愛恋の呪縛

サラ

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第132話

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 それから数日後の、朝。
 丁度、全員が朝餉を食べ終えた頃のこと。



「忌蛇様ぁぁ!!助けてくださいぃぃ!!」



 庭では、ゆったりと腰掛けている忌蛇に向かって、地面に顔が食い込むのではないかと思うほど、綺麗な土下座をした日向がいた。
 いきなりの土下座と大声に、目の前にいた忌蛇は驚愕している。



「い、いやっ、日向?か、顔あげて?」

「いや!もう、ほんっとに!まじで!緊急事態!」

「そ、それは何度も聞いたから……話も分かったから、とにかく、落ち着こう?」

「無理!落ち着いてる暇なんて無い!!!!!」

「あらら……」



 事の始まりは、数分前。

 日向は魁蓮と約束した「愛を教える」というあの1件を、忌蛇に相談していた。
 何を隠そう、彼は人間に恋をした経験がある、数少ない希少な妖魔だ。
 恋愛感情を知っただけでなく、人間に対しての考えというものが少なからず変化した、魁蓮にとっては手本となるような存在。
 当然、日向もその存在の有り難さというものは分かっているわけで。



「魁蓮がっ、恋愛の愛を1番に知りたいって言ったんだよ!そんなの、僕だって知らないっていうのに!」

「き、聞いたよ?なんというか、本当に凄い約束をしちゃったよね」

「いやだって、恋愛が1番に知りたいーなんて言うと思わないじゃん!!そんなの、1番興味無さそうな堅物なのにさ!?」

「ごく自然に悪口入ってるよ、日向……」



 忌蛇は慌てふためく日向を見つめながら、うーんと困ったように考える。
 頼ってくれることは、光栄なことだ。
 自分にしか頼めないことだからと、忌蛇は快く話を聞いては見たものの……。



「先に言うと……。
 恋愛感情って、勉強みたいに教えて貰って学ぶような、そんな簡単なものじゃないと思うんだよね。なんというか、きっかけが無い限りは……無理かな」

「え゛」



 忌蛇の発言に、日向は喉を締め付けられているような声を出す。
 いや、分かりきってはいたことだ。
 教科書や書物などを読んで、恋愛というものがどういうものか、誰かを好きになるのがどういうものか、知ることが出来たら苦労しない。
 しかし、感情というものは、そんな簡単に扱えるようなものではない。
 その中でも恋愛感情となると、自分の想いを制御することだって、難しい時もあるというのに。



「何より……それを教える対象がっていうのが、凄く難関だと思う。
 魁蓮さんは僕と違って、愛が何なのかを知っているし、そういう場面を見てきてる。僕は、雪と出会う前は何も知らなかったから」

「そ、そんなぁ……あああ!どうしよう!!!」



 博識とも言える魁蓮に、愛は素晴らしいものだ、恋愛感情は儚いものなのだ。
 そう教える事がどれだけ難しいのか。
 そんなの、頭を使って考えなくても分かる事だ。
 日向は先の見えない状況に、両手で頭を抱えた。
 そもそも、人間が妖魔に愛を教えるなど、誰も率先してするわけが無い。
 考えれば、なぜ男が男に教えるのだ。
 忌蛇と雪のように、男女ならば確率は一気に上がるのに。



「まじでどうすればいい!?僕、どうすればいい!?」

「え、えぇっと」

「あああ!もう、絶望的なんだけどぉぉぉ!?!?」



 日向は、ガクッと項垂れる。
 自業自得だ。



「……懐かしいな」

「……?」



 悶絶する日向に、忌蛇は何かを思い出したように口を開いた。
 日向が顔を上げると、忌蛇は目を伏せて、どこか過去を懐かしむような表情を浮かべていた。



「懐かしいって、何が?」

「あぁ、ちょっと思い出してたんだ。昔のこと。
 僕が初めて、ここに来た日のことを」

「ここって……城に?」

「うん。当時僕も、どうすればいいかわからなくなっていて、その時、魁蓮さんが教えてくれたなぁって」

「……教えてくれた?」



 忌蛇は、高くそびえ立つ城を見上げた。

 雪を失った翌年。
 暖かな春の中、手を差し伸べてくれた司雀に連れてこられた、この城。
 初めて会った鬼の王は噂通りの恐ろしさで、ズタボロになっていた心を刺激するには、十分すぎるくらいの恐怖だった。
 あの時の忌蛇は、死にたくて仕方なかったから、殺される覚悟なんて出来ていた。

 でも、魁蓮が止めてくれたのだ。



「ここへ来た時、僕は雪が死んだことを受け入れられなくて。何度も自分と、自分の毒を呪っていたんだ。自分が許せなくて、死にたくて仕方なかった。
 でもね、魁蓮さんが生きるべきだって、そう教えてくれたんだよ」

「えっ、アイツが?」

「うん」



 忌蛇は、ゆっくりと目を閉じた。



 

【死ぬ算段を考えるなど、1度でも長生きしようとした女の思いと決意を馬鹿にしているようなものだ。
 お前のしていることは、死者への冒涜と同じ】

【忌蛇よ、恩を仇で返すな。
 他者が良くしてくれたこと、与えてくれたものは決して忘れるな。それが、せめてもの恩返しになる。感謝も出来ずに死のうとするならば、お前に女との日々を語る資格も、思い出す資格もない】

【お前は、全てを託されたのだ。どのような未来が待ち受けようと、苦しんでも生きねばならん。命ある者が、死を羨ましがるな。散った命全てが、望んで死んだと思うな。命ある今を、しっかり見つめろ】

【今一度、お前に問う。
 忌蛇。今ここで、死にたいか?】





 多くの言葉を貰った。
 多くのことを気づかせてくれた。
 あの日、あの時、全ての言葉を忌蛇は覚えている。
 それが今の忌蛇を、支え、そして作っていた。



「魁蓮さんがいなかったら、僕は今も情けない生き方しかしなかったと思う。僕は、魁蓮さんに感謝してもしきれない。あの方は、僕を救ってくれた人だから」

「……………………」

「だから、日向が魁蓮さんに愛を教えたいって相談してくれた時、嬉しかったんだ。そう思ってくれる人間がいてくれて、何か安心したというか。
 僕たちは、魁蓮さんが封印されている時、何もしてあげられなかったから」

「……何も?」

「うん。魁蓮さんは、僕らを救ってくれたのに……僕らは、魁蓮さんが大事な時に何もしてあげられなかった。だから、こうして復活してくれた今が、すごく幸せなんだ」



 忌蛇は、優しく微笑んだ。
 そう話す忌蛇は、本当に幸せそうだった。
 魁蓮がここにいる現状に、喜びが溢れている。
 きっと、他の肆魔も同じように、魁蓮に救われてここにいるのだろう。
 黄泉にいる妖魔たちも、魁蓮のことを尊敬していた。
 悪名高い鬼の王とは思えないほどに。

 皆、口を揃えて言う。
 鬼の王は、素晴らしい男だ、と……。




「なんだよアイツ。愛とかくだらないって言っておきながら、ちょー贅沢者じゃん」

「えっ?」



 忌蛇の言葉を聞いた日向は、そう口にした。
 忌蛇が驚いていると、日向は空を見上げる。



「こんなに多くの妖魔たちが、自分のことを大切に思ってくれて、信じてくれてる。それはもう、紛れもない愛情じゃん。
 アイツは、貰ってるよ。貰ってばかりだよ。自分じゃ抱えきれないくらい、いっぱい愛を貰ってる。肆魔に、黄泉の妖魔たちに、要さんに、巴さんに」

「日向……」



 人間からは、沢山蔑まされている。
 でも、妖魔の世界では、彼は神も同然なのだろう。
 無意識のうちに手を差し伸べ、救われた者たちは、恩返しとして彼について行く。
 不器用ながらも、妖魔は妖魔なりの無意識の愛を、魁蓮に向けている。
 
 だから魁蓮は、愛には触れている。
 でも……。



「それでもアイツは……ずっと孤独に生きている。愛を向けられても、それを受け取っていない寂しい奴だ」

「………………」

「馬鹿だよなぁ。周りを見れば、こんなにも良い奴らに囲まれてるっていうのに……自分から孤独の道を進んでるんだから。天下の大馬鹿者だよ」



 魁蓮は、愛を受け取らない大馬鹿者。
 いや、もしかしたら、違うのかもしれない。
 彼は、そう生きるしかなかったのかもしれない。
 だって魁蓮は、愛がどういうものかを分かっている。
 分かった上で、受け取らないのかもしれない。

 日向は魁蓮の誕生については、何も知らない。
 だから、彼がこの世をどうやって生きてきたのか。
 封印される前も、今と変わらない考えの男だったのかは分からない。
 でも、少なからず、今のように愛してくれた妖魔たちはいただろう。
 触れる瞬間はいくらでも、あっただろうに。
 受け取らない道を、無意識だとしても選んだのは、魁蓮だ。



「ますます気づいて欲しくなったな。
 お前は十分、皆から愛されてる。愛ってのは、くだらなくないんだぞって」

「ふふっ、そうだね。
 僕らは皆、魁蓮さんが大好きだから。いつかは気づいてほしい」

「うん……」



 この1、2ヶ月。
 日向はこの場所で、肆魔が魁蓮へ向ける愛というものを見てきた。
 色んな妖魔たちが、魁蓮を愛していることを知った。
 彼らは、魁蓮を待っていた。
 誰も死ぬことなく、1000年もの長い年月を過ごしながら、彼が復活する日を。

 それを、気づかせてあげなければいけない。
 魁蓮に、鬼の王に。
 そして、返すべきだ。



「……僕、頑張るわ」

「ん?」

「魁蓮は……愛を、知らなきゃいけない。くだらないなんて、言わせたままじゃ駄目だ。たとえ妖魔だとしても、僕はアイツに知って欲しい。恋愛としての意味じゃなくても、誰かを思うのは、素晴らしいことだって。そして、気づいて欲しい。
 お前は……孤独じゃないってこと」



 人間を殺し、自分を攫った最悪の妖魔。
 世間の考えとしては、残虐非道な男だ。
 それは今でも変わらない。

 だが彼にも、待ってくれている人たちがいた。
 ならばせめて、それを大事にして欲しい。
 遅くてもいい、時間がかかってもいい。
 
 孤独なんて、ならなくていいんだ、と。



「忌蛇。お前たちの大事な王様、しばらく借りてもいい?いっぱい時間欲しいんだ。僕が死ぬ日までには、知って欲しいから」

「ふふっ、もちろんだよ。むしろ龍牙さんなんて、きっと大喜びするだろうし」

「ははっ、どうかなぁ」

「日向」

「ん?」



 日向が困ったように笑っていると、忌蛇は日向の前へと近づいて、そっと日向の手を包み込んだ。
 そして、暖かい笑顔を浮かべる。



「今言うのは、変かもしれない。でも聞いて。
 僕らは妖魔だけど、君の味方だよ。魁蓮さんと同じくらい、僕らは君のこと大好きだから」

「っ……」

「君に出会えて、僕はすごく嬉しいよ。この喜びを、魁蓮さんにも感じて欲しい。だから…………。
 魁蓮さんのこと、どうかよろしくね。あの方はもう、幸せになるべきだから」



 なんて優しい言葉なのだろう。
 人間と妖魔は、決して共に歩くことなどできない。
 それでも、忌蛇はそんな理を無視してまで、こうして思いを伝えてくれた。
 こういう真っ直ぐな一面に、亡くなった雪も惚れ込んだのだろうか。



「……ありがとう、忌蛇。僕、頑張る!」

「ふふっ、うん!」



 2人は、明るく笑いあった。
 案外、この黄泉で一生を終えるのも、悪くないかもしれない。
 日向はふと、そんなことを考えるのだった。
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