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休日、サシャは珍しく丁寧に化粧をした。とはいってもごく簡単に、薄くしかしていない。最初にリアムからもらった道具を使った時は、妹たちが肩を震わせていたのでそれ以来薄化粧を心がけている。
小さな手鏡を見て、道化師のようになっていないか確認する。
(ソフィー先生からの依頼だもの。失礼のないよう、しっかりこなさないと)
昨日借りていた本を返しに国立図書館に行ったら、ソフィーに急遽通訳を探しているからお願いできるか、と頼まれたのだ。敬愛する先生の頼みとあらば、もちろん断るわけがない。
物音がして、後ろを振り返ると、ナナが子ども部屋のドアから顔を覗かせていた。
「お姉ちゃん、もう行くの?」
「うん、今日はダランの人に町を案内する仕事があるの」
ダランはウェンスター国の南にある商業国家だ。ソフィー先生の口ぶりだと、以前も町を案内した人が再び来ているようだ。
(いい人だったし、今日も楽しく仕事できそう)
そんな期待をこめて、サシャは「行ってきます」と家を出た。
ぱたん、とドアが閉まるのを見届けたナナは、まだ弟たちと一緒にベッドにうずくまっているネネをこっそりと揺すった。
「ネネ、ネネ」
「ん……なぁに、ナナ」
寝ぼけまなこのネネに、ナナは興奮を抑えつつまくしたてる。
「お姉ちゃんのあとをつけよう! まだ街歩きイベントが起きるような時期じゃないけど、お姉ちゃんのことだからゲーム通りにいくとは思わないの」
ネネの目が大きく開く。
「確かに……もしかしたら、生攻略対象たちをこの目で見られるかも」
「でしょでしょ! お姉ちゃん、学校の話はしてくれるけど、恋話とかはしてくれないもん! でも、休日、学校の外での行動ならわたしたちも見ることができる!」
「ナナ天才。今日はお母さんもお休みで弟たちの面倒はみなくていいし、絶好の機会だね」
オタクたちは拳を合わせ、作戦を開始した。
サシャは待ち合わせ場所である国立図書館前の広場で、宿題を解きながら待っていた。
「サシャちゃん、今日はありがとう」
「ソフィー先生! おはようございます」
サシャは大好きなソフィーと挨拶のハグをする。
『僕にもハグしてくれるかい? かわいいお嬢さん』
そう声をかけるのは、髭のよく似合う四十代くらいの渋いおじさんだ。ソフィーがさっとおじさんの前に立ちはだかる。
『わたしのかわいいサシャちゃんに触れるのはダメです。魔法でちょん切りますよ』
『おぉ、怖い怖い。ではソフィー君にハグを……』
『切られたいようですね』
おじさんは肩をすくめて、サシャにウインクを一つ寄越す。
『相変わらず君の保護者は過保護だね。窮屈な思いをしていたら、いつでもダランに逃げておいで。サシャちゃんなら大歓迎さ』
『ありがとうございます、レニーおじさん。いつかダランに行きたいと思っているので、その時はよろしくお願いしますね』
レニーは嬉しそうに笑った。女性を口説くような言動が多いが、本気ではないし、根は良い人だということは前回の通訳で知ったので、サシャも笑顔で受け流せる。
ちなみに本人がレニーおじさんと呼んでほしいと言ってきたので、サシャはそう呼んでいる。
『では、夕方までにはここに戻ってきてくださいね』
『分かってますよ、レディ。可憐な少女を夜まで連れ歩くような無粋な真似はしない。じゃ、行こうか』
サシャはソフィーにお辞儀して、レニーと連れ立って町に繰り出した。
『今日はどこに行きますか? 前回は教会と美術館に行きましたよね』
『あぁ、この国の長い歴史を感じられる一日だったね。ダランには文化の蓄積がないから、新鮮だったな』
過去を振り返ってレニーは目を細める。ダランは確かにウェンスターと比べると新興国で、国独自の文化はまだ確立していない。だが海に面した立地を活かした商業国であり、今のところ近隣諸国で一番活気があるから、時間が経てば国としてのまとまりも生まれてくるだろう。
レニーは顎髭を撫でながら、王都の中心・噴水広場の周りにひしめく屋台を眺めた。
『歴史を感じるのもいいけど、今日は仕事の疲れを癒すために、のんびり町を歩きたい気分だ。とりあえず、あそこの屋台で朝ごはんでも食べよう』
『いいですね! 何にしますか?』
二人は噴水の傍のベンチに座って、肉汁の滴るソーセージや揚げたじゃがいもに舌鼓を打つ。お代はレニーさん持ちである。
『お仕事、お忙しいんですか?』
レニーは眉を下げた。
『そうだねぇ、政て――いや、商売敵がこの頃鬱陶しくて。ま、このレニーおじさんの敵じゃないけどね! おじさんなかなかやり手だから!』
ドヤ顔で胸を張るレニーに、サシャは笑みをこぼす。いつも明るく会話も上手なレニーは、確かに商売が上手そうだ。
『ところでサシャちゃん、前会った時より綺麗になったよね? 髪の艶とか、肌のなめらかさとか。もしかして恋? おじさん妬けちゃうなぁ』
まじまじと観察されて、サシャは気恥ずかしくなる。
『恋なんてしてないですよ。最近、化粧品とか色々頂いたんで、それでですかね。レンブラント商会のものなんです。この辺りでもお店が出ているようなので、後で見に行きますか?』
『いいね! 美はどの国の女性にとっても関心の種だから、たのし、み――』
レニーの目が一個所に釘付けになる。その視線の先を追うと、一匹の黒い蝶がひらひらとこちらに舞っていた。紫の鱗粉がきらきらと輝いている。
『綺麗ですね』
つい、蝶に向かって手を伸ばす。その手を、レニーが掴む。がっしりとした男らしい手の温もりに、サシャの顔が熱くなった。
『れ、れに――』
視線を向けると、レニーから表情が抜け落ちていた。
『逃げよう』
それだけ言うと、レニーはサシャの腕を引いて走り出す。残っているご飯がもったいない、とか思うこともできないほど、レニーの表情は真剣で、サシャは異常事態が発生していると気がついた。
『どうしたんですか』
『さっきの蝶。あれは強い毒がある。触れたら毒針であの世逝きだ』
サシャの顔から血の気が引いた。
『ひえっ、そんな恐ろしいもの、野放しにしたらダメですよね。注意喚起しないと――』
引き返そうとするサシャをレニーはぐっと押しとどめる。
『ソフィー君に緊急連絡したから、きっと大丈夫。それよりも僕らが身を隠さないと――あの蝶は、暗殺に使われるものだから』
小さな手鏡を見て、道化師のようになっていないか確認する。
(ソフィー先生からの依頼だもの。失礼のないよう、しっかりこなさないと)
昨日借りていた本を返しに国立図書館に行ったら、ソフィーに急遽通訳を探しているからお願いできるか、と頼まれたのだ。敬愛する先生の頼みとあらば、もちろん断るわけがない。
物音がして、後ろを振り返ると、ナナが子ども部屋のドアから顔を覗かせていた。
「お姉ちゃん、もう行くの?」
「うん、今日はダランの人に町を案内する仕事があるの」
ダランはウェンスター国の南にある商業国家だ。ソフィー先生の口ぶりだと、以前も町を案内した人が再び来ているようだ。
(いい人だったし、今日も楽しく仕事できそう)
そんな期待をこめて、サシャは「行ってきます」と家を出た。
ぱたん、とドアが閉まるのを見届けたナナは、まだ弟たちと一緒にベッドにうずくまっているネネをこっそりと揺すった。
「ネネ、ネネ」
「ん……なぁに、ナナ」
寝ぼけまなこのネネに、ナナは興奮を抑えつつまくしたてる。
「お姉ちゃんのあとをつけよう! まだ街歩きイベントが起きるような時期じゃないけど、お姉ちゃんのことだからゲーム通りにいくとは思わないの」
ネネの目が大きく開く。
「確かに……もしかしたら、生攻略対象たちをこの目で見られるかも」
「でしょでしょ! お姉ちゃん、学校の話はしてくれるけど、恋話とかはしてくれないもん! でも、休日、学校の外での行動ならわたしたちも見ることができる!」
「ナナ天才。今日はお母さんもお休みで弟たちの面倒はみなくていいし、絶好の機会だね」
オタクたちは拳を合わせ、作戦を開始した。
サシャは待ち合わせ場所である国立図書館前の広場で、宿題を解きながら待っていた。
「サシャちゃん、今日はありがとう」
「ソフィー先生! おはようございます」
サシャは大好きなソフィーと挨拶のハグをする。
『僕にもハグしてくれるかい? かわいいお嬢さん』
そう声をかけるのは、髭のよく似合う四十代くらいの渋いおじさんだ。ソフィーがさっとおじさんの前に立ちはだかる。
『わたしのかわいいサシャちゃんに触れるのはダメです。魔法でちょん切りますよ』
『おぉ、怖い怖い。ではソフィー君にハグを……』
『切られたいようですね』
おじさんは肩をすくめて、サシャにウインクを一つ寄越す。
『相変わらず君の保護者は過保護だね。窮屈な思いをしていたら、いつでもダランに逃げておいで。サシャちゃんなら大歓迎さ』
『ありがとうございます、レニーおじさん。いつかダランに行きたいと思っているので、その時はよろしくお願いしますね』
レニーは嬉しそうに笑った。女性を口説くような言動が多いが、本気ではないし、根は良い人だということは前回の通訳で知ったので、サシャも笑顔で受け流せる。
ちなみに本人がレニーおじさんと呼んでほしいと言ってきたので、サシャはそう呼んでいる。
『では、夕方までにはここに戻ってきてくださいね』
『分かってますよ、レディ。可憐な少女を夜まで連れ歩くような無粋な真似はしない。じゃ、行こうか』
サシャはソフィーにお辞儀して、レニーと連れ立って町に繰り出した。
『今日はどこに行きますか? 前回は教会と美術館に行きましたよね』
『あぁ、この国の長い歴史を感じられる一日だったね。ダランには文化の蓄積がないから、新鮮だったな』
過去を振り返ってレニーは目を細める。ダランは確かにウェンスターと比べると新興国で、国独自の文化はまだ確立していない。だが海に面した立地を活かした商業国であり、今のところ近隣諸国で一番活気があるから、時間が経てば国としてのまとまりも生まれてくるだろう。
レニーは顎髭を撫でながら、王都の中心・噴水広場の周りにひしめく屋台を眺めた。
『歴史を感じるのもいいけど、今日は仕事の疲れを癒すために、のんびり町を歩きたい気分だ。とりあえず、あそこの屋台で朝ごはんでも食べよう』
『いいですね! 何にしますか?』
二人は噴水の傍のベンチに座って、肉汁の滴るソーセージや揚げたじゃがいもに舌鼓を打つ。お代はレニーさん持ちである。
『お仕事、お忙しいんですか?』
レニーは眉を下げた。
『そうだねぇ、政て――いや、商売敵がこの頃鬱陶しくて。ま、このレニーおじさんの敵じゃないけどね! おじさんなかなかやり手だから!』
ドヤ顔で胸を張るレニーに、サシャは笑みをこぼす。いつも明るく会話も上手なレニーは、確かに商売が上手そうだ。
『ところでサシャちゃん、前会った時より綺麗になったよね? 髪の艶とか、肌のなめらかさとか。もしかして恋? おじさん妬けちゃうなぁ』
まじまじと観察されて、サシャは気恥ずかしくなる。
『恋なんてしてないですよ。最近、化粧品とか色々頂いたんで、それでですかね。レンブラント商会のものなんです。この辺りでもお店が出ているようなので、後で見に行きますか?』
『いいね! 美はどの国の女性にとっても関心の種だから、たのし、み――』
レニーの目が一個所に釘付けになる。その視線の先を追うと、一匹の黒い蝶がひらひらとこちらに舞っていた。紫の鱗粉がきらきらと輝いている。
『綺麗ですね』
つい、蝶に向かって手を伸ばす。その手を、レニーが掴む。がっしりとした男らしい手の温もりに、サシャの顔が熱くなった。
『れ、れに――』
視線を向けると、レニーから表情が抜け落ちていた。
『逃げよう』
それだけ言うと、レニーはサシャの腕を引いて走り出す。残っているご飯がもったいない、とか思うこともできないほど、レニーの表情は真剣で、サシャは異常事態が発生していると気がついた。
『どうしたんですか』
『さっきの蝶。あれは強い毒がある。触れたら毒針であの世逝きだ』
サシャの顔から血の気が引いた。
『ひえっ、そんな恐ろしいもの、野放しにしたらダメですよね。注意喚起しないと――』
引き返そうとするサシャをレニーはぐっと押しとどめる。
『ソフィー君に緊急連絡したから、きっと大丈夫。それよりも僕らが身を隠さないと――あの蝶は、暗殺に使われるものだから』
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