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第六章 水の精霊女王

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 しかし、神様の力が最低限になるのに。
 この床はどうして進んでいくんだろう?
 ナターシャはアリアの用意した水の回廊と仰ぎ見て驚いていた。
 丸いその回廊は床だけでなく、天井から壁面にまで水が流れている。
 触ると、パシャンと音が鳴るが特に触れた部分が水に濡れるわけでいし、湿りけを帯びている訳でもない。
 周囲はガラスのように透明で、それなのに上から降ってくる天井の破片は時たまどこからか現れる妙なモンスターが飛び込んでこようとしては弾かれていく。
「魔法の防壁みたい‥‥‥アリア様。
 どうしてー‥‥‥」
 ナターシャは六回も死ぬ目に合わせた道先案内人をにらみながら、質問した。
「なんですか、ナターシャ?」
「どうして、竜王様は普通の人間以下なのに‥‥‥アリア様はお力が使えるのですか?」
 あらら、よほどひどいめに合わされたみたね?
 水の精霊女王は苦笑しながらそれに応じてみた。
「わたしは生まれた時から神だったわけでも、選ばれたー‥‥‥うーん、自分から生贄になりにいった方だから。
 元々、こんな能力はなかったのですよ、ナターシャ?」
 自ら生贄?
 さりげなくと言う彼女のそのことばの重さにナターシャはどうしてそんな悲しいことを選んだの?
 そう聞きたくなった。
 自分は冤罪で殺害されそうになっただけでも、これだけ心が苦しいのに、と。
「辛くは‥‥‥悲しくはなかったの!?
 アリア様??」
 悲しい?
 それは難しい質問ね、水の精霊女王は返事に困ってしまう。
 随分、昔の話だし‥‥‥アルフレッドはアリアに興味深そうに視線を注いでいる
 困ったわね。
 恥ずかしい話なのに、とアリアは苦笑していた。
「あまり、おばあちゃんに見られたくないのですけどねナターシャ?
 もう千年近く前かしら。
 わたしはこの世界の北の果てにあった王国に生まれたの。
 王国は流浪の民がある精霊王の加護を得て、ようやく春の中に生きれる。
 そんな小さな小さな国だった。
 まだ魔法も未熟で、神からの力の依代がどうしても必要だったの。
 分かるかしら?」
 アルフレッドは頭を捻る。
 北国なのに春なんだ?
 その力が偉大だろうけど、依代が必要だということは‥‥‥
「もしかして、その生贄になる子供?
 それとも女性?
 俺にはよく分からないけど。
 長く‥‥‥生きれない?」
「そうね、長くて十年程度かしら?
 その生贄に、親友が選ばれるそう聞いて――」
「アリア様、身代りに!?」
 アルフレッドはそう叫ぶと、なんでそんなこと!!
 神様が自分で出て来ればいいじゃん!!
 そう、憤慨していた。
 あら、この子。
 人間には珍しく、神と人の境目を持たない考えかしら?
 アリアはそう思い会った時に、聞こえてきた会話を思い出す。
 役立たずだの、疫病神だのとさんざん、文句が上から降ってきたからだ。
「まあ、そう言わないでアルフレッド。
 神々にもそれなりの思惑があるものよ。
 わたしが幼かっただけ‥‥‥竜王様もあなたたちにこの神殿にたどり着くまでに素晴らしい思い出を――」
 ありません、ないない。
 そう、人間の少年少女は言いながら首を振る。
 お前たち!?
 悲し気な声を上がる竜王に白い目を向けて二人は言うのだ。
 四回近く殺されかけた、と。
「四、四回‥‥‥ですか???
 竜王様‥‥‥その、ゴブリンやハーピーの滝つぼなどは‥‥‥余程の確率が悪くなければ出くわさないはずのレアモンスターですよ?
 妖精界に通じる扉でも開かないかぎり――‥‥‥」
 何を目当てに来られたのですか?
 呆れ顏のアリアに、竜王は、
「いや、過去に仲間たちと開拓したはずの近道をなー‥‥‥。
 あの頃は精霊などもいてもっと安全だったはずなのだが」
 安全だったはず。
 そのお陰で‥‥‥と、アルフレッドはナターシャと共にありえない、この人殺し竜王!!
 そんなひどい言葉を投げつけていた。
「あ、あなたたち。
 仮にもその御方は竜王様。
 深緑の竜帝様の甥御様、金麦の竜王様ですよ!?」
 へ?
 そう、二人は固まってしまう。 
 それは偉大なる始まりの竜の一族に名を連ねる‥‥‥神話の一大神の一人。
 でも‥‥‥
「アリア様‥‥‥それならお名前が違いません?
 金麦の竜王様はエバーグリーン様。
 この竜王様は、エバース‥‥‥大公‥‥‥???」
「アリア様、先程エバース様が旦那様、と言われていませんでした?
 同じお名前の神様っていらっしゃるの???」
 え、この二人って親友とかなんとか言ってるけど‥‥‥
 アルフレッドとナターシャは顔を見合わせてため息をついた。
「なんだーそれならそうと、先に言って下さいよ。
 そっかーナターシャあれだよ。
 アギスの親方がさー言ってたじゃん。
 竜王様はもしかしたら奥様に、って」
「そうね、言ってたわねアルフレッド‥‥‥。
 竜王様!?
 ここに来たかったのはー逃げた奥様に会うためなんですね!?」
 おい?
 待てお前たち‥‥‥そう、竜王は止めようとするが。
 しかし、水の精霊女王はそれを静かに静止して悪戯っぽく笑って見せた。
「あら、バレたら仕方ありませんね‥‥‥。
 だって、この人。
 方向音痴だし、いつも八方美人で誰彼構わず優しくするの。
 それが数百年も続くと‥‥‥」
「分かりますよ、アリア様!!」
 あら?
 ナターシャ?
 なぜあなたがそこで食いつくの???
「わたしもエルウィンに‥‥‥あのにっくき元婚約者を取られたんです!!!
 その怒り、分かります!!」
「あ、そっ‥‥‥そう??
 そうよね、わたしもー‥‥‥親友に寝取られたもの(聖女時代の精霊女王になる前の人間の時に)」
 竜王はいや、おい待ってくれ。
 なんだその目は?
 おい、ナターシャ?
 アルフレッド‥‥‥???
 そうあたふたとし始め、
「竜王様‥‥‥浮気はだめですよ。
 俺なら、好きな子だけを守るのに――ナターシャみた‥‥‥」
 隣にいる少女を見て、アルフレッドは凍り付く。
 そこにあったのは、いまにも口を閉じそうな巨大な顎。
 見たことも無いほどの巨体を持つその獣?
 いや、魔獣は――
「みた?
 あ、いやあああ―――!!!」
 振り返り、思わず叫んだナターシャを丸のみにしようとして、彼女を思わず引き込んだアルフレッドを。
 水の回廊の一部ごと丸のみにすると、どこかへと消えてしまった。
「そんな!?
 アル、アルフレッドっ!!!」
 ナターシャの声は届かない。
 慌ててそれを追いかけようと彼女を抑え込むと、竜王はアリアと共にその場を急いで離れることにした。
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