愛恋の呪縛

サラ

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第222話

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「っ……あっ……」



 妖魔の姿を見た虎珀は、顔が真っ青になった。
 目を合わせるだけで、息が詰まってしまう。
 この場所だけ酸素が無くなったのかと思うほど、苦しくて、一定の呼吸が出来なくなる。
 そして本能が、警告を出していた。
 「逃げ切れない」「ここで殺される」と。

 この圧、この恐怖、この雰囲気。
 間違いない、彼こそが鬼の王なのだろう。



 (何なんだよ……噂以上の、化け物じゃねえかっ……)



 噂や伝説で語り継がれている、この世で最も恐れられている存在。
 かの有名な史上最強の仙人、黒神が唯一倒せなかった妖魔。
 虎珀は納得した、こんな気配と圧を漂わせる恐怖の存在、人間だった黒神が倒せるはずがない。
 そして一気に名が轟いて、有名になったのも頷ける。
 逆に言えば、こんな存在が敵だという仙人たちに同情してしまいそうだ。
 それぐらい目の前にいる鬼の王が、心底怖い。



「何用で、ここに来た」

「っ!?」



 その時、突然魁蓮が口を開いた。
 恐怖で動けなかった虎珀は、声をかけられたことに驚いて体が跳ねる。
 低い声、内臓にまで響いてくるほどだ。
 行動も、発言も、全てが生と死の天秤にかけられているような気がして、虎珀はすぐには答えられなかった。



 (落ち着け……落ち着け……)



 何度も何度も言い聞かせる。
 別に、なにか悪いことをした訳では無い、はず。
 だから、今は怯える必要は無い、質問に答えるだけ。
 そう何度も落ち着こうとするが、やはりその努力さえ打ち砕いてくるのが、目の前にいる男の圧。
 でも遅かれ早かれ、答えないことが1番刺激を与えかねない。
 虎珀はゴクリと唾を飲み込むと、緊張の面持ちで魁蓮の質問に答える。



「……妖力を、辿ってきた……この村に残っている、微量な妖力っ……それが、気になって……」



 この村に残っている、ある妖魔の妖力。
 ここへ辿り着いて気づいたのは、村に僅かに残っている妖力が……の妖力と全く同じということ。
 偶然なのか、それともなにかの運命か。
 だが時が経っても、消えることなく廃村と共に残っている妖力の気配……龍禅の強さを考えれば、納得出来る。
 ということはこの村は、かつて龍禅によって滅ぼされた場所なのだろうか。
 志柳で生き、人間と共に生きる彼が……?

 そんな謎だらけな現状を打破したいのに、今はそんな考えが頭を回らないほど、虎珀の意識は魁蓮に吸い取られている。
 頭が回らない、恐怖で脳内が埋め尽くされるのだ。
 すると魁蓮は、虎珀の返答に少し目を見開いた。



「これは驚いた。貴様、この村に残る妖力に気づくか」

「……えっ」

「並大抵の阿呆共では、素通りしてしまうほど微量な妖力……感じ取れただけでも、褒められたものだろう。どうやら実力は、本物のようだな」



 (……あれっ……)



 虎珀は、魁蓮の言葉に片眉を上げた。
 今の言葉は、もしや褒められたのだろうか。
 鬼の王に?何故?
 恐怖と困惑が入り交じり、虎珀はぽかんと口を開けて固まってしまう。
 すると魁蓮は、虎珀から視線を外して廃村をじっと見渡す。



 (……随分と、暴れたようだなぁ……)



 見渡す限り、廃れた小さな村。
 どれだけの人間が集まろうと、豊かな村として復興させるのは不可能だろう。
 それに、この村は妖魔が蔓延る山や森に近い。
 仙人も近くにいない以上、この村が崩壊するのは時間の問題だったはずだ。

 結果としては、妖魔の手によって滅ぼされたが……。



 (ここで、村の人間どもに痛めつけられたのか……)



 魁蓮の脳内に、ある一体の妖魔が浮かび上がる。
 この廃村から感じる妖力は、憎悪の塊。
 どれほどの負の感情が、この廃村に残る妖力に乗せられていたのか、考えるまでもないほどだった。
 魁蓮は目を伏せ、眉をひそめた。





 (それにしても……なんだ、この顔立ちは……)





 魁蓮が廃村を見渡す中、虎珀は魁蓮を見つめていた。

 目の前にいるのは、鬼の王という異名で恐れられている最強の妖魔。
 だがその正体は、驚く程の美形をした若々しい男。
 同じ妖魔種族だとは思えないほど、魁蓮の顔立ちは美しい。
 目、鼻、眉、輪郭……顔だけじゃない、体も筋肉がついていて、背丈も180cm以上はありそうだ。
 この世に、ここまで完璧な容姿を持った生物がいるなんて、世の中不公平極まりない。
 彼から感じる圧や、彼に関する情報が1つも無ければ、男女問わず注目を浴びるだろう。





「何を見ている」

「っ!」





 その時、虎珀は魁蓮と目が合った。
 眉間に皺を寄せて、魁蓮はギロリと虎珀を見下す。
 廃村に視線を巡らせていたとはいえ、相手は最強と言われるほどの実力者。
 それなりにじっと見つめられれば、向けられている視線にも気づくというもの。
 虎珀はあまりにもじっと見つめていた自分に、ギョッとする。



 (まずいっ……)



 目が合った途端、再び恐怖に襲われた。
 虎珀は分かりやすく目を逸らし、拳をグッと握る。
 見つめすぎたことは、彼の怒りに触れてしまうのだろうか、なんて心配事が頭を埋めつくした。
 それに、こんなにも誰かを見つめ続けるなど、虎珀らしくはない。
 だがそんな虎珀が見つめすぎてしまうほど、魁蓮という男は本当に美男子なのだ。
 本当に、頭が上がらなくなるほど……。

 そしてそのまま、虎珀が何も言えずに目を伏せていると……



「まあ良い。ではな」

「…………………………………………………………?」



 虎珀の耳に届いたのは、その一言だった。
 それは一般的に考えれば、別れの挨拶のようなもの。
 そう、一般的に考えれば、何らおかしくはない。
 でも今はおかしい、虎珀は自分が聞いたその言葉が信じられず、伏せていた目を上げる。
 すると、魁蓮はその場に立ち上がって、虎珀に見向きもせずゆっくりと屋根の上を歩き出した。
 強制的に、話が終わったようだ。



「えっ……?ちょっ、ちょっと待て!!!!」



 だが虎珀は、その場から歩き出す魁蓮を思わず呼び止めた。
 呼び止めた途端、虎珀はハッと我に返る。
 ここで何も言わずに離れていれば、鬼の王に対する恐怖も圧も、感じなくて済むというのに。
 虎珀は、先程から命知らずな行動をする自分に嫌気がさしてしまうが、こればかりは黙ってはいられなかった。
 虎珀は首をブンブンと横に振って気を取り直すと、魁蓮がいる屋根に慌ててよじ登り、虎珀を気にすることなく歩き続ける魁蓮の背中に声をかける。



「あ、あんたっ……俺を、殺さないのか……?」



 咄嗟に聞いたのは、そんな内容だ。
 意味のわからない質問だろう。
 だが虎珀は、真剣そのものだった。
 すると、さすがに違和感を抱いたのか、魁蓮はピタッとその場に立ち止まった。
 そして、ゆっくりと振り返ると、片眉上げる。



「……何故、殺されると思うのだ」



 当然の反応だろう。
 でも虎珀が尋ねた理由は、彼が世間で抱かれている印象故の疑問だった。



「だ、だって……あんた……鬼の王、だろ……?
 無境なく、どんな奴でも殺すんじゃないのか?相手が誰だろうと、関係ない無慈悲なやつだって」

「………………?」

「アッ」



 (馬鹿か俺!!!本人の前で言うか普通!?!?)



 圧に負けているのか、それとも恐怖で気が動転しているのか。
 今日の虎珀は、自ら三途の川を渡りに行っているようだった。
 全身から血の気が引くような感覚に襲われながら、虎珀はその場に足を踏ん張って耐える。
 今ここで逃げ出したら、背中を向けた瞬間あの世に行きそうな気がした。

 虎珀がその場でじっと耐えていると、魁蓮は目を細め、そして伏せた。



「……今の我は、そういう印象か。
 まあ、どうでもいいな」

「……えっ……?」

「第一、貴様は我に何かしたか?」

「えっ……い、いや……」

「ならば、殺す理由など無い。妙な印象を抱かれているようだが……まあ弁明する気にもならんな」

「………っ………」

「話は終わりか?ならば即刻、ここから立ち去れ。廃村とはいえ、この場は空気が悪い。
 あぁ、案ずるな……我が貴様を殺すことは無い」



 そう言うと魁蓮は、再び歩き出す。
 話した通り、虎珀には何一つ手を出さないまま。

 この時……虎珀は困惑した。



 (……なんか、印象と違う気が……)



 恐怖、圧、圧倒的強者。
 この類については、噂通りの男だと思った。
 姿が見えなかった時から感じたあの恐怖は、まさに本物で、異名の中に、「王」という字が含まれているだけある。
 でも一つだけ、何かが違う気がした。

 それは……鬼の王は、誰彼構わず殺すという話。
 そして何より、虎珀はある事が気になっていた。



「……待ってくれ」



 虎珀は再び、小声で声をかける。
 だが今度は、何の恐怖も抱くことなく、虎珀の意思で呼び止めた。
 すると虎珀の声を聞いた魁蓮は、今度は1度で立ち止まり、横目だけ視線を送った。
 彼も、虎珀が先程と違う呼び止め方をしていると気づいたのだろう。
 虎珀は拳を握ると、困惑したような表情で魁蓮を見つめる。



「俺は、つい最近まであんたのことを知らなかった。噂とか伝説とか、全然興味が無くて。でも今は、一緒に旅をしている妖魔から聞いた話程度だが、あんたを知っている」

「…………………」

「俺が聞いたのは、あんたは誰彼構わず殺す残虐な妖魔って聞いた。過去に、そういう残酷な伝説を残したこともあると……。
 でも……今のあんたを見ていたら、何か変だ……」



 そう言うと虎珀は、1歩足を前に出すと、真剣な眼差しで魁蓮を見つめた。
 鬼の王 魁蓮は、かつてこの国を襲った。
 そして、史上最強の仙人である黒神と、彼を愛し愛されていた神、その2人を殺した。
 理由もなく、求めるのは己の快楽だけ。
 それが、世間が語る鬼の王。

 …………本当に、そうだろうか…………………?
 もし本当に、魁蓮が誰かれ構わず殺す残虐非道な妖魔だとしたら……



 だったら何故。
 鬼の王から、殺意を全く感じないのだろうか……。





「あんた……本当に、噂通りの男なのか……?」

「……………………」





 虎珀の問いかけに、魁蓮は再び虎珀に向き直った。
 こちらを見据えてくる魁蓮に、虎珀はゴクリと唾を飲み込む。
 先程感じた恐怖が少し薄れたとはいえ、やはり鬼の王が目の前にいるのは怖い。
 でも……彼は、何もしてこない。

 すると魁蓮は、虎珀をじっと見つめ、口を開く。





「虎の妖魔よ、貴様に問う。
 貴様にとって、は何だ」

「っ…………えっ?」
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