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八章 ヒカル四日目
天地 ①'
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いつもと同じように、目が覚める。
空は昨日と同じように、曇っていた。
このままずっと、太陽は覗かないのではないか。ずっと空は悲しんだまま、やがて世界は雨で満たされる。
起きたての頭は、ふとそんな物悲しい想像をしてしまった。
服を着替え、一階に降りる。少しだけ寝坊したようで、居間には既に全員が着席していた。
いただきますの合掌とともに、朝食をとりはじめる。今日の朝食も美味しかった。
「……昨日、黒いスーツ姿の男を見た者がいるらしい」
突然、そんな話題を切り出したのはお祖父様だった。
三日前に出会い、しかしジロウくんの死によって記憶の片隅に追いやられていた存在が、またにわかに強くなってくる。
一体あの男は、何者だったのだろう。
「……まさか、佐渡コンツェルンの?」
そう言ったのは、父さんだった。
佐渡コンツェルンという会社の名前は聞いたことがある。長い歴史を持つ東京の大企業で、様々なジャンルの事業を手がけているのだとか。何でも、その勢いをつけたのが一九八五年の開発事業らしい。火事によって消失した森を買い取り、そこを観光施設にした。バブル景気の波に乗ったその施設は忽ち人気が爆発し、有名スポットになったし、社長はバブル崩壊の兆しを早くに見抜いたために、絶頂期というときに、とんでもない額でその施設を売り抜いたという。
今の社長は確か、佐渡一比十という人物だったと記憶しているが――
――カズヒト?
「……佐渡コンツェルンって、この村に関係あるの……?」
それとなく、僕が父さんに訊ねると、
「……ああ。あるにはある。この前お祖父さんが話してくれただろう。鴇村を出て行った男がいるって。その男が佐渡一比十、佐渡コンツェルンの社長だよ」
「……やっぱり、そうなんだ」
村に背き、そして村の外で成功した男、佐渡一比十。正直に言って、村を出て幸せを勝ち取ったというのは、村側にしてみれば不名誉というか、不快なものなのだろう。だからこそきっと、村の者たちはカズヒトという人物のことを、裏切り者というのだ。
「もう古い話だ」
父さんは、それこそ昔話を話すような調子で言う。きっとあまり思い出したくない、記憶の底に追いやったことなのだろう。
「……言わなくてもいいことかもしれないが」
父さんはそう前置きすると、落ち着いた声で、僕にこう告げた。
「佐渡一比十はね。もとは赤井家の人間だったんだよ」
*
扉を叩く。するとすぐに、クウは扉を開けて出てきた。その顔は明るい。
「おはようっ、ヒカル」
「うん、おはよう」
昨日の涙の跡はもう、そこにはなかった。引き摺っていても仕方がないのだと、気持ちを切り替えられたのだろう。あるいはその途中か。いずれにせよ、クウの笑顔に僕はほっと安堵できた。
とりあえず、クウのことについては。
「そうそう、この前撮った写真って、プリントできたの?」
「あー、まだしてないなあ。する余裕もなかったし」
「はやく見たいな。私、ハッキリ言ってまだヒカルのアルバムとかもあんまり見たことないんだよ?」
「ま、まあそれは……自分の観賞用だから」
「なんじゃそりゃ」
クウが呆れたように言う。正直なところ、本当は誰かに見せたいという気持ちもある。だが、共感されない作品ほど悲しいものはない。僕は自分の撮った綺麗な――少なくとも自分はそう思っている――写真が、誰かに否定されるのが嫌なのだ。自意識過剰なのかもしれないが。
だから、クウにすら進んで見せたことはなかった。
「……今度はちゃんと、見てもらおう」
「ん、期待しておこう」
僕の口調を真似て、クウは言った。可笑しくなって、二人で笑う。
「そういえば、ずっと前にワタルの家に行ったときにさ、ボロいカメラを見つけたんだよねえ。ひょっとしたら、ワタルのお父さんも写真撮るの好きだったのかもよ?」
「ゲンキさんが? へえ、意外だなあ」
申し訳ないが、ゲンキさんは堅物、というイメージがあるので、そういったものに興味を示さないというか、そもそも上手く扱えないんじゃないかとか思ってしまう。なので赤井家にカメラがあるというのは意外だった。
「ワタルのじゃないんだよね?」
「ないでしょ。もう相当古そうだったよ?」
「デジタルじゃあない感じか」
「そ。ヒカルの持ってるようなサイセンタンのじゃないない」
別に最先端の物を持っていることに優越感があるわけではないのだが、クウはあてこするようにそう言ってきた。反論しても更に茶化されそうなので、もう黙っておく。
そんなこんなで、話が一段落するときには、僕らは学校の敷地に入っている。校舎に入り、教室のドアをガラリと開く。まだ生徒は二人しかいない。
僕らは席に着き、また雑談を始める。
しばらくすると、教室の扉が開いて、ツバサちゃんが入ってきた。しかし、必ず一緒にいるはずのワタルの姿がない。僕は驚いて目を丸くしたあと、すぐ眉をひそめ、
「おはよう、ツバサちゃん。ワタルは?」
と、すぐに訊ねた。
「うん、おはよう。……ワタルくん、いつもの時間にこなくて。待ってみたんだけど来ないから、家に行ってみたんだけどね。お父さんが出てきて、先に行っててほしいって言われちゃって」
「どうしたんだろう……」
クウが顎に手を当てながら言う。
「やっぱり、ワタルもジロウくんのことで相当ショックを受けて、今日は来れなかったのかもしれないね……」
「なのかなあ。昨日、確かに辛そうだったから、私も辛いけど、励まそうとしたんだ。……でも、すぐには元気、でないよね。仕方ないよね……」
ツバサちゃんは、今にも泣きそうな様子だ。それを見てクウは頬を膨らませ、
「あー、ワタルってほんとダメ男よね。女の子を泣かせるなんて。ヒカルといい勝負よ」
「おい、僕を引き合いに出すな」
「だってー、女の子一人守れないんだもの」
「う。反省してるってば」
それを聞きながら、ツバサちゃんは興味津々といった感じで顔を寄せてくる。
「なになに? 何があったのかな」
「そこはもうヒミツですよ」
なにがヒミツだ。野生動物に襲われそうになっただけじゃないか。むしろ恥ずかしいのはクウのほうだ。きっとそうだ。
「女の子は、守ってくれる男の子を求めてるよねー?」
「うーん、うーん……人それぞれだとは思うけどね。私は、うん。ワタルくんに、守ってほしいかな」
「ほら」
ほらってなんだ。
流石に女の子二人に男一人は分が悪い。ワタルめ、早く気持ちを切り替えて、登校してこい。そう心の中で呟いた。
そんなとき、救いの神のようにカナエ先生がやって来た。僕はほっと息を吐いて、ほら先生が来たよと、二人を席に着かせた。
*
「何か、最近ずっとみんなで揃って遊んでないよね」
昼休み。窓の向こうの曇り空を見つめながら、クウはぼそりと呟く。もしも五人が揃っていれば、この昼休みも運動場に出て、体を動かして遊んでいるのが日常だった。
今その日常は、遠い彼方にあるようだ。
「ま、今はどうしようもないよ。時間がかかるものだと思う。僕も正直言えば、まだ立ち直れてないしね。……気にかかることがあって、そっちに意識がいってるから、マシなのかもしれない」
「気にかかることって?」
「んー、まあ色々」
そう言ってはぐらかしてみたものの、
「……黒スーツの男の人、見たことある?」
「え? ないけど。そんな人が村にいるの?」
「見たって人がいてさ。誰なんだろうっていうちょっとした好奇心」
「ほえー。暑苦しいね。六月なのに」
「というかこの村でスーツだよ」
「目立つね」
「だね」
クウも興味を抱いたらしい。だが、やはり目撃はしていないようだ。
「んーでもでも、私最近、ワタルとツバサちゃんの秘密は目撃しちゃったけどね」
「ん? 秘密?」
「そうそう」
何となく下品な笑みを浮べて、クウは小刻みに頷いた。何かオヤジっぽいぞ。
「ワタルとツバサちゃんって、毎日ノートを交換してるみたいでねー。中身は知らないけど、交換するっていったらやっぱり日記しかないでしょ?」
「ああ、交換日記ってやつ?」
「それ! しかも一冊じゃなくて二冊ってところがすごいよね。毎日お互いのこと知りたいっていう愛が伝わってくるなあ」
「あんまり妄想しすぎないように。……というか、交換日記じゃないかもしれないんじゃ」
「いやいや。毎日交換するのは同じ、赤と白のノートなんだよ。学校の帰り道に交換してるみたい。二週間前に気付いてから、たまーに盗み見てるんだけどさ。一昨日も、ワタルくんが赤のノート、ツバサちゃんが白のノートを交換してたんだ。ヒカルは気付かなかっただろうけど」
「気付かなくて悪かったね。あんまりそういうの盗み見るのもどうかと思うよ」
ひょっとして、という思いも頭をよぎるが。
クウも、そういうものに憧れたりするのだろうか。
「でも確かに、罪悪感はちょっとあるかも」
「ん?」
意外にも素直にクウがそう認めたので、僕は拍子抜けする。
「いやさ。なんか照れ臭そうな感じだったらまだいいんだけど、なんていうかなあ」
クウは頬を掻きながら言う。
「けっこうマジメな顔してさ。二人で、明日も頑張ろうとかいうもんだから。なんかこう、付き合いたての恋人というより、もっとこう……深いものを感じたというか?」
「……あんまり妄想しすぎないように」
聞いているこっちが恥ずかしくなってしまう。というか、そう感じてしまう僕も妄想しすぎているのだろうか。いや、そうでもないはずだ。
「んー、いいよなあ、二人の秘密って。青春って感じがする」
「……日記、したいの?」
さりげない口調を意識しながら、僕がそう聞くと、クウは突然顔を赤くして、
「だ、誰がヒカルと日記なんかするのよ。絶対堅苦しい日記になるじゃない」
「いやそんなことはないかと……」
「まあ、日記はワタルとツバサちゃんのものだし」
クウは僕から目を逸らしながら、言う。
「私たちは私たちなりの何かがあれば、それでいいんじゃない?」
思わぬカウンターだ。僕はその言葉に、照れ臭くなりながらも、頷いた。
*
放課後になり、カナエさんが別れの挨拶をする。九人のクラスだと、一人の空席でも目立つというのに、ここ最近は何人も欠席している。どことなく教室が寂しいのも当然のことだろう。
「タロウくんはもうちょっと時間がかかるかもしれないけど……ワタルは明日にでも、来てくれればいいのにね」
クウの言葉に、ツバサちゃんは頷き、
「うん。私、今日はお見舞いに行ってくるね。元気出してもらって、明日は連れてくるから」
「おう、よろしく頼んだ。ワタルがいないと明日の体育、張り合いがないから」
「ふふ、分かった」
ツバサちゃんは健気に微笑む。
「私からもよろしくお願いするわ」
後ろの方から声がして、振り返るとそこにはカナエさんがいた。
「授業中も殆ど寝てるだけだけど、あの子がいないと寂しいのは事実だし」
「あはは……それは注意しておきます」
ツバサちゃんは、今度は苦笑いする。
「ねえ、ツバサちゃん。僕らもお見舞いに行こうか?」
「こら、ヒカル」
「いてて」
クウに耳を引っ張られる。何故だ。
「こういうときのお見舞いってのは、邪魔者は入っちゃいけないの」
「あ、あの……クウちゃん……」
恥ずかしそうに体をくねらせながら、ツバサちゃんはクウの言葉を遮る。
「あ、……ゴメンゴメン」
今更謝っても遅いのだが。
「ワタルくんのことは、ツバサちゃんに任せましょう? きっと連れてきてくれるわ」
カナエさんもそういうので、僕はそれ以上は何も言わず、ツバサちゃんに任せることにした。
明日には、ちゃんと来るだろう。
ツバサちゃんは、じゃあまた明日、と僕らに言い、教室を出て行こうとする。そのとき僕はふと思いついて、
「あ、ツバサちゃん」
「うん?」
「ツバサちゃんは、黒スーツの男の人って見たことある?」
ツバサちゃんはその問いに首を傾げて、
「ううん、ないよ」
「そっか。ごめん、じゃあまた明日」
「はーい」
ツバサちゃんは、手を振って教室を去る。後には、僕とクウとカナエさんの三人だけが残された。
「じゃあ、僕らもそろそろ帰ろうか」
「うん、そうしよ」
クウは笑いながら同意する。
「ちなみに、先生も黒スーツの人なんて見てませんよね?」
「ええ……いたら目立つでしょうしね。見たことはないわ」
「そうですか。……それじゃあ」
「あ、ねえ、ヒカルくん」
「はい?」
「何か、気になることでもあるのかしら」
「ああいや、別に……。ただ、見た人がいるらしくて。やっぱり珍しいから、僕も気になったんです」
「まあ、確かにね」
カナエさんはくすくすと笑う。
「……ねえ、二人とも。ちょっとだけ、時間ある?」
「え? まあ、何も予定はないですけど」
「ヒカルが作ってくれないからねー」
クウが余計なことを言うのは無視する。
「……本当に、ちょっとだけでいいから。私の話に付き合ってくれるかしら。ワタルくんのところに行かれても、困るしね」
カナエさんは、悪戯っぽく笑いながら、そう言った。
空は昨日と同じように、曇っていた。
このままずっと、太陽は覗かないのではないか。ずっと空は悲しんだまま、やがて世界は雨で満たされる。
起きたての頭は、ふとそんな物悲しい想像をしてしまった。
服を着替え、一階に降りる。少しだけ寝坊したようで、居間には既に全員が着席していた。
いただきますの合掌とともに、朝食をとりはじめる。今日の朝食も美味しかった。
「……昨日、黒いスーツ姿の男を見た者がいるらしい」
突然、そんな話題を切り出したのはお祖父様だった。
三日前に出会い、しかしジロウくんの死によって記憶の片隅に追いやられていた存在が、またにわかに強くなってくる。
一体あの男は、何者だったのだろう。
「……まさか、佐渡コンツェルンの?」
そう言ったのは、父さんだった。
佐渡コンツェルンという会社の名前は聞いたことがある。長い歴史を持つ東京の大企業で、様々なジャンルの事業を手がけているのだとか。何でも、その勢いをつけたのが一九八五年の開発事業らしい。火事によって消失した森を買い取り、そこを観光施設にした。バブル景気の波に乗ったその施設は忽ち人気が爆発し、有名スポットになったし、社長はバブル崩壊の兆しを早くに見抜いたために、絶頂期というときに、とんでもない額でその施設を売り抜いたという。
今の社長は確か、佐渡一比十という人物だったと記憶しているが――
――カズヒト?
「……佐渡コンツェルンって、この村に関係あるの……?」
それとなく、僕が父さんに訊ねると、
「……ああ。あるにはある。この前お祖父さんが話してくれただろう。鴇村を出て行った男がいるって。その男が佐渡一比十、佐渡コンツェルンの社長だよ」
「……やっぱり、そうなんだ」
村に背き、そして村の外で成功した男、佐渡一比十。正直に言って、村を出て幸せを勝ち取ったというのは、村側にしてみれば不名誉というか、不快なものなのだろう。だからこそきっと、村の者たちはカズヒトという人物のことを、裏切り者というのだ。
「もう古い話だ」
父さんは、それこそ昔話を話すような調子で言う。きっとあまり思い出したくない、記憶の底に追いやったことなのだろう。
「……言わなくてもいいことかもしれないが」
父さんはそう前置きすると、落ち着いた声で、僕にこう告げた。
「佐渡一比十はね。もとは赤井家の人間だったんだよ」
*
扉を叩く。するとすぐに、クウは扉を開けて出てきた。その顔は明るい。
「おはようっ、ヒカル」
「うん、おはよう」
昨日の涙の跡はもう、そこにはなかった。引き摺っていても仕方がないのだと、気持ちを切り替えられたのだろう。あるいはその途中か。いずれにせよ、クウの笑顔に僕はほっと安堵できた。
とりあえず、クウのことについては。
「そうそう、この前撮った写真って、プリントできたの?」
「あー、まだしてないなあ。する余裕もなかったし」
「はやく見たいな。私、ハッキリ言ってまだヒカルのアルバムとかもあんまり見たことないんだよ?」
「ま、まあそれは……自分の観賞用だから」
「なんじゃそりゃ」
クウが呆れたように言う。正直なところ、本当は誰かに見せたいという気持ちもある。だが、共感されない作品ほど悲しいものはない。僕は自分の撮った綺麗な――少なくとも自分はそう思っている――写真が、誰かに否定されるのが嫌なのだ。自意識過剰なのかもしれないが。
だから、クウにすら進んで見せたことはなかった。
「……今度はちゃんと、見てもらおう」
「ん、期待しておこう」
僕の口調を真似て、クウは言った。可笑しくなって、二人で笑う。
「そういえば、ずっと前にワタルの家に行ったときにさ、ボロいカメラを見つけたんだよねえ。ひょっとしたら、ワタルのお父さんも写真撮るの好きだったのかもよ?」
「ゲンキさんが? へえ、意外だなあ」
申し訳ないが、ゲンキさんは堅物、というイメージがあるので、そういったものに興味を示さないというか、そもそも上手く扱えないんじゃないかとか思ってしまう。なので赤井家にカメラがあるというのは意外だった。
「ワタルのじゃないんだよね?」
「ないでしょ。もう相当古そうだったよ?」
「デジタルじゃあない感じか」
「そ。ヒカルの持ってるようなサイセンタンのじゃないない」
別に最先端の物を持っていることに優越感があるわけではないのだが、クウはあてこするようにそう言ってきた。反論しても更に茶化されそうなので、もう黙っておく。
そんなこんなで、話が一段落するときには、僕らは学校の敷地に入っている。校舎に入り、教室のドアをガラリと開く。まだ生徒は二人しかいない。
僕らは席に着き、また雑談を始める。
しばらくすると、教室の扉が開いて、ツバサちゃんが入ってきた。しかし、必ず一緒にいるはずのワタルの姿がない。僕は驚いて目を丸くしたあと、すぐ眉をひそめ、
「おはよう、ツバサちゃん。ワタルは?」
と、すぐに訊ねた。
「うん、おはよう。……ワタルくん、いつもの時間にこなくて。待ってみたんだけど来ないから、家に行ってみたんだけどね。お父さんが出てきて、先に行っててほしいって言われちゃって」
「どうしたんだろう……」
クウが顎に手を当てながら言う。
「やっぱり、ワタルもジロウくんのことで相当ショックを受けて、今日は来れなかったのかもしれないね……」
「なのかなあ。昨日、確かに辛そうだったから、私も辛いけど、励まそうとしたんだ。……でも、すぐには元気、でないよね。仕方ないよね……」
ツバサちゃんは、今にも泣きそうな様子だ。それを見てクウは頬を膨らませ、
「あー、ワタルってほんとダメ男よね。女の子を泣かせるなんて。ヒカルといい勝負よ」
「おい、僕を引き合いに出すな」
「だってー、女の子一人守れないんだもの」
「う。反省してるってば」
それを聞きながら、ツバサちゃんは興味津々といった感じで顔を寄せてくる。
「なになに? 何があったのかな」
「そこはもうヒミツですよ」
なにがヒミツだ。野生動物に襲われそうになっただけじゃないか。むしろ恥ずかしいのはクウのほうだ。きっとそうだ。
「女の子は、守ってくれる男の子を求めてるよねー?」
「うーん、うーん……人それぞれだとは思うけどね。私は、うん。ワタルくんに、守ってほしいかな」
「ほら」
ほらってなんだ。
流石に女の子二人に男一人は分が悪い。ワタルめ、早く気持ちを切り替えて、登校してこい。そう心の中で呟いた。
そんなとき、救いの神のようにカナエ先生がやって来た。僕はほっと息を吐いて、ほら先生が来たよと、二人を席に着かせた。
*
「何か、最近ずっとみんなで揃って遊んでないよね」
昼休み。窓の向こうの曇り空を見つめながら、クウはぼそりと呟く。もしも五人が揃っていれば、この昼休みも運動場に出て、体を動かして遊んでいるのが日常だった。
今その日常は、遠い彼方にあるようだ。
「ま、今はどうしようもないよ。時間がかかるものだと思う。僕も正直言えば、まだ立ち直れてないしね。……気にかかることがあって、そっちに意識がいってるから、マシなのかもしれない」
「気にかかることって?」
「んー、まあ色々」
そう言ってはぐらかしてみたものの、
「……黒スーツの男の人、見たことある?」
「え? ないけど。そんな人が村にいるの?」
「見たって人がいてさ。誰なんだろうっていうちょっとした好奇心」
「ほえー。暑苦しいね。六月なのに」
「というかこの村でスーツだよ」
「目立つね」
「だね」
クウも興味を抱いたらしい。だが、やはり目撃はしていないようだ。
「んーでもでも、私最近、ワタルとツバサちゃんの秘密は目撃しちゃったけどね」
「ん? 秘密?」
「そうそう」
何となく下品な笑みを浮べて、クウは小刻みに頷いた。何かオヤジっぽいぞ。
「ワタルとツバサちゃんって、毎日ノートを交換してるみたいでねー。中身は知らないけど、交換するっていったらやっぱり日記しかないでしょ?」
「ああ、交換日記ってやつ?」
「それ! しかも一冊じゃなくて二冊ってところがすごいよね。毎日お互いのこと知りたいっていう愛が伝わってくるなあ」
「あんまり妄想しすぎないように。……というか、交換日記じゃないかもしれないんじゃ」
「いやいや。毎日交換するのは同じ、赤と白のノートなんだよ。学校の帰り道に交換してるみたい。二週間前に気付いてから、たまーに盗み見てるんだけどさ。一昨日も、ワタルくんが赤のノート、ツバサちゃんが白のノートを交換してたんだ。ヒカルは気付かなかっただろうけど」
「気付かなくて悪かったね。あんまりそういうの盗み見るのもどうかと思うよ」
ひょっとして、という思いも頭をよぎるが。
クウも、そういうものに憧れたりするのだろうか。
「でも確かに、罪悪感はちょっとあるかも」
「ん?」
意外にも素直にクウがそう認めたので、僕は拍子抜けする。
「いやさ。なんか照れ臭そうな感じだったらまだいいんだけど、なんていうかなあ」
クウは頬を掻きながら言う。
「けっこうマジメな顔してさ。二人で、明日も頑張ろうとかいうもんだから。なんかこう、付き合いたての恋人というより、もっとこう……深いものを感じたというか?」
「……あんまり妄想しすぎないように」
聞いているこっちが恥ずかしくなってしまう。というか、そう感じてしまう僕も妄想しすぎているのだろうか。いや、そうでもないはずだ。
「んー、いいよなあ、二人の秘密って。青春って感じがする」
「……日記、したいの?」
さりげない口調を意識しながら、僕がそう聞くと、クウは突然顔を赤くして、
「だ、誰がヒカルと日記なんかするのよ。絶対堅苦しい日記になるじゃない」
「いやそんなことはないかと……」
「まあ、日記はワタルとツバサちゃんのものだし」
クウは僕から目を逸らしながら、言う。
「私たちは私たちなりの何かがあれば、それでいいんじゃない?」
思わぬカウンターだ。僕はその言葉に、照れ臭くなりながらも、頷いた。
*
放課後になり、カナエさんが別れの挨拶をする。九人のクラスだと、一人の空席でも目立つというのに、ここ最近は何人も欠席している。どことなく教室が寂しいのも当然のことだろう。
「タロウくんはもうちょっと時間がかかるかもしれないけど……ワタルは明日にでも、来てくれればいいのにね」
クウの言葉に、ツバサちゃんは頷き、
「うん。私、今日はお見舞いに行ってくるね。元気出してもらって、明日は連れてくるから」
「おう、よろしく頼んだ。ワタルがいないと明日の体育、張り合いがないから」
「ふふ、分かった」
ツバサちゃんは健気に微笑む。
「私からもよろしくお願いするわ」
後ろの方から声がして、振り返るとそこにはカナエさんがいた。
「授業中も殆ど寝てるだけだけど、あの子がいないと寂しいのは事実だし」
「あはは……それは注意しておきます」
ツバサちゃんは、今度は苦笑いする。
「ねえ、ツバサちゃん。僕らもお見舞いに行こうか?」
「こら、ヒカル」
「いてて」
クウに耳を引っ張られる。何故だ。
「こういうときのお見舞いってのは、邪魔者は入っちゃいけないの」
「あ、あの……クウちゃん……」
恥ずかしそうに体をくねらせながら、ツバサちゃんはクウの言葉を遮る。
「あ、……ゴメンゴメン」
今更謝っても遅いのだが。
「ワタルくんのことは、ツバサちゃんに任せましょう? きっと連れてきてくれるわ」
カナエさんもそういうので、僕はそれ以上は何も言わず、ツバサちゃんに任せることにした。
明日には、ちゃんと来るだろう。
ツバサちゃんは、じゃあまた明日、と僕らに言い、教室を出て行こうとする。そのとき僕はふと思いついて、
「あ、ツバサちゃん」
「うん?」
「ツバサちゃんは、黒スーツの男の人って見たことある?」
ツバサちゃんはその問いに首を傾げて、
「ううん、ないよ」
「そっか。ごめん、じゃあまた明日」
「はーい」
ツバサちゃんは、手を振って教室を去る。後には、僕とクウとカナエさんの三人だけが残された。
「じゃあ、僕らもそろそろ帰ろうか」
「うん、そうしよ」
クウは笑いながら同意する。
「ちなみに、先生も黒スーツの人なんて見てませんよね?」
「ええ……いたら目立つでしょうしね。見たことはないわ」
「そうですか。……それじゃあ」
「あ、ねえ、ヒカルくん」
「はい?」
「何か、気になることでもあるのかしら」
「ああいや、別に……。ただ、見た人がいるらしくて。やっぱり珍しいから、僕も気になったんです」
「まあ、確かにね」
カナエさんはくすくすと笑う。
「……ねえ、二人とも。ちょっとだけ、時間ある?」
「え? まあ、何も予定はないですけど」
「ヒカルが作ってくれないからねー」
クウが余計なことを言うのは無視する。
「……本当に、ちょっとだけでいいから。私の話に付き合ってくれるかしら。ワタルくんのところに行かれても、困るしね」
カナエさんは、悪戯っぽく笑いながら、そう言った。
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※2018年1月9日にタイトルを「キモダメシに行って迷い人になったオレと、蒼き物の怪と、白装束の少女」から改題しました。
後宮の寵愛ランキング最下位ですが、何か問題でも?
希羽
キャラ文芸
数合わせで皇帝の後宮に送り込まれた田舎貴族の娘である主人公。そこでは妃たちが皇帝の「寵愛ランク」で格付けされ、生活の全てが決められる超格差社会だった。しかし、皇帝に全く興味がない主人公の目的は、後宮の隅にある大図書館で知識を得ることだけ。当然、彼女のランクは常に最下位。
他の妃たちが寵愛を競い合う中、主人公は実家で培った農業や醸造、経理の知識を活かし、同じく不遇な下級妃や女官たちと協力して、後宮内で「家庭菜園」「石鹸工房」「簿記教室」などを次々と立ち上げる。それはやがて後宮内の経済を潤し、女官たちの労働環境まで改善する一大ビジネスに発展。
ある日、皇帝は自分の知らないうちに後宮内に巨大な経済圏と女性コミュニティを作り上げ、誰よりも生き生きと暮らす「ランク最下位」の妃の存在に気づく。「一体何者なんだ、君は…?」と皇帝が興味本位で近づいてきても、主人公にとっては「仕事の邪魔」でしかなく…。
※本作は小説投稿サイト「小説家になろう」でも投稿しています。
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