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第四章 異質殺し
4-42 地獄か天国か
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◆
──そうして意識は反転する。目の前にある非常識的な現実を認めたくなくて、そうして意識は反転する。
血、血、血。血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血、血。
見たことのない量の赤色が床に散らばっている。それは一つのプールのように、床を敷き詰めていたことに気が付いてしまう。どこまで歩いて行っても逃れられることのできない赤い海に対して意識を持っていかれる。あらゆる不快感を催す原因がそれであるということに気が付いてしまう。腐り果てている苦い酸味の正体が、それをかき消すような対照的な臭いの正体を理解してしまう。
それがどうしてこの場所に広がっているのか、一面に広がっているのか。広く歩いていたはずの空間の床を敷き詰めていたのか、どれだけの量の血がそこにあるのだろうか。
「──ぁぁぁああああああああ!!」
──これは血である。血であるはずだ。それは血以外の何物でもない。それ以外の可能性を頭の中で想像してみても、その結果にたどり着くことができない。絵の具やペンキなどであればよかった。ただの塗装するための色合いであればよかった。だが、その不快な香りの正体を辿れば、自ずとそれが血でしかないことに行きついてしまう。不快な臭いがそう告げている。そう告げているからこそ、嫌な想像が頭に這いよる。思考を蝕んで、頭を壊そうと狂わせてくる。
目の前から声が聞こえた。一瞬、誰の声なのかを理解することはできなかった。それは叫び声だった。悲鳴にも近い叫び声だった。嗚咽も混じっていた。それを聞くたびに呼吸が苦しくなった。苦しくなって、喉が熱くなった。胃酸が絡まる衝動があった。それはすべて自分自身のものだった。
いや、きっとそれだけではなかった。声が聞こえた。声が聞こえていた。どこからか声が聞こえていた。それは自分自身のものに限られなかった。目の前から声が聞こえていた。確かに自分以外の声も聞こえていた。喉の焼け付く痛みとともに、更に細い声が、もしくは低い声が、阿鼻叫喚として重なっている。不快感が悲鳴を呼んで合唱を奏でている。そのすべては世界にとっての絶望でしかなかった。
青い光が展開されている。いくつもいくつも展開されている。その光は部屋のすべてを照らしている。倉庫らしき場所を照らして、僕たちを照らして、転移してきた人をさらに照らしている。
「──っ」
後ろから舌打ちが聞こえた。舌打ちをしたのは朱音のものだった。背後から届く音に妙な安心感を覚えた。一瞬、冷静になろうとする思考が働いた。
──呼吸を繰り返せ。呼吸を繰り返せ。何度でも、何度でも。お前がお前であるために、何度も呼吸を繰り返せ。
そう声が聞こえた。そう声が聞こえたから縋るように、心と体はその声に従った。腐った臭いが鼻に伝うから、叫んだ喉を委縮させて口からどうにか呼吸を運んだ。すう、はあ、と何度も繰り返した。どくどくと繰り返す心臓の鼓動の大きさが徐々に小さくなる気配があった。
すう、はあ。何度も繰り返して、肺の中にある空気を入れ替える。
──そうだ。それでいい。何度も呼吸を繰り返せ。
声に従う。声に従い続ける。従い続けて、身体の力が少しづつ抜けてくる。強張っていた身体の節々が緩和する。息をするのも楽になって──。
◇
──意識は安定した。まるで自分が自分じゃなかったことを冷静に見つめなおすように、視界にある情報をすべて理解した。
「正気に戻ったか?」と声が聞こえた。
朱音の声だった。だが、朱音の声に紛れて、それ以外の声が、叫び声が耳に届いている。狂気が届いている。俺はそれでも、ああ、と頷いた。
その叫び声がどこから届いているのかなんて一目瞭然でしかなかった。青い光を見たときから理解している、転移をしている、……いや、転移をさせられた被害者の叫び声だった。
その被害者の叫び声を理解している。青い光によって照らされた景色の中、おびただしい量の赤が床に染まっているのだ。それが現実だと疑いたくなる気持ちと、そうではないという現実感が心を蝕んで心を破壊するのだ。
「まずいな」という朱音の声が耳に届く。こうして会話をしている間にも青い光が空間を、倉庫らしき場所を照らし続けている。その心地の悪さを拭うことはできないが、ここで冷静にならなければ何も見出せそうにない。
叫び声は止まない。いつまでたっても、色々な人の叫び声、悲鳴、嗚咽。留まることを知らない絶望だけが目の前に広がり続けている。
「こうなってしまえば落ち着くことなんてできやしない」
朱音はそう言って、青く光り続ける景色から視線を逸らした。青い光を頼りにして、それらしい出口を見つけた朱音は、そちらの方へと足を進めた。
「……なんとか、助けられないの?」
助ける、という言葉が不自然に出た。なぜその言葉を選んだのかはわからない。
「無駄だよ。パニックは伝播する。それが終息することなんて違う場所にでも行って、夢だった、と自覚することくらいでしか解消されないだろう。……だから、とりあえず前を進むしかないんだよ」
呆れるように、どうしようもないというように朱音は呟いた。自分自身が彼らと同じような状況だったからこそ、少しだけ朱音のことを酷いと思う自分がいた。
けれど、それで終息しないことは確かなのは身をもって知っている。
俺と天音は、叫び声を置いて、光に照らされているうちに出口らしき場所へと足を運ぼうとした──。
「──いやいやいやあ。やはりこの場所に来たばかりの人間の悲鳴は可笑しくて堪らないものだなぁ!!」
──そうして、足は止まる。朱音がその声に一瞬喉を鳴らしたのが、小さくとも耳に届いた。
聞き覚えのある声音。そして日本語。俺にも理解することのできる言語を話している、老人の高笑いの声。
「ようこそ、ようこそようこそ! ……ああ、日本語では通じないんだったな。
ようこそ! 我が天国へと至る研究施設へ!!」
そう話す言葉の欠片は、どうしたって不快感を覚えるようにしか出来ていなかった。
──そうして意識は反転する。目の前にある非常識的な現実を認めたくなくて、そうして意識は反転する。
血、血、血。血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血、血。
見たことのない量の赤色が床に散らばっている。それは一つのプールのように、床を敷き詰めていたことに気が付いてしまう。どこまで歩いて行っても逃れられることのできない赤い海に対して意識を持っていかれる。あらゆる不快感を催す原因がそれであるということに気が付いてしまう。腐り果てている苦い酸味の正体が、それをかき消すような対照的な臭いの正体を理解してしまう。
それがどうしてこの場所に広がっているのか、一面に広がっているのか。広く歩いていたはずの空間の床を敷き詰めていたのか、どれだけの量の血がそこにあるのだろうか。
「──ぁぁぁああああああああ!!」
──これは血である。血であるはずだ。それは血以外の何物でもない。それ以外の可能性を頭の中で想像してみても、その結果にたどり着くことができない。絵の具やペンキなどであればよかった。ただの塗装するための色合いであればよかった。だが、その不快な香りの正体を辿れば、自ずとそれが血でしかないことに行きついてしまう。不快な臭いがそう告げている。そう告げているからこそ、嫌な想像が頭に這いよる。思考を蝕んで、頭を壊そうと狂わせてくる。
目の前から声が聞こえた。一瞬、誰の声なのかを理解することはできなかった。それは叫び声だった。悲鳴にも近い叫び声だった。嗚咽も混じっていた。それを聞くたびに呼吸が苦しくなった。苦しくなって、喉が熱くなった。胃酸が絡まる衝動があった。それはすべて自分自身のものだった。
いや、きっとそれだけではなかった。声が聞こえた。声が聞こえていた。どこからか声が聞こえていた。それは自分自身のものに限られなかった。目の前から声が聞こえていた。確かに自分以外の声も聞こえていた。喉の焼け付く痛みとともに、更に細い声が、もしくは低い声が、阿鼻叫喚として重なっている。不快感が悲鳴を呼んで合唱を奏でている。そのすべては世界にとっての絶望でしかなかった。
青い光が展開されている。いくつもいくつも展開されている。その光は部屋のすべてを照らしている。倉庫らしき場所を照らして、僕たちを照らして、転移してきた人をさらに照らしている。
「──っ」
後ろから舌打ちが聞こえた。舌打ちをしたのは朱音のものだった。背後から届く音に妙な安心感を覚えた。一瞬、冷静になろうとする思考が働いた。
──呼吸を繰り返せ。呼吸を繰り返せ。何度でも、何度でも。お前がお前であるために、何度も呼吸を繰り返せ。
そう声が聞こえた。そう声が聞こえたから縋るように、心と体はその声に従った。腐った臭いが鼻に伝うから、叫んだ喉を委縮させて口からどうにか呼吸を運んだ。すう、はあ、と何度も繰り返した。どくどくと繰り返す心臓の鼓動の大きさが徐々に小さくなる気配があった。
すう、はあ。何度も繰り返して、肺の中にある空気を入れ替える。
──そうだ。それでいい。何度も呼吸を繰り返せ。
声に従う。声に従い続ける。従い続けて、身体の力が少しづつ抜けてくる。強張っていた身体の節々が緩和する。息をするのも楽になって──。
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──意識は安定した。まるで自分が自分じゃなかったことを冷静に見つめなおすように、視界にある情報をすべて理解した。
「正気に戻ったか?」と声が聞こえた。
朱音の声だった。だが、朱音の声に紛れて、それ以外の声が、叫び声が耳に届いている。狂気が届いている。俺はそれでも、ああ、と頷いた。
その叫び声がどこから届いているのかなんて一目瞭然でしかなかった。青い光を見たときから理解している、転移をしている、……いや、転移をさせられた被害者の叫び声だった。
その被害者の叫び声を理解している。青い光によって照らされた景色の中、おびただしい量の赤が床に染まっているのだ。それが現実だと疑いたくなる気持ちと、そうではないという現実感が心を蝕んで心を破壊するのだ。
「まずいな」という朱音の声が耳に届く。こうして会話をしている間にも青い光が空間を、倉庫らしき場所を照らし続けている。その心地の悪さを拭うことはできないが、ここで冷静にならなければ何も見出せそうにない。
叫び声は止まない。いつまでたっても、色々な人の叫び声、悲鳴、嗚咽。留まることを知らない絶望だけが目の前に広がり続けている。
「こうなってしまえば落ち着くことなんてできやしない」
朱音はそう言って、青く光り続ける景色から視線を逸らした。青い光を頼りにして、それらしい出口を見つけた朱音は、そちらの方へと足を進めた。
「……なんとか、助けられないの?」
助ける、という言葉が不自然に出た。なぜその言葉を選んだのかはわからない。
「無駄だよ。パニックは伝播する。それが終息することなんて違う場所にでも行って、夢だった、と自覚することくらいでしか解消されないだろう。……だから、とりあえず前を進むしかないんだよ」
呆れるように、どうしようもないというように朱音は呟いた。自分自身が彼らと同じような状況だったからこそ、少しだけ朱音のことを酷いと思う自分がいた。
けれど、それで終息しないことは確かなのは身をもって知っている。
俺と天音は、叫び声を置いて、光に照らされているうちに出口らしき場所へと足を運ぼうとした──。
「──いやいやいやあ。やはりこの場所に来たばかりの人間の悲鳴は可笑しくて堪らないものだなぁ!!」
──そうして、足は止まる。朱音がその声に一瞬喉を鳴らしたのが、小さくとも耳に届いた。
聞き覚えのある声音。そして日本語。俺にも理解することのできる言語を話している、老人の高笑いの声。
「ようこそ、ようこそようこそ! ……ああ、日本語では通じないんだったな。
ようこそ! 我が天国へと至る研究施設へ!!」
そう話す言葉の欠片は、どうしたって不快感を覚えるようにしか出来ていなかった。
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