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第12話 喜びを数えたら 君でいっぱい
しおりを挟むあと少しで乗り合い馬車が来る、という所でアッシュはセイルの荷物に首を傾げる。ちなみに今日は、自分達以外に乗客は居ない様だ。
「…セイルさん、荷物少なくないですか?一応、最低でも3、4日分は必要ですよね着替えとか」
アッシュの疑問はもっともだった。今回の旅路は宿泊を伴う周到なスケジュールだ。今日半日かけて隣の領地へ行き一泊。明日さらに次の領地で馬車を乗り換え、カミール近くの村へ行き一泊。明後日、その村からカミールへ向かい、昼過ぎに到着予定だ。緊急事態がなければ野営の予定は無い。
アッシュは数日分の着替え、それに昼食用・非常時用の携帯食と水と予備の容器。アッシュは水魔法が使えるので中身が入ってるのは2本だけだ。それと、緊急時用の野営道具一式である。それを背嚢と斜めがけカバンに分けている。セイルは斜めがけカバンひとつ。どう見ても荷物が少ない。
セイルはアッシュの言葉にきょとんとすると、目を見開いた。
「ああ、そっか。アッシュ、ふたつある荷物のうち、重い方を貸して」
訝しげながらも、アッシュは背中から背嚢を降ろすとセイルに手渡した。
セイルは持っていた斜めがけバッグの蓋を開くと、躊躇なく、アッシュの背嚢をぐいぐいと押し込んだ。カバンの口は見た目以上に大きく開き、アッシュの背嚢はまるで羽毛のように何の抵抗もなく、セイルのバッグの中に完全に吸い込まれてしまった。斜めがけバッグの膨らみは、まったく変わらない。
「はっ...!?」
アッシュは驚愕に目を見開いた。その真面目な黒眼が混乱の色に染まる。彼は反射的にセイルのバッグに手を伸ばし、中を確かめようとするが、セイルは悪戯っぽく笑い、バッグの蓋をぱたりと閉じた。
「無限収納、アイテムボックスだよ。普段は誰も居ない所で空間を開いて出し入れするんだけど、このバッグはカモフラージュ。この中で空間を開いて荷持を取り出すフリをするんだ」
さらりととんでもない事をいうセイルに、アッシュは言葉を失った。
魔法の他に色々スキルを持っているとは聞いていたが、まさかそんな便利なスキルが使えるとは。
「…そういえば、風呂場で壁を空間魔法で違う場所に繋げてましたよね」
「そう。だから本当は陛下もアイテムボックスは使えるはずだよ。使い方を知らないだけ」
セイルが悪戯っぽく笑う。アッシュは常識を覆された衝撃に、思わず頭を抱えた。
「ところで、アッシュ」
「はい?」
「アイテムボックスは食べ物や飲み物も、入れた時と同じ状態で保存できるんだよ」
「…はぁ」
アッシュは最早何を返答すればいいのか分からず、ただ返事するしか出来ない。
「俺はリメインの店主です。アイテムボックスに何が入ってると思う?」
セイルは右手を自分の胸に当て、左手を腰に。まるで舞台役者のように芝居がかったポーズを取った。
「……まさか?」
アッシュの目がきらきらと光った。彼の表情は、一瞬で騎士の厳格さから、リメインのサンド大好きな青年へと変わった。
「そ。俺のまかないのやつも含めて、今までのメニューがひと通り入ってるよ。ちょくちょく作って入れておいたからね、結構な数が有るよ。ジャッケのおにぎりも焼きおにぎりも有るよ。昼休憩は楽しみにしててね」
セイルはアッシュの驚きと、それ以上に溢れ出る喜びの表情を見て、満足そうに微笑んだ。旅の始まりの不安や緊張が、一気に楽しい遠足のような気分へと変わる。
「…あ、あの、セイルさん」
アッシュはどもりながら、それでも真剣な眼差しでセイルを見つめた。
「ありがとうございます。とても、楽しみです」
その時、石畳の向こうから、馬の蹄の音と車輪の軋む音が聞こえてきた。馬車が近づいてくる。
「馬車が来たみたいだね、アッシュ」
セイルはそう言って、改めてアッシュに手を差し伸べた。アッシュは差し出されたセイルのしなやかで美しい手を、まるで宝物に触れるかのように、少し迷ってからそっと取った。
「はい」
アッシュは頷き、セイルの手を引いて馬車のステップを上がった。
到着した寄り合い馬車には御者がひとり、車内には護衛と思われる剣士が2名、白魔法師が1名いた。
「おはようございます。今日はよろしくお願いします」
セイルが穏やかに挨拶すると、護衛達は会釈をしたり手を上げたりして返事をした。
馬車はゆっくりと走り出した。ガタゴトという揺れの中で、セイルはアッシュの腕にそっと寄りかかった。
「馬車はあまり得意じゃなくて…ちょっと酔いやすいんだ。アッシュの肩、借りてもいいかな」
セイルの吐息がアッシュの耳元をかすめ、甘い香りがアッシュの鼻腔をくすぐる。アッシュは全身の血流が急に速くなるのを感じた。
「…ええ、もちろんです」
アッシュは震える声で答えるのが精いっぱいだった。
セイルの挑発は、まだ始まったばかりだ。
アッシュの真面目な理性の壁は、馬車の揺れとセイルの存在によって、ゆっくりと、しかし確実に崩壊へと向かい始める。
「いやぁ、あんたがあのサンドウィッチ屋の店主さんだったとは。残念ながらまだ行けて無かったんだが、まさかこんなところで美味いサンドウィッチに有りつけるなんて、役得ですわ」
昼休憩、他に乗客も居なかったので、セイルとアッシュは御者と護衛も誘った。セイルがトンカツサンドとマッシュポテトのサンドを1切れずつ振る舞うと、皆、顔を綻ばせて喜んだ。
「私は何回かお伺いした事がありますが、トンカツサンドは初めて食べました。凄く美味しいです」
白魔法師の女性が目をキラキラさせながら感嘆する。
「お時間出来たら是非店にもいらして下さいね。温かいスープと副菜も有りますので」
セイルが営業スマイルを御者・護衛に向ける。アッシュは少々面食らいながらも、セイルが普段食べているささみと野菜と、塩コショウで軽く焼かれた色鮮やかな見知らぬ野菜のサンドを頬張る。
「…このサンド、美味しいですね。店には出さないんですか?」
アッシュが目を見開いた。その彩りの豊かさと、香ばしさが印象的だった。
「その黄色とオレンジ色と赤色の野菜が余り手に入らないんだよ。だから俺のだけ。まぁ経営者特権だよね」
この世界には無い野菜、パプリカの事をさらりとかわすセイル。実は焼きパプリカは転移前からの彼の好物のひとつだったりするのだ。
アッシュは、それがセイルだけの特別なものであるという事実に、言いようのない満足感を覚えた。セイルの特別な存在でいられるのは、御者ではなく自分だという優越感。それは、アッシュの心に巣食う独占欲の小さな満たし方の一つだった。
昼休憩を終え、再び馬車が走り出す。
小一時間程して、セイルは再びアッシュの肩に寄りかかる。瞼が重そうだ。
「…食べた後だと、この揺れは、逆に眠くなるね…アッシュ」
セイルは、アッシュの耳のすぐ近くで、ねむたげな、とろける様な声で呟いた。その声は、アッシュの理性の蓋を外そうとする最後の鍵のように響いた。
セイルの瞳が完全に閉じると、やがてすぅすぅと小さな寝息が聞こえてきた。
アッシュは今度こそ迷わず、セイルの背中に手を回し、回した手に少しだけ力を込めた。
この旅路が終わる頃には、セイルの隣の特別な席は、誰にも譲らない。自分のものにしたいと、アッシュは強く心に誓った。
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