【連作ホラー】伍横町幻想 —Until the day we meet again—

至堂文斗

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第一部【霧夏邸幻想 ―Primal prayer-】

十六話 少年の霊

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「ここも問題なく開けられそうだ」

 ソウシが鍵を挿し、解錠して扉を開く。
 蝶番が今にも外れてしまいそうな扉が開き切ると、その先には一辺がほんの五、六メートルほどしかない空間が待っていた。
 まるで洗面所のような場所だったが、もちろんそんなわけはなく。
 部屋の中央には盛り上がった部分があり、その中心部だけが窪んでいて、窪みには澄み切った水が揺らめいているのだった。
 間違いない、これが……。

「これが清めの水、か。一見普通の水って感じだが……」

 スマートフォンのライトを当てつつ、ソウシはじろじろと水を確認する。
 だが、どれだけ確認したところでただの水に見えることには変わりない。
 そのうち彼は諦めて、

「とりあえず、水筒に入れて持っていかなくちゃな」
「ああ、さっさと戻ろう」

 俺たちは水筒の蓋を開け、それを清めの水の中へと沈めて満杯まで汲み取った。
 これがただの水ではないと、確かめる方法でもあれば良いのだが……。

「――ん?」

 そんなことを考えているとき。
 何かが視界の隅で揺れ動いたような気がした。
 今度は鼠でも虫でもなさそうだ。
 だとすると、今のは……。

「……ミツヤ、あれ」

 ソウシが入口の方を指さした。扉は開けっ放しになっており、牢のある部屋がここから見える。
 彼が示しているのは、こちら側からその部屋へ移動していく――半透明の存在だった。

「今のは……」
「……はは、笑うしかねえな。今のも霊らしいぜ、それも……子どもの霊だった」

 背丈からすると、ソウシの言うようにあの霊が子どもなのは間違いなさそうだ。精神的な面では不明としても。
 近付いても大丈夫かどうかは分からないが、いずれにせよ帰路は一つしかない。
 追いかけてくるようなら逃げる、そういう心積もりでいればいいだろう。
 なるべく足音を殺しながら牢屋まで戻ると、鉄格子の向こうに子どもの霊は浮かんでいた。こちらを向いていたので驚いたが、その振舞いを見る限り、敵意はないようだ。
 俺とソウシは互いに顔を見合わせる。このまま霊をスルーしても良かったが、何かを訴えているようなあの子の目が、俺たちの良心を苛んだのだ。
 その場で動けないでいると、子どもの霊は鉄格子をすり抜けてこちらまでやって来た。やはり霊体は障害物をすり抜けることもできるようだ。感心しながらも、その距離感には流石に怖くなり、俺もソウシも少しばかり仰け反ってしまう。

『……ふふ、大丈夫だよ。僕は何とか、悪霊にはなってないから』
「……え?」

 霊が喋った。当たり前のように、微笑みさえ浮かべながら。
 こんなにも明確な意思疎通が可能とは。正直言って予想外だった。
 その子はふらりふらりと漂いながら、俺たちに語り掛けてくる。

『このお屋敷に人がいるのは、久しぶりなんだ。そう……あの男の人以来かな』
「あの男って……湯越さんか?」
『名前は知らないけど……大人の男の人』

 大人の男なら、やはり思い当たるのは湯越郁斗だけ。
 しかし、この子が実験の犠牲者だとすると辻褄が合わない。
 この子が恨みを抱いているようには見えないからだ。

『ねえ、お兄さんたち。よかったら、僕も他の子みたいに旅立たせてくれないかな。実験室にある僕の体を、どうかその水で清めてくれないかな……』
「他の子みたいに……ってことは、君以外にも霊がいて、その子たちはもう旅立っていったのか?」
『うん。あの人が旅立たせてくれたから』
「それって……」

 伍横町で広まっていた、湯越郁斗による人体実験の噂。
 それが今、覆されようとしている。
 彼は人を殺めた罪人ではなく。
 霊を現世の軛から解放した、心優しき人物ということなのだろうか……?

「……実験室、か。君を救うには、そこで君の体を見つけて清めの水を振りかければいいんだな?」
『うん。お願いしてもいい?』
「断るわけにもいかないだろ。……行ってくるよ」
『えへへ。ありがとう、お兄さんたち』
「ってことで、ちょいと寄り道するけど構わないか、ミツヤ」
「このタイミングで聞くなよ。それこそ断るわけにもいかないだろ」
「はは、そう言ってくれると思ったぜ」

 確信犯だな、コイツ。……この状況で断るつもりは毛頭なかったけど。

「清めの水の効力を試す良い機会にもなる。早く行って、解放してやるとしよう」
「了解。さっさと行こうか」

 俺たちが歩き始めると、後ろから男の子もついてきた。
 足音はなかったが、幽霊にも足がしっかり存在していたのはちょっとした発見だった。
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