。
「お前が元の一人称である『僕』から『俺』へと変わったのは、……変えたのは、対極に対する報いというだけではないはずだ。お前の中に対極があるからこそ、お前はそんな一人称を使うんだろうよ」
「……それならなんで」
対極はあの時顕現したのか。
そして、また対極が何か想定外の行動を起こすのではないか。
そんな不安が心を蝕んでいるのだ。
自分が自分ではなくなってしまうような、そんな感覚に、僕は恐怖を抱かずにはいられないのだ。
「──心臓には心が宿る」
「──え?」
「──って、言われてるらしいぞ」
朱音は続けた。
「まあ、正確には記憶らしいんだけどな。心臓の記憶とかって聞いたことがないか?」
「……ないけど」
「私も詳しいことは知らない。眉唾みたいな話だとも思うし、それを信じるか信じないかは環次第だよ。
でも、実際に臓器移植をした結果、その臓器元の人格や記憶が、移植された人物に宿るケースがある、……とかなんとか。……まあ、ファンタジーみたいな話だと私も思うけど」
彼女は苦笑した。きっとさ、と言葉を続けて。
「お前の中には対極の心臓がある。その記憶が、心がお前の中に生まれることもあるだろうさ。対極を受容しても、お前の中にアイツがいるのも仕方のないことだろ」
「……それなら、また──」
また、天音を殺そうとするかもしれない。葵を殺すことにつながるかもしれない。もしくは関わりがなくなった雪冬や明楽、立花先生さえも──。
「──それだったら、天音を助けるようなこともしなかっただろうさ」
僕は、息を呑んだ。
「天音から聞いた状況では、きっとあのまま環が何もしなければ、天音は魔法に殺されていただろうね。けれど、環は、……というかあの時のお前はそうすることをせず、天音を守るために自分を傷つけて魔法に立ち向かったんだよ。そんなやつが、これから知っている魔法使いを殺そうとするか?」
「……」
そうであってほしい。そうであってほしいと、心から願う。
朱音は「まあ、あの時の行動をお前自身で行えたのならよかったんだけれども」と余計な言葉を付け加える。
そして。
「まあ、大丈夫だよ」と彼女は言った。
いつも男勝りな口調で話す彼女が、初めてにも感じる柔らかい雰囲気で、姉としての口調で。
「環なら大丈夫だから。ね?」
にこっと彼女は微笑んだ。
そこには確かに昔見た姉の姿があったような気がする。
朱音から翌日の作戦についての話が終わると各々の自由時間となった。自由時間とは言いつつも、俺は眠るだけしか選択肢がなかったし、天音たちも特に作戦決行まですることはなかった。
彼女らは安宿の方へと戻っていくらしい。どうせ俺も眠るだけなのだから、特に呼び止めることはしなかった。そうして睡眠に励もうと、ベッドの隙間に寝ころんでいると、身体の中にある疲れを重く感じているのに、それでも目覚めた意識が寝ることを許してはくれなかった。
何か頭の中に引っかかる懸念がある。言葉にするための具体性はつかめないけれど、それがどうしてもこびりついて離れることはなく、もどかしい感覚だけが反芻する。
身体は少しずつ動くようになってきた。その拍子に何度か寝相を変えてみたりして、なんとか眠ることへと専念しようとするけれど、それで簡単に眠ることはできなかった。三日間ほど寝ていたらしいのだから、きっと寝過ぎていることもあって寝付くことができないのかもしれない。
はあ、と俺はため息をつく。誰もいない空間に、それは虚しく響き渡った。
散歩にでも行こう。
見慣れない街で、親しむことはできないかもしれない国の中で、唐突に散歩をするだなんて不用心かもしれない。だけど、何かをしていないと落ち着かないのだから、と心の中で誤魔化して、俺はゆっくりと起き上がる。
気だるさはある。重さがある。いつもよりも背中に重くのしかかる気だるさが身を包んでいる。でも、身体は動くのだから、ちょっと散歩をするくらいはいいかもしれない。
俺は起き上がった後、立ち上がって朱音の部屋を後にする。彼女らに対して申し訳なさを少しだけ抱きながら、俺は外の空気を味わいに外に出た。
◇
「なにしてんだよ」
朱音が暮らしている宿から数歩ほど外へと歩いたところで、唐突に声がかかって、その拍子に心臓がぴくりと弾んでしまった。
声をかけられるとは思わず、静かに言葉をかけてきた主へと振り返ると、そこには不満そうな表情を浮かべている朱音がいた。俺にはその表情が怖かった。
「ちょっと散歩にでも行こうかと……」
「ん? ごめん、聞こえなかったわ。もう一度言ってくれないか?」
「……えと、寝ます」
「そうだよな。当たり前だよな。三日間も寝ていた重症の患者が、目覚めていきなり外に散歩に行くとか有り得ないもんな」
な? とこちらに同調を促す声を彼女は出している。俺はそれに渋々頷くしかない。
「というか、散歩をしても面白くねぇだろ。ここら辺、何か面白いものがあるわけじゃないし」
「……なんか、眠れないんだよね」
俺は素直に言葉を吐いた。俺の言葉に、朱音は「まあ、昼寝した後の夜ってなかなか眠れないもんではあるけどよ」とよくわからないことを言った。
「でも、眠れなくても目を瞑ればいい。そうしたら時間の境目も曖昧になって、いつの間にか寝た気分にはなる。なんたって明日でこの事件を終わらせなければいけない。お前にはやってもらうことがあるからこそ、ここではゆっくり休んでもらいたいんだけどな」
彼女の言いたいことはわかる。わかっている。ここで休むことの重要性も、必要性も。
けれど、どうしても頭の中に引っかかることがある。具体性のなかった表現が、そうして口から零れた。
「──俺って、対極を受け容れることができていないのかな」
俺の言葉に、彼女は沈黙をした。
……僕は対極を受け容れた。それは確かに物理的ではあったかもしれない。心臓を交換することで、彼を、……対極を受け容れたつもりだった。この心臓の交換で、それでも俺が生きることができたのならば、きっとそれは本物だと。それが受容なのだと。
でも──。
『──いや、あるだろうが』
──あの時、確かに僕の中には対極が顕現した。
模擬戦闘で雪冬を殺そうとした時のように、天使時間で魔法使いを殺そうとした時のように、教会の空間で天音を殺そうとしたときのように。
僕は、確かにあの時、対極を自分の身に宿していた。
自分の恐怖は塗りつぶされていた。それはもう自分のものではない、と対極は語っていた。
対極が僕の体を支配した。そのうえで、適切な判断を、悪魔祓いとしての特性を生かして、苦しいあの場面を打開した。
対極は自分の中にいる。嫌いで仕方なくて、それでも自分でしかない対極が、自分の中に──。
「──いや、お前はきちんと受け容れたんだろうさ」
「……何を根拠に」
「前も言わなかったか? 髪色だよ、髪色」
そう言ってから朱音は僕の方に近づいて──。
「──痛っ」
僕の頭髪を抜いた。そして頭髪を抜いてから、その髪を見せびらかすようにこちらに向けてくる。薄い暗闇の中でもわかるように、どこか白のような薄い灰色がそれに沁みついている。
「すべからく対極を受け容れた魔法使いの頭髪は元の色とは異なるものになる。まあ、なんで髪なのかっていうのはよくわかってないけど、そういうシステムだと思った方がいい。これが根拠」
「……でも、心臓を交換した作用かもしれないだろ──」
「──それなら、なんでお前はずっと『俺』と自分を語り続けているんだ?」
朱音は言葉を吐いた。
「お前が元の一人称である『僕』から『俺』へと変わったのは、……変えたのは、対極に対する報いというだけではないはずだ。お前の中に対極があるからこそ、お前はそんな一人称を使うんだろうよ」
「……それならなんで」
対極はあの時顕現したのか。
そして、また対極が何か想定外の行動を起こすのではないか。
そんな不安が心を蝕んでいるのだ。
自分が自分ではなくなってしまうような、そんな感覚に、僕は恐怖を抱かずにはいられないのだ。
「──心臓には心が宿る」
「──え?」
「──って、言われてるらしいぞ」
朱音は続けた。
「まあ、正確には記憶らしいんだけどな。心臓の記憶とかって聞いたことがないか?」
「……ないけど」
「私も詳しいことは知らない。眉唾みたいな話だとも思うし、それを信じるか信じないかは環次第だよ。
でも、実際に臓器移植をした結果、その臓器元の人格や記憶が、移植された人物に宿るケースがある、……とかなんとか。……まあ、ファンタジーみたいな話だと私も思うけど」
彼女は苦笑した。きっとさ、と言葉を続けて。
「お前の中には対極の心臓がある。その記憶が、心がお前の中に生まれることもあるだろうさ。対極を受容しても、お前の中にアイツがいるのも仕方のないことだろ」
「……それなら、また──」
また、天音を殺そうとするかもしれない。葵を殺すことにつながるかもしれない。もしくは関わりがなくなった雪冬や明楽、立花先生さえも──。
「──それだったら、天音を助けるようなこともしなかっただろうさ」
僕は、息を呑んだ。
「天音から聞いた状況では、きっとあのまま環が何もしなければ、天音は魔法に殺されていただろうね。けれど、環は、……というかあの時のお前はそうすることをせず、天音を守るために自分を傷つけて魔法に立ち向かったんだよ。そんなやつが、これから知っている魔法使いを殺そうとするか?」
「……」
そうであってほしい。そうであってほしいと、心から願う。
朱音は「まあ、あの時の行動をお前自身で行えたのならよかったんだけれども」と余計な言葉を付け加える。
そして。
「まあ、大丈夫だよ」と彼女は言った。
いつも男勝りな口調で話す彼女が、初めてにも感じる柔らかい雰囲気で、姉としての口調で。
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