愛恋の呪縛

サラ

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第145話

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 食堂を離れた魁蓮は、着替えのために自室へと向かっていた。
 廊下を歩きながら、夜に包まれた黄泉を見下ろす。
 城下町は夜の市場で盛り上がっていて、酒を飲み交わす妖魔たちの姿が見えた。
 言うなれば、平和な光景だ。



 (黄泉が誕生して、早1300年以上か……)



 魁蓮が築きあげた、この世界。
 人間を決して立ち入らせず、妖魔だけが作り上げていく妖魔だけの空間。
 人間のように、幸せや平和というものを目指して暮らしている訳では無いものの、少なからずの楽しさは生活に必要だろう。
 日々、城下町を中心に黄泉を渡り歩いて、この世界で暮らす妖魔たちを見守ってきた。
 誰にも褒められなかったとしても、ただ自分が成し遂げようとしていることを果たすために。



「はぁ……」



 魁蓮は静かにため息を吐くと、階段を上がる。
 今日は力を使って瞬間移動する気にもならず、ゆっくりと1歩1歩踏み出していた。
 そして、3階に差し掛かったところで、魁蓮はひとつの気配を感じ取った。



「……………………」



 しばらく考え込むと、魁蓮は4階には上がらずに、その気配がある3階の廊下へと向かう。
 この時点で、魁蓮はこの気配が何なのかは分かっていた。
 だからこそ、上がらずに止まったのだ。
 放っておくのは、今の魁蓮には出来なかったから。

 そしてその気配の正体を見つけた時、魁蓮は腕を組んで声をかける。



「今夜は、月明かりがよく通っていると思わんか?」

「っ!」

「まあ、月明かりが良いのは、現世だがな」

「魁蓮様っ……」



 3階の廊下、魁蓮が感じ取った気配は虎珀だった。
 虎珀は廊下の塀の上に座り、空をじっと見上げていた。
 突然声をかけられたことに驚いたのか、弾くように首を回し魁蓮の姿を見た途端、虎珀は慌てて廊下の方へと降りる。
 そして、礼儀正しく一礼した。
 魁蓮はその姿を見ると、静かに視線を外して、先程まで虎珀が見ていた空へと視線を移す。



「じきに夕餉だ、我も着替えた後食堂へ向かう。お前は龍牙を呼んでこい」

「……あ、あの……申し訳ありません。龍牙がどこにいるのか、分から、なくて…………」

「ん?お前が龍牙のことを把握しておらぬとは、実に妙なことだな。ククッ、気が抜けたか?」

「ま、まぁ……そんなところ、でしょうか」

「……………………」



 無理をして笑う虎珀の姿に、魁蓮は眉間に皺を寄せた。
 一目見て分かる、何かを隠す動作。
 触れられたくなかったのか、それとも思い出したくないことでもあったのか。
 とにかく、龍牙という名前を聞いた途端、虎珀の顔色が変わった。
 そんな虎珀の反応に、魁蓮は大きくため息を吐く。



「お前がそのような面をしてどうする」

「っ…………」

「何があったのかは知らんが……らしくない表情はするな。最低でも、の前では控えろ。
 お前と龍牙のことを、随分と気にしていたのでな」

「えっ、人間が……?」

「何だ。その事すら気付かぬほど上の空だったのか?」

「あっ……す、すみません……」



 これは、重症だろうか。
 虎珀という男は、魁蓮以上に他人に心を開くことがない。
 良くも悪くも常に気を張っているせいで、注意力や警戒心は高く、感覚も鋭い。
 そんな彼が、あれほど分かりやすい態度をする日向の行動理由すら気が付かないとは。
 日向に相談などされなくても、魁蓮は日向が虎珀たちのことを気にかけているのは見て分かった。
 だから、虎珀が勘づかないわけがないのだ。



「……何かあったのか。あったならば、話せ。このままでは、空気も悪くて敵わん」



 日向のように、優しく尋ねることは出来ない。
 それでも、かつてこの城に招き入れ、同じ城に住む以上は見て見ぬふりは出来ない。
 この城の主として、魁蓮は虎珀に尋ねる。
 すると虎珀は、ギュッと拳を握りしめ、絞り出すような声を出した。



「龍牙をっ……無意識に傷つけていました……。
 良かれと思ってしていたことが、彼の気持ちを傷つける原因となっていたみたいで……」

「……………………」

「何よりも、彼を優先して行動していたのですが……あははっ、最悪ですよね」



 震える虎珀の声。
 その声には、負の感情が入り乱れているような、一切穏やかさを感じない暗い声だった。
 必死に何かを押し込めるように、虎珀は拳を握る手に力が入り、遂には爪がくい込んで血が垂れていた。
 その反応に、魁蓮は目を細める。



「何故、話さない」

「……えっ……?」

「お前の過去のことだ。志柳でのことを、何故龍牙に話さないのだ。話せば全て分かることでは無いか」

「っ…………」



 魁蓮の指摘に、虎珀は目を伏せた。
 魁蓮がなんのことを言っているのか、虎珀には理解出来たからだ。
 きっと、今の虎珀と龍牙の状況を見た上で、疑問を感じたのだろう。
 しかし、虎珀は魁蓮から提案されたことに、首を振った。



「……いいえ、話しません。話さない方が、龍牙のためにもなりますから……」

「その結果、このような事態になっているのだろう。
 龍牙は、お前の本音を聞きたいのではないか?お前の行動理念と、何故自分だけを気にかけるのか」

「……………………」

「我に話したことを、同じように伝えれば良い。このままでは、龍牙の気が晴れぬ」



 魁蓮の言葉が、虎珀の胸に突き刺さっていく。
 分かっている、頭では。
 全てを話せば、こうして傷つけることも無かったのだろうと。
 でも、彼に話すにも、それは決して良い話では無いのだ。
 むしろ、更に傷つけてしまうかもしれない。
 だから、虎珀は今でも龍牙に話せずにいる。



「知らない方がいいことも、あるでしょう。
 アイツは、何も知らなくていいんです」

「少なくとも、龍牙は知らぬ存ぜぬで済む男では無いな。知りたがりな奴だぞ」

「あははっ……それでも、言えません……」



 話す覚悟ができたと思えば、今まで守り抜いてきたものが邪魔をして、言葉がつっかえてしまう。
 伝えなければいけないことがあっても、いざ龍牙を目の前にすれば、気持ちが後ろめいてしまう。
 あと一歩が踏み出せない、龍牙をずっと待たせてしまっていると分かっていながら。



「俺は、今のこの生活が続いてくれれば、それでいいんです。
 かつて、だった俺を、魁蓮様と司雀様が助けてくれた。そして、龍牙と出会わせてくれた……それだけでも、十分なんです」

「まだそれを言うのか。お前は裏切ってなどっ」

「裏切ったんです……。
 あの時、俺が志柳を離れていなければ。龍禅りゅうぜんを1人にしなければ……こんなろくでもない男の話なんて、龍牙も聞きたくないでしょう……」

「そんなことは無いと、我は思うがな」

「龍牙は、どうなのかは分かりませんから……。
 でも、約束したんです。ちゃんと守るって……」

「………………………………」

「すみません、魁蓮様。
 ちょっと現世へ行って、頭を冷やしてきます。どうぞ先に、夕餉を召し上がってください。それでは……」



 虎珀はそう言うと、軽く一礼をして、逃げるように魁蓮に背を向けて歩き出した。
 魁蓮は、立ち去っていく虎珀の背中を見つめながら、龍牙の自室へと視線を向ける。

 そして、違和感に気づいた。



 (……ん?)





┈┈┈┈┈┈┈ ❁ ❁ ❁ ┈┈┈┈┈┈┈┈





 魁蓮と離れた後、虎珀は気持ちを落ち着かせようと現世に来ていた。
 人間も妖魔も居ない道を通って、先程の会話を思い出す。





【我に話したことを、同じように伝えれば良い。このままでは、龍牙の気が晴れぬ】





 脳内で、魁蓮の言葉が繰り返される。
 話さなければいけないことだというのは、ちゃんと分かっているのだ。
 きっと、何も無ければ話せただろう。
 でも、今の虎珀にその事を話す資格なんて、どこにもなかった。

 人間の町が見える崖の所にたどり着くと、虎珀は脱力したように腰を下ろして、頭を抱えた。
 吐き出せない不安と、絶望の狭間で苦しみながら。



「龍禅っ……俺は、このままでいいのか……。
 俺だけがっ、生きてていいわけが無いのにっ……」



 空に向かって、かすれる声を漏らす。
 ただ、届いて欲しかった。
 聞いて欲しいんじゃない、自分の考えさえ届いてくれれば良かった。
 もう戻ることのない、の元に……。



「龍禅……俺っ、どうすればいいっ……。
 教えてくれ……あの時みたいにっ……………………」



 思い出すのは、懐かしい記憶。
 あの場所で生きた日々と、いつも隣にいた、たった1人の存在。
 思い出す度に、会いたい気持ちが募って苦しくて。
 どうにかあの日に戻れないかと、何度も夢に出てきては、願ってばかりだった。
 戻らないって、分かっているのに……。





【虎珀……俺、お前のこと大好きだよ】




 
 短いようで、長い日々だった。
 それは虎珀にとって、最大とも言えるほど幸せな日々だった。
 そして、最悪とも言える日が訪れる、幕開けみたいなものだった。

 その始まりは、ある森の中でのこと…………。
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