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第四章 平穏な日常とドラゴンプリンセス
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夏が終わり、同時に僕の、夏休みも終わった。
明日から新学期が始まるという前日、僕は少しばかり引きつった笑顔を披露していた。
「母さん、これはどういうことかな???」
そう、そこには僕の学校の制服を着たーー
我が妻、ドラゴンプリンセス。
エミュネスタが‥‥‥立っていた。
「どういうことって、だって可哀想じゃない。
あんた、同年代なんでしょ?
まあ、一年の後半からの編入学になっちゃうけど」
「なっちゃうけどってー‥‥‥。
編入試験とかはーー」
ああ、それなら、とエミュネスタが言う。
「もう、数日前に済ませておきました。
点数はまあまあ、と言われましたがーー」
と、採点結果であろう書類をそそくさと出してくる。
「ほぼ、満点‥‥‥」
これは、まずい。
そう僕は悟った。
ただでさえ、学内で目立たないように生きて来たのに。
成績もそこそこの順位を維持して、目立たないようにしてきたのに。
これでは、新学期初日から。
安泰の目立たない生活がーー
終わってしまう。
と、僕はそこで現実に戻る。
もう、目立たない生活なんて、とうの昔に終わっていることに。
竜族との結婚が世間にニュースで流れた瞬間から、僕の新竹家を含む数家が。
日本中の注目を浴びてやまないという事実を。
「忘れていた‥‥‥」
と、後悔の念をはくように僕は呟く。
「‥‥‥?
なにをですか、だんな様?」
エミュネスタは学校という新世界への憧れを、全身で表していた。
「明日から常にご一緒ですね、だんな様。
エミュネスタはとても嬉しいですーー」
そう言われてしまうと来るな、とは言えなくなってしまう。
学校に行ける憧れがあるのか、僕といれるのが嬉しいのか。
まあ、とにかくはしゃいでいた。
「いやーしかし、美少女にはどんな服でも似合うものねーー」
母さん‥‥‥
なんで、エミュネスタを学校に行かせる話になったんだ‥‥‥???
「な、なあ、お前」
「はい、だんな様」
「いつから、これは決まっていたんだい?
この、僕の高校に編入学する話はーー」
いったい誰が?
でも、その疑問は簡単に解消された。
エミュネスタの後ろで、母さんが悪い笑顔をしていたからだ。
あんたか、母さん。
諸悪の根源は。
僕の怒り混じりの視線を、母さんは素知らぬ顔でやり過ごす。
「計画的犯行かー‥‥‥母さん」
「え?
なんで?
まさか、由樹。
これから二年半も、エミュネスタちゃんを家に閉じ込めておくつもり?」
「閉じ込めておくなんて、そんなことーー」
あ、これはまずい。
エミュネスタが悲しそうな顔をしている。
このままいくと、いつものパターンだ。
女二人の連帯感ほど、めんどくさいものはない。
「も、もちろん。
エミュネスタが行きたいならー……。
いいよ、それで」
もう、どこで断れっていうんだよ。
ここまで体裁整えられて。
まったく。
「--で。
エミュネスタ。
お前、尾と羽と角はー……???」
そう、妻の姿は普通の人間の女性。
肌の色と、髪と目の色が少しばかり異国風だということを除けば。
「ああ、それなら。
もともと、どうにでも出来るものですから」
え、どうにでも出来るって。
僕は理解が追い付かない。
「ですから、だんな様。
わたしたち竜族は元の容姿が、あの、あれですからーー」
と、そこで僕の脳裏に浮かんだのはテレビのニュースで放映された、巨大なドラゴンたち。
そう、全長数メートルはくだらない巨大な竜族。
「で、それとどう関係が?
尾、角、羽は出しておく必要があったんじゃないのかい???」
「いえ、あれはですね‥‥‥」
「あれは?」
「以前に兄、ルシアンがお話ししたと思いますが。
竜族の始祖たる二人の英雄の形を模したものでしたので」
うん?
つまり、祖先に敬意を示してその容姿を取っていたということかな?
「それなら、尾だけでもー……」
あれがあると、エミュネスタの機嫌バロメーター代わりになる。
しかし、それはあっけなくーー
「駄目です」
「駄目って、お前。
僕が頼んでもだめなのかい?」
「駄目です」
今日の君はなかなか、頑固だね、エミュネスタ。
「先日のように、弄ばれるくらいなら。
出さない方が、まだマシですのでー……」
ちょっと、エミュネスタ。
その発言は誤解を招く。
ほら、すでに誤解しているのが、約一名。
「ほおー‥‥‥弄んだんだ、由樹。
あんた、あたしのエミュネスタちゃんを」
ね、単純な母さんはすぐにこうなる。
「何もしてないよ。
エミュネスタが二日酔いで寝てる時に背中をさすってただけだから」
「あ、あれはーー」
と、エミュネスタが口を挟むがーー
「そうだよね、エミュネスタ?
僕は背中をさすってただけだよね?
まさか、お酒に強くなったとか、言わないよね???」
と、余計なことを言い出すまえに釘を刺しておく。
「はーはい、そうですね、だんな様。
だんな様がさすって下さったおかげで、翌朝には元気に、はいーー」
そうそう、それでいいんだ、我が妻よ。
もう、母さんの短絡的思考かつ早とちりに巻き込まれるのは。
疲れるんだ。
「ふーん‥‥‥でもさ。
なんで、あの朝からエミュネスタちゃん、尻尾を隠すようになったの?」
あ、また余計なことに気が付く我が母。
「まさか、エミュネスタちゃん。
尻尾が弱点?」
あ、バレた。
「あ、はいー実は」
おい、そこで認めるな嫁。
「じゃあ、由樹に弱点を責められてたんだーー???」
あれ、でもなんか母さん楽しそう。
「そっ、それはーー!
お義母様、そんなはしたないー」
「ふーん、そうなんだーー由樹???」
なんだろ、この展開。
なんで楽しそうなの、母さん???
「あんたたちさあ、あたしが仕事に行ってる間に何してもいいけど、ね?」
え、何だよそのほくそ笑んだ顔は母さん。
「もうちょっと、あたしにバレないように、ねー?
まあ、新婚旅行にも行ってないもんね、あんたたち。
欲求不満になっても仕方ない、か‥‥‥」
と、遠い目をして言う、我が母親。
いい加減にしろ、自分が楽しみたいだけかよ、母さん。
「ならーー」
僕は良い考えがあるよ、と母さんに言う。
「隣に借りた部屋だけど。
まだ、契約してるから。
母さん、移ってね?
僕たち夫婦の邪魔を、したくないんだよ、ね?」
そう通告してやるのだ。
「うっ。
由樹、あんた母親を邪魔者扱いするわけー???」
「だって、僕たちの夫婦の営みを邪魔したくないんでしょ??
母さんは」
母さん側に引き込まれないように、あらかじめエミュネスタをこちらに引き寄せておく。
ここで二人して団結されたら、勝ち目がないことはもう経験済みだからだ。
「あんた!
ずるいわよ、二人して!」
「え、でも、だんな様、これはーー」
ふん。
毎度毎度、負ける僕じゃないよ、母さん。
「いいんだよ、エミュネスタ」
そして、ここで妻の弱いところを突いておく。
エミュネスタ。
お前よりも実名で呼ばれることに妻が喜ぶことは、実証済みだ。
「母さんの視線とか、寝てる時の存在を気にしない夜を楽しみたいとはーー
思わないかい、エミュネスタ?」
そっ、それはーーと、嬉しそうな我が妻。
「と、いうわけで母さん。
明日からは、隣の部屋に移動してね?
僕たちの夫婦生活、応援してくれるんだよね???」
さあ、いつキレるかなあ、と思って見てたんだけど。
いかんせん、ショックだったらしい。
というよりは、気にしていたらしい。
自分が僕たちの夫婦のお荷物というか、邪魔をしているようでしていないような。
その中途半端な立ち位置と、あともう一つ。
自分の恋人を自室に呼べないこと。
時々、外泊する理由なんて、簡単に想像ができたことだから。
「いいわよ」
そう寂しそうにぽつりと言うと、母さんは荷造りを始めた。
「だんな様、良かったのですかー‥‥‥?」
心配してエミュネスタが聞いてくるが、僕はほっとけばいいよと返す。
「でも、お母様、出ていかれますよー?」
「うん、いいんだよ。
聞こえてるだろ、お前の耳になら」
妻の人間の数百倍の感度を持つ、耳に聞こえているであろう母さんの呟きを訪ねてみる。
エミュネスタは母さんに聞こえないようにそっと、教えてくれた。
「気兼ねなく、たかしさんに逢えるわ、とおっしゃっております‥‥‥」
とね。
「まあ、そうことだから。
気にしなくていいよ。
ああ、ところで。
買い物に行こうか」
と言うとエミュネスタは不思議そうな顔をする。
「あのね、お前。
学校の制服っていうのはさ、そのーー」
ワイシャツと指差して僕は言う。
「透けるんだ、胸、とかーね。
だから、下着。
買いに行こう?」
はっとして、胸を腕でおおいかくす我が妻。
「はいー‥‥‥由樹」
この時ほど、恥ずかしそうにしている妻を見たことはないほどに。
エミュネスタは顔を紅潮させていた。
そして僕は思うんだ。
本当に、うちの嫁はーー可愛いなって。
翌朝。
季節的にはまだ夏の陽気が残っていて、合い服の期間もないうちの高校はブレザーを着ないといけない。
その朝は、多くの生徒が汗をかきながら始業式に出ていた。
全校生徒の前で、竜族からの留学生として紹介されたエミュネスタはみんなの注目の的となり。
その名前が、彼女の家名であるホルブ、ではなく新竹として紹介されたことでーー
自動的に僕たちの夫婦の存在は、全校生徒に公認された。
「学校って、楽しいですね、だんな様?」
そう新しい環境に喜ぶ、エミュネスタ。
大勢の人間の視線が彼女に注がれているが、まったく気にしていないように見えた。
「みんな見てるけど?」
試しに聞いて見る。
「そうですか?
他人の視線なんて、気にするだけ無駄ですわ、だんな様」
意外な返事をするエミュネスタ。
「日本人とは本当に違う視点をお前は持ってるんだね?」
「あらーー」
彼女は僕の言葉に、驚いたようだ。
「これは、だんな様から学んだことですよ?」
「僕からかい?」
「はい、だんな様。
自分の理想とする未来を、自分の思い描くように切り開く為にーー」
「いまを生きるんだ。
他人を気にせずにー……か。
そうだったね」
それは僕がエミュネスタといつか交わした会話の中で、語った言葉。
ありがとう、エミュネスタ。
覚えていてくれてーー
こうして、僕たち夫婦の新たな学園生活が始まった。
明日から新学期が始まるという前日、僕は少しばかり引きつった笑顔を披露していた。
「母さん、これはどういうことかな???」
そう、そこには僕の学校の制服を着たーー
我が妻、ドラゴンプリンセス。
エミュネスタが‥‥‥立っていた。
「どういうことって、だって可哀想じゃない。
あんた、同年代なんでしょ?
まあ、一年の後半からの編入学になっちゃうけど」
「なっちゃうけどってー‥‥‥。
編入試験とかはーー」
ああ、それなら、とエミュネスタが言う。
「もう、数日前に済ませておきました。
点数はまあまあ、と言われましたがーー」
と、採点結果であろう書類をそそくさと出してくる。
「ほぼ、満点‥‥‥」
これは、まずい。
そう僕は悟った。
ただでさえ、学内で目立たないように生きて来たのに。
成績もそこそこの順位を維持して、目立たないようにしてきたのに。
これでは、新学期初日から。
安泰の目立たない生活がーー
終わってしまう。
と、僕はそこで現実に戻る。
もう、目立たない生活なんて、とうの昔に終わっていることに。
竜族との結婚が世間にニュースで流れた瞬間から、僕の新竹家を含む数家が。
日本中の注目を浴びてやまないという事実を。
「忘れていた‥‥‥」
と、後悔の念をはくように僕は呟く。
「‥‥‥?
なにをですか、だんな様?」
エミュネスタは学校という新世界への憧れを、全身で表していた。
「明日から常にご一緒ですね、だんな様。
エミュネスタはとても嬉しいですーー」
そう言われてしまうと来るな、とは言えなくなってしまう。
学校に行ける憧れがあるのか、僕といれるのが嬉しいのか。
まあ、とにかくはしゃいでいた。
「いやーしかし、美少女にはどんな服でも似合うものねーー」
母さん‥‥‥
なんで、エミュネスタを学校に行かせる話になったんだ‥‥‥???
「な、なあ、お前」
「はい、だんな様」
「いつから、これは決まっていたんだい?
この、僕の高校に編入学する話はーー」
いったい誰が?
でも、その疑問は簡単に解消された。
エミュネスタの後ろで、母さんが悪い笑顔をしていたからだ。
あんたか、母さん。
諸悪の根源は。
僕の怒り混じりの視線を、母さんは素知らぬ顔でやり過ごす。
「計画的犯行かー‥‥‥母さん」
「え?
なんで?
まさか、由樹。
これから二年半も、エミュネスタちゃんを家に閉じ込めておくつもり?」
「閉じ込めておくなんて、そんなことーー」
あ、これはまずい。
エミュネスタが悲しそうな顔をしている。
このままいくと、いつものパターンだ。
女二人の連帯感ほど、めんどくさいものはない。
「も、もちろん。
エミュネスタが行きたいならー……。
いいよ、それで」
もう、どこで断れっていうんだよ。
ここまで体裁整えられて。
まったく。
「--で。
エミュネスタ。
お前、尾と羽と角はー……???」
そう、妻の姿は普通の人間の女性。
肌の色と、髪と目の色が少しばかり異国風だということを除けば。
「ああ、それなら。
もともと、どうにでも出来るものですから」
え、どうにでも出来るって。
僕は理解が追い付かない。
「ですから、だんな様。
わたしたち竜族は元の容姿が、あの、あれですからーー」
と、そこで僕の脳裏に浮かんだのはテレビのニュースで放映された、巨大なドラゴンたち。
そう、全長数メートルはくだらない巨大な竜族。
「で、それとどう関係が?
尾、角、羽は出しておく必要があったんじゃないのかい???」
「いえ、あれはですね‥‥‥」
「あれは?」
「以前に兄、ルシアンがお話ししたと思いますが。
竜族の始祖たる二人の英雄の形を模したものでしたので」
うん?
つまり、祖先に敬意を示してその容姿を取っていたということかな?
「それなら、尾だけでもー……」
あれがあると、エミュネスタの機嫌バロメーター代わりになる。
しかし、それはあっけなくーー
「駄目です」
「駄目って、お前。
僕が頼んでもだめなのかい?」
「駄目です」
今日の君はなかなか、頑固だね、エミュネスタ。
「先日のように、弄ばれるくらいなら。
出さない方が、まだマシですのでー……」
ちょっと、エミュネスタ。
その発言は誤解を招く。
ほら、すでに誤解しているのが、約一名。
「ほおー‥‥‥弄んだんだ、由樹。
あんた、あたしのエミュネスタちゃんを」
ね、単純な母さんはすぐにこうなる。
「何もしてないよ。
エミュネスタが二日酔いで寝てる時に背中をさすってただけだから」
「あ、あれはーー」
と、エミュネスタが口を挟むがーー
「そうだよね、エミュネスタ?
僕は背中をさすってただけだよね?
まさか、お酒に強くなったとか、言わないよね???」
と、余計なことを言い出すまえに釘を刺しておく。
「はーはい、そうですね、だんな様。
だんな様がさすって下さったおかげで、翌朝には元気に、はいーー」
そうそう、それでいいんだ、我が妻よ。
もう、母さんの短絡的思考かつ早とちりに巻き込まれるのは。
疲れるんだ。
「ふーん‥‥‥でもさ。
なんで、あの朝からエミュネスタちゃん、尻尾を隠すようになったの?」
あ、また余計なことに気が付く我が母。
「まさか、エミュネスタちゃん。
尻尾が弱点?」
あ、バレた。
「あ、はいー実は」
おい、そこで認めるな嫁。
「じゃあ、由樹に弱点を責められてたんだーー???」
あれ、でもなんか母さん楽しそう。
「そっ、それはーー!
お義母様、そんなはしたないー」
「ふーん、そうなんだーー由樹???」
なんだろ、この展開。
なんで楽しそうなの、母さん???
「あんたたちさあ、あたしが仕事に行ってる間に何してもいいけど、ね?」
え、何だよそのほくそ笑んだ顔は母さん。
「もうちょっと、あたしにバレないように、ねー?
まあ、新婚旅行にも行ってないもんね、あんたたち。
欲求不満になっても仕方ない、か‥‥‥」
と、遠い目をして言う、我が母親。
いい加減にしろ、自分が楽しみたいだけかよ、母さん。
「ならーー」
僕は良い考えがあるよ、と母さんに言う。
「隣に借りた部屋だけど。
まだ、契約してるから。
母さん、移ってね?
僕たち夫婦の邪魔を、したくないんだよ、ね?」
そう通告してやるのだ。
「うっ。
由樹、あんた母親を邪魔者扱いするわけー???」
「だって、僕たちの夫婦の営みを邪魔したくないんでしょ??
母さんは」
母さん側に引き込まれないように、あらかじめエミュネスタをこちらに引き寄せておく。
ここで二人して団結されたら、勝ち目がないことはもう経験済みだからだ。
「あんた!
ずるいわよ、二人して!」
「え、でも、だんな様、これはーー」
ふん。
毎度毎度、負ける僕じゃないよ、母さん。
「いいんだよ、エミュネスタ」
そして、ここで妻の弱いところを突いておく。
エミュネスタ。
お前よりも実名で呼ばれることに妻が喜ぶことは、実証済みだ。
「母さんの視線とか、寝てる時の存在を気にしない夜を楽しみたいとはーー
思わないかい、エミュネスタ?」
そっ、それはーーと、嬉しそうな我が妻。
「と、いうわけで母さん。
明日からは、隣の部屋に移動してね?
僕たちの夫婦生活、応援してくれるんだよね???」
さあ、いつキレるかなあ、と思って見てたんだけど。
いかんせん、ショックだったらしい。
というよりは、気にしていたらしい。
自分が僕たちの夫婦のお荷物というか、邪魔をしているようでしていないような。
その中途半端な立ち位置と、あともう一つ。
自分の恋人を自室に呼べないこと。
時々、外泊する理由なんて、簡単に想像ができたことだから。
「いいわよ」
そう寂しそうにぽつりと言うと、母さんは荷造りを始めた。
「だんな様、良かったのですかー‥‥‥?」
心配してエミュネスタが聞いてくるが、僕はほっとけばいいよと返す。
「でも、お母様、出ていかれますよー?」
「うん、いいんだよ。
聞こえてるだろ、お前の耳になら」
妻の人間の数百倍の感度を持つ、耳に聞こえているであろう母さんの呟きを訪ねてみる。
エミュネスタは母さんに聞こえないようにそっと、教えてくれた。
「気兼ねなく、たかしさんに逢えるわ、とおっしゃっております‥‥‥」
とね。
「まあ、そうことだから。
気にしなくていいよ。
ああ、ところで。
買い物に行こうか」
と言うとエミュネスタは不思議そうな顔をする。
「あのね、お前。
学校の制服っていうのはさ、そのーー」
ワイシャツと指差して僕は言う。
「透けるんだ、胸、とかーね。
だから、下着。
買いに行こう?」
はっとして、胸を腕でおおいかくす我が妻。
「はいー‥‥‥由樹」
この時ほど、恥ずかしそうにしている妻を見たことはないほどに。
エミュネスタは顔を紅潮させていた。
そして僕は思うんだ。
本当に、うちの嫁はーー可愛いなって。
翌朝。
季節的にはまだ夏の陽気が残っていて、合い服の期間もないうちの高校はブレザーを着ないといけない。
その朝は、多くの生徒が汗をかきながら始業式に出ていた。
全校生徒の前で、竜族からの留学生として紹介されたエミュネスタはみんなの注目の的となり。
その名前が、彼女の家名であるホルブ、ではなく新竹として紹介されたことでーー
自動的に僕たちの夫婦の存在は、全校生徒に公認された。
「学校って、楽しいですね、だんな様?」
そう新しい環境に喜ぶ、エミュネスタ。
大勢の人間の視線が彼女に注がれているが、まったく気にしていないように見えた。
「みんな見てるけど?」
試しに聞いて見る。
「そうですか?
他人の視線なんて、気にするだけ無駄ですわ、だんな様」
意外な返事をするエミュネスタ。
「日本人とは本当に違う視点をお前は持ってるんだね?」
「あらーー」
彼女は僕の言葉に、驚いたようだ。
「これは、だんな様から学んだことですよ?」
「僕からかい?」
「はい、だんな様。
自分の理想とする未来を、自分の思い描くように切り開く為にーー」
「いまを生きるんだ。
他人を気にせずにー……か。
そうだったね」
それは僕がエミュネスタといつか交わした会話の中で、語った言葉。
ありがとう、エミュネスタ。
覚えていてくれてーー
こうして、僕たち夫婦の新たな学園生活が始まった。
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