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第89話 仕事納め
しおりを挟む今日はサンドウィッチ専門店「リメイン」の年内営業最終日である。
店内は、一年の締めくくりにセイルの味を求める常連客や、噂を聞きつけた人々で活気に満ちあふれていた。
「本日、年内最終営業を記念して、スイーツをサービスしております。こちらから、お好きなものを二つお選びください」
店の奥に設えられたテーブルの上には、宝石箱をひっくり返したような色鮮やかなスイーツたちが鎮座している。
バニラのマカロン、
ラズベリーのマカロン、
スクエアフロランタン、
スクエアミルフィーユ、
スクエアイチゴショートケーキ、
シュトーレン風ワッフル、
ミニカッププリン。
そして中央には、琥珀色のキャラメルソースが輝くクロカンブッシュが、塔のように誇らしげにそびえ立っていた。
「わあ、すごい……! これ、全部セイルさんが作ったんですか?」
来店した客たちが、テーブルに並んだ色とりどりの菓子を前に歓声を上げる。
「ええ、一年の感謝を込めて。特にそのクロカンブッシュは、キャラメルが湿気る前にぜひ召し上がってください」
セイルが微笑むと、首の後ろで結ったピンクベージュの髪がさらりと揺れた。左側の前髪の間から覗く茶色の瞳には、どこか人を惹きつける光が宿っている。
「じゃあ、このミルフィーユとワッフルを!」
「はい、かしこまりました。後ほどサンドウィッチと一緒にお持ちいたしますね」
この世界にはクリスマスや正月といった祭事は存在しない。それを味気なく思ったセイルは、今日この日を華やかに終えたいと、何日も前から準備していた。
「セイル、三番テーブルはハンバーグサンドと照り焼きチキンだ」
「五番テーブル、片付け行ってきます」
手伝いに来ていたゼニスとカシスが、臨時スタッフとして忙しく立ち働いている。混雑を見越してセイルが二人に依頼していたのだが、予想以上の盛況ぶりだ。レティスはセイルと共に調理に集中している。普段は落ち着いた店内に、今日は外まで列ができるほどの賑わいを見せている。
「道には出ないで花壇に沿ってお列び下さーい。お席空き次第、順次ご案内致しまーす」
店の外では、厚手のロングコートを羽織ったペリエが、白く凍える吐息を吐きながら列の整理にあたっていた。元騎士団長としての統率力は、こんな場所でも遺憾なく発揮されている。
通常営業時間を大幅に超えた19時。リメインの入口に閉店の看板が掛けられた。
大量に仕込んだ在庫もスイーツも、綺麗さっぱり完売である。
ペリエも交え、店内の片付け・清掃を終え、綺麗になった店の中央で、セイルはメンバーの顔を一人ひとり見た。
「みんな! お疲れ様!! 俺とレティス、仕事納めです!!今日は本当にありがとう!!!」
セイルとレティスが深々と頭を下げると、店内に安堵の溜息と笑みが広がった。
「ふぅ……。セイル、これ夏の繁忙期より凄かったんじゃねぇか?」
ゼニスが煙草を咥えようとして、店内の禁煙を思い出し苦笑いしながらポケットにしまった。
夏はセイル特製アイスティーとレモンハチミツが口コミで広がり、見兼ねたゼニスがたまに手伝いに来る程忙しかった事があった。
「本当ですよ。でも、みんな凄く喜んでくれて……頑張った甲斐がありました」
レティスが額の汗を拭うと、隣にいたカシスが「レティス、お疲れ」と自然な動作で肩を抱く。
「さあ、みんな! 今日は打ち上げを用意しているから。ペリエも、外で寒い中ありがとうね」
セイルが微笑むと、ペリエは長い手足を伸ばして快活に笑った。
「いや、元騎士の体力を見くびらないで下さいよ。それに、セイルさんの料理が食えるなら何時間でも立ってられますよ」
セイルは「無限収納」から、あらかじめ用意しておいた豪華な料理を次々とテーブルに並べていく。温かなシチュー、焼きたてのバゲット、そして特製のローストビーフ。高評だったカツサンドやスープカレーも用意してある。
「セイルの魔法は便利だよなぁ……」
ゼニスが感心したように声を漏らす。セイルが異世界転生者であり、高ランクの魔法使いであることを知っている今、その手際の良さには納得しかない。
店と住居部を繋ぐ扉が開かれ、騎士服から私服に着替えたアッシュがが入ってきた。
「ただいまセイル。みんなもお疲れ様。……いい香りが外まで漂っていたぞ」
その手には、職場である王宮から持ち帰ったのであろう、見慣れない袋が握られている。
「アッシュお帰り。ちょうど今から打ち上げを始めるところだよ」
セイルが駆け寄ると、アッシュは愛おしそうにその細い腰を引き寄せ、皆の前であることも構わず前髪越しに額へキスを落とした。
「ああ。陛下からも『一年間、セイルには世話になった』と預かり物をしてきた」
アッシュが袋から取り出したのは、王室御用達の最高級果実酒と、子供たちでも飲める濃厚な果実ジュースの瓶だった。
「陛下から……! 嬉しいな。よし、じゃあ改めて――乾杯しよう!」
セイルの音頭で、賑やかな打ち上げが始まった。
テーブルを囲み、豪華な食事と酒に舌鼓を打つ。
ペリエとゼニスは、隣同士で座りながら「このローストビーフ、バーのつまみにも出したいな」「レシピ盗も盗も」と軽口を叩き合っている。
レティスとカシスは、お互いの皿に料理を取り分け合い、15歳らしい瑞々しい会話を弾ませていた。
セイルはそんな四人の様子を見ながら穏やかな笑顔を浮かべている
「セイル、大丈夫か?疲れただろう」
アッシュがセイルの肩に手を掛ける。
「……ううん。なんだか、胸がいっぱいになってね。店に関しては楽しい事ばかりじゃなかったけど、やりきったなぁ、ってね…」
「セイル…」
「この世界に来て、みんなに会えて、本当に良かったなと思ったんだよ」
セイルが潤んだ瞳でアッシュを見上げると、アッシュは困ったように、けれど深い慈愛を込めて微笑んだ。
「それはこちらの台詞だ。君がここに来てくれたから、俺の人生は色彩を得た。それはゼニスも同じだろう。君が居なかったら、ゼニスはペリエに出会えていなかった」
アッシュの言葉に、隣で聞いていたゼニスがニヤリと口角を上げた。
「まぁそうだな。最初はこの真面目な朴念仁がお前に相応しいか見極めにこの領に来たが、結果的にペリエに出会えた。…感謝してるよ」
ゼニスがセイルの肩にガシッと腕をまわす。
「セイルとは別に、面白い弟分も二人増えたしな」
そのゼニスの言葉にレティスとカシスは目を合わせると「ふふっ」と笑い合った。
宴もたけなわ、夜も更けた頃。
ゼニスとペリエがレティスとカシスを連れて帰路についた。
賑やかだった打ち上げの余韻が、薄暗くなった店内にしっとりと溶け込んでいる。
窓の外は冬の夜気が支配し、時折風が建物を叩く音が聞こえるが、魔石のランプに照らされた店内は春のように温かい。
セイルはアッシュの逞しい胸板に背中を預け、手元のグラスを揺らした。琥珀色の果実酒が、ランプの光を反射してキラキラと輝く。
「ねぇアッシュ。俺、髪を切ろうかな」
不意の提案に、セイルの腰を抱いていたアッシュの腕がぴくりと動いた。アッシュは驚いたように、セイルの首筋にかかる毛束を指先ですくい上げる。
「髪を?……どうしてだ。俺はこの美しい色も、しなやかな指通りも、君によく似合っていて大好きだが」
「あはは、ありがとう。でも、ほら。こっちの世界に来てから、ずっとこの髪型なんだよ。 一年の区切りだし、なんだか新しい自分になりたいなって思っちゃって」
セイルはアッシュの方を向き直し、少し潤んだ瞳で彼を見上げた。酒のせいで赤らんだ頬と、左目にかかる前髪。その隙間から覗く視線は、無自覚ながらも酷く淫らで、アッシュの理性を静かに削っていく。
「アッシュ、切ってくれる?」
その言葉は、アッシュにとって抗いがたい誘惑だった。
「……わかった。俺が責任を持って、君を新しくしよう」
二人は二階の居住スペースへと移動した。
セイルを椅子に座らせ、アッシュは裁縫箱から鋭利な鋏を取り出す。鏡越しに視線が絡み、セイルはいたずらっぽく微笑んだ。
「あんまり短くしすぎないでね? 似合わなかったらアッシュのせいなんだから」
「ああ、善処しよう。……だが、短くなれば君のその白いうなじが、今よりずっと露わになるな」
アッシュの低い声が耳元を掠め、セイルの肩が小さく跳ねる。
シャリ、と静かな部屋に金属の擦れる音が響いた。ピンクベージュの毛束が、雪のように床へ落ちていく。
アッシュの手つきは、騎士としての剣技を思わせるほど丁寧で、かつ迷いがなかった。首の後ろでまとめられていた髪が少しずつ短くなり、セイルの華奢な輪郭がくっきりと浮かび上がる。
「……できたぞ」
結んでいた位置よりも数センチ短くなり、襟足がすっきりと整えられた。左側の長い前髪はそのままに、セイルの持つ妖艶さは損なわれるどころか、露出した肌の白さがより強調されている。
「……さすがアッシュ、器用だね」
セイルが首を左右に振ると、軽くなった毛先がふわふわと踊る。その無防備な姿に、アッシュは鋏を置くと、背後からセイルを包み込むように抱きしめた。
ほろり、とセイルの両目から涙が溢れた。
「…!セイル!?」
セイルは慌てて両手でぐしぐしと目を擦る。
「ごめっ…、違うんだ。この髪型が、イヤとかじゃ無くて…。何かが悲しいとかでも、なくて…」
必死に涙を拭おうとするセイルの、震える指先をアッシュが優しく包み込んだ。
アッシュは椅子を回してセイルを自分の方へ向けさせると、その場に膝をつき、視線を合わせる。
「……わかっている。張り詰めていたものが、切れたんだろう」
「アッシュ……」
「この世界に一人で現れて、文化も何もかもが違う中で、君はたった一人で必死でこの店を、居場所を作ってきた。……今日、こうしてみんなに囲まれて仕事を終えて、髪を切って。……セイル、君はもう、一人じゃないんだ」
アッシュの深く包容力のある声が、セイルの胸の奥に溜まっていた「孤独の残滓」を溶かしていく。
どんなに聡明で大人びていても、セイルはアッシュの七つ年下、まだ25歳だ。
セイルは子供のように声を漏らして泣いた。騎士団長という重職にあるアッシュの大きな掌が、短くなったばかりの襟足に触れ、熱を伝える。その年上の心地よさに、セイルは身を委ねた。
「……うん。俺、怖かったんだ。いつか全部夢で、目が覚めたらまた知らない場所に一人でいるんじゃないかって。でも、みんなが……アッシュが居てくれたから…、もう大丈夫な気がする」
しばらくの間、静かな部屋にはセイルの鼻を啜る音だけが響いていた。
やがて涙が引くと、セイルは少し照れくさそうに、赤くなった瞳でアッシュを見つめた。
「……ひどい顔になっちゃったね」
「いいや。今までで一番、愛おしい顔だ」
アッシュは真摯な眼差しでそう言うと、セイルの頬を両手で挟み、吸い寄せられるように唇を重ねた。
カーテンの隙間から差し込む柔らかな光に、セイルはゆっくりと目を覚ました。
全身に残る心地よい倦怠感と、腰に回された逞しい腕の重みが、昨夜の情事が夢ではなかったことを物語っている。
ふと鏡に映る自分を見ると、首筋を隠していた長い髪はなく、代わりにアッシュがつけた真っ赤な愛の印が、白皙の肌に点々と散らばっていた。
「……おはよう、セイル」
背後から低く、甘い声が降ってくる。アッシュが起きてきたセイルを再び布団の中へと引き戻した。
「おはようアッシュ。ごめんね。君は今日もこれから仕事なのに、朝まで俺に付き合わせちゃって…」
セイルが申し訳なさそうに眉を下げると、アッシュはその細い腰をさらに強く抱き寄せ、首筋の「印」に鼻先を埋めた。
「謝る必要はない。仕事納めをした君を、一晩中独り占めできたのは私の役得だ。……それに、短くなったおかげで、どこに口づけても君の肌に届く」
「っ……、アッシュ、朝から……」
耳元で囁かれる低音に、セイルの背中がゾクりと震える。穏やかな性格の裏に秘めた、セイルの情熱的な本性が呼び覚まされていく。アッシュの逞しい指が、短くなったばかりの襟足に触れ、そのまま背骨をなぞり落ちた。
「セイル、もう一度だけ、いいか」
「……だめ、って言っても、するんでしょ?……君のそういう強引なところ、本当に俺に、ぴったりだよ」
セイルはアッシュの首に腕を回し、妖艶な笑みを浮かべて自分から唇を寄せた。
昨夜の涙ですべてを吐き出したあとの心は、驚くほど澄んでいた。
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