魔法使いの幼馴染を助けたら俺も魔法使いになってしまった件について ~灰色の対極~

若椿 柳阿(わかつばき りゅうあ)

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第四章 異質殺し

4-44 既死

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 朱音に手を、というか腕を思いっきり引っ張られて、体勢をなんとか崩さないように意識しながら、俺たちは一緒に男性の標識の方へと進む。薄暗いと感じる部屋の中、床には進むべき進路が蛍光塗料で描かれており、案内に関しては迷わせないように意識をさせているようだった。

「……ちっ」

 だが、その案内に従うたびに朱音は舌を打つ。よほどこの魔法使いに従う、という構図が鬱陶しいらしく眉間のしわがいつまでも取れることはなさそうだ。心なしか、俺を引っ張る腕の力も強くなっているような気がする。

 天音がちゃんとついてきているのか、不安になって後ろを振り返るけれど、きちんと彼女はそこで一緒にいてくれている。ただ、それでも視界に入るのは、案内する標識を見て困惑した顔を浮かべている拉致された人の顔だった。それがこの倉庫についてなのか、それとも女性であるのにこの道を歩いている俺たちに対してなのかはわからない。できれば前者であってほしい。

 案内通りに道を進んでいって、倉庫の果てのような場所に来る。シャッターが閉じられている視界の中、その横に設置されている出入口用の扉が見えた。蛍光塗料もその中に案内をしようとしているので、俺たちはその中に入ろうと──。

「──うっ」

 ──途端、猛烈な吐き気が身体を貫いた。

 先ほど味わった絶望のような匂い。頭がひっくり返ってしまいそうなほどに、腐り果てている臭いと言えばいいのだろうか。血のプールとの比較を強いて上げるのならば、そこに酸味のような匂いはなく、ただただ腐った苦くて甘い臭さが扉の先から香ってくることだろう。

「……まさか」と朱音は呟く。この臭いについて革新が一部あるような言葉だと思った。俺がこの悪臭で感じ取れることは不快感しかないのに、その中に彼女が発見のようなものを見出すとは思わなかった。

 だが、彼女の眉間の皺はさらに深くなる。

 ──殺意。

 いつか自分が感じた、魔法使いへの憎悪をそのまま瞳に宿らせたような、重苦しい殺意。息をするのも烏滸がましいと思えるほどに、彼女の威圧的な視線は扉の方へと向かっている。それは俺たちに向けられていないということはわかっているはずなのに、その視線につられて呼吸をためらってしまう感覚。

「──行くぞ」

 そんな思索を俺が泳がせている中、彼女は意を決したように言葉を呟いた。

 彼女が感じたらしい発見、気づきというものを聞きたくなったけれど、そんな雰囲気は目の前になかったから、諦めて彼女の手に引っ張られるまま、俺たちは扉を──。





 ──くぐった。

 途端に吐き出すことが正常なのではないか、そんなことを考えてしまうほどの猛烈な悪臭が鼻腔を破壊する。先ほどとは比にもならない痛みにも近い臭いの苦しみに、嗚咽を漏らしそうになって、俺は鼻をふさいでしまった。それでもこびりつくようにしている臭いの根源は、どうしたって誤魔化すことはできないのだが。

 こぽこぽ、と水が泡立つ音がする。理科室で聞いたことがある音だと思った。水槽の中で生かされている魚たちが一瞬視界の中に蘇った。そんな記憶をかき消して、俺はくぐった先の視界を見つめてみる。

 扉をくぐった先の景色は暗かった。ここに来てからずっと視界が暗いような気がする。それがさらに嫌な予感を彷彿とさせるのは、おそらく気のせいではないはずだった。

 先ほどから何度も繰り返してきている。暗い景色の中、光が照らされてしまえば、隠されている惨状が目の中に情報として入ってくる。俺の中で経験したことのない絶望が、確かな形としてやってくる。



 ──



 そんな声が聞こえた。俺はその言葉に、……僕はその言葉に従った──。



 ──瞬間、爆発のような明かりが視界の中に灯っていく。

 明暗のギャップで目を抑えたくなる。だが、そうすることができないほどに悪臭に包まれている空間では鼻から手を離すことはできそうにない。そしてなにより──。

「────」

 俺の手を握っている、彼女の、朱音の手が震えている。

 それは恐らく恐怖とかではない。彼女が恐怖を感じるはずがない。男らしい一面を振舞い続ける彼女が、そんなことに震えるわけがない。

 それを証明するように、彼女の視線は──尖っている。

 今にも人を殺すことを考えるような、そんな視線。眩しくなった世界の中で、俺は目の前にある景色よりも、彼女の刺すような、刺し殺すような視線が焼き付いて離れることはなく──。



 ──ようやく慣れた光に景色を視界へと入れた。





「──なんだよ、これ」

 身体から力が抜ける。手から力が抜ける。彼女の震える手から解かれる。力ない身体を支える拠り所をなくしてしまう。

 目の前には水槽がある。いや、水槽ではない、ビーカーだろうか。試験管だろうか。なんて表現すればいいのかはわからない。だが、昔SF映画で見たことがあるような、そんな科学的なものが、大きな入れ物が目の前にはたくさんある。

 ガラスで作られているらしいその入れ物の中には液体が入っている。美術の授業の後、汚れた後の筆洗のように、濁った赤色がそこには満たされている。

 ──そして、人。いや、人型のようなものが中に入っている。それが人である、ということは自分の考えでは定義したくない。それほどまでに形が歪であり、原形をとどめておらず、破壊されている形でしかないそれを、人だとは思いたくはない。その詳細を頭で描写したくはない。肌色じゃない、おおよそ人間が出す色ではない。それはどこかの、ホラー映画のように、黒い緑に近くて、それは非現実的でしかない発色で──。



「──既死《きし》、だよ」



 彼女は、朱音は答えをひけらかすようにそう言った。俺は言っている意味がわからなかった。

「既に死んでいる存在。死んでしかいない存在。生きるという定義から外れている存在。死んでいるからこそ死ねない存在。既死。きっと、という名前のほうがそれらしい存在。それが、目の前のそれだ」

「ぞ、んび……?」

「……ああ。そして、存在なんだろうな」

 頭の中で想像していた事柄が、歯車がかみ合っていく。噛み合ってほしくない状況で、想像通りの状況が目の前に並んでいく。

 腐り果てている臭い。不快感というものでは表せない絶望のような代物。目の前に広がる入れ物の数々。その大量の入れ物に入っている赤と何かが混ざり合っている色。そして、人とはもう呼べない人型の残骸。おそらく部位のつなぎ合わせ。断面、骨、皮膚の欠片──。

「──オウェッ!!」

 衝動的に俺は吐き出した。備えろ、との声があっても、受け止めきれない現状に、俺は胃から伝わる衝動に従うしかできなかった。
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