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第三章 ラキ

第三章 ラキ 2

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 思いの外ゆったりと走る屋根付きの荷馬車には、次の市まで大きな買い出しは必要がないよう、食料などが満載されていた。
 荷台に据えられた長椅子のような板には俺と、少し離れた位置に機嫌良さそうに笑っている姫が座っている。
 御者台ではリディさんが馬を操り、その隣ではリディさんが馬車を操る様子を興味深そうに見つめているトールが座っていた。
 さすがに車みたいに快適な乗心地とは言えないが、たぶん板バネか何かの衝撃吸収機構があるらしい馬車は、意外に振動が少ない。
 畑が広がっているリーリフの周辺からメイプル要塞に至る太い街道を少しの間走り、木々が比較的まばらに生えている林沿いに突入した辺りで屋敷に続く分かれ道に入る。
 もう少しで屋敷が見えてくると思ったとき、おとなしく御者台に座っていたトールが立ち上がった。
「どうしたんだ? トール」
「いえ……、何か、聞こえてきます。リディ、馬車を止めてください」
 耳に手を当て、トールは木々の間にどうにか見えてきた屋敷の方の音を聞いている。
「これまで屋敷では聞いたことのない声です……。兵士の方のどれとも違います……。それに、何か不穏な感じが……」
 そんなトールのつぶやくような声に、リディさんが素早く動いて姿を消した。
 馬車を降りて俺が見たのは、どこから取り出したのか、伸縮式の望遠鏡を手に、馬車の屋根に上がって屋敷を見つめているリディさん。
「カエデ様。魔王が来ています」
「何?! 屋敷の様子は!」
「争っているわけではないようです。魔王と、その側近のふたりだけのようですね」
「さすがに距離があるので詳しく判別できませんが、怪我をしている者はいないようです。死んでいる場合はさすがにわかりませんが」
「ふぅむ」
 荷台からはまだ見えていない屋敷の方を見つめ、眉を顰めた姫は唇を噛みながら考え込む。
「このまま、屋敷に戻らずリーリフに行った方がいいんじゃ……」
「わたくしもタクト様と同意見です。この場は安全を取るべきです」
「ふむ……」
 弱気な俺の提案にリディさんも頷くが、顎に手を添え眉を顰めている姫は、はっきりした返事をしない。
「勝ち目は、現状ではないでしょう。自分の命が大切なら、わたしも逃げるのが得策だと思います、カエデ」
「そうは言ってもな、トール。屋敷に残してきた兵士もまた私の配下であり、我が国の国民なのだ。滅亡の危機というわけでもないのに王族が率先して見捨てたなど、国民の信頼が得られると思うか?」
「しかし、カエデ様――」
「軍勢を引き連れていないということは、頭から戦うつもりではないのだろう。戦いにならんという保証はないが、あやつとは一度じっくり話をしてみたかった」
「危険です、カエデ様」
「わかっておるわ」
 すっくと立ち上がり、カエデは腰に手を当てて顎を反らす。
「竜の巣に入らずに竜の財宝は得られぬ。魔王とは一度話して、その真意を問い質しておきたかった。よい機会ではないか。……ただ、少しばかり保険はかけよう。タクトとトールは屋敷の裏を回ってこい。手の内はギリギリまで隠しておきたい」
「……俺が、そのまま逃げるとは思わないのか?」
「お前が逃げるような奴だと、私が思っているとでも?」
 あくまで弱気に、ここのところ聞いていた魔王スイミーの凄まじさに腰が引けそうになってる俺だというのに、荷台から見下ろしてくる姫は自信満々だった。
 ――まぁ、この姫を放って逃げられそうにはないんだけどな。
 命が大切なら逃げるのが一番なのに、残してきた兵士のために魔王と対面するという姫。
 ジェスチャーならその言葉だけで充分だろうけど、父親である王に言われたからって先遣に出て、魔王軍に襲われながらも町の外にある屋敷を離れなかったカエデ・エディリア王女は、自分で言った言葉を違うことなく実行するだろう。
 そんな姫を、放っておけるわけがない。
「……飛び出すタイミングは、俺の判断で構わないのか?」
「うむ、任せる。さすがに私が怪我をする前には駆けつけてほしいがな。だが、可能ならお前たちの存在は魔王に知られたくはないな」
「わかった。トール」
「お待ちください、トール様」
 俺のかけ声で一緒に林に入ろうとしたトールを呼び止め、屋根から降りてきたリディさんが荷台から何かを抱えて持ってくる。
「今日の今日で手に入れることができた、トールが使えそうな武器だ。持っていけ」
「他にもっとちゃんとしたトール様用の武器と、動きの邪魔にならない防具、それからタクト様用にも防具を手配しております。急ぐよう依頼しておりますが、次の市まではかかると思います」
「今日、わざわざ私自ら町を訪れたのは、それもあってのことだ」
 どの程度かは詳しく聞いてないけど、兵士の訓練も積んで姫の護衛もしてるというリディさんが、重そうにトールに手渡した武器。
 金棒。
 と言うより、釘バットならぬ、鋲打ちバット。
 元々武器というより素材だった金属製の棒に握りをつけて鋲を打ったんだろう。前にトールが持ってた丸太の棍棒に比べると長さも太さもないその金棒は、見た目だけなら大きなバットだった。
 でも、兵士が使っている剣では、一回打合せただけでひしゃげさせるか折ってしまうトールには、適した武器だと思う。
「ではな、タクト、トール。気をつけろよ」
「それはこっちの台詞だと思うんだが……。命は粗末にしないでくれ、姫」
「ふふん。信頼しているさ、タクトのことはな」
「……わかった」
 得意げに笑う姫に、ぎこちない笑顔しか返せなかった俺。
 四人で頷き合った後、それぞれ向かうべき場所に向かった。


            *


 それまで以上にゆっくりと、魔族のふたりを刺激しないよう気をつけて馬車を動かし、屋敷の前で止めた。
 兵士のひとりに馬車を任せているリディを横目に、カエデはひとり荷台から降りて、わざわざ自分を待っていたらしい魔王と向かい合った。
 無駄に分厚く高級な生地を使った上着をズボンを纏い、首元を蝶ネクタイで飾っている、タクトと変わらぬ年齢にしか見えない魔王は、服に着せられているようで威厳も何も感じない。
 魔王の隣に立つ、体調が悪いのではないかと思うほど青白い肌をし、執事のような格好で静かに控えている側近の魔人の方が、よほど禍々しさを放っていて、恐ろしさを感じる。
 ――それでもあれが魔王スイミーを名乗っているなら、それだけの力があるということだろう。
 いまだ少年魔王の力は見たことがないが、それでも警戒を怠らず、気を引き締め直したカエデは、自分を守ろうと立っている兵士たちを制し、すぐ後ろに着いたリディとともに前に出た。
「久しぶりではないか、魔王様。前回も今回も面会の連絡を事前に入れずに訪問とは、礼儀のない奴だな」
「はっ。人間ごときがこの魔王相手によく言う。そちらこそわざわざ俺様が来てやったというのに、ずいぶん待たせてくれたじゃないか。そろそろ待ちくたびれていたからな、屋敷ごとお前の兵士を消し飛ばしてやろうかと考えていたところだぞ」
「なに、もう少し要塞でおとなしく待っておればこちらからそちらに伺ったものを。我が王国の討伐軍を連れてな」
「ふんっ。せいぜい多くて数千、少なけりゃ二、三〇〇ってとこの軍隊ごときに、俺様の魔王軍が負けると思ってるのか? 周りの国から軍隊出してもらって、数万くらいは引き連れてこない限りは、てめぇら人間どもじゃ勝てやしねぇぞ」
「さて、それはやってみねばわからんだろう?」
 猫背だから目立たないが意外に背の高いタクトよりも小柄に見えるのに、わざわざ顎を反らして見下ろしてくる魔王を、カエデは顎を引き下から睨みつける。
 実際、魔王軍の総力はライム竜族との戦いで大きく減り、メイプル要塞を守る兵士たちも多くの犠牲を払いながらもよく戦ったため、おそらく数万の軍隊を相手にするほどにはない、と予測されている。
 しかしながら神にも手が届く亜神であるライム竜族の竜王を殺した魔王と、その直属であろう一〇体前後いると目される魔族は、その力を測ることができず、軍隊よりも英雄のような猛者が戦うべき脅威であると推測していた。
 王国にある三つの騎士団。王国正騎士団と、祝福を持つ者のみが入団を許される神聖騎士団、魔族の魔法を模した人の技である魔術を使う魔導騎士団のうち、後者ふたつの騎士団からできるだけ多くの騎士が討伐軍に参加していれば、魔族とも対抗できるだろう。
 しかしながら、周辺の国をも見て魔王と戦おうとしてるだろう現王が、そんなに多くの騎士を派遣してくれるとは考えにくかった。
 本隊が到着したとしても、カエデは厳しい戦いを強いられるだろうと考えている。
 ため息をひとつ吐き出して睨み合いをやめたカエデは、魔王に向けて言い放つ。
「して、今日はなに用だ? 一国の姫に求婚しておきながら、贈り物ひとつ寄越さぬ無礼者が、いまさら何をしに来た?」
「贈り物ならくれてやっただろ。――要塞を守ってた、若い兵士長の首を、よ」
 魔王のその言葉に、奥歯を強く噛みしめ、眉根に深いシワを寄せて彼を睨みつけた。
 その様子を見た魔王は、にやけた笑みを漏らし語り始める。
「もしかして知り合いだったか? 残念だったな。いい兵士だったぜ、あいつは。吹き飛ばされても吹き飛ばされても何度も立ち上がってきてよ、せっかく兵士は皆殺しにしてやろうと思ってたのに、あいつのおかげでずいぶん取り逃がしちまったぜ。捕まえた後もよ、他の奴らみたいに命乞いでもすりゃ面白かったのに、ひたすら俺を睨みつけてくるばっかりで、痛めつけてもちっとも悲鳴を上げねぇんだ。つまんないから早々に首を切り落としてやったぜ」
「ま、お、う――」
 顔をうつむかせ、両手を握り締めたカエデは全身を震わせる。
「ふふんっ。いい顔してるじゃねぇか。その顔のまま俺様の元に来な。そしたら可愛がってやるからよ」
「お前は……、お前だけは!」
「カエデ様っ」
 リディに肩をつかまれ、前に進み出ようとしていたカエデは歩みを止める。
 大きく息を吸い、吐き出した後、顔を上げたカエデは魔王を射貫くつもりで視線を向けながらも、口元に笑みを浮かべた。
「異な事を言うな、魔王。光の魔人スイミーと言えば、その強さは大魔王グラム・スパイズの後継とまで言われた歪魔。そのクセ王都の兵士に剣を向けられすごすご帰っていったお主が、自分から来いだと? その有り余る力で私のことを奪い取って見せれば良いだろう! 可愛がるだと? バカを抜かせ。私を側に置くならば、その首筋、いつか掻き切ってやるぞ!!」
 髪を振り乱し、両手を腰に当てたカエデは魔王を見据える。
 兵士は各々の武器を構え、リディも短剣を手にカエデの前に出た。
 敵は魔人二体。
 たった七人の兵士では、絶望的な状況だった。
 けれどいまいる兵士は、みなメイプル要塞から逃れてきた兵士たち。兵士長の死に様を聞き、誰ひとり怯むことなく武器を構えている。
「……多少気が強い女は好きなんだがな、わがままなのと面倒臭いのは嫌いなんだ。てめぇらには全員、この場で死んでもらうことにするぜ」
 言って魔王は、傍に立つガルドに顎をしゃくって見せた。
 しかしそのとき、ガルドが何かをする前に緊張状態を打ち破る声がその場に届いた。
「え?! もしかして、ゴロー?」
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