異世界に転移してサンドウィッチ屋を開いたら、騎士様の胃袋を掴んでしまった様です。

有永

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第121話 マギアアーチャー・セイル

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​朝の澄んだ空気が、エリンジューム邸の広大な敷地を包み込んでいた。

改装休業に入り、店主としての忙しなさから解放されたはずのセイルだったが、習慣は体に染み付いている。夜明けとともに目を覚ました彼は、隣で安らかな寝息を立てるアッシュの頬に一度だけ口づけを落とすと、静かにベッドを抜け出した。

​エリンジューム侯爵邸の裏手に位置する鍛錬場。
そこには、普段の「妖艶な店主」とは程遠い、一人の「武人」としてのセイルがいた。

​セイルはアウターを脱ぎ捨て、手製の黒のボトルネックタンクトップ姿になる。伸縮性の強い、肌に吸い付く生地で造られており、すらりと伸びたしなやかな肢体を露わにしていた。余計な肉のないスリムな体躯だが、その背中には弓を引くたびに硬質な筋肉が浮き上がり、美しい流線型を描く。

​「……ふぅ」

​セイルの手にあるのは、彼が自らの錬金魔法と異世界の知識を組み合わせて作成した、漆黒のコンポジット・ボウだ。一般的な弓よりも遥かに強く重い引きを要求される代物だが、セイルはそれを事も無げに満開まで引き絞る。

​狙うのは、60メートル程離れた的。
セイルが指を放すと、空気を切り裂く鋭い音と共に、矢は不可視の弾丸と化して飛んだ。

​――ドォォン!

​乾いた音ではない。まるで重い一撃が叩き込まれたような衝撃音が響き、的のど真ん中に突き刺さった矢は、後ろの防護壁まで貫通せんばかりの勢いを見せた。

​「……やっぱり、少し重心が左に寄るな」

​セイルは独り言ち、ピンクベージュの髪をかき上げた。額に滲んだ汗が、朝日に照らされて真珠のように輝く。

セイルが二射目を番えようとしたその時、背後から微かな衣擦れの音が聞こえた。気配を消していたようだが、セイルの鋭い感覚を欺くには至らない。

​「おはようカルロ。早起きだね」

​振り返らずに声をかけると、鍛錬場の隅に立っていたカルロが、驚いたように肩を跳ねさせた。

​「……おはようございます、セイル叔父上。……驚きました。その距離で、これほど正確に……。しかも、その弓。相当な強弓とお見受けしますが」

​カルロは吸い寄せられるようにセイルの側へ歩み寄った。昨夜の夕食で見せた「魔性の叔父」の姿はどこへやら、朝露に濡れる鍛錬場のセイルは、冷徹なまでに研ぎ澄まされた美しさを放っている。

​「店をやる前は、冒険者のようなこともしていたからね。……やってみるかい?」

​「僕に、引けるでしょうか」

​「コツを教えるよ。こっちへおいで」

​セイルはカルロを自分の前に立たせると、背後から包み込むようにしてその手に弓を持たせた。カルロの背中にセイルの胸が触れ、耳元で柔らかな吐息が漏れる。

​「……っ」

​カルロの体が硬直する。しかし、セイルの手がカルロの指に重ねられ、強引に弦を引かされると、その圧倒的な張力に雑念は吹き飛んだ。

​「左肩を下げて、背筋で引くんだ。力むと矢が逃げるよ……そう、今だ」

​セイルが指を離すと同時に、矢が放たれた。放たれた矢は、セイルのサポートのおかげで見事に的の端を射抜いた。

​「すごい……!」

​「いい筋だ。アッシュに似て、体幹がしっかりしているんだね」

セイルはカルロの肩を叩いて微笑む。

「俺は近接戦は苦手でね。魔法が効かない敵にはボウを選んだんだ。足の速さにも自信があったからね」

​鍛錬場の朝靄の中、カルロは自分の背中に感じるセイルの体温と、鼻腔をくすぐる清涼な香りに、心臓が爆発しそうなほどの衝撃を受けていた。

​「足の速さ……。セイル叔父上は、戦場でもそのように……美しく舞うのですか?」

​カルロが呆然と呟くと、セイルはふっと目を細めて笑った。

​「美しくなんてないよ。必死だっただけさ。生き残るために、より遠くから、より確実に仕留める方法を考えた結果がこれなんだ」

​セイルはカルロの手から弓を受け取ると、流れるような動作で収納魔法の中へと消した。代わりに、今度は指先に小さな炎を灯す。火魔法レベル1の攻撃魔法「フレア・ベリー」だ。

​「さて、弓の次は……。昨夜約束した『魔法の扱い』について、少しだけ講義をしようか。カルロ、君は生活魔法の他に火魔法を使えると言っていたね」

鍛錬場に立ち込める朝靄を背景に、セイルは指先の光をゆっくりとカルロの目の前へ差し出した。

​「魔法はイメージが全てだよ。カルロ、火魔法を使う時、君は何を想像しているかな?」

​「えっと……薪を燃やす炎や、灯りの火です。できるだけ大きく、熱くしようと念じています」

​カルロは真面目な顔で答えた。セイルは「ふふ」と優しく喉を鳴らし、その場に小さな火球を生成した。

​「それは『放出』の考え方だね。でも、本当の魔法の真髄は『変換』と『収束』にある。火を大きくすることよりも、その熱を一箇所に、針の先ほどに凝縮させるイメージを持ってみて。そうすれば、少ない魔力で鋼鉄をも貫く刃になる」

​セイルが指先を動かすと、柔らかな火球がみるみるうちに薄く鋭い円盤状へと形を変え、凄まじい速度で回転を始めた。

​「これが「フレア・ベリー」の応用魔法、「フレア・コロール」。初級火魔法でも、圧縮をして高速で回転させれば、中級魔法も凌ぐ、岩すら切り裂く武器になる。水も同じだよ」

​カルロはその光景を、瞬きも忘れて見つめていた。貴族学園の教官からは教わったことのない、実践的で、かつあまりにも美しい理論。

「カルロ、俺はね、既存する攻撃魔法はほとんど使わないんだ。はっきり言うと、物足りないんだよね」

「物足りない……ですか?」

​カルロが呆然と繰り返す。エリンジューム侯爵家の嫡子として、彼はこれまで王国屈指の家庭教師や教員から最高峰の魔術教育を受けてきた自負があった。だが、目の前の叔父が語る言葉は、その教科書的な常識を根底から覆していく。

​「そう。既存の魔法術式は、誰にでも安定して発動できるように無駄なマージンが多く取られている。安全だけど、効率が悪いんだ。……見てごらん」

​セイルは、先ほど生成した回転する火の円盤「フレア・コロール」をスッと消し去ると、今度は左手の手のひらの上に、小さな水の球体を作り出した。

​「例えば、水魔法レベル1の『アクア・ショット』。普通はこれを勢いよくぶつけるだけだけど……」

​セイルが瞳を細めると、水球がみるみるうちに極細の「糸」へと姿を変えた。それは朝日に透けて、一見するとただの細い光の線のようにも見える。

​「これを、さっきの火魔法と同じように超高速で振動させ、極限まで加圧する。……「アクア・トレファン」」

​シュンッ、という、耳鳴りのような鋭い音が一度だけ響いた。
次の瞬間、カルロの数メートル先にある訓練用の頑丈な石柱に、深い「筋」が刻まれていた。触れれば指が落ちるほど鋭利な切断面だ。

​「……魔法を、研ぎ澄ませるということですか」

​「察しがいいね。魔法は出力パワーじゃない。いかに密度を上げ、性質を変換させるか。……カルロ、君の火を見せてくれるかい?」

​促され、カルロは緊張した面持ちで右手を差し出した。集中し、手のひらに拳ほどの火球を生み出す。

​「いいよ、丁寧な魔力操作だ。じゃあ、その火の中心に、一粒のダイヤモンドがあるところを想像して。その一粒に、周りの熱を全部閉じ込めるんだ。逃げようとする熱を、外側から魔力でギュッと抑え込んで……」

​セイルはカルロの背後に回り、再びその肩を抱くようにして手を添えた。セイルの指先から流れ込む濃密で滑らかな魔力が、カルロの拙いイメージを補強していく。

​「熱を逃がさないで。もっと小さく、もっと鋭く。……そう、そこだ」

​カルロの手の中の火球が、不意にパチリとはぜるような音を立て、青白い小さな光の粒へと凝縮された。その小さな粒からは、先ほどの火球とは比較にならないほどの高熱が放たれている。

​「っ……、これ、は……!」

​「それが君の新しい火の形だよ。放ってごらん」

​カルロが戸惑いながらもその光粒を的へ向けて放つと、それは吸い込まれるように飛び、的に当たった瞬間に猛烈な熱で周囲の木材を一瞬で炭化させ、さらに後ろの壁まで溶かして穿った。

​「すごい……! 僕が、こんな……」

​「これが『収束』の力だよ。君には十分な魔力量がある。あとは、それをどう『料理』するかだけだ」

​セイルは満足げに頷くと、カルロの頭を優しく撫でた。師匠のような、あるいは本当の兄のような、慈愛に満ちた眼差し。カルロの胸の鼓動は、魔法の興奮なのか、それともこの妖艶な叔父への思慕なのか、自分でも判別がつかなくなっていた。

​「……セイル叔父上、あなたは……。ただの『店主』や『侯爵家の三男』という枠には、到底収まりきらない御方なのですね」

​カルロの瞳に、憧憬を通り越した畏怖と、隠しきれない熱が宿る。セイルはそんな少年の真っ直ぐな視線を真っ向から受け止めると、悪戯っぽく、かつ艶やかに微笑んだ。

​「そうかな? 俺はただ、大切なものを守るための力が欲しかっただけだよ。……カルロ。君も、守りたい誰かが出来た時、本当の意味で強くなれる。……例えば、君の恋の相手とかね?」

​セイルはカルロの頬に、スッと自分の指先を滑らせた。冷えた朝気に触れていたはずのセイルの指は、驚くほど熱く、カルロの肌を痺れさせる。

​「ひゃ……っ、あ……」

​カルロは顔を真っ赤にして後退った。昨夜からずっと、この美しい「叔父」に翻弄されっぱなしだ。しかし、その胸の鼓動は不快なものではなく、むしろ今まで知らなかった世界の扉を叩くような、激しく甘い痛みだった。

​その頃、本邸のバルコニーでは、

​「……やれやれ。うちの息子が、一晩でセイルに心まで持っていかれそうだな」

​朝のコーヒーを片手に、アロンが苦笑しながら眼下の鍛錬場を眺めていた。その隣には、着替えを終えたばかりのアッシュが立っている。

​「セイルは、無自覚に人を惹きつける『魔性』があるからな。俺だって、いまだに彼の一挙手一投足に心臓を掻き乱されている」

​アッシュの視線は、鍛錬場で甥と楽しげに話すセイルの姿に釘付けだ。その瞳には深い愛着と、家族にすら譲りたくないという強い独占欲が滲んでいる。

​「ははは! あの堅物のアッシュがそんな顔をするとはな。だが、セイルが来てから、父上も母上も、この家全体が若返ったようだ。……弟よ。お前が彼をここに連れてきてくれたことに、感謝しているよ」

​アロンが弟の肩を叩く。アッシュは短く「ああ」と答え、愛しい伴侶を迎えに行くために、階段へと足を向けた。



アッシュが鍛錬場に着くとカルロの姿は無く、セイルがコンポジット・ボウを引く姿が目に入ってきた。錬金魔法で修復したのか、カルロが焼いた的や壁は綺麗に修復されている。

初めて見る、セイルが武器を掲げた姿。アッシュは、その姿に釘付けになった。

​いつも『リメイン』の厨房で、あるいは自分の腕の中で見せる、あのしなやかで柔和なセイルとは違う。朝の光を背負い、強弓を引き絞る背中には、一切の迷いがない。張り詰めた弦が放つ緊張感と、獲物を狙う鷹のような鋭い視線。それは、数多の戦場を潜り抜けてきたアッシュですら背筋が震えるほどに、冷徹で、そして残酷なまでに美しかった。

​――ドォォン!

​再び、空気を爆ぜさせる衝撃音が響く。三射目もまた、二射目が貫通した穴を正確にトレースするように突き刺さった。

​「……セイル」

​アッシュが声をかけると、セイルは弓を構えた姿勢のまま、ゆっくりと首だけを向けた。獲物を射抜こうとする鋭利な瞳が、アッシュを認めた瞬間に柔らかくなり、甘い温度を取り戻す。

​「おはよう、アッシュ」

​セイルはボウを霧のように消し去ると、鍛錬場の端に置いた上着を取り無造作に羽織り、アッシュの元へ歩み寄った。運動後の上気した肌からは、セイル特有の甘い香りが熱を帯びて漂ってくる。

「……少し野良冒険者時代の血が目覚めちゃったかな。アッシュ、次の休み狩りに行かない?改装で出費も多いから魔石も必要だし」

「狩りか。……いいな。セイルのその姿を間近で見られるのは、騎士としても、番としても、これ以上の贅沢はない」

​アッシュは歩み寄り、セイルの肩にかけられた上着の襟元を整えるふりをして、そのまま彼の項を大きな手で包み込んだ。

先ほどカルロに見せた「師」としての顔とも、家族に見せる「三男」としての顔とも違う。アッシュだけが知る、欲に忠実で、それでいてひどく純粋なセイルの瞳がそこにあった。

​「魔石なら、王領外の北にある『霧の回廊』がいいだろう。あそこには良質な属性魔石を持つ魔獣が潜んでいる。……だが、その前に」

​アッシュはセイルの腰をぐいと引き寄せ、耳元で低く囁いた。

​「あまり、家族を……特にカルロを煽らないでやってくれ。あれはまだ十四だ。お前のその毒にあてられたら、将来の嫁探しに支障が出る」

​「ふふ、アッシュ。嫉妬?」

​セイルはアッシュの胸板に指先を滑らせ、わざとらしく小首をかしげた。

​「俺が好きなのは、こんなに広くて逞しい胸を持った、真面目すぎる旦那様だけだよ?」

​「……わかっている。だが、お前が無自覚に撒き散らすそれは、時として魔法よりも恐ろしい凶器だ」

​アッシュは降参だと言わんばかりに溜息をつき、セイルの唇を独占するように深く塞いだ。朝の冷たい空気の中で、二人の体温だけが熱く溶け合っていく。



数日後、自身で仕立てた冒険者服に着替えたセイルに、モーリとシーラは色声を出した。

「セイル、それは……また随分と活動的な格好だね」

​モーリが目を見開いて声を漏らす。セイルが身に纏っていたのは、上質な魔獣の革を加工し、錬金魔法で強度を高めた深緑のタクティカル・ベストに、脚のラインを強調するタイトに絞った紫のコンバットパンツだった。
腰には、普段の包丁の代わりに、ミスリル製のナイフといくつかの薬瓶が機能的に配置されている。

​「はい。アッシュと一緒に『霧の回廊』まで魔石の調達に行ってきます」

​セイルがそう言って微笑むと、シーラは心配そうに彼の細い手首を取った。

​「セイル、騎士団長を護衛に付けるとはいえ、無理はなさらないでね。貴方に万が一のことがあったら、アッシュだけでなく私達も悲しみに暮れてしまうわ」

​「ありがとうございます、母上。でも大丈夫ですよ。これでも異世界では一人で生き抜いてきましたから。それに……」

​セイルは、玄関で待つアッシュを振り返った。アッシュはいつもの騎士礼服ではなく、実戦用の軽装鎧を身に付けている。その背負った大剣と、セイルが持つ漆黒のコンポジット・ボウ。二人が並び立つ姿は、夫婦というよりは、伝説に残る「双璧の英雄」のような凄絶な美しさがあった。

​「最高のパートナーが守ってくれますから」

​アッシュは無言でセイルの腰を抱き寄せ、モーリ夫妻に深く一礼した。

「行ってまいります。日没までには必ず」

​王領北部に位置する「霧の回廊」は、その名の通り常に深い魔霧が立ち込める難所だ。しかし、一歩足を踏み入れれば、そこは高純度の魔力が結晶化した魔石の宝庫でもある。

​「……セイル、気配が来るぞ。右、三時の方向」

​アッシュが低く鋭い声で警告を発する。

霧の向こうから、巨大な「フォレスト・ウルフ」の群れが姿を現した。通常の狼の三倍はあろうかという巨躯に、鋭い魔力の牙。

​「了解。アッシュ、前衛をお願い。俺は上から叩くよ」

​セイルは言うが早いか、転移魔法で瞬時に巨大な倒木の上へと跳躍した。
迷いのない動作で漆黒の弓を引き絞る。

​「ルクス・サジタリア!」

​セイルが放ったのは、物理的な矢ではない。光の魔法で生成された純粋なエネルギーの矢だ。それが空中で分裂し、雨のように狼の群れへと降り注ぐ。

​「ガァッ!?」

​悲鳴を上げる間もなく、先頭の数頭が眉間を撃ち抜かれて絶命する。生き残った個体がセイルを目掛けて跳躍するが、そこには既にアッシュの大剣が待っていた。

​「させるか!」

​一閃。重厚な剣筋が空気を断ち切り、魔獣を肉塊へと変える。

二人の連携は、一度の打ち合わせも必要としないほど完璧だった。アッシュが道を作り、セイルがその隙を埋める。

​「ふぅ……。流石だね、アッシュ。君の背中は世界で一番安心できるよ」

​最後の一頭を仕留め、セイルが倒木からひらりと舞い降りる。
アッシュは剣の血を振り払い、セイルの元へ歩み寄ると、その頬に付いた僅かな返り血を親指で拭った。

​「お前こそ……。魔法と弓をこれほどシームレスに使いこなす者を、俺は他に知らない。宮廷騎士団の弓兵隊が見れば、腰を抜かすだろうな」

​「褒めすぎだよ。さあ、魔石を回収しよう」

​セイルは手際よく魔獣の核を取り出し、無限収納へと放り込んでいく。その無駄のない「作業」としての解体は、彼がどれほどの修羅場を越えてきたかを無言で物語っていた。

「アッシュ、どうせならボスの魔石も欲しいな」

セイルが口角を上げた。

「ボスの魔石、か。いいだろう。セイルが望むなら、地の果てまで付き合おう」

​アッシュは不敵に微笑むと、大剣を肩に担ぎ直した。「霧の回廊」の最奥、そこにはこの一帯の主である『ミストレス・グリフォン』が潜んでいると言われている。

​二人は霧の深淵へと足を進めた。セイルは歩きながら、索敵魔法と光魔法を組み合わせ、周囲の視界を確保していく。

​「アッシュ、来るよ。……大きいね」

​霧が不自然に渦巻き、巨大な翼が空気を震わせる音が響いた。現れたのは、半透明の体躯を持つ巨大なグリフォンだ。実体と霊体を交互に行き来するその魔獣は、物理攻撃が効きにくい難敵として知られている。

​「物理が通らない瞬間は俺が魔法で実体化させる。アッシュ、その瞬間に首を狙って!」

​「了解だ!」

​セイルが指先を天に掲げ、高位の光魔法を紡ぐ。

​「――ルクス・カテナ!」

​セイルから放たれた幾条もの光の鎖が、霧の中に溶け込んでいたグリフォンの体を強引に現実へと繋ぎ止める。実体化した魔獣が怒りの咆哮を上げた。

​その隙を見逃すアッシュではない。ネイビーブルーの闘気を纏った大剣が、雷光のような速さでグリフォンの喉元を切り裂いた。

​「ギィィアアアッ!」

​断末魔の叫びと共に、巨大な魔獣が光の粒子となって崩れ去る。その中心から、セイルの拳ほどの大きさがある、深く澄んだ青色の魔石が地面へと転がり落ちた。

「やったねアッシュ!」

セイルは魔石を拾う。

「ねぇアッシュ、この魔石は俺達の初めての共同作業の記念として部屋に飾ろうか」

​「霧の回廊」の最奥に静寂が戻る。セイルの手のひらの上で、大粒の青い魔石が心臓の鼓動のように淡く明滅していた。

​「……初めての共同作業、か。それはいい」

​アッシュは大剣を背の鞘へと戻し、セイルの腰を引き寄せた。戦いの高揚感が残る二人の吐息が、冷たい霧の中で白く混じり合う。
アッシュは、セイルが拾い上げた魔石を包み込むようにして、その細い手を握りしめた。

​「改装が終わったら、二人の寝室に置くスタンドの台座にしよう。これだけの魔石だ、清浄な光を放ち続けるだろう。俺たちが今日、共に背中を預け合った証として」

​「素敵だね、アッシュ。……ふふ、なんだか新婚旅行の続きみたいで楽しかった」

​セイルはアッシュの胸に額を預け、甘く笑った。その姿は、先ほど光の鎖で魔獣を縛り上げた苛烈な魔法使いと同一人物とは思えないほど、愛らしく、柔和だった。


​日没の間際、二人がエリンジューム侯爵邸に戻ると、玄関ホールでは心配そうに待っていた一家が二人を迎えた。

​「二人とも、無事だったか!」

「まあ、お怪我はない? セイル、お顔が少し汚れているわ」

​モーリとシーラが駆け寄る中、セイルは誇らしげに笑顔を投げた。

​「ただいま戻りました。父上、母上。お土産に今夜のメインディッシュに最高の魔鹿の肉を仕留めてきましたよ」

​その夜の食卓は、昼間の冒険譚で大いに盛り上がった。
セイルが手際よく調理した『ローストベニソン』と、赤ワインをふんだんに使った特製ソース。その芳醇な香りは、侯爵邸の食堂を異世界のレストランのような華やかさで満たしていった。





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