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第四章 異質殺し
4-52 事の顛末にもならないもの
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◇
事の顛末のようなものを語れればよかった。いつも非日常的なことを経験しているからこそ、自分自身でそれを改めて把握するために、経験したことを振り返りたかった。だが、その願望は潰えた、といってもいいかもしれない。それほどまでによくわからない状況だけが目の前にあった。
「そっちは大丈夫か?」
俺と天音は一緒になって行動して、一緒に電話を使える場所を探した。結局は働いていた孤児院しか見出せなくて、二人で夕焼けが沈む街並みを歩いていたのけれど、それでも頭の中に混乱しか見出せなかった。
大丈夫か、という彼女の声に安心感を覚える。だが、朱音の声は疲労にまみれていて、以前のくたびれた様子を頭の中で思い描いた。その声に安心させるように、俺は、大丈夫、と返答する。
「覚えてる?」と俺は続けて口にした。
端的な質問だ。この端的な質問によって状況が把握できると思った。だから俺はそれだけを口にした。
「何が?」という朱音の返答。それに対して雲行きが怪しいと感じてしまうが、そのあと、一瞬ほどの間を置いた後「冗談だ」と朱音は返してくる。
「覚えてるよ。おそらく、この先にある未来のだいたいを私は覚えている」
彼女の冗談とその後の言葉に一瞬安堵はするものの、だとすれば目の前にある非現実的な状況が現実だと確定してしまうことに、少し不安が重なった。
「……ということは」
「ああ。──巻き戻ったんだよ、この世界は」
彼女は確信めいたように言葉を吐いた。俺もその言葉に、やはりか、という気持ちを抱かずにはいられなかった。
◇
巻き戻っていく景色を覚えている。あらゆるものが逆再生のように動いているのを覚えている。経験したことを復習するように、ひとつひとつが視界の中にちらついていたことをよく覚えている。
研究施設の景色、血まみれの倉庫の景色、アリクトエアルの景色、ほの暗い雑貨店の景色、朱音の部屋の景色、葵と一緒に携帯を買った景色、葵に話しかけた景色。そして、夕焼けの観覧車の景色。
それを俺は見ていた。遡行する景色を目に留めることしかできなかった。
あれは魔法だ。魔法で、きっと黒魔法だ。希うような詠唱文は聞こえなかったものの、それでもここまで世界に介入するような大規模な魔法は黒魔法にしか限定されない。
天使時間の時もそうだった。一般的に起こりえない時間停止という現象は、いつの間にか行われていた。今回に至っては、目の前の赤い医者がそれを行っただけに過ぎなかった。
「……でも、なんで反発しなかったんだろう」
朱音との確認を終えた後、俺は天音に話しかけていた。
「反発できなくて当然だと思う。悪魔祓いは異質を反発するけれど、あの魔法は時間を巻き戻す事象だから」
彼女は答えのようにそう返してくれたけれど、俺は結局意味が分からなかった。首を傾げていると、天音は付け足すように続ける。
「もし、世界が逆再生しているときに反発しちゃったら、その時点でもともとあった歴史が変わっちゃうと思う。世界にイレギュラーがあってはならないし、悪魔祓いにイレギュラーを起こすのは世界に許されていないから」
「……そうなんだ」
結局、よくわからないような気がする。なんとなく言いたいことはわかるような、そうでもないような。
「悪魔祓いは現実的じゃないものを反発するだけ。世界が現実的だ、と思っちゃえば、それを反発することはできないんだよ」
へえ、と俺は返答した。
結局のところ、時が戻った、ということには変わりがないから。
◇
時間が遡ったことによる弊害は大きい、と俺は思った。
つい先ほどまでは持っていたような気がするスマートフォンも手にはない。スマートフォンが手にないということは、葵との関係性もまた白紙になってしまっている、ということの証明である。
……いや、それよりももっと気にするべきことがある。
結局、時間が遡ったことにより、赤い医者がいまだに生き残っていることは変わらない。そうであるのならば、まだイギリスで起こる行方不明事件については解決していないはずだ。
そのことを朱音に電話口で聞いたのだが──。
「──ああ、大丈夫。どうせあいつは未来の記憶を知らないから、今のうちに殺しておくよ」
……と軽そうな雰囲気でそう言った。
「……でも天音は記憶を持ってるよ?」
「天音は対極を受け容れてる魔法使いだから当然だろ。そして、この世界遡行について認知しているのは、私たちと対極を受容している悪魔祓いだけなんだよ。だから、あのクソ医者についてはどうにでもなる」
「さいですか……」
実際、悪魔祓いである俺や対極を受容している天音は記憶を保持しているものの、それ以外の人間は記憶を保持していない。というか、あれだけのことがあって記憶が残っていたのなら、今頃世界は慌てふためいている、というか、すごく大きな騒ぎ……どころでは済まないくらいのことになっているだろう。
「だから安心しろ。こっちはこっちで何とかしておく。……まあ、またそのうち、環にはイギリスに来てもらうけどな」
「はいはい」
彼女の疲れてはいるもののにやけている口調に雑な返答をする。彼女はそれに「ばーか」と謎の返事をして、それからぷつりと受話器にノイズが走った。
……まあ、朱音がそういうのであれば、赤い医者についてもどうにかなるのだろう。確証はないけれど、朱音なら何とかしてくれそうな感じはする。
──世界は遡った。それに対して不安を抱いてしまう自分がいるけれど、そこまで暗く沈むようなテンションでいるのは、どこか間違っているような気もする。
なんとかなる、なんとかなるはずだ。
俺は、そう思いながら。
「今度は不審がられないように話しかけなきゃな」
再び彼女と邂逅するための作戦をひとりでぽつぽつ考えることにした。
■
固定電話のベルが鳴る。それを布団の中で聞いている。
何も聞きたくないし、何も話したくない。誰かと関わることをしたくないし、そのうえで誰かに関わってほしくはない。
いつまでも感情はやつれているままだ。灰色の彼を遊園地で目撃してから、心情は暗くなったままだ。
そして、心の中に誰かがいる。心の中で、見も知らぬ誰かがずっと叫び続けている。
『どうして、どうして、どうして』
理由を問い続けているその声に返答したいが、それが何に対しての答えを求めているのかはわからない。ただ、呆然と無感情に涙を流すことだけしかできない。
固定電話のベルが鳴っている。ベルが鳴り続けている。
立花先生だろうか。遊園地を抜け出して、一人で帰ったことに対しての叱責でもしてくるのだろうか。それとも慰めのような言葉をかけてくるつもりだろうか。
出たくない、出たくない。出ることを選択したくない。何もしたくはない。暗闇の中に呆然と繰り返し意識を浮かべるだけで痛い。いつか来る眠りの世界に漂えばいい。
──だが、それでも電話のベルは止まらない。
はあ、と私はあからさまにため息をついた。
立花先生らしい行いだと思った。きっと、私が出るまでずっと電話のベルを鳴らし続けるのだろう。いい性格をしているな、と皮肉めいたことを思って、私は諦めたような気持ちで受話器を取る。
「……もしもし──」
『──すグに、コいッ』
その言葉の後、がちゃっと音を立てすぐに電話は切れてしまった。
聞き覚えのある声音。馴染みしかない声音。一瞬感じそうになる安堵感のような気持ち。けれども、どこか歪に、ノイズが重なったようなあの人の声音に、私は動揺してしまう。
どうして、私はその声に焦燥感を募らせるのだろう。どうして、その声は私にそう命令したのだろう。
どうして、お父さんが私を呼ぶのだろう。どうして、お父さんの声には焦りがあったのだろう。
嫌な予感が募る。募って仕方がない。
私にとっての唯一の肉親。そんな人が大変なことになっているのかもしれない。魔法使いにそのような状況があるのかはわからない。けれど、あそこまで歪な声をした父の声は初めてだった。
──私はナイフを手に取った。
事の顛末のようなものを語れればよかった。いつも非日常的なことを経験しているからこそ、自分自身でそれを改めて把握するために、経験したことを振り返りたかった。だが、その願望は潰えた、といってもいいかもしれない。それほどまでによくわからない状況だけが目の前にあった。
「そっちは大丈夫か?」
俺と天音は一緒になって行動して、一緒に電話を使える場所を探した。結局は働いていた孤児院しか見出せなくて、二人で夕焼けが沈む街並みを歩いていたのけれど、それでも頭の中に混乱しか見出せなかった。
大丈夫か、という彼女の声に安心感を覚える。だが、朱音の声は疲労にまみれていて、以前のくたびれた様子を頭の中で思い描いた。その声に安心させるように、俺は、大丈夫、と返答する。
「覚えてる?」と俺は続けて口にした。
端的な質問だ。この端的な質問によって状況が把握できると思った。だから俺はそれだけを口にした。
「何が?」という朱音の返答。それに対して雲行きが怪しいと感じてしまうが、そのあと、一瞬ほどの間を置いた後「冗談だ」と朱音は返してくる。
「覚えてるよ。おそらく、この先にある未来のだいたいを私は覚えている」
彼女の冗談とその後の言葉に一瞬安堵はするものの、だとすれば目の前にある非現実的な状況が現実だと確定してしまうことに、少し不安が重なった。
「……ということは」
「ああ。──巻き戻ったんだよ、この世界は」
彼女は確信めいたように言葉を吐いた。俺もその言葉に、やはりか、という気持ちを抱かずにはいられなかった。
◇
巻き戻っていく景色を覚えている。あらゆるものが逆再生のように動いているのを覚えている。経験したことを復習するように、ひとつひとつが視界の中にちらついていたことをよく覚えている。
研究施設の景色、血まみれの倉庫の景色、アリクトエアルの景色、ほの暗い雑貨店の景色、朱音の部屋の景色、葵と一緒に携帯を買った景色、葵に話しかけた景色。そして、夕焼けの観覧車の景色。
それを俺は見ていた。遡行する景色を目に留めることしかできなかった。
あれは魔法だ。魔法で、きっと黒魔法だ。希うような詠唱文は聞こえなかったものの、それでもここまで世界に介入するような大規模な魔法は黒魔法にしか限定されない。
天使時間の時もそうだった。一般的に起こりえない時間停止という現象は、いつの間にか行われていた。今回に至っては、目の前の赤い医者がそれを行っただけに過ぎなかった。
「……でも、なんで反発しなかったんだろう」
朱音との確認を終えた後、俺は天音に話しかけていた。
「反発できなくて当然だと思う。悪魔祓いは異質を反発するけれど、あの魔法は時間を巻き戻す事象だから」
彼女は答えのようにそう返してくれたけれど、俺は結局意味が分からなかった。首を傾げていると、天音は付け足すように続ける。
「もし、世界が逆再生しているときに反発しちゃったら、その時点でもともとあった歴史が変わっちゃうと思う。世界にイレギュラーがあってはならないし、悪魔祓いにイレギュラーを起こすのは世界に許されていないから」
「……そうなんだ」
結局、よくわからないような気がする。なんとなく言いたいことはわかるような、そうでもないような。
「悪魔祓いは現実的じゃないものを反発するだけ。世界が現実的だ、と思っちゃえば、それを反発することはできないんだよ」
へえ、と俺は返答した。
結局のところ、時が戻った、ということには変わりがないから。
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時間が遡ったことによる弊害は大きい、と俺は思った。
つい先ほどまでは持っていたような気がするスマートフォンも手にはない。スマートフォンが手にないということは、葵との関係性もまた白紙になってしまっている、ということの証明である。
……いや、それよりももっと気にするべきことがある。
結局、時間が遡ったことにより、赤い医者がいまだに生き残っていることは変わらない。そうであるのならば、まだイギリスで起こる行方不明事件については解決していないはずだ。
そのことを朱音に電話口で聞いたのだが──。
「──ああ、大丈夫。どうせあいつは未来の記憶を知らないから、今のうちに殺しておくよ」
……と軽そうな雰囲気でそう言った。
「……でも天音は記憶を持ってるよ?」
「天音は対極を受け容れてる魔法使いだから当然だろ。そして、この世界遡行について認知しているのは、私たちと対極を受容している悪魔祓いだけなんだよ。だから、あのクソ医者についてはどうにでもなる」
「さいですか……」
実際、悪魔祓いである俺や対極を受容している天音は記憶を保持しているものの、それ以外の人間は記憶を保持していない。というか、あれだけのことがあって記憶が残っていたのなら、今頃世界は慌てふためいている、というか、すごく大きな騒ぎ……どころでは済まないくらいのことになっているだろう。
「だから安心しろ。こっちはこっちで何とかしておく。……まあ、またそのうち、環にはイギリスに来てもらうけどな」
「はいはい」
彼女の疲れてはいるもののにやけている口調に雑な返答をする。彼女はそれに「ばーか」と謎の返事をして、それからぷつりと受話器にノイズが走った。
……まあ、朱音がそういうのであれば、赤い医者についてもどうにかなるのだろう。確証はないけれど、朱音なら何とかしてくれそうな感じはする。
──世界は遡った。それに対して不安を抱いてしまう自分がいるけれど、そこまで暗く沈むようなテンションでいるのは、どこか間違っているような気もする。
なんとかなる、なんとかなるはずだ。
俺は、そう思いながら。
「今度は不審がられないように話しかけなきゃな」
再び彼女と邂逅するための作戦をひとりでぽつぽつ考えることにした。
■
固定電話のベルが鳴る。それを布団の中で聞いている。
何も聞きたくないし、何も話したくない。誰かと関わることをしたくないし、そのうえで誰かに関わってほしくはない。
いつまでも感情はやつれているままだ。灰色の彼を遊園地で目撃してから、心情は暗くなったままだ。
そして、心の中に誰かがいる。心の中で、見も知らぬ誰かがずっと叫び続けている。
『どうして、どうして、どうして』
理由を問い続けているその声に返答したいが、それが何に対しての答えを求めているのかはわからない。ただ、呆然と無感情に涙を流すことだけしかできない。
固定電話のベルが鳴っている。ベルが鳴り続けている。
立花先生だろうか。遊園地を抜け出して、一人で帰ったことに対しての叱責でもしてくるのだろうか。それとも慰めのような言葉をかけてくるつもりだろうか。
出たくない、出たくない。出ることを選択したくない。何もしたくはない。暗闇の中に呆然と繰り返し意識を浮かべるだけで痛い。いつか来る眠りの世界に漂えばいい。
──だが、それでも電話のベルは止まらない。
はあ、と私はあからさまにため息をついた。
立花先生らしい行いだと思った。きっと、私が出るまでずっと電話のベルを鳴らし続けるのだろう。いい性格をしているな、と皮肉めいたことを思って、私は諦めたような気持ちで受話器を取る。
「……もしもし──」
『──すグに、コいッ』
その言葉の後、がちゃっと音を立てすぐに電話は切れてしまった。
聞き覚えのある声音。馴染みしかない声音。一瞬感じそうになる安堵感のような気持ち。けれども、どこか歪に、ノイズが重なったようなあの人の声音に、私は動揺してしまう。
どうして、私はその声に焦燥感を募らせるのだろう。どうして、その声は私にそう命令したのだろう。
どうして、お父さんが私を呼ぶのだろう。どうして、お父さんの声には焦りがあったのだろう。
嫌な予感が募る。募って仕方がない。
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