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第一章 魔王誘惑作戦
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大国メルシリアの辺境の地に佇む城の周りは、夜だというのに騒がしい。
夜は魔獣たちが活発になる時間だからだ。
魔獣が野放しにされた整備されていない道を、夜の闇に紛れるような漆黒の馬車が通り抜ける。
「……何の用だ」
馬車から降りた男を、不機嫌そうな声が迎えた。
「君に伝えたいことがあってね。ていうか、灯くらいつけておくれよ。私は君と違って夜目がきかないんだから」
舌打ちが聞こえる。
「手紙を使え。わざわざ一国の王がこのような魔獣の蔓延る地に来るな」
一瞬にして城中に明かりが灯った。魔法というのはなんとも便利なものである。
二人は城内に入る。客人を異形の者たちが静々と出迎えた。
歩きながら一人は軽口を叩き、もう一人は冷たい声でそれを流す。二人は性格も見た目も正反対であった。
客間でゆったりと客人が寛いでいると、怒気を孕んだ声で諌められる。
「……お前は戦争を終えたばかりだろう? ここで油を売っている場合ではないはずだが」
「あー、その件では君に感謝だね。魔王の名をちらつかせたら相手が面白いくらい戦意を喪失してくれるよ」
「ふん。そんなどうでもいいことを言うためにここまで来たのか?」
「違うよ。もっと大事な話。我がメルシリアと魔物の友好を更に深めるためのね」
魔王は眉間に皺を寄せた。
その圧力に負けず、若き国王は朗らかに言い放った。
「君にうちの国の貴族子女を嫁がせようと思ってね。また連れてくるから、迎え入れる準備しといて」
「は⁉︎」
「君の好きそうな女の子選ぶから、心配しなくていいよ。それじゃ、文句言われる前に帰らせてもらうよ」
「おい、待て! 俺は人間の女など――」
国王の逃げ足は予想外に早く、魔王は慌てて部屋を出るも追いつくことはできなかった。
朝日が眩しくて、ミリアは目を覚ました。寝ぼけ眼で目を擦る。
緩く巻いた輝かんばかりの金髪に、透きとおった青い瞳。整った顔立ちも相まって、まるで人形のような愛らしさである。
ベッドから降りようと白い足を伸ばすと、普段より早く足に何かが触れる。絨毯とはまた違う感触に疑問を覚え、下を覗くと――。
筋骨隆々な人らしきものがベッドに向かって土下座している。
「……お父様、何してらっしゃるの?」
ミリアはそっと、今度こそちゃんと靴を履いて足を床に置いた。踏んでいたのはどうやら父の頭だったようだ。
「すまないミリア俺は父親失格だすまないすまないすまない――」
ひたすらぶつぶつと何かを言い続ける父の姿は異様であった。
これでは話にならないとため息を吐いたミリアは、事情を知っているはずの、部屋の入り口にもたれかかる人物に目を向ける。
「お父様はどうなさったのですか? それと、嫁入り前の女性の部屋に居座るのは、陛下といえど無作法ですよ」
「これは失礼した、愛らしいお嬢さん。事情を話すと長くなるから、君の支度が出来るまで客間で待つことにするよ」
そう言うと陛下は涙を流しながら謝罪を続ける父を引きずっていった。
入れ替わりでミリア専属の侍女が入って来て着替えを手伝ってくれる。
「陛下がわざわざ男爵にすぎないこの家にいらっしゃるなんて……」
年若い侍女はミリアの髪を編み込みながら声を弾ませた。
「もしかして、ミリア様をお妃に、ってお話かもしれませんよ!」
「それはないでしょう。あの方はこの前の戦争の後、最愛の人を妻に迎えたんだから」
陛下と妃の恋物語は有名だ。陛下は先王の仇をとった後、身分違いもものともせずに、献身的に彼を支えてくれた女性と結ばれたのだ。国民も国の危機を救ってくれた陛下の決断に好意的だった。
劇的な恋愛をした彼がこんな早くに新しい女を求めるとは思えない。
まだ恋愛小説に憧れる侍女はミリアの答えに納得しつつも不満そうだった。
「ミリア様も未婚なんだからちょっとは夢見ましょうよ~。でも、他に用事なんてありますかね?」
ミリアと侍女は二人して首を傾げた。
「クリストファー・メルシリア陛下におかれましてはご機嫌麗しく――」
「七面倒な口上はいい。楽にしてくれ」
深々とお辞儀をしたミリアに、陛下はあっさりと言い放つ。普通なら、一国の王にそんなことを言われても恐縮するだけだが――。
「分かりました。先程は父の醜態を晒してしまいすみません。ロバートソン男爵家長女のミリアと申します」
ミリアは隣で未だ号泣する父の頭を机に押しつけながら、愛らしい笑顔で挨拶する。
その様子を見て、陛下はふむ、と顎に手をやった。
「さすが『戦場の獅子』の娘だけあって図太いな。これなら、安心できる」
「陛下、事情を説明してくださるのではなかったのですか?」
「おお、すまない。実はだな、君に縁談を持って来たのだよ」
「おれはみどめでいまぜん!」
ミリアは眉をひそめた。父のことは黙殺する。
「わたしに? もう結婚は半ば諦めていたんですけど……どなたとですか?」
陛下は爽やかな笑みを浮かべた。大半の人が惚れ惚れするようなその笑顔を、ミリアは胡散臭いと思いつつ眺めた。
「魔王だよ」
給仕をしていた使用人たちは卒倒した。運ばれていく彼らとは違い、ミリアは顔色すら変えない。
「魔王さまは、お嫁さんを探しているのですか?」
「いや、こちら側の都合だな。だがどのみちあいつも跡継ぎを作る必要がある」
ミリアは冷静に分析していた。
魔王は陛下と友誼を結んでいて、先の戦争でもメルシリアには魔王の後ろ盾があると喧伝していた。
それは確かに効果があったが、実際に魔王軍は参戦しなかったため、一部の国からは魔王とメルシリアの関係を疑問視する声も上がっていた。
だが魔王とメルシリアの貴族が婚姻関係を結べば――それは強固な結びつきと言えるだろう。もしかしたら他国も同じことを考えているかもしれない。それなら陛下が突然縁談を持ちかけてくるのも頷ける。
「他の家にもこの話を持っていったのだが……あいにく、誰も首を縦に振らなくてね
「わたし、この話をお受けしますわ」
「ミリア⁉︎」
「それは助かる!」
「ただし」
ミリアはびしっと指を一本立てた。
「わたしにも、一つ条件がありますの」
見事な晴天は、まるでミリアの門出を祝福しているようであった。
他方、ミリアを見送る者たちの顔は浮かない
父に至っては滂沱の涙を流す始末――いや、婚約が決まってからはこれが通常運転だったから、今に限ったことではない。
陛下としてはすぐに結婚に持ち込みたかったようだが、どうしても合わない相手はいるものだから、互いに見極める期間を設けさせてもらった。
ミリアの荷物は少ない。必要なものは向こうが用意してくれるので、大切なものだけを持ってくるようにと言われたのだ。
だがミリアは物に執着するタチではなかったため、小さな鞄に収まってしまった。
お付きのものもいない。皆ついていくのを嫌がったからだ。父だけは、ついて来ようとしたが。
ミリアはほとんど身一つで嫁ぐことになった。
蹄の音が迫ってくる。
現れたのは、闇を切り取ったような馬車だ。
中から、仕立ての良い燕尾服を着た銀髪の美形が降りてくる。その姿は美しさを除けば人間と変わらない。
美形はそのまま胸に手を当て、名乗りを上げる。
「魔王の側近、ウィルフレートと申します。花嫁さまを、お迎えに上がりました」
差し伸べられた手を取り、ミリアも名乗る。
家の者たちは明らかにほっとした空気を放っている。もっと魔物らしい感じの人が迎えに来ると思っていたからだ。
「それにしても、魔王さまのところには人間も仕えておられるのね」
それを聞くと、ウィルフレートは目を丸くして高らかに笑った。
「私は人ではないですよ……ほら」
微笑むウィルフレートの背中から、黒い羽が突然生えた。後ろから息を呑む気配がするが、ミリアはきらきらした目で彼を――彼の羽を見つめた。
「すごいわ……触らせていただいても?」
ウィルフレートは苦笑を浮かべるが、そのまま馬車へとミリアをエスコートし始めた。
「貴女は変わったお人ですね。触るのは構わないのですが……とりあえず先に、馬車にお乗りください」
「あら、そうだったわね。では、行って参ります」
ミリアは笑顔で見送りの人たちに手を振った。
夜は魔獣たちが活発になる時間だからだ。
魔獣が野放しにされた整備されていない道を、夜の闇に紛れるような漆黒の馬車が通り抜ける。
「……何の用だ」
馬車から降りた男を、不機嫌そうな声が迎えた。
「君に伝えたいことがあってね。ていうか、灯くらいつけておくれよ。私は君と違って夜目がきかないんだから」
舌打ちが聞こえる。
「手紙を使え。わざわざ一国の王がこのような魔獣の蔓延る地に来るな」
一瞬にして城中に明かりが灯った。魔法というのはなんとも便利なものである。
二人は城内に入る。客人を異形の者たちが静々と出迎えた。
歩きながら一人は軽口を叩き、もう一人は冷たい声でそれを流す。二人は性格も見た目も正反対であった。
客間でゆったりと客人が寛いでいると、怒気を孕んだ声で諌められる。
「……お前は戦争を終えたばかりだろう? ここで油を売っている場合ではないはずだが」
「あー、その件では君に感謝だね。魔王の名をちらつかせたら相手が面白いくらい戦意を喪失してくれるよ」
「ふん。そんなどうでもいいことを言うためにここまで来たのか?」
「違うよ。もっと大事な話。我がメルシリアと魔物の友好を更に深めるためのね」
魔王は眉間に皺を寄せた。
その圧力に負けず、若き国王は朗らかに言い放った。
「君にうちの国の貴族子女を嫁がせようと思ってね。また連れてくるから、迎え入れる準備しといて」
「は⁉︎」
「君の好きそうな女の子選ぶから、心配しなくていいよ。それじゃ、文句言われる前に帰らせてもらうよ」
「おい、待て! 俺は人間の女など――」
国王の逃げ足は予想外に早く、魔王は慌てて部屋を出るも追いつくことはできなかった。
朝日が眩しくて、ミリアは目を覚ました。寝ぼけ眼で目を擦る。
緩く巻いた輝かんばかりの金髪に、透きとおった青い瞳。整った顔立ちも相まって、まるで人形のような愛らしさである。
ベッドから降りようと白い足を伸ばすと、普段より早く足に何かが触れる。絨毯とはまた違う感触に疑問を覚え、下を覗くと――。
筋骨隆々な人らしきものがベッドに向かって土下座している。
「……お父様、何してらっしゃるの?」
ミリアはそっと、今度こそちゃんと靴を履いて足を床に置いた。踏んでいたのはどうやら父の頭だったようだ。
「すまないミリア俺は父親失格だすまないすまないすまない――」
ひたすらぶつぶつと何かを言い続ける父の姿は異様であった。
これでは話にならないとため息を吐いたミリアは、事情を知っているはずの、部屋の入り口にもたれかかる人物に目を向ける。
「お父様はどうなさったのですか? それと、嫁入り前の女性の部屋に居座るのは、陛下といえど無作法ですよ」
「これは失礼した、愛らしいお嬢さん。事情を話すと長くなるから、君の支度が出来るまで客間で待つことにするよ」
そう言うと陛下は涙を流しながら謝罪を続ける父を引きずっていった。
入れ替わりでミリア専属の侍女が入って来て着替えを手伝ってくれる。
「陛下がわざわざ男爵にすぎないこの家にいらっしゃるなんて……」
年若い侍女はミリアの髪を編み込みながら声を弾ませた。
「もしかして、ミリア様をお妃に、ってお話かもしれませんよ!」
「それはないでしょう。あの方はこの前の戦争の後、最愛の人を妻に迎えたんだから」
陛下と妃の恋物語は有名だ。陛下は先王の仇をとった後、身分違いもものともせずに、献身的に彼を支えてくれた女性と結ばれたのだ。国民も国の危機を救ってくれた陛下の決断に好意的だった。
劇的な恋愛をした彼がこんな早くに新しい女を求めるとは思えない。
まだ恋愛小説に憧れる侍女はミリアの答えに納得しつつも不満そうだった。
「ミリア様も未婚なんだからちょっとは夢見ましょうよ~。でも、他に用事なんてありますかね?」
ミリアと侍女は二人して首を傾げた。
「クリストファー・メルシリア陛下におかれましてはご機嫌麗しく――」
「七面倒な口上はいい。楽にしてくれ」
深々とお辞儀をしたミリアに、陛下はあっさりと言い放つ。普通なら、一国の王にそんなことを言われても恐縮するだけだが――。
「分かりました。先程は父の醜態を晒してしまいすみません。ロバートソン男爵家長女のミリアと申します」
ミリアは隣で未だ号泣する父の頭を机に押しつけながら、愛らしい笑顔で挨拶する。
その様子を見て、陛下はふむ、と顎に手をやった。
「さすが『戦場の獅子』の娘だけあって図太いな。これなら、安心できる」
「陛下、事情を説明してくださるのではなかったのですか?」
「おお、すまない。実はだな、君に縁談を持って来たのだよ」
「おれはみどめでいまぜん!」
ミリアは眉をひそめた。父のことは黙殺する。
「わたしに? もう結婚は半ば諦めていたんですけど……どなたとですか?」
陛下は爽やかな笑みを浮かべた。大半の人が惚れ惚れするようなその笑顔を、ミリアは胡散臭いと思いつつ眺めた。
「魔王だよ」
給仕をしていた使用人たちは卒倒した。運ばれていく彼らとは違い、ミリアは顔色すら変えない。
「魔王さまは、お嫁さんを探しているのですか?」
「いや、こちら側の都合だな。だがどのみちあいつも跡継ぎを作る必要がある」
ミリアは冷静に分析していた。
魔王は陛下と友誼を結んでいて、先の戦争でもメルシリアには魔王の後ろ盾があると喧伝していた。
それは確かに効果があったが、実際に魔王軍は参戦しなかったため、一部の国からは魔王とメルシリアの関係を疑問視する声も上がっていた。
だが魔王とメルシリアの貴族が婚姻関係を結べば――それは強固な結びつきと言えるだろう。もしかしたら他国も同じことを考えているかもしれない。それなら陛下が突然縁談を持ちかけてくるのも頷ける。
「他の家にもこの話を持っていったのだが……あいにく、誰も首を縦に振らなくてね
「わたし、この話をお受けしますわ」
「ミリア⁉︎」
「それは助かる!」
「ただし」
ミリアはびしっと指を一本立てた。
「わたしにも、一つ条件がありますの」
見事な晴天は、まるでミリアの門出を祝福しているようであった。
他方、ミリアを見送る者たちの顔は浮かない
父に至っては滂沱の涙を流す始末――いや、婚約が決まってからはこれが通常運転だったから、今に限ったことではない。
陛下としてはすぐに結婚に持ち込みたかったようだが、どうしても合わない相手はいるものだから、互いに見極める期間を設けさせてもらった。
ミリアの荷物は少ない。必要なものは向こうが用意してくれるので、大切なものだけを持ってくるようにと言われたのだ。
だがミリアは物に執着するタチではなかったため、小さな鞄に収まってしまった。
お付きのものもいない。皆ついていくのを嫌がったからだ。父だけは、ついて来ようとしたが。
ミリアはほとんど身一つで嫁ぐことになった。
蹄の音が迫ってくる。
現れたのは、闇を切り取ったような馬車だ。
中から、仕立ての良い燕尾服を着た銀髪の美形が降りてくる。その姿は美しさを除けば人間と変わらない。
美形はそのまま胸に手を当て、名乗りを上げる。
「魔王の側近、ウィルフレートと申します。花嫁さまを、お迎えに上がりました」
差し伸べられた手を取り、ミリアも名乗る。
家の者たちは明らかにほっとした空気を放っている。もっと魔物らしい感じの人が迎えに来ると思っていたからだ。
「それにしても、魔王さまのところには人間も仕えておられるのね」
それを聞くと、ウィルフレートは目を丸くして高らかに笑った。
「私は人ではないですよ……ほら」
微笑むウィルフレートの背中から、黒い羽が突然生えた。後ろから息を呑む気配がするが、ミリアはきらきらした目で彼を――彼の羽を見つめた。
「すごいわ……触らせていただいても?」
ウィルフレートは苦笑を浮かべるが、そのまま馬車へとミリアをエスコートし始めた。
「貴女は変わったお人ですね。触るのは構わないのですが……とりあえず先に、馬車にお乗りください」
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