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第一章 魔王誘惑作戦
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馬車に揺られるうちに、ミリアはすっかりウィルフレートと打ち解け、ウィルと呼ぶまでになった。ウィルの名前が長くて呼ぶのが面倒だったということもあるが。
「もう少しで着きますよ」
「ずいぶん早いのね」
「この馬たちは普通の馬ではないですから」
馬車を牽いている馬は外見も通常の馬より逞しい。御者無しで迷うことも暴走することもなく走り続けるあたり、知能も並外れて高いと分かる。
窓の外を見ると、王都とは全く違う荒涼とした大地が広がっている。
ミリアはまだ見ぬ魔王に思いを馳せた。魔王も、ウィルのように人型なのだろうか。それとも完全に別種の生き物なのだろうか。
「ミリア様は、魔王様について何もお聞きにならないのですね」
ウィルは心底不思議そうに言った。
ミリアは、なぜウィルがそんなことを言うのか分からなかった。
「わたしは、先入観を持って魔王さまを判断したくはありませんから」
将来夫になるかもしれない人の人となりは、自分で直接知っていきたい。
それはおかしなことだろうか。
だが、一つ気になることがあった。
「でも、何で皆さん、わたしが魔王さまと結婚するのを嫌がるのでしょうか」
ミリア付きの侍女などこの世の終わりのような顔をしていた。一応ついてくるか聞いてみると、その場で失神してしまったので、それ以来魔王を話題に出さないように気を遣った。
ミリアの些細な疑問に、ウィルは困ったように微笑んだ。
「まだ魔物は、人に仇なすものだ、という意識が強いからでしょうね。確かに、そういう輩も多いのは否定できませんが……」
「でも魔王大戦の引き金を引いたのは先代の魔王さまであって、今の魔王さまとは関係ないはずです」
魔王大戦、それは今から二百年近く前に起こった、世界中を巻き込んだ戦争だ。
原因は諸説あり確かなことは誰も知らないが、先代魔王が突如としてこの世界の創造神オーレンの殺害を企み、魔物たちを使って世界中を荒らしまわったのだ。人も、魔物も、神々も、多くの者が血を流した。
長きに渡り続いたこの戦争は、先代魔王が聖女たちの手によって倒されたことで終わりを告げたが、魔物と人間の関に入った亀裂が修復されることはなかった。
戦争終結以来、跡を継いだ現魔王は暴れようとする魔物を抑えているようで、人間と魔物の諍いはかなり少なくなった。知能の低い魔獣による被害は多々あるが、それは魔王の責任とは言えない。
「今の魔王様は先代と関係ない、と貴方のように思える人は、なかなかいないのですよ」
少し悲しげな顔をしたウィルは、次の瞬間には茶目っ気たっぷりに片目を閉じた。
「そこで! ミリア様が魔王様と仲睦まじく過ごしてくだされば、きっと魔物と人の仲も多少なりとも良くなるはず――あ、着きましたね」
ウィルにエスコートされながら馬車を降りる。
殺気を感じて周囲に視線を遣ると、何匹かの凶悪な面構えの魔獣がミリアを睨んでいた。襲いかかる様子はない。
ウィルを恐れているから、ミリアがいくら美味しそうでも攻撃できないのだ。
ミリアはくす、と魔物たちに微笑みかけると、彼らは毛を逆立てて逃げていった。
ウィルはそれに気づくことなく、ミリアを城へと案内する。
城の中は黒を基調としているようで、落ち着いた印象を受けた。
「ウィル坊、お帰り~」
そう言って出迎えたのは燃え盛るような赤毛を一つに束ねた美女だ。垂れ目の横にある泣きぼくろや、存在感を主張する胸が色気を出している。
お仕着せを着ていなかったら、魔王の恋人かと勘違いするところだった。いや、使用人でも魔王のお手付きの可能性はあるが。
美女はぎゅっとウィルを抱きしめようとするが、ウィルは嫌そうな顔を隠しもせずに、美女の顔を遠慮なく掴んでそれを阻止した。
「ローラ、ルーカス様の婚約者を連れて来たから、後は任せた……ルーカス様は?」
(魔王さまのことかしら)
そういえば魔王の名前を聞いていなかった。皆が魔王と呼んでいるから、彼にも名前があることを失念していたのだ。
「ルーカス様はいつも通りお仕事に忙殺されているから、本当に来るかも分からない女性を出迎える暇はないんですって。でも、ちゃんといらっしゃったのね」
顔を掴む手から逃れて、ローラと呼ばれた女性はひょこっと顔を出し、ミリアを見る。
すると、ぱっと表情を明るくさせた。
「まぁ! なんて愛らしいお嬢さんでしょう! これはお世話しがいがあるわね」
そのままローラはミリアの手を握り、どこかへ連れて行く。
「おーい、ローラ。準備できたら執務室に連れて来いよ」
「分かってるわよ~、任せなさい」
引きずられている間、ミリアはローラと話をしつつ周囲を観察していた。
人型以外の魔物もここでは働いているようで、もふもふの魔物を見た時には撫でまくりたい衝動に駆られたが、なんとか抑えることが出来た。ある一室に連れ込まれると、ミリアは今まで着ていた旅装を全て脱がされ、淡い水色の可愛らしいドレスに着替えさせられる。
レースがふんだんに使われたそれを見て、こんな少女の憧れようなドレスを着る歳でもないのに、と苦笑する。だが鏡を見れば、文句も言えないくらい似合っているから何も言わなかった。
「ここ、わたしの部屋よね」
「そうよ。可愛いでしょー。ま、ミリアちゃんにはぴったりね」
ローラの喋りはミリアからの希望もあって砕けたものにしてもらっている。
ぐるっと部屋を見まわす。内装もこれまたドレスと同じように物語のお姫様の部屋のようだ。
無駄な装飾のない、質実剛健といった城にこんな部屋があるなんて誰も思わないだろう。
ローラは鼻歌を歌いながら実に楽しそうに髪飾りを吟味している。年頃の女性がこの城にいなかったらしいので、ミリアは着せ替え人形にされた。
「これでよし、と。さ、ルーカス様のもとへ行きますか」
「ねぇローラ。わたし、魔王さまに気に入っていただけるかしら」
「そうねぇ」
ローラは舐めるようにミリアを見つめる。
「見た目も中身もミリアちゃんは満点なんだけど……ルーカス様、奥さんいらない宣言してるのよね」
「……もしかして!」
「ミリアちゃん? 違うからね。決して男が趣味ってわけじゃないからね」
違うのか。家の侍女の愛読書にそういう本があったから、てっきりそういうことかと思ったのだが。
相手はウィルだろうか、どちらが受けだろうかと羽ばたきかけた想像の翼をそっとしまい込む。
「あの方も色々複雑な事情抱えてるから……しかも頑固だし。ミリアちゃんのかわいさでルーカス様を籠絡してくれたらいいなって思うわ」
「魔王さまがわたしの好みかどうか分かんないから、期待に応えられないかも」
ミリアにも結婚するかしないかの選択権はあるのだ。王命と言えど、魔王がミリアの出した条件にそぐわなければこの縁談を破談にする心積もりをしていた。
でも純粋に、魔王に会うのは楽しみだ。
「ミリアちゃんがルーカス様の心を変えるきっかけになればいいのよ。行きましょ」
「はーい」
ついに、魔王とご対面である。
「もう少しで着きますよ」
「ずいぶん早いのね」
「この馬たちは普通の馬ではないですから」
馬車を牽いている馬は外見も通常の馬より逞しい。御者無しで迷うことも暴走することもなく走り続けるあたり、知能も並外れて高いと分かる。
窓の外を見ると、王都とは全く違う荒涼とした大地が広がっている。
ミリアはまだ見ぬ魔王に思いを馳せた。魔王も、ウィルのように人型なのだろうか。それとも完全に別種の生き物なのだろうか。
「ミリア様は、魔王様について何もお聞きにならないのですね」
ウィルは心底不思議そうに言った。
ミリアは、なぜウィルがそんなことを言うのか分からなかった。
「わたしは、先入観を持って魔王さまを判断したくはありませんから」
将来夫になるかもしれない人の人となりは、自分で直接知っていきたい。
それはおかしなことだろうか。
だが、一つ気になることがあった。
「でも、何で皆さん、わたしが魔王さまと結婚するのを嫌がるのでしょうか」
ミリア付きの侍女などこの世の終わりのような顔をしていた。一応ついてくるか聞いてみると、その場で失神してしまったので、それ以来魔王を話題に出さないように気を遣った。
ミリアの些細な疑問に、ウィルは困ったように微笑んだ。
「まだ魔物は、人に仇なすものだ、という意識が強いからでしょうね。確かに、そういう輩も多いのは否定できませんが……」
「でも魔王大戦の引き金を引いたのは先代の魔王さまであって、今の魔王さまとは関係ないはずです」
魔王大戦、それは今から二百年近く前に起こった、世界中を巻き込んだ戦争だ。
原因は諸説あり確かなことは誰も知らないが、先代魔王が突如としてこの世界の創造神オーレンの殺害を企み、魔物たちを使って世界中を荒らしまわったのだ。人も、魔物も、神々も、多くの者が血を流した。
長きに渡り続いたこの戦争は、先代魔王が聖女たちの手によって倒されたことで終わりを告げたが、魔物と人間の関に入った亀裂が修復されることはなかった。
戦争終結以来、跡を継いだ現魔王は暴れようとする魔物を抑えているようで、人間と魔物の諍いはかなり少なくなった。知能の低い魔獣による被害は多々あるが、それは魔王の責任とは言えない。
「今の魔王様は先代と関係ない、と貴方のように思える人は、なかなかいないのですよ」
少し悲しげな顔をしたウィルは、次の瞬間には茶目っ気たっぷりに片目を閉じた。
「そこで! ミリア様が魔王様と仲睦まじく過ごしてくだされば、きっと魔物と人の仲も多少なりとも良くなるはず――あ、着きましたね」
ウィルにエスコートされながら馬車を降りる。
殺気を感じて周囲に視線を遣ると、何匹かの凶悪な面構えの魔獣がミリアを睨んでいた。襲いかかる様子はない。
ウィルを恐れているから、ミリアがいくら美味しそうでも攻撃できないのだ。
ミリアはくす、と魔物たちに微笑みかけると、彼らは毛を逆立てて逃げていった。
ウィルはそれに気づくことなく、ミリアを城へと案内する。
城の中は黒を基調としているようで、落ち着いた印象を受けた。
「ウィル坊、お帰り~」
そう言って出迎えたのは燃え盛るような赤毛を一つに束ねた美女だ。垂れ目の横にある泣きぼくろや、存在感を主張する胸が色気を出している。
お仕着せを着ていなかったら、魔王の恋人かと勘違いするところだった。いや、使用人でも魔王のお手付きの可能性はあるが。
美女はぎゅっとウィルを抱きしめようとするが、ウィルは嫌そうな顔を隠しもせずに、美女の顔を遠慮なく掴んでそれを阻止した。
「ローラ、ルーカス様の婚約者を連れて来たから、後は任せた……ルーカス様は?」
(魔王さまのことかしら)
そういえば魔王の名前を聞いていなかった。皆が魔王と呼んでいるから、彼にも名前があることを失念していたのだ。
「ルーカス様はいつも通りお仕事に忙殺されているから、本当に来るかも分からない女性を出迎える暇はないんですって。でも、ちゃんといらっしゃったのね」
顔を掴む手から逃れて、ローラと呼ばれた女性はひょこっと顔を出し、ミリアを見る。
すると、ぱっと表情を明るくさせた。
「まぁ! なんて愛らしいお嬢さんでしょう! これはお世話しがいがあるわね」
そのままローラはミリアの手を握り、どこかへ連れて行く。
「おーい、ローラ。準備できたら執務室に連れて来いよ」
「分かってるわよ~、任せなさい」
引きずられている間、ミリアはローラと話をしつつ周囲を観察していた。
人型以外の魔物もここでは働いているようで、もふもふの魔物を見た時には撫でまくりたい衝動に駆られたが、なんとか抑えることが出来た。ある一室に連れ込まれると、ミリアは今まで着ていた旅装を全て脱がされ、淡い水色の可愛らしいドレスに着替えさせられる。
レースがふんだんに使われたそれを見て、こんな少女の憧れようなドレスを着る歳でもないのに、と苦笑する。だが鏡を見れば、文句も言えないくらい似合っているから何も言わなかった。
「ここ、わたしの部屋よね」
「そうよ。可愛いでしょー。ま、ミリアちゃんにはぴったりね」
ローラの喋りはミリアからの希望もあって砕けたものにしてもらっている。
ぐるっと部屋を見まわす。内装もこれまたドレスと同じように物語のお姫様の部屋のようだ。
無駄な装飾のない、質実剛健といった城にこんな部屋があるなんて誰も思わないだろう。
ローラは鼻歌を歌いながら実に楽しそうに髪飾りを吟味している。年頃の女性がこの城にいなかったらしいので、ミリアは着せ替え人形にされた。
「これでよし、と。さ、ルーカス様のもとへ行きますか」
「ねぇローラ。わたし、魔王さまに気に入っていただけるかしら」
「そうねぇ」
ローラは舐めるようにミリアを見つめる。
「見た目も中身もミリアちゃんは満点なんだけど……ルーカス様、奥さんいらない宣言してるのよね」
「……もしかして!」
「ミリアちゃん? 違うからね。決して男が趣味ってわけじゃないからね」
違うのか。家の侍女の愛読書にそういう本があったから、てっきりそういうことかと思ったのだが。
相手はウィルだろうか、どちらが受けだろうかと羽ばたきかけた想像の翼をそっとしまい込む。
「あの方も色々複雑な事情抱えてるから……しかも頑固だし。ミリアちゃんのかわいさでルーカス様を籠絡してくれたらいいなって思うわ」
「魔王さまがわたしの好みかどうか分かんないから、期待に応えられないかも」
ミリアにも結婚するかしないかの選択権はあるのだ。王命と言えど、魔王がミリアの出した条件にそぐわなければこの縁談を破談にする心積もりをしていた。
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