上 下
12 / 90
第一章 自由への渇望

5

しおりを挟む
 あれからどれくらいの時間が経過しただろうーー
 ナターシャは痛みと寒さと疲労から少しは寝て、また起こされる。
 そんな地獄のような苦しみを数度経験した頃、月が頂点に辿り着く前に完全い足元を照らし出す。
「そんなに‥‥‥深くない?
 あれなら、落ちても這い上がれるかもしれないわね‥‥‥」
 両手足を括り付けた警護兵がどうやっていたかをナターシャは思い出す。
 確か自分の両手足の腕には枷があり、その先にある鉄輪を、壁から引き出した鎖に引っ掛ける。
 そんな簡単なものだったはず。
 最初にここに吊るされた者は脱出など諦めただろう。
 その足元には、虚無を思わせる穴が口を開いて待っていたのだから。
 だが、いまはどうだ?
「この鎖、壁から引き出した?
 もうこれ以上は伸びないのかしら‥‥‥?」
 もし、少しでも余裕があるのならばーー
 しかし、ナターシャはその自重によって鎖を最大限に引き出していた。
 肩肘程度しかないその短さが今は恨めしい。
「もう半分ほど長ければ、どうにか外せるのに‥‥‥」
 両脚を思い切り開いてみるのはだめだろうか?
 こう見えても稽古で開脚の練習は積んできた。
 そう、どこかで自重を止めることが出来ればいいのだ。
 それだけで、両手への荷重は少なくなる。
「だめね‥‥‥鎖がどうしても邪魔になる。 
 そうね、どうしよう。
 このままでは死ぬしか‥‥‥」
 一点に荷重をかければどうだろう?
 右手だけにその全体重をかければ?
 左手は自由になる。片足だけは壁に届くのだ。 
 なら、右手の鎖を視点に、右足をその鎖の鉤爪の上に乗せれればー???
「ううう‥‥‥重、い‥‥‥」
 頑張れ、そう自分に声をかけたその時だ。
 ガクン、と何かがづれた。
「へーー???」
 右足に全体重をかけたせいか、はたまた、六百年の歳月が鎖を緩ませたのかーー
「うそっ、そんな!?」
 右足部分が無くなっていた。
 三点に体重がかかり、思わず両手に力が入る、このままではどうしようもない。
 そう思った時だ。
 それは多分‥‥‥そこに眠る怨霊たちの願いだったのかもしれない。
 ナターシャはその三点を同時に失い、骸骨の山の中に落下していた。
「きゃあああああああああああーーーーーーーーーーーー!!!」
 不意に落とされた衝撃に腰と背中を強く打ち、その眼前にはまだ布切れを多くまとった死体の山が。
 白骨の山が彼女を迎えていた。
「いや、いやあああ‥‥‥そんな、神よ、どうしてこんな仕打ちを‥‥‥」
 どの骸も手足に、その骨の部分に鎖を、枷を食い込ませて死んでいた。
 神が彼らに課したあまりにもひどい仕打ちに彼女が泣き、嗚咽を流している時。

 誰かがナターシャに諭すように言う声が聞こえたきがした。
 行け‥‥‥
 え?
 なに??
 行ってくれー‥‥‥うえに、登れ。
 ここから這い上がれ、神はいない。
 魔と呼ばれた我等の無念を‥‥‥上がれ‥‥‥這い上がり、人生を掴め。
 お前はまだ生きているーー

 誰かがそう言った。
 その場にいた全員かもしれない。
 誰もなにも言わなかったかもしれない。
 ただ、ナターシャには聞こえた。
 人生を掴み直せ。
 新たなる生を生きろ‥‥‥この地獄から這い上がれ、と。

 ナターシャは死骸の山の頂点から、月光が指し示す自由への扉を見上げた。
しおりを挟む

処理中です...