アンストッパブル!ベイビーズ

新多目 朔

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ユー・メイク・ミー!(1)

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 2012年二月下旬。
 宏章は仕事帰りにスタジオで、数日後に控えたライブへ向けてギターの練習をしていた。
 友人の悟に頼まれて、急遽代打でまたステージへ立つ事になった。
 宏章はつい先日、二十八になったばかりだった。
 もうすぐ三十になる——その事実だけが、頭の奥で引っかかっていた。
 上京して十年。
 気づけば、何も決めないまま時間だけが過ぎていた。
 そろそろ地元に戻り、実家の店を継ぐべきなのか。
 そう考える事が、最近増えていた。
 両親はまだ元気だが、高齢なのは確かだ。
 兄弟もいない。
 地元の友人たちは、もう皆家庭を持っている。
 自分には彼女もいないし、結婚の予定もない。
 戻れば、肩身の狭さは避けられない。
 それでも——東京に残る理由も、もう見当たらなかった。
 悟が休憩と言ってベースを弾く手を止めた。
「俺飲み物買ってくる」
 悟が小銭を取り出そうとポケットに手をやると、携帯が鳴っている事に気づいて外へ出て行った。
 宏章は思いついた様に、突然ニルヴァーナのブリードを弾き始めた。宏章が最初にハマった曲で、ギターを始めるきっかけでもあった。
 もうすぐ三十になる。
 その事実だけが、頭の奥でしつこく鳴り続けていた。
 宏章はそれを振り払うように、ギターをかき鳴らした。
 そこで悟が戻ってきて、勢いよくドアを開けた。
「宏章!宏章!」
 二度ほど名前を呼ばれてやっと気づくと、悟は何やら興奮して息巻いていた。
「なんだよ、そんなに慌てて……」
 宏章は驚くが、悟はおかまいなしに続けた。
「今日駿のバンドのライブだったらしいんだけど、今から打ち上げ来ないかって!それがなんとAV女優の桜那が来るらしいんだよ!お前ファンだろ!こんなチャンスは滅多にないぞ!」
 宏章は驚きから一瞬固まるが、すぐさま「行く!」と即答した。だが今日は仕事帰りにそのまま来たので、髪も無造作に下ろしたままで、私服も適当な格好だった。
「あ!でも俺この格好じゃ……」
「いいから行くぞ!いつまで居るかわかんねーぞ!」
 悟に急かされて、着替えに戻る間もなくバイクを走らせた。
 だが次第に高まっていく緊張感と高揚感で、宏章は完全に浮き足立っていたのだ。
 駿こと「黒澤駿くろさわしゅん」は、宏章の元バイト先のライブハウスに出入りしていた知り合いだった。駿もバンドをやっていて、たまにイベントで顔を合わせた。
 駿は宏章の五つ下で、ヴォーカルを務めていた。学生時代にモデルをしていたらしく、顔やスタイルもその辺の奴とはまるで桁違いのレベルだった。圧倒的なオーラを放ち、ついこの間メジャーデビューも決まった。
 悟の話によると、なんと桜那の所属事務所に駿が所属することが決まったらしく、その縁で桜那が打ち上げに来るとの事だった。
 会場はライブハウスの隣のクラブバーで、たくさんの人でごった返していた。入る前にとりあえず髪の乱れを直し、心を決めて入店する。
 店に入ると、駿の追っかけの馴染みのバンギャやガラの悪い取巻き連中、業界関係者と思しき人間など様々な顔ぶれで溢れていた。
 ……駿と出会った頃は、まだバンド仲間に囲まれてワイワイしていたのに。もう遠い世界の人間になったんだな。
 そんな思いで遠巻きに眺めていると、奥の方で何やら人だかりが出来ていた。
 ……桜那だ!
 遠くから見てもすぐに分かった。そこだけ明らかに空気が違い、そのオーラに一瞬で心を奪われた。
 生で見る桜那はビデオで見るよりずっと小柄で華奢だった。顔が小さく、色白で透明感があり、実物は何十倍も美しかった。
「ボサっとしてんな!行くぞ!」
 宏章はしばらく見とれていたが、いきなり悟に背中を押された。
 桜那の周りは代わる代わる挨拶する人であふれていたが、ちょうど人が途切れた所で、宏章が桜那の前に押し出された。
「桜那さん!こんばんは!俺ら駿の友達なんですけど、こいつが桜那さんの大ファンで!どーしても桜那さんとお話ししたくて!」
 悟が笑顔で宏章を押し出すと、宏章は「ちょっと!」と慌てた。
 宏章は桜那を目の前にして居直るが、緊張から言葉に詰まってしまった。宏章が何も言えないでいると、桜那が大きな目でじっとこちらを見てきた。
 ……地味な男。
 それが桜那から見た、宏章の第一印象だった。
 細めのフレームの眼鏡に、無造作に下ろした金髪。
 服装は場違いなほどラフで、どう見ても気合は入っていない。
 街ですれ違っても、きっと記憶に残らない。
 そんな男だった。
 桜那の周りには明らかにいないタイプで、それが却って強く印象に残った。
「そーなんだ!ありがとう!いくつ?名前はなんて言うの?」
 桜那は営業スマイルで、名前と年齢を尋ねた。
「あ、斎藤宏章っていいます……。28です」
 宏章が顔を真っ赤にしながら、しどろもどろに答える。すると桜那がほんの一瞬だけ、蔑むような冷たい目をした。
 ……ん?なんか今一瞬冷たい視線が。
 宏章はその一瞬を見逃さなかったが、桜那はまたすぐ笑顔に戻って宏章へ問いかけた。
「へぇ……、宏章くんはどこの出身なの?」
 宏章は唐突に出身地を尋ねられ、不思議に思ったが、正直に答えた。
「あ……、熊本ですけど……」
 それを聞くなり、桜那はクスッと笑って「どうりで」と呟いた。
「ちょっとだけイントネーションが違うから、すぐ分かっちゃった」
 ……それって俺が田舎くさいって事か?
 宏章は少しショックを受けたが、桜那を目の前にして、もう緊張で精神がキャパオーバーだった。そうこうしているうちに、また桜那が誰かに呼ばれた。桜那は「はーい!」と甲高い声で返事をして、「それじゃあね!」と笑顔で去って行った。
 それはもう夢のようで、全然現実感がなかった。
「話せてよかったじゃん!やっぱり実物はすげー可愛いな!」
 悟が話しかけて来るが、宏章はたいして耳に入っておらず、ぼんやりしていた。
「おい!しっかりしろよ!俺せっかく来たから駿に挨拶して飲んでくるけど、お前はどうする?」
「……俺は帰るよ。あとは自分でなんとか帰れよ」
 宏章はもう胸がいっぱいで、足元がおぼつかなかった。はしゃいでいる悟を残し、夢見心地のままふらふらと出入り口へ向かうと、そのまま店を後にした。
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