19 / 176
第一部【霧夏邸幻想 ―Primal prayer-】
十六話 少年の霊
しおりを挟む
「ここも問題なく開けられそうだ」
ソウシが鍵を挿し、解錠して扉を開く。
蝶番が今にも外れてしまいそうな扉が開き切ると、その先には一辺がほんの五、六メートルほどしかない空間が待っていた。
まるで洗面所のような場所だったが、もちろんそんなわけはなく。
部屋の中央には盛り上がった部分があり、その中心部だけが窪んでいて、窪みには澄み切った水が揺らめいているのだった。
間違いない、これが……。
「これが清めの水、か。一見普通の水って感じだが……」
スマートフォンのライトを当てつつ、ソウシはじろじろと水を確認する。
だが、どれだけ確認したところでただの水に見えることには変わりない。
そのうち彼は諦めて、
「とりあえず、水筒に入れて持っていかなくちゃな」
「ああ、さっさと戻ろう」
俺たちは水筒の蓋を開け、それを清めの水の中へと沈めて満杯まで汲み取った。
これがただの水ではないと、確かめる方法でもあれば良いのだが……。
「――ん?」
そんなことを考えているとき。
何かが視界の隅で揺れ動いたような気がした。
今度は鼠でも虫でもなさそうだ。
だとすると、今のは……。
「……ミツヤ、あれ」
ソウシが入口の方を指さした。扉は開けっ放しになっており、牢のある部屋がここから見える。
彼が示しているのは、こちら側からその部屋へ移動していく――半透明の存在だった。
「今のは……」
「……はは、笑うしかねえな。今のも霊らしいぜ、それも……子どもの霊だった」
背丈からすると、ソウシの言うようにあの霊が子どもなのは間違いなさそうだ。精神的な面では不明としても。
近付いても大丈夫かどうかは分からないが、いずれにせよ帰路は一つしかない。
追いかけてくるようなら逃げる、そういう心積もりでいればいいだろう。
なるべく足音を殺しながら牢屋まで戻ると、鉄格子の向こうに子どもの霊は浮かんでいた。こちらを向いていたので驚いたが、その振舞いを見る限り、敵意はないようだ。
俺とソウシは互いに顔を見合わせる。このまま霊をスルーしても良かったが、何かを訴えているようなあの子の目が、俺たちの良心を苛んだのだ。
その場で動けないでいると、子どもの霊は鉄格子をすり抜けてこちらまでやって来た。やはり霊体は障害物をすり抜けることもできるようだ。感心しながらも、その距離感には流石に怖くなり、俺もソウシも少しばかり仰け反ってしまう。
『……ふふ、大丈夫だよ。僕は何とか、悪霊にはなってないから』
「……え?」
霊が喋った。当たり前のように、微笑みさえ浮かべながら。
こんなにも明確な意思疎通が可能とは。正直言って予想外だった。
その子はふらりふらりと漂いながら、俺たちに語り掛けてくる。
『このお屋敷に人がいるのは、久しぶりなんだ。そう……あの男の人以来かな』
「あの男って……湯越さんか?」
『名前は知らないけど……大人の男の人』
大人の男なら、やはり思い当たるのは湯越郁斗だけ。
しかし、この子が実験の犠牲者だとすると辻褄が合わない。
この子が恨みを抱いているようには見えないからだ。
『ねえ、お兄さんたち。よかったら、僕も他の子みたいに旅立たせてくれないかな。実験室にある僕の体を、どうかその水で清めてくれないかな……』
「他の子みたいに……ってことは、君以外にも霊がいて、その子たちはもう旅立っていったのか?」
『うん。あの人が旅立たせてくれたから』
「それって……」
伍横町で広まっていた、湯越郁斗による人体実験の噂。
それが今、覆されようとしている。
彼は人を殺めた罪人ではなく。
霊を現世の軛から解放した、心優しき人物ということなのだろうか……?
「……実験室、か。君を救うには、そこで君の体を見つけて清めの水を振りかければいいんだな?」
『うん。お願いしてもいい?』
「断るわけにもいかないだろ。……行ってくるよ」
『えへへ。ありがとう、お兄さんたち』
「ってことで、ちょいと寄り道するけど構わないか、ミツヤ」
「このタイミングで聞くなよ。それこそ断るわけにもいかないだろ」
「はは、そう言ってくれると思ったぜ」
確信犯だな、コイツ。……この状況で断るつもりは毛頭なかったけど。
「清めの水の効力を試す良い機会にもなる。早く行って、解放してやるとしよう」
「了解。さっさと行こうか」
俺たちが歩き始めると、後ろから男の子もついてきた。
足音はなかったが、幽霊にも足がしっかり存在していたのはちょっとした発見だった。
ソウシが鍵を挿し、解錠して扉を開く。
蝶番が今にも外れてしまいそうな扉が開き切ると、その先には一辺がほんの五、六メートルほどしかない空間が待っていた。
まるで洗面所のような場所だったが、もちろんそんなわけはなく。
部屋の中央には盛り上がった部分があり、その中心部だけが窪んでいて、窪みには澄み切った水が揺らめいているのだった。
間違いない、これが……。
「これが清めの水、か。一見普通の水って感じだが……」
スマートフォンのライトを当てつつ、ソウシはじろじろと水を確認する。
だが、どれだけ確認したところでただの水に見えることには変わりない。
そのうち彼は諦めて、
「とりあえず、水筒に入れて持っていかなくちゃな」
「ああ、さっさと戻ろう」
俺たちは水筒の蓋を開け、それを清めの水の中へと沈めて満杯まで汲み取った。
これがただの水ではないと、確かめる方法でもあれば良いのだが……。
「――ん?」
そんなことを考えているとき。
何かが視界の隅で揺れ動いたような気がした。
今度は鼠でも虫でもなさそうだ。
だとすると、今のは……。
「……ミツヤ、あれ」
ソウシが入口の方を指さした。扉は開けっ放しになっており、牢のある部屋がここから見える。
彼が示しているのは、こちら側からその部屋へ移動していく――半透明の存在だった。
「今のは……」
「……はは、笑うしかねえな。今のも霊らしいぜ、それも……子どもの霊だった」
背丈からすると、ソウシの言うようにあの霊が子どもなのは間違いなさそうだ。精神的な面では不明としても。
近付いても大丈夫かどうかは分からないが、いずれにせよ帰路は一つしかない。
追いかけてくるようなら逃げる、そういう心積もりでいればいいだろう。
なるべく足音を殺しながら牢屋まで戻ると、鉄格子の向こうに子どもの霊は浮かんでいた。こちらを向いていたので驚いたが、その振舞いを見る限り、敵意はないようだ。
俺とソウシは互いに顔を見合わせる。このまま霊をスルーしても良かったが、何かを訴えているようなあの子の目が、俺たちの良心を苛んだのだ。
その場で動けないでいると、子どもの霊は鉄格子をすり抜けてこちらまでやって来た。やはり霊体は障害物をすり抜けることもできるようだ。感心しながらも、その距離感には流石に怖くなり、俺もソウシも少しばかり仰け反ってしまう。
『……ふふ、大丈夫だよ。僕は何とか、悪霊にはなってないから』
「……え?」
霊が喋った。当たり前のように、微笑みさえ浮かべながら。
こんなにも明確な意思疎通が可能とは。正直言って予想外だった。
その子はふらりふらりと漂いながら、俺たちに語り掛けてくる。
『このお屋敷に人がいるのは、久しぶりなんだ。そう……あの男の人以来かな』
「あの男って……湯越さんか?」
『名前は知らないけど……大人の男の人』
大人の男なら、やはり思い当たるのは湯越郁斗だけ。
しかし、この子が実験の犠牲者だとすると辻褄が合わない。
この子が恨みを抱いているようには見えないからだ。
『ねえ、お兄さんたち。よかったら、僕も他の子みたいに旅立たせてくれないかな。実験室にある僕の体を、どうかその水で清めてくれないかな……』
「他の子みたいに……ってことは、君以外にも霊がいて、その子たちはもう旅立っていったのか?」
『うん。あの人が旅立たせてくれたから』
「それって……」
伍横町で広まっていた、湯越郁斗による人体実験の噂。
それが今、覆されようとしている。
彼は人を殺めた罪人ではなく。
霊を現世の軛から解放した、心優しき人物ということなのだろうか……?
「……実験室、か。君を救うには、そこで君の体を見つけて清めの水を振りかければいいんだな?」
『うん。お願いしてもいい?』
「断るわけにもいかないだろ。……行ってくるよ」
『えへへ。ありがとう、お兄さんたち』
「ってことで、ちょいと寄り道するけど構わないか、ミツヤ」
「このタイミングで聞くなよ。それこそ断るわけにもいかないだろ」
「はは、そう言ってくれると思ったぜ」
確信犯だな、コイツ。……この状況で断るつもりは毛頭なかったけど。
「清めの水の効力を試す良い機会にもなる。早く行って、解放してやるとしよう」
「了解。さっさと行こうか」
俺たちが歩き始めると、後ろから男の子もついてきた。
足音はなかったが、幽霊にも足がしっかり存在していたのはちょっとした発見だった。
0
あなたにおすすめの小説
あやかし警察おとり捜査課
紫音みけ🐾書籍発売中
キャラ文芸
※第7回キャラ文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。
【あらすじ】
二十三歳にして童顔・低身長で小中学生に見間違われる青年・栗丘みつきは、出世の見込みのない落ちこぼれ警察官。
しかしその小さな身に秘められた身体能力と、この世ならざるもの(=あやかし)を認知する霊視能力を買われた彼は、あやかし退治を主とする部署・特例災害対策室に任命され、あやかしを誘き寄せるための囮捜査に挑む。
反りが合わない年下エリートの相棒と、狐面を被った怪しい上司と共に繰り広げる退魔ファンタジー。
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
白苑後宮の薬膳女官
絹乃
キャラ文芸
白苑(はくえん)後宮には、先代の薬膳女官が侍女に毒を盛ったという疑惑が今も残っていた。先代は瑞雪(ルイシュエ)の叔母である。叔母の濡れ衣を晴らすため、瑞雪は偽名を使い新たな薬膳女官として働いていた。
ある日、幼帝は瑞雪に勅命を下した。「病弱な皇后候補の少女を薬膳で救え」と。瑞雪の相棒となるのは、幼帝の護衛である寡黙な武官、星宇(シンユィ)。だが、元気を取り戻しはじめた少女が毒に倒れる。再び薬膳女官への疑いが向けられる中、瑞雪は星宇の揺るぎない信頼を支えに、後宮に渦巻く陰謀へ踏み込んでいく。
薬膳と毒が導く真相、叔母にかけられた冤罪の影。
静かに心を近づける薬膳女官と武官が紡ぐ、後宮ミステリー。
西伊豆の廃屋から東京のタワマンへ。美しき食人鬼たちは、人間を喰らって愛を成す
秦江湖
ライト文芸
【美しき兄妹、実は食人鬼】
西伊豆の心中屋敷に踏み込んだ者たちは、二度と帰ってこない。 そこにいたのは、か弱い兄妹ではなく、獲物を待つ「捕食者」だった。
精神病棟から帰還した妹・世璃(より)は、死んだ姉の皮を被った「人食いの怪物」。 足の不自由な兄・静(しずか)は、妹に「肉」を与える冷徹な支配者。
遺産目当ての叔父、善意を押し付ける教師、興味本位の配信者、そして因習に縛られた自警団……。 「弱者」を狩りに来たつもりの愚か者から順番に、今日の献立が決まっていく。
それは食事であり、共犯の儀式であり、二人だけの愛の証明。
西伊豆の廃屋から、東京のタワーマンションへ。 最上階を新たな「城」にした二人の、残酷で美しい捕食記録が幕を開ける。
「お兄様、今日のごはんはなあに?」 「――ああ、今日はとても元気のいい『獲物』が届いたよ」
紫の瞳の王女と緑の瞳の男爵令嬢
秋野 林檎
恋愛
「わ……私と結婚してください!」と叫んだのは、男爵令嬢ミーナ
プロポーズされたのは第一騎士団の団長、アークフリード・フェリックス・ブランドン公爵
アークフリードには、13年前に守りたいと思っていた紫の髪に紫の瞳をもつエリザベスを守ることができず死なせてしまったという辛い初恋の思い出があった。
そんなアークフリードの前に現れたのは、赤い髪に緑の瞳をもつミーナ
運命はふたりに不思議なめぐりあいの舞台を用意した。
⁂がついている章は性的な場面がありますので、ご注意ください。
「なろう」でも公開しておりますが、そちらではまだ改稿が進んでおりませんので、よろしければこちらでご覧ください。
✿ 私は夫のことが好きなのに、彼は私なんかよりずっと若くてきれいでスタイルの良い女が好きらしい
設楽理沙
ライト文芸
累計ポイント110万ポイント超えました。皆さま、ありがとうございます。❀
結婚後、2か月足らずで夫の心変わりを知ることに。
結婚前から他の女性と付き合っていたんだって。
それならそうと、ちゃんと話してくれていれば、結婚なんて
しなかった。
呆れた私はすぐに家を出て自立の道を探すことにした。
それなのに、私と別れたくないなんて信じられない
世迷言を言ってくる夫。
だめだめ、信用できないからね~。
さようなら。
*******.✿..✿.*******
◇|日比野滉星《ひびのこうせい》32才 会社員
◇ 日比野ひまり 32才
◇ 石田唯 29才 滉星の同僚
◇新堂冬也 25才 ひまりの転職先の先輩(鉄道会社)
2025.4.11 完結 25649字
男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜
春日あざみ
キャラ文芸
<第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました!>
宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。
しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——?
「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる