忘れてしまえたらいいのに(旧題「友と残映」)

佐藤朝槻

文字の大きさ
10 / 15

故郷と夕立 後編

しおりを挟む
 
 猫西は慎重に言葉を選びながら、猫の保護活動に参加する理由を語った。それは自身の半生でもあった。

 小学生の頃に出会った野良猫を友達として迎えたいと思ったが、かなわなかったこと。
 それを機に、大きくなったら野良猫を助ける活動に参加すると決めていたこと。しかしそれを人に話せないでいたこと。

 大学で保護部に入り、猫の保護活動をはじめたこと。
 保護部が現在、実質の解体状態にあること。
 大学猫を死なせないために里親探しをしていること。
 猫サークルが保護部を引き継いだため、今回が最後の里親探しであること。

 親の多英は、すでに大学猫のミルクを引き取ってもらっており、二匹目を迎えるのは難しいこと。
 多英が細川の母とつながりがあり、今日ここに来てもらっていること。


「細川さんがフォースを本当に引き取ってくれるなら、根気強く育ててもらうことになると思う。大学猫は人れしているけど、家みたいな狭い環境に慣れていないから」


 話しながら、意識は細川に注がれる。

 細川は床を見つめていた。その姿は猫西の言葉に傾聴し、真剣そのものだ。だというのに目はまったく違った。どこか上の空、心ここにあらずといった具合である。

 少しして、細川は老婆のように前方に屈み、太ももの上に肘を乗せて頬杖ほおづえをついた。そうして、ため息を吐く。ただのため息ではない。深く、長くて、意味ありげなため息。
 緊張感が走る。細川のそばで固唾を飲む音がする。それが猫西自身の音だと気づいた頃、窓にあたる雨音が激しくなってきていた。バチバチ。バチバチバチ。

 細川は黙って立ち上がり、窓を閉める。
 猫西のほうに振り向いた彼女は真顔だった。


「猫西くんは変わらないね」
「……」
「聞こえなかった? あのときから変わってないって言ったんだよ」


 細川の声色は軽蔑を含んでいた。


「猫西くん、もう一度くね。どうして猫を守りたいの? 猫を守りたくて、どうして部活なの? 本当に守りたいなら、まず獣医でしょ、普通。里親探しも部活では難しいこと、やる前からわかるでしょ」


 少しでも早く野良猫を救う活動に関わりたかったから、模試で合格判定の低かった獣医学部を捨てた。
 里親探しも同じ。部活の建て直しに時間をとるくらいなら、里親という協力者を探せば多くの大学猫を助けられると考えたから。

 灰青の猫に出会ったときを除き、最善を選んできたと猫西は考えてきた。実際、未熟さを棚に上げれば、常に最善を選んできた。


「言い返してこないのは図星だからよね。それってすごく、最低だよ」


 彼女の言い方は、放課後ふたりきりになった日の面影を感じさせる。
 返事を急かすように、遠くで雷がとどろいた。


「……細川さんの指摘は至極まっとうだと思う。それでも仕方なかった」
「なんそれ」


 肩を押され、猫西はベッドに背を預けるようにして倒れた。長い黒髪に光を奪われ、ふたりの空間は夜と見紛うほどの闇となる。


「仕方なかったってなんだよ。変に達観して、神様にでもなったつもり?」
「選択肢は限られていた」


 弁明した途端、猫西は息苦しくなる。細川の手に喉を摘ままれ、首もとをゆるく絞められていた。


「少しくらい痛い目を見ないとわかんない?」


 細川の声は耳朶じだによく響いた。


「これが友達の話だったら同情したと思うよ。うちのまわりにも猫サー入って後悔してる友達いたし。でも、うちら友達じゃない」


 猫西は答えることができなかった。身をよじっても呼吸は安定せず、息は上がり鼓動も速まり、シャツには汗がしみていく。顔をしかめても彼女に同情の色はにじまない。それどころか、その日本人形みたいな漆黒の瞳は闇の中で鈍く輝いている。


「前科があるんだ。どうせ猫西くんが悪いんでしょ。違うなら反論してみてよ。全部否定してあげる」


 それでもひるまず、猫西は凝視し続けた。
 フォースの鳴き声が、ふたりの空気を引き裂く。細川に隙が生まれたその一瞬を猫西は見逃さない。彼女の手首をつかみ上げる勢いのまま起き上がり、彼女を壁に押さえつけた。


「ここまでだ。僕を殺して捕まりたくはないだろ」


 息も絶え絶えに言うと、細川は上目遣いで見ながら下卑た笑みを浮かべた。


「捕まるなら殺人罪?」
「殺していたら傷害致死かと思ったけど、自白?」
「ううん。わかんない。さすが優等生は詳しいね」
「……」
「で、どうする。うちを警察につきだす?」


 猫西は少しの間を置いてから、かぶりを振った。


「そっ。なら放して」
「……できない」
「放せって言ってんの!」
「フォースの面倒をみると約束してくれるまでは放せない!」


 しまった、と猫西は口を閉ざした。感情が乱れ、声が少し震えてしまった。目を伏せ、平静さを取り戻す。


「広くて静かで、そよ風の吹く場所で寝るのが好きなフォースが、ここにいていいはずないんだ。なあ、あいつに家を与えてやってくれよ。安全な場所がどんなところか教えてやってくれよ。こんなのに構ってないで。な。僕にはできないことだ」


 猫西はベッドから降りた。
 細川は虚を衝かれたような顔をしたまま視線を落とし、手を握ったり開いたりしていた。そして猫西を見、「自己陶酔も、いい加減にしなよ」と言う。


「猫じゃなく自分のためってことじゃん? 最低を通り越して最悪」


 チャイムが鳴った。細川の母だと名乗る声が聞こえた。
 細川は部屋から出ていき、キャリーバックを手に戻ってきた。スムーズにフォースをキャリーバッグに移して立ち上がる。


「二度と猫にかかわらないで」


 細川は、そう言い残して一階へと降りていった。
 時間を置いてから、猫西も階段を降りた。

 リビングでは、細川が遅れてやってきた彼女の母にフォースを紹介していた。その後は細川、細川の母、多英と談笑したが、奥深くで響く耳鳴りのせいで彼らの会話を聞き取ることができなかった。フォースただ一匹だけが猫西を見つめていた。

 細川親子が帰る頃、雨はすっかり止んで晴れていた。
 外に出ると、雨上がりの湿った空気が猫西の肺に侵入する。目に見えぬ水に暑さが混ざって気持ち悪い。

 それでも夕立晴れは美しかった。目の奥まで突き刺す目映い黄金きんが広がっていた。灰色の曇を穿うがつように。
 猫西は目を細め、空の終わりを探した。灰青の猫がいるであろう、はるか先まで見つめ続けた。細川の車がいなくなっていることにも気づかず……。体感一時間ほど眺めていた。

 身を翻し、家に戻る。
 視界に庭が入ると、夕焼け色をした花が咲いていた。
 ルドベキアだ。唇のごとき花は雨にれている。しゃがみ、花の縁をなぞれば日を浴びながら発光するから、すぐに手を引っ込めてしまった。火傷したように指先が熱く感じられたのだ。花はしとやかに揺れ、踊り、そうしてしずくを落とした。
 
 家に戻った猫西は、片づけを手伝った。洗い終わった皿をタオルで拭き、もとの場所に戻していく。


「こんなこと、もうやめてちょうだいね」


 食器棚に皿を戻す猫西の背後で、多英はつぶやいた。


「親に恩を感じろだなんて言わないわ。けれど、お母さん、息子が自分を大切にしてくれなかったら、つらいわ。命あっての正義。正義で命は守れないのよ」

「……うん。もうしない。心配かけてごめん」

「子どものことは心配するものです。親だからね」


 振り向くと、目に涙を浮かべながら微笑む多英の姿があった。


「疲れたから寝るよ」


 猫西が微笑めば、「ゆっくり休んで」と返ってくる。
 その後、自室にこもって荷物をまとめ、翌日の始発に間に合うように家を出た。
 
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

ヤクザに医官はおりません

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした 会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。 シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。 無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。 反社会組織の集まりか! ヤ◯ザに見初められたら逃げられない? 勘違いから始まる異文化交流のお話です。 ※もちろんフィクションです。 小説家になろう、カクヨムに投稿しています。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...