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理由がわかったのは、昼休みだった。
真理が周囲を気にしながら、私の席に近づいてくる。
「まどか……言いづらいんだけどさ」
その前置きだけで、胸がざわついた。
「里奈に切りつけられたこと、もう噂になってる」
「……まあ、見てた人もいたし」
覚悟していたことだ。
けれど、真理は首を振った。
「それだけじゃなくて……その……」
一瞬、言葉を選ぶように視線を落としてから、続ける。
「まどかが、新井くんに“より戻そう”って迫って、それを里奈が怒って切りつけた、って話になってる」
「……そんなわけない!」
思わず声が大きくなり、慌てて口を押さえた。
「だよね。私も、まどかが年下くんに夢中なの知ってるし、それはあり得ないと思ったよ」
真理はそう言ってくれたけれど、表情は重い。
「でもさ……里奈が救急車で運ばれるとき、新井くんに泣きながらそう言ってたんだって」
「それを聞いた人がいて……みんな、その話を信じてる」
胸の奥が、すっと冷えていく。
(……被害者が、私なのに)
何も言い返せないまま、私は唇を噛みしめた。
否定すればするほど、余計に騒ぎが大きくなる気がして。
真理が小さな声で続ける。
「まどか……しばらく、しんどいと思う。でも、私は信じてるから」
その一言が、やけに胸に沁みた。
それでも、職場に漂う視線と空気は、午後になっても変わらなかった。
(……これが、現実なんだ)
被害に遭ったあとも、戦いは終わらない。
そう思い知らされる一日だった。
定時になりすぐに席を立つ。
だが、会社を出る前に翔太に見つかってしまった。
「まどか、ちょっとこい」
給湯室に連れ込まれて、いきなりおっぱいを鷲掴みされた。
「痛いっ!やめて!」
「なあ、嫌がらせみたいなことやめて被害届取り消せって」
「嫌がらせじゃない! 」
「俺が里奈のところに行ったのが寂しかったんだろ? 大人しくしといてくれれば里奈にバレない範囲で可愛がってやるからさあ……」
強引に唇を重ねられた。
ガリッ
私はおもっきり翔太の下唇を噛んだ。
「いてっ!何すんだ!」
バシッ
頬を張られた。
その瞬間、頭が信じられないくらいクリアになる。
「バカにしないで! 」
翔太の股間を思い切り蹴り上げた。
呻きながら前を押さえる翔太。
「二人とももう私に関わらないで!」
喉の奥から絞り出した言葉を叩きつけて、私は振り返らずに走り出した。
頬はじんじんと熱を持ち、冬の空気が当たるたびに、逆に頭が冴えていく。
(帰りたい……蓮のところに)
すれ違う人の視線も、驚いた声も、もうどうでもよかった。
ただ無我夢中で、足を前に出し続けた。
マンションのドアを閉めた瞬間、力が抜けた。
玄関を抜け、ふらつく足で脱衣所に向かうと、籠の中に洗っていないスウェットが見えた。
蓮が、昨夜着ていたもの。
考えるより先に、手が伸びていた。
布を胸に抱き寄せて、思いきり息を吸い込む。
懐かしい匂い。安心する匂い。
「……っ、う……」
堪えていたものが、一気に溢れた。
声にならない声を漏らしながら、その場に崩れ落ちる。
*
「まどか……こんなところで寝たら風邪引くぞ」
肩を揺すられて、ぼんやりと目を開ける。
脱衣所の床で気がついたら眠っていたようだった。
視界に映った時計は、二時を少し回っていた。
「目、腫れてる……それに、頬……」
蓮の顔が、近い。
心配と怒りが入り混じった目で、じっと見つめられる。
「……ちょっと転んだだけ。平気だよ」
反射的にそう言って、視線を逸らした。
「違う」
低く、静かな声。
「誰にやられた。俺には嘘つくな」
逃げ場がなくて、私は小さく息を吐いた。
「……会社で。元カレに……」
一瞬、空気が凍る。
蓮が唇を噛みしめ、握った拳がわずかに震えるのが分かった。
「でも……大丈夫。ちゃんと、反撃したから」
無理やり口角を上げて、笑ったつもりだった。
でも――
「そういう問題じゃない」
即座に返された言葉に、胸が詰まる。
蓮はしゃがみ込み、私の目線まで下りてくる。
「怖かっただろ」
「平気…」
また、笑おうとした瞬間だった。
ふっと距離が詰まり、蓮の腕が背中に回る。
強くもなく、逃げ場を塞ぐわけでもない。
ただ、包むように。
「まどか。これは、まどか一人で背負うことじゃない」
「……」
「俺がいる。だから、抱え込むな」
その一言で、張りつめていた何かが切れた。
「っ……」
喉の奥が震えて、声にならない。
気づいたら、蓮の服を掴んでいた。
「……体、冷えてるな」
そう言って、蓮は少しだけ表情を緩める。
「一緒にシャワー、浴びようか」
答えの代わりに、私は小さく頷いた。
蓮の腕の中は、あたたかくて。
やっと、息ができる気がした。
シャワーを浴び、髪を乾かし終えると、私はそっとベッドに滑り込んだ。
蓮の隣に体を寄せた瞬間、ふっと力が抜ける。
蓮は何も言わず、また小さな子をあやすみたいに、ぽん、ぽん、と一定のリズムで私の背中を撫でてくれる。
その手の動きが、さっきまで張りつめていた神経を少しずつほどいていく。
「……明日さ」
低い声が、静かな部屋に落ちた。
「俺、現場は午後からだから。会社まで送るよ」
「……うん」
それだけ返すと、蓮の腕が少しだけ強く回された。
真理が周囲を気にしながら、私の席に近づいてくる。
「まどか……言いづらいんだけどさ」
その前置きだけで、胸がざわついた。
「里奈に切りつけられたこと、もう噂になってる」
「……まあ、見てた人もいたし」
覚悟していたことだ。
けれど、真理は首を振った。
「それだけじゃなくて……その……」
一瞬、言葉を選ぶように視線を落としてから、続ける。
「まどかが、新井くんに“より戻そう”って迫って、それを里奈が怒って切りつけた、って話になってる」
「……そんなわけない!」
思わず声が大きくなり、慌てて口を押さえた。
「だよね。私も、まどかが年下くんに夢中なの知ってるし、それはあり得ないと思ったよ」
真理はそう言ってくれたけれど、表情は重い。
「でもさ……里奈が救急車で運ばれるとき、新井くんに泣きながらそう言ってたんだって」
「それを聞いた人がいて……みんな、その話を信じてる」
胸の奥が、すっと冷えていく。
(……被害者が、私なのに)
何も言い返せないまま、私は唇を噛みしめた。
否定すればするほど、余計に騒ぎが大きくなる気がして。
真理が小さな声で続ける。
「まどか……しばらく、しんどいと思う。でも、私は信じてるから」
その一言が、やけに胸に沁みた。
それでも、職場に漂う視線と空気は、午後になっても変わらなかった。
(……これが、現実なんだ)
被害に遭ったあとも、戦いは終わらない。
そう思い知らされる一日だった。
定時になりすぐに席を立つ。
だが、会社を出る前に翔太に見つかってしまった。
「まどか、ちょっとこい」
給湯室に連れ込まれて、いきなりおっぱいを鷲掴みされた。
「痛いっ!やめて!」
「なあ、嫌がらせみたいなことやめて被害届取り消せって」
「嫌がらせじゃない! 」
「俺が里奈のところに行ったのが寂しかったんだろ? 大人しくしといてくれれば里奈にバレない範囲で可愛がってやるからさあ……」
強引に唇を重ねられた。
ガリッ
私はおもっきり翔太の下唇を噛んだ。
「いてっ!何すんだ!」
バシッ
頬を張られた。
その瞬間、頭が信じられないくらいクリアになる。
「バカにしないで! 」
翔太の股間を思い切り蹴り上げた。
呻きながら前を押さえる翔太。
「二人とももう私に関わらないで!」
喉の奥から絞り出した言葉を叩きつけて、私は振り返らずに走り出した。
頬はじんじんと熱を持ち、冬の空気が当たるたびに、逆に頭が冴えていく。
(帰りたい……蓮のところに)
すれ違う人の視線も、驚いた声も、もうどうでもよかった。
ただ無我夢中で、足を前に出し続けた。
マンションのドアを閉めた瞬間、力が抜けた。
玄関を抜け、ふらつく足で脱衣所に向かうと、籠の中に洗っていないスウェットが見えた。
蓮が、昨夜着ていたもの。
考えるより先に、手が伸びていた。
布を胸に抱き寄せて、思いきり息を吸い込む。
懐かしい匂い。安心する匂い。
「……っ、う……」
堪えていたものが、一気に溢れた。
声にならない声を漏らしながら、その場に崩れ落ちる。
*
「まどか……こんなところで寝たら風邪引くぞ」
肩を揺すられて、ぼんやりと目を開ける。
脱衣所の床で気がついたら眠っていたようだった。
視界に映った時計は、二時を少し回っていた。
「目、腫れてる……それに、頬……」
蓮の顔が、近い。
心配と怒りが入り混じった目で、じっと見つめられる。
「……ちょっと転んだだけ。平気だよ」
反射的にそう言って、視線を逸らした。
「違う」
低く、静かな声。
「誰にやられた。俺には嘘つくな」
逃げ場がなくて、私は小さく息を吐いた。
「……会社で。元カレに……」
一瞬、空気が凍る。
蓮が唇を噛みしめ、握った拳がわずかに震えるのが分かった。
「でも……大丈夫。ちゃんと、反撃したから」
無理やり口角を上げて、笑ったつもりだった。
でも――
「そういう問題じゃない」
即座に返された言葉に、胸が詰まる。
蓮はしゃがみ込み、私の目線まで下りてくる。
「怖かっただろ」
「平気…」
また、笑おうとした瞬間だった。
ふっと距離が詰まり、蓮の腕が背中に回る。
強くもなく、逃げ場を塞ぐわけでもない。
ただ、包むように。
「まどか。これは、まどか一人で背負うことじゃない」
「……」
「俺がいる。だから、抱え込むな」
その一言で、張りつめていた何かが切れた。
「っ……」
喉の奥が震えて、声にならない。
気づいたら、蓮の服を掴んでいた。
「……体、冷えてるな」
そう言って、蓮は少しだけ表情を緩める。
「一緒にシャワー、浴びようか」
答えの代わりに、私は小さく頷いた。
蓮の腕の中は、あたたかくて。
やっと、息ができる気がした。
シャワーを浴び、髪を乾かし終えると、私はそっとベッドに滑り込んだ。
蓮の隣に体を寄せた瞬間、ふっと力が抜ける。
蓮は何も言わず、また小さな子をあやすみたいに、ぽん、ぽん、と一定のリズムで私の背中を撫でてくれる。
その手の動きが、さっきまで張りつめていた神経を少しずつほどいていく。
「……明日さ」
低い声が、静かな部屋に落ちた。
「俺、現場は午後からだから。会社まで送るよ」
「……うん」
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