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第31話 ゼニスとネグローニ
しおりを挟むクラミス王国エリトロ王領には四つの騎士団が有る。
主に外交や領外警備を行う、アッシュが率いる第一騎士団、ネイビーブルーの騎士服。
主に領内の警備や政務を取り締まる、ペリエが率いる第二騎士団、バーガンディの騎士服。
宮廷内の警備や宮廷内務と医療を取り締まる第三騎士団、シナバーオレンジの騎士服。
厳密には「騎士団」ではなく、王族の身辺警護と隠密公務を行う、ソレントが参謀として所属する宮廷近衛騎士隊、スプルースグリーンの騎士服。
よって、エリトロ領内にはバーガンディの騎士が多く配置されている。
セイルが倒れ、リメインが臨時休業した翌日、ペリエは部下を2人連れて、3日後に新規開店を控える店舗の安全・防災面の最終チェックと、酒営許可証と防犯魔石の受け渡しにの為に「バー エム」へ向かっていた。
ちなみにエリトロの騎士は12時間の交代制である。昼2連勤・夜2連勤・2日公休の、所謂シフト体勢である。ペリエは今日は昼勤の2日めだ。
「うちの領で本格的なバーって珍しいですよね。団長、資料を見る限り、店主はマシェリル領から移住してきた方とか」
部下のひとりがペリエに問いかける。
「ああ、そうだ。マシェリル領の出身で、ゼニスという名前だ。何年か前には領内にも何軒かバーがあったらしいが、採算が合わなくて閉めてしまったり、昼営業を始めてそのまま酒場に移行した店がほとんどらしいな」
ペリエは明るい茶髪を揺らしながら、資料をぱらぱら捲りながら答える。
「城の真横だからゴタゴタも少なそうだし、物珍しさからウケるかもしれないな。静かに酒を飲みたい奴もいるだろうしな」
先導を歩くもう一人の部下も、前を見ながら答えた。正門から出たのでリメインの前は通らない。リメインもエムも城壁の対側にある一角に店を構えており、周辺は騎士団の巡回ルートでもあり、安全面では安心出来る場所とは言える。
「そうだな。城勤務の連中の中にも、たまには非番の日くらいは静かに酒を飲みたいと思ってる奴もいるだろう」
(…ゼニスさんの店か。
ペリエはほんの少し頬を染める。その名前に意識が向くと、少し胸が高鳴るのを感じた。
(落ち着け…。公務だ。団長としてしっかりせねば。
そう自分に言い聞かせ、軽く頭を振って意識を切り替える。だが、ゼニスの顔を思い浮かべただけで動揺する自分に、ペリエは内心で溜息をついた。
「団長、ここです。『バー エム』」
部下の声に、ペリエは思考を中断し、目の前の店舗に目を向けた。
石造りの壁にダークウッドのドア。窓は小さく、外からは中の様子が窺い知れない造りだ。ドアの横には、木製の看板に書き殴った様な焼印のデザイン文字で「バー エム」と書かれている。全体的に洗練され、都会的な雰囲気を醸し出していた。
ペリエがドアをノックすると、すぐに内側からドアが開いた。
「お待ちしてました…、ああ、ペリエさんだったのか」
そこに立っていたのはゼニスだった。濃い茶髪が照明の光を吸い込み、黒眼がペリエたちを真っ直ぐ見つめている。スリムだが薄い筋肉が窺える、引き締まった体つきだ。清潔感漂う真っ白なドレスシャツに黒のベストとスラックス。赤紫のネクタイにモスブラウンの革靴と、彼の持つ色気を最大限に際立たせていた。
「ゼニスさん、本日、酒営許可証と防犯魔石の引き渡しと、最終の安全確認に来ました。お忙しいところ申し訳ありません」
ペリエはすぐに騎士然とした真面目な顔に戻り、手にした書類を軽く掲げた。
「いえ、お待ちしておりました。ちょうど最終の準備が終わったところです。どうぞ、中へ」
ゼニスは軽く微笑むと、ドアを大きく開けてペリエたちを迎え入れた。
店内は、外観から想像するよりも広く、照明が落とされ、落ち着いた雰囲気だった。壁の一部は濃いモスグリーンに塗られ、カウンターやテーブル、椅子は重厚なダークウッドで統一されている。高い天井から吊るされた小さな魔石ランプが、暖色の光を店内に散らし、ムーディーな空間を作り出していた。
奥には棚いっぱいに酒瓶が並べられたバックバーがあり、その手前にはカウンター席が伸びている。
「素晴らしい内装ですね。これなら静かに酒を楽しみたい客も満足でしょう」
部下の一人が感嘆の声を漏らす。
「ありがとうございます。あまり派手にはしたくなかったので」
ゼニスは控えめに答える。彼の指には、うっすらと煙草の匂いが染みついているのが、ペリエにはわかった。
ペリエはゼニスに店の構造や防災設備についていくつか質問し、用意してきた酒営許可証と、壁に埋め込む防犯用の結界魔石を手渡した。
「安全面、防災面ともに問題ありません。この魔石をカウンターの裏側の指定位置に埋め込んでいただければ、防犯結界が稼働します。起動魔力を入れるのは、開店直前で構いません」
「承知しました。これで、無事にオープン出来そうです。ありがとうございます」
ゼニスはペリエの手から受け取った魔石を丁寧にポケットにしまうと、ペリエと部下たちに深く頭を下げた。
「いえ、これも我々の仕事ですから。では、私達はこれで」
ペリエ達が敬礼し帰ろうとすると、ゼニスが不意に口を開いた。
「皆さん、もしよろしければ、一杯如何ですか?」
ゼニスは笑みを浮かべた。ペリエの碧眼が、一瞬大きく見開かれる。
「え、しかし、今は勤務中ですので…」
「勿論ノンアルコールですよ。飲めない方、弱い方の為にノンアルコールカクテルも有るんです。如何でしょうか?」
ゼニスは、困惑する騎士たちを見てさらに柔らかな笑みを浮かべた。その笑みには、公務中の騎士団長という立場に対する遠慮は一切ない、むしろ親愛に近いものが感じられた。
ペリエは内心で動揺しつつも、公務の延長線上と捉えることも可能だと判断した。それに、ゼニスの店がどのようなものを提供するか知ることも、今後の巡回業務に役立つかもしれない。何より、この店主ともう少し話していたいという個人的な感情が、彼の判断を後押しした。
「…そうですね、ではお言葉に甘えて。ただ、そんなに時間はありませんので、よろしければ直ぐに頂けるものをお願いしたいと思います」
ペリエがそう言うと、ゼニスは目を細めて微笑んだ。
「ありがとうございます。 では、すぐに用意します。カウンターへどうぞ」
ゼニスは片手を広げて、彼らをバックバーの手前のカウンター席へと案内した。
「団長、よろしいのですか?」
部下の一人が、少し心配そうな顔で尋ねる。
「ああ。これも一種の領内店舗調査だ。開店前の飲み物を頂ける機会など滅多にない。しっかり味わって、感想をゼニスさんに伝えよう」
ペリエは、真面目な顔でそう指示を出した。部下たちは顔を見合わせ、それもそうかと納得したようにカウンター席に座った。
ゼニスは、カウンターの内側へ入り、流れるような動作でグラスとシェイカーを取り出した。
「最近はエールの様に気泡、炭酸が使われた飲み物が増えたんですよ。酒場では余り広まっていないのですが、炭酸水が作れる魔石が開発されたんです。お二人はライムとミントの爽快なソーダ、ペリエさんには赤いベリー系の甘酸っぱいカクテルをご用意します」
ゼニスはそう言いながら、手際よく作業を進めていく。シェイカーがリズミカルに振られる音だけが、静かな店内に響いた。
数分後、目の前のカウンターに、色鮮やかなグラスが並べられた。
部下たちに出されたのは、ライムの緑とミントの葉が目に鮮やかな、透明なソーダ。そしてペリエの前には、ルビーのように鮮やかな、赤い液体が入ったグラスが置かれた。グラスの縁には、白い砂糖の結晶が薄くついている。
「どうぞ。お口に合うといいのですが」
ゼニスはそう言って、カウンター越しにペリエに微笑みかけた。その微笑みは、照明の暗さも相まって、普段の公的な場では決して見せない、親密さを感じさせるものだった。ペリエは、ごくりと喉を鳴らした。彼の碧眼が、赤いカクテルと、その向こうのゼニスを捉える。
「いただきます」
ペリエはグラスを手に取り、まずは香りを嗅いだ。甘酸っぱく、どこかスパイシーな、複雑で魅力的な香りが鼻腔をくすぐる。一口飲むと、舌の上に広がるのは、ベリーの甘みと酸味、そして後から追ってくる薬草由来の微かな苦味と清涼感。それは確かにアルコールではないが、深い味わいを持っていた。
「…これは…美味い。甘みが強いですが、この苦味が全体を引き締めていますね。後口もさっぱりとしていて、暑い日にも良さそうだ」
ペリエは素直な感想を述べた。
「ありがとうございます」
ゼニスは安心したように息を吐いた。一方、部下たちも「これは驚きだ。本当に酒が入っていないのか?」「爽やかで美味いですね」と感嘆の声を上げている。
「開店が楽しみですね」
ペリエはゼニスに伝え、立ち上がった。
「お忙しい中、本当にありがとうございました」
ゼニスは彼らを店のドアまで見送る。
「では、失礼します。開店初日は巡回を強化する予定です。私は休みなのですが、開店祝いを持って飲みに来ようと思ってますので…」
ペリエは、そこで言葉を区切った。ゼニスの黒眼が、微かに揺れる。
「また、ネグローニ、飲ませて下さい」
ひゅ…、っと、ゼニスが薄く息を吸う。
ペリエは礼をすると扉を開けて待機していた部下につづいて、店を後にした。
ゼニスはドアが閉まるのを見届け、カウンターに戻ると、ペリエの唇が触れたグラスの縁に指先を這わせた。
(ペリエ、か…。
彼は煙草に火を点け、紫煙を細く吐き出した。戦死した恋人の顔が脳裏をかすめる。
操は立ててないので、まぁ一昨日みたいな事は有るが、恋人はもう作らないと決めている。それは揺るぎない決意だった。だが、真面目で実直、それでいて妙に危うい光を秘めた碧眼の騎士団長が、なんだか頭から離れない。
それに、ペリエが俺に向けるあの視線。
――俺はあの視線を知っている。
それは、熱に溺れ、渇望する、
男が熱を求める視線。
あの日、ペリエにネグローニを出したのは別にそんなつもりではなかった。年齢を感じさせない、柔らかで初々しい感じの仕草の中に、けれども芯の通った誠実そうな瞳。アッシュとはまた違った静と動の裏腹さ。何より、入領の際に領門で俺を審査したのが他でもない、彼だったので、騎士服姿の彼を知っていたのも有ったからだ。
ゼニスはカウンターの端に背中で寄り掛かり、腕を組んで咥え煙草で天上を見上げ、瞳を閉じる。
「…困ったな」
ゼニスは小さく呟くと目を開け、残りの準備に取り掛かった。
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