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第四章 異質殺し
4-46 崇高たる研究
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◆
『私の実験施設の見学ということで、君たちがここにいることについても承知をしておいたはずだけれども、これ以上はよろしくない。私の聖域へと侵入しようとするのは看過できないな』
スピーカー越しに皺がかる老人の声が聞こえてくる。それに対して不快感を隠そうという思考はひとかけらも生まれることがなかった。
「見られているとは思っていたけど、この先を見せてくれないとは随分とケチじゃないか。男どもの方に私たちが行っても何も気に留めなかったくせに」
朱音は嘲るかのようにスピーカーの声に噛みついた。その言葉に、スピーカーも軽い笑い声を浮かべた後、言葉を続けていく。
『いやあ、君たちには私の崇高たる研究に共感してもらおうと思ってね。毎度毎度追ってくるものだから、そろそろ理解を示してもらい、これからは協力でもしてもらおうかと、私はそう思って許容していただけだ』
「……崇高?」
ソイツの言葉に棘が出た。理解することもできない概念をちらつかせてくるソイツに、俺は言葉を吐いていた。
『崇高だろうさ。人間には成すことができず、それでいて他の魔法使いにも成し得ない不死の研究をしているのだ。これを崇高と呼ばずして何を崇高とするだろうか?』
「……は?」
不死、という言葉に俺は反応した。
「あれを不死? ふざけた言葉を騙るものだな」
『別に嘘ではない。既に死んでいるのだから、もう死ぬことはないだろう?』
「……ちっ」
朱音はその問答に呆れたように舌打ちをする。俺も彼女と同様の気持ちを抱えていた。様子を見ている天音は口をつぐんだまま、静かにその光景を傍観している。
『ま、気には召さなかったみたいだろうが、それでも同情心であろうともこの先に侵入することの許可は出せない。それとこれとは別の問題であり、そしてこれは私自身の問題である。甚だ恐縮ではあるものの、やはり君たちにはそろそろ消えてもらうことにしよう。共感さえしてもらえればメッセンジャーとしての役割を担ってもらうつもりだったが、やはり他の悪魔祓いと同じように理解してもらえなかったみたいなのでね』
ぷつっ、とそうしてスピーカーの音が途切れていく。
「……無視して行くぞ」と朱音は言葉を吐いた。俺もその言葉に頷いた。言葉に頷いて、俺もその出入口たる扉の奥に進もうとした。進もうとして、……悪臭を感じた。
鼻につく不快感の塊。無意識に鼻をつまんで刺激を回避しようとする身体の行動。それを更に意識的に抑え込んで、両手をふさがないことに留意をする。
「お出ましのようだ」
俺ははそんなことをつぶやきながら、悪臭のする臭いのもとへと、後方へと振り返る。
どた、ばた、と足音が幾つも弾ける音。その音がなぜ耳に届くのか、一瞬でそれに対して想像を働かせていく。容易に想像のついた映像を頭の中で流した後、それが現実のものであるかを確かめるために、俺は改めてこれからやってくる視界のすべてに意識を向けた。
──阿鼻叫喚となっている地獄絵図。他人が悲鳴をあげている様。こちらへと向かって駆けて来る様。足並みをそろえず、足並みをそろえないが自重を崩して転んでしまう様子。その一部の人間に囚われないまま、転んで倒れた人間を踏み潰すさま。そこにいた男たちの群れが、恐れ戦き逃げるだけの様に、俺は息を吐いた。自ずと想像した通りの映像が目の前で繰り広げられていた。
──男たちの背後には、既死の人影。いや、人ではない影のそれぞれが連なっている。天音が声をかけた後、きちんとそのまま留まることができなかったのか、それとも奥に進んだのかはわからない。だが、そんな彼らが既死から逃げるさまを、俺は見届けることしかできない。
「ど、どうするの?」と天音は目の前の絶望たる光景に声を震わせる。朱音に関しても同様に、どこか躊躇をするようにその足を踏み出すことはできていない。
その理由はなぜか。ここで行動をしなければ男たちに確実に命はなさそうなのに、それでも動けないのはなぜか。理由は単純だ、おそらく彼女らは、元人間であった既死の存在に、どこか人間という部分を感じてしまっているからに過ぎないだろう。
「やるしかないだろ」
そんな彼女らに、俺は言葉を吐いた。
ここで停滞をすれば、その先の景色がさらに絶望の深淵へとたどり着いてしまう。そんな世界を許さないために俺は足を進めている。今さらこの歩みを止めるということは自分自身を裏切ることになる。
これが最初の足掛かりなのだ。停滞することは許されていない。息を吐く暇さえ惜しい。
俺は、──走り出した。
「──環っ」
後ろから声が聞こえる。制止するための言葉だったのかもしれない。元々人間であった存在を守るための言葉だったのかもしれない。それが目の前の人間を救うことにはつながらないはずなのに、それでも彼女は制止の声をかけた。
それじゃダメなんだ。
俺は倒れている一部の男たちから足を弾ませるように抜けていき、そうしてその先にいる既死たちにめがけて、一目散に駆けていく。
「──ああ、もう!!」
朱音の姉っぽい言葉、というか姉なんだろうけれど、その言葉を吐くことでようやく覚悟が決まったらしい。朱音たちの足音が聞こえていく。
そうだ。もう目の前にいる存在は人間ではない。人間だっただけの、既に死んでいる固体でしかない。きっと、いつもの俺であったのならば、僕であったのなら、人を殺すことに対して躊躇をしたのかもしれない。
だが、目の前の存在は人間ではないのだ。ふざけた研究によって作り出された被害者でもなく、ただの既に死んでいる個体なのだ。それに対して歩みを躊躇してしまえば、次にそうなるのは自分たちでしかない。
俺はナイフを広げた。
視界の中が加速する。意識が加速をして、あらゆるものがスローモーションのように情報として届いていく。アドレナリンが頭の中を走っている。意識が呆然とするのと同時くらい、俺は目の前の情報を、僕は手に持っているナイフの感覚を思い出していく。
幸い、目の前の既死たちは継ぎ接ぎでしかない。それはただの人間のパーツを寄せ集めたように、肌は爛れ、骨は露出し、関節部分が不安定で、歩くのもやっとの存在だ。
そうであれば、俺は継ぎ接ぎをナイフで切り離せばいい。
それに意志はない。爛れた頭の皮膚の奥先に見える脳は腐り果てていた。紫色の液体を垂らしながら、解けている目で俺のことを視界に入れている彼らに、俺ができることは切り崩すことだけだった。
──刹那、ナイフを振り払う。
すべてが遅く動くこの世界に置いて、ナイフの力加減は誤らない。遅く動くからこそ、更に加速するように動く自分の体は、容易く既死の体を切り裂いていく。
──手首、肘、解体をした、屈みながら足を滑らせて、脚部、膝関節、破壊をしながら彼らのすべてを崩落させていく。破裂するように飛び散る皮膚の残骸がかかりそうになる。それをよけて、次の既死へ、すべての既死へと足を運ぶ。体重をかける拠り所をなくしたそれらは簡単に倒れていく。それをゆっくりとする世界で確認しながら、俺は、僕は前の景色を歩んでいく。
すべては葵のために。
僕は、刃を振るうことを止めなかった。
『私の実験施設の見学ということで、君たちがここにいることについても承知をしておいたはずだけれども、これ以上はよろしくない。私の聖域へと侵入しようとするのは看過できないな』
スピーカー越しに皺がかる老人の声が聞こえてくる。それに対して不快感を隠そうという思考はひとかけらも生まれることがなかった。
「見られているとは思っていたけど、この先を見せてくれないとは随分とケチじゃないか。男どもの方に私たちが行っても何も気に留めなかったくせに」
朱音は嘲るかのようにスピーカーの声に噛みついた。その言葉に、スピーカーも軽い笑い声を浮かべた後、言葉を続けていく。
『いやあ、君たちには私の崇高たる研究に共感してもらおうと思ってね。毎度毎度追ってくるものだから、そろそろ理解を示してもらい、これからは協力でもしてもらおうかと、私はそう思って許容していただけだ』
「……崇高?」
ソイツの言葉に棘が出た。理解することもできない概念をちらつかせてくるソイツに、俺は言葉を吐いていた。
『崇高だろうさ。人間には成すことができず、それでいて他の魔法使いにも成し得ない不死の研究をしているのだ。これを崇高と呼ばずして何を崇高とするだろうか?』
「……は?」
不死、という言葉に俺は反応した。
「あれを不死? ふざけた言葉を騙るものだな」
『別に嘘ではない。既に死んでいるのだから、もう死ぬことはないだろう?』
「……ちっ」
朱音はその問答に呆れたように舌打ちをする。俺も彼女と同様の気持ちを抱えていた。様子を見ている天音は口をつぐんだまま、静かにその光景を傍観している。
『ま、気には召さなかったみたいだろうが、それでも同情心であろうともこの先に侵入することの許可は出せない。それとこれとは別の問題であり、そしてこれは私自身の問題である。甚だ恐縮ではあるものの、やはり君たちにはそろそろ消えてもらうことにしよう。共感さえしてもらえればメッセンジャーとしての役割を担ってもらうつもりだったが、やはり他の悪魔祓いと同じように理解してもらえなかったみたいなのでね』
ぷつっ、とそうしてスピーカーの音が途切れていく。
「……無視して行くぞ」と朱音は言葉を吐いた。俺もその言葉に頷いた。言葉に頷いて、俺もその出入口たる扉の奥に進もうとした。進もうとして、……悪臭を感じた。
鼻につく不快感の塊。無意識に鼻をつまんで刺激を回避しようとする身体の行動。それを更に意識的に抑え込んで、両手をふさがないことに留意をする。
「お出ましのようだ」
俺ははそんなことをつぶやきながら、悪臭のする臭いのもとへと、後方へと振り返る。
どた、ばた、と足音が幾つも弾ける音。その音がなぜ耳に届くのか、一瞬でそれに対して想像を働かせていく。容易に想像のついた映像を頭の中で流した後、それが現実のものであるかを確かめるために、俺は改めてこれからやってくる視界のすべてに意識を向けた。
──阿鼻叫喚となっている地獄絵図。他人が悲鳴をあげている様。こちらへと向かって駆けて来る様。足並みをそろえず、足並みをそろえないが自重を崩して転んでしまう様子。その一部の人間に囚われないまま、転んで倒れた人間を踏み潰すさま。そこにいた男たちの群れが、恐れ戦き逃げるだけの様に、俺は息を吐いた。自ずと想像した通りの映像が目の前で繰り広げられていた。
──男たちの背後には、既死の人影。いや、人ではない影のそれぞれが連なっている。天音が声をかけた後、きちんとそのまま留まることができなかったのか、それとも奥に進んだのかはわからない。だが、そんな彼らが既死から逃げるさまを、俺は見届けることしかできない。
「ど、どうするの?」と天音は目の前の絶望たる光景に声を震わせる。朱音に関しても同様に、どこか躊躇をするようにその足を踏み出すことはできていない。
その理由はなぜか。ここで行動をしなければ男たちに確実に命はなさそうなのに、それでも動けないのはなぜか。理由は単純だ、おそらく彼女らは、元人間であった既死の存在に、どこか人間という部分を感じてしまっているからに過ぎないだろう。
「やるしかないだろ」
そんな彼女らに、俺は言葉を吐いた。
ここで停滞をすれば、その先の景色がさらに絶望の深淵へとたどり着いてしまう。そんな世界を許さないために俺は足を進めている。今さらこの歩みを止めるということは自分自身を裏切ることになる。
これが最初の足掛かりなのだ。停滞することは許されていない。息を吐く暇さえ惜しい。
俺は、──走り出した。
「──環っ」
後ろから声が聞こえる。制止するための言葉だったのかもしれない。元々人間であった存在を守るための言葉だったのかもしれない。それが目の前の人間を救うことにはつながらないはずなのに、それでも彼女は制止の声をかけた。
それじゃダメなんだ。
俺は倒れている一部の男たちから足を弾ませるように抜けていき、そうしてその先にいる既死たちにめがけて、一目散に駆けていく。
「──ああ、もう!!」
朱音の姉っぽい言葉、というか姉なんだろうけれど、その言葉を吐くことでようやく覚悟が決まったらしい。朱音たちの足音が聞こえていく。
そうだ。もう目の前にいる存在は人間ではない。人間だっただけの、既に死んでいる固体でしかない。きっと、いつもの俺であったのならば、僕であったのなら、人を殺すことに対して躊躇をしたのかもしれない。
だが、目の前の存在は人間ではないのだ。ふざけた研究によって作り出された被害者でもなく、ただの既に死んでいる個体なのだ。それに対して歩みを躊躇してしまえば、次にそうなるのは自分たちでしかない。
俺はナイフを広げた。
視界の中が加速する。意識が加速をして、あらゆるものがスローモーションのように情報として届いていく。アドレナリンが頭の中を走っている。意識が呆然とするのと同時くらい、俺は目の前の情報を、僕は手に持っているナイフの感覚を思い出していく。
幸い、目の前の既死たちは継ぎ接ぎでしかない。それはただの人間のパーツを寄せ集めたように、肌は爛れ、骨は露出し、関節部分が不安定で、歩くのもやっとの存在だ。
そうであれば、俺は継ぎ接ぎをナイフで切り離せばいい。
それに意志はない。爛れた頭の皮膚の奥先に見える脳は腐り果てていた。紫色の液体を垂らしながら、解けている目で俺のことを視界に入れている彼らに、俺ができることは切り崩すことだけだった。
──刹那、ナイフを振り払う。
すべてが遅く動くこの世界に置いて、ナイフの力加減は誤らない。遅く動くからこそ、更に加速するように動く自分の体は、容易く既死の体を切り裂いていく。
──手首、肘、解体をした、屈みながら足を滑らせて、脚部、膝関節、破壊をしながら彼らのすべてを崩落させていく。破裂するように飛び散る皮膚の残骸がかかりそうになる。それをよけて、次の既死へ、すべての既死へと足を運ぶ。体重をかける拠り所をなくしたそれらは簡単に倒れていく。それをゆっくりとする世界で確認しながら、俺は、僕は前の景色を歩んでいく。
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