魔王討伐に失敗し、無能な勇者の盾として嘲られた男は、自暴自棄になるも最後は奮起して英雄に返り咲く!

星ふくろう

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英雄になった男

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 1

「邪魔よ?」

 ‥‥‥えっ!?
 彼の視界は真紅に染められた。
 一瞬、魔王から受けた攻撃のせいか?、とも思った。
 だが、違う。
 その真紅はまるで雄大な波のようにゆらぎ、そして、すさまじい速さで離れて行ったのだから。
 ああ、髪か‥‥‥ずいぶんと長いんだな。そう気づくまでに数瞬を要した。
 彼女が発した一言が、自分をまるで無能でもあるかのように感じさせたことを彼は覚えている。
 真紅の大海が目の中に小さくなっていった時、大理石の床に寝そべっている仲間たちの姿が目に入った。
 
 なんでだ?
 彼はその不可思議な光景に心でつぶやいていた。
 俺は盾として、タンクとして――最前線にいたのに?
 どうして‥‥‥みんなの後ろにいる?
 そう思ったとき、彼は自身の四肢にまともに力が入らないことに気づいた。両手両足に感覚が無く、左手の大盾は三分の一から下しか残っていない。
 なんだよ。
 そんなに凄いのかよ、魔王って‥‥‥さあ?
 自嘲気味にそう心で呟くしか出来なかった。
 たぶん、俺は最初の一撃で盾を割られてしまったのだ。
 少年にしか見えない、あの魔王の貧弱な腕のひと払いで。そして、背中に感じるつめたい壁の感触。
 べっとりとした感じもするから、まあ血は自分のだろう。
 そこまで理解したら、彼は目だけで見える範囲を追ってみた。

 左前方、魔女のクラレ。
 王国一の大魔法使いだって昨夜の宿屋で囲んだテーブルでは豪語していた彼女は、その上半身と下半身が綺麗にわかたれて絶命していた。
 弓使いのエルフの少女、リリス。
 これもだめだ。
 なんで魔王討伐の際に考えた陣形の最後尾にいるはずの彼女が、自分の眼前にいるのか彼には理解できなかった。ただ、彼女は自身が放った魔法の矢だろう。それによって‥‥‥額を貫かれて絶命していた。
 その前にいるのは武装僧侶のアレンだ。
 三十代も越えて、つるっつるに磨き上げた頭が印象的な彼。
 アレンもまた、打撃用の鉄槌が柄の先からなくなったただの棒をその手に掴んで、そして肉体からは首がなかった。さがせばどこかに転がっているかもしれない。
 でも、それをしようにも彼の首は左右に動かなかった。
 盗賊のニーニャ。
 猫耳族特有の金色のような毛皮が魅力的な彼女は――これもダメだな。
 そう、彼は判断した。
 全身から出たとしても多すぎるくらいの血の海に、彼女は没っしていた。
 たまーに解錠を間違えるていどのユーモアあるやつだったのに。
 もう、酔ったら脱ぐあの痴態を拝めないじゃないかよ、ニーニャ?
 彼は心で悲しく叫んでいた。
 
 密やかに想いをよせていた相手に、這いよることも許されないなんて。
 さすが、魔王。
 強すぎるわ‥‥‥あとは、誰だ?
 彼の脳裏に浮かぶ仲間の笑顔。
 聖騎士に――勇者、か?
 あー聖騎士のやつ。
 鎧の中身、どこ行った? 
 全身がバラバラになっているのが確認できた。

 勇者はどこだ?
 ライル、武神に選ばれし和子。
 魔王よりもたかいレベルで、このパーティーのムードメーカーだった。
 農夫出身の、寡黙で粘り強い少年。笑顔を絶やさずに、いつもみんなを支えてくれた憧れのリーダーだった。
 だが、その彼は見渡す限り‥‥‥どこにもいない。
 いや、待てよ?
 そう思うと、タンクの視線は上の端に何かを見つけていた。
 天井に近い、魔王の台座の上。
 その後ろの壁に――タンクはそれを見て絶望の声を上げる。
 ああ――ライル‥‥‥お前でも、適わなかったのかよ。
 魔王には、と。
 
 タンクは全滅じゃねーかよ、これ。
 そう自嘲気味に笑ってしまう。
 それだけしか出来ないからだ。仲間は全員死んだ。
 目の前にそれぞれの死骸が転がっている。
 動けずに、少しばかりの息をすることを許されているのが自分だ。
 それも、あと数分と持たないだろう。
 なら――彼女は誰だ?
 タンクの視線は必死に少女と魔王の激戦に追いすがろうとする。
 早すぎて常人の目ではその動きが捉えきれない。
 時には中空で剣戟の音とともに銀光が煌めき、時には天井をぶちぬき、時には大理石の地面を豪快に掘り起こしていく。
 それはまさしく、魔と神との戦いのようであり、真紅のその豊かな長髪と魔王の黒く漆黒のように艶のある巨大な羽だけが、赤と黒の風となって舞台を踊り抜いていた。

 知らねーよ、こんな世界。
 タンクは唖然としていた。
 誰か言ったんだ?
 勇者ライルのパーティーは世界最強だ。
 あの魔王グレアムすらも凌駕する、なんてさ?
 タンクはぼやいていた。
 こんなに実力差があるなら、王国だけじゃない。
 連邦や帝国や、その他の大陸にもいる各勇者パーティの助力を仰ぐべきだったんだ。
 魔王軍は撃破できたのに。
 魔王にはかすり傷ひとつ付けれないなんて‥‥‥。
 ああ、まったくもって勇者パーティなんて斬り込み部隊。死ぬことが前提の特攻部隊じゃねーかよ、と。理解していたはずなのに、いざこうなってみれば自分の無能ぶりが嫌になる。
 それも、とタンクは更に心でぼやいていた。
 勇者ライルに救われるなら、まだ、いい。
 あんな、どこの誰とも知れない少女剣士に救われるなんて最低な展開だ、と。
 これでおめおめと生きて戻れば自分は卑怯者のそしりを受けるだろうから。

 そして、魔王グレアムも疲れたのだろう。
 その数分の間で激しく動き回っていたものを、一旦、止めていた。
 肩で荒く息をして大地に両足で立つその姿は、タンクにも彼の疲労感が見て取れた。
 一方、タンクは驚愕する。
 あの少女はまだ余裕な表情で魔王とはかなり離れた――そう、タンクに近い位置にその足を止めていた。

「生きてる?」

 そう投げかけられた言葉が自分にだと気づいたが、彼は言葉を発せない。
 どうにか目でまばたきをするが、そんなもの通じるのか? そう思ったとき、彼女は魔王を警戒しながら側に寄ってきた。

「生きてるわね?
 なら、まあ‥‥‥いいわ」

 右手から明るい色の魔法が生み出されていき、それはタンクを包みこんだ。
 暖かい‥‥‥。
 さきほどまでのもういっそのこと、殺してくれ。
 そう叫びたくなるような痛みが――じんわりと引いて行くのを彼は感じていた。
 
「あ‥‥‥」
「いいの。
 邪魔だから、黙ってて。
 無能に用はないから」

 なんて言い草だ。
 その強さからくる自信の表れだろうが、少女はタンクに回復魔法をかけて以来、一度も振り向かないことが、タンクを苛立たせた。
 せめて、もうすこしかける言葉を選ぶべきだろう?
 そう叫ぼうとするが、見抜かれていたのか少女の剣先が自分にそっと向けられたのを見て、彼は言葉を失った。

「剣よ。
 彼を護って」

 彼女が発したその命令は、手に持つ剣の剣先から青白い炎をタンクに放っていた。
 殺される!?
 思わず目を閉じたが何も起こらない。そっと恐る恐る目をまぶたを開くと、自分が炎の守護結界に包まれたことがわかった。

 彼は改めて見る少女剣士の恰好にため息を漏らしていた。
 軽装の革の上下の鎧に、薄手の絹の短めのスカート。上からは麻の紺色のベストとシャツを着こみ、足元は茶色の長靴が太ももまで覆っていた。
 まとめられていないその髪はまるで燃え盛る炎のように真紅に輝き、深いグリーンの瞳は見る者の心をとらえて離さない。

 竜神の聖女?
 その胴衣を見てそう思ったのは、故郷の神殿で数年に一度行われる大祭の時に招かれる竜神の聖女が着ていた服装によく似ていたからだ。
 だが、聖女では勇者と同じかもしくはそれ以下の存在であり‥‥‥こんなに激しくも雄々しい戦闘が出来るとはタンクには思えなかった。

「勇者は弱かった。
 お前は誰だ‥‥‥女?」

 魔王の質問が放たれる。その声には強制力があり、問われた者が否定しようとしても許さなかった。
 しかし、少女は首をコキコキと鳴らすと、

「さあ?
 誰かしら?
 あなたが知る必要はないわ。
 ‥‥‥もうすぐ死ぬんだから」

 魔族に死、なんて概念が通用すればだけど。
 タンクは少女のその独り言を聞き漏らさなかった。
 魔王は楽しそうに高笑いをすると、背中の翼をブワッと最大限に開ききる。
 タンクにはその行動の意味が理解できた。あれだ、俺たちを、俺を‥‥‥ここまで吹き飛ばしたあの一撃が来る!?

「遅いのね、それに、弱い‥‥‥」

 はっ?
 何を言ってる?
 タンクには少女の再度のつぶやき、いやぼやきが聞こえていた。
 そして彼女の発言に驚きを禁じ得なかった。
 彼女が軽く振るったその剣先は、颶風となって魔王の両翼を切断する。ついでに、彼の肉体もまた切り刻まれ、三度目―タンクにはそう見えた―、の一撃が黒い漆黒の炎を魔王に対して剣先からはなっていた。

 そして、城内に、玉座の間に響きわたる魔王グレイスの断末魔。
 それは聞く者の魂まですり減らしそうなほどにいびつで、恐怖心を煽り立て、命を奪い去ってしまいそうなほどにおどろおどろしいものだった。

「うるさいなあ、もう‥‥‥。
 消えるならさっさと黙って消えろ。
 低級魔族――!!」
「てい、きゅう‥‥‥?」
「あら、あなた。
 しゃべれる程度には回復したのね?
 なら、送ってあげる。
 どこの国の勇者パーティなの?」
「あ、いや?
 おれはルロンドの‥‥‥」

 ルロンド?
 少女は微かに首を捻った。あのルロンド王国?
 そう言いたげにしているのを見て、タンクは口を開いた。

「俺たちは勇者ライルのパーティーなんだ。
 あの武神様に選ばれた――」
「ああ、あの三流神の武神ね?
 もう、弱いし古いってだけで神の力もほとんどないくせにまだ地上に干渉しようとするんだから。
 あなたたちも、三流にしかなれないのよ。
 可哀想」
「そんなっ、言い方――!!?」
「真実でしょ?」

 少女はそう顔を近づけてタンクに言い放った。
 確かに‥‥‥こうも力の差を見せつけられては何も言えない。
 それに――彼女がどこの誰かを尋ねても答えてくれる気はしなかった。
 黙ってしまったタンクに、彼女は言葉をかける。

「ルロンドのカスティア国王様に言っておいて頂戴。
 私が、弱い者を寄越すなと文句を言っていたってね」

 私が――?
 だが、あんたの名前は――??
 その次の言葉を発しようとした時、タンクは白い燐光に包まれて世界が変わるのをその目で目撃する。
 次の瞬間、彼がいたのはルロンドの王城。
 その玉座の間であり、少女剣士が口にしたカスティア国王の御前だった。


 2

「エバース!?
 エバース卿ではないか?
 なぜここにいる?
 ライルは?
 勇者はどうした?
 魔王は‥‥‥!!??」

 最初に彼にきづいたのはさすがというべきか、国王だった。
 カスティア王は矢継ぎ早に質問を繰り出し、そして、エバース卿と呼ばれたタンク職の彼が満身創痍で戻った事実に何かを察したらしい。
 返事を待つことをせず、家臣に手で合図をしていた。
 エバース卿を下がらせよ、と。

「王、お待ちを!
 魔王は、グレイスは滅んでございます!!」
「まことか!?
 だが、勇者や他の者はどうしたー‥‥‥?」

 エバース卿の報告に、国王は嬉しそうな顔をする。だがそれは一瞬だけのこと。
 すぐに為政者の顔に戻ると彼は多くを悟ったように問い返した。

「魔王は死んだ、もしくは滅んだ。
 だが、そなたが戻ったということは?
 そなたは最前線で勇者の盾になるべき役割。
 それがひとりだけ戻るというこれは‥‥‥どうにも信じられん現実を見せて付けられているようにわしには感じれる。
 エバース卿、貴様。
 おめおめと逃げ帰ったか!?」
「違います! 
 我ら勇者一行は、私は勇者ライルの盾として、騎士道に恥じるような真似はしておりません!!」
「ならば、なぜここにいる?
 勇者ライルはどうした? 
 勇者は不死身のはず。彼が報告に表れるのが当たり前であろう?
 それに、いきなり玉座の間に転送されるなど。
 我が国の魔導士たちは何をしている!?
 結界の意味がないではないか。そう考えるとエバース卿。
 そなたのその言葉は妄言に等しい。
 導かれる答えは――」

 王は彼を魔王の手先になったと断罪したいかの様に叫んだ。
 その時だ。
 エバース卿の前に、あの彼女がふわり、と降り立ったのは。

「カスティア王。
 もうすこし家臣を信じらえてはいかがですか?
 魔王は滅びましたよ、勇者と共に。
 私がそれを保証致します。
 この私が‥‥‥」
「あんた‥‥‥一体、どうやって――???」

 唖然としている玉座の間にいる一同よりも先に、エバース卿の口が開いた。
 真紅の剣士は彼に微笑むと、王を睨みつける。

「少しは家臣を信じてはいかがですか、国王よ?
 まあ、武神といいこの国の結界といい。
 魔王グレイスに挑むには身の程知らずも良い所。
 次回は助力は致しません。よく吟味してから、行動されることをお勧めします。
 では‥‥‥無能な勇者の盾殿?
 お元気で」

 そう言いたい事だけを言うと、少女は何も言えない彼らをおいてまた消え去ってしまった。
 後に少しばかりの微風を残して。

 それからのエバース卿の待遇は最悪だった。
 国王はどこの誰とも知れない少女に侮辱されたと怒り、しかし、その場に居合わせた大臣連中に諫められ今回の魔王討伐は、勇者ライルの手柄ということになった。
 だがその真実を知るエバース卿の存在は邪魔でしかなく、闇に葬るか、どこかの城の地下牢に封じるか、それとも適度な役職を与えて地方に封じるか。
 そのどれかで重臣たちは揉めたようだが、あまり大ごとにはならなかった。
 エバース卿の四肢は一時的な回復魔法で動けるようになっていただけで、それからあとは杖をついての自立歩行も困難なほどに弱り切っていた。
 これなら、何をしゃべっても誰も信じないだろう。
 たった一人で生き延びた、不名誉な男。
 役立たずの勇者の盾。
 騎士道をまっとうできなかった‥‥‥無能な貴族。
 そんな嘲りを受け、噂は日に日に広まり、彼は王都にいることを許されない身になってしまう。

「敗残兵など、もってもほか。
 目障りだ。
 国境の砦で生涯を終えるいい」

 それが、国王が下した裁可だった。
 敵国の帝国との間にあるその砦はボロボロで、ようやく槍を振り回す程度には回復できたエバース卿の従者といっても馬が一頭に、侍女として扱っていた奴隷の亜人が一人だけだった。
 近隣の村にはすでに彼の噂は広まり、古城に詰めている王国兵士はたった十数人に満たなかった。

「ひどい有り様だ。
 これでは帝国兵どころか野盗にすら、勝利を明け渡してしまうぞ‥‥‥」
「どうなさいますか、御主人様?
 この砦には満足な食糧の配給すら‥‥‥ございません」

 従者の報告に、最初は絶望的だったエバース卿だが、それでも死んでいった仲間の墓をここに建て、生涯を弔うにはいい最後の地だ。そう達観することができた。

「まあ、作物を育てて自給自足するしかあるまい。
 兵士たちには近隣の砦へ受け入れてもらえるように頼むとしよう。
 食糧がないままに餓死や凍死されるよりはましだ。
 もう冬場だというのに配給がないのであれば、それは俺への当てつけだろう。
 彼らを巻き添えにするわけにはいかない。
 いざとなれば、俺とお前の二人。
 命だけは見逃して貰えるだろう?」
「そう‥‥‥かも、しれませんね」

 侍女は力なくうなづいた。
 それにもう御主人様が無能と蔑まれるのを誰かから聞くよりはましですから、と尊敬する主人に侍女は告げる。自分の主人の名誉はまだ汚れていないと彼女は信じてくれていた。
 その信頼に応えるためにも、自分はまだ終わるわけにはいかない。
 拝領した砦の冬を越すために最後の一人の兵士が、隣の砦へと移動し自分たち二人だけと馬一頭になってから数週間が過ぎたある夜。
 野盗が来たらもたないだろう、と。
 エバース卿のぼやいたその黒い嵐は、彼らの眠る砦を急襲した。
 冬場になり雪に閉ざされたその土地で食糧を失ったモンスターが、知性ある一匹を頭脳として人家を襲うのは珍しい光景ではなかった。
 ましてや、その年の春には魔王が討伐されており土地のモンスターや魔族の統制は乱れていた。


 3

 その夜半の騒がしさにまず気づいたのは、亜人の侍女だった。
 猫科の亜人に属する彼女は夜行性で、耳も人間より優れていた。
 異常を嗅ぎつけた彼女はすぐさまエバース卿を叩き起こす。
 しかし、彼は戦う準備をしようともせずに侍女にある一言を告げた。

「そんなっ!? 
 正気ですか、御主人様?」
「ああ、本気だ。
 さあ、行きなさい。
 急げばまだ間に合う。
 馬の足なら隣の砦までお前たちのほうが早くたどり着ける。
 急ぐのだ」
「ですが、御主人様は!?」
「俺か?
 不名誉な勇者の盾は、ここで生き恥を晒すだけだよ?」

 嘘だ!
 侍女はそう叫びたかった。
 エバース卿は。自分の主人は名誉が汚されたらそれをそそぐ生き方をする人間だ。
 誇り高い武人だ、と。侍女は知っていた。
 こんな場所でただただ、野盗やモンスターから身を潜めて危機をやり過ごそうなんて。
 そんな小心者であるはずがありません!!
 そう、侍女は心で泣きながら叫んでいた。

 しかし、主命は絶対だ。
 仕度などしている暇はなかった。
 彼女は鞍を載せる間も惜しいほどに馬を馬小屋から引き出すと、その手綱を握った。
 愛おしい主が最後にその命をかけて戦おうとしている。
 その戦場に背を向けることが何よりも、彼女には悔しかった。

「さて、ますます声が大きくなるな?
 槍よ、俺と共に滅んでくれるか?」

 エバース卿は一人そう呟くと、あの日以来、身に着けていなかった手直しをした鎧を身に着けた。
 勇者の盾。
 そう呼ばれたタンクが、たった一人でモンスターを迎え撃つのだ。
 誰かの語り草にでもなれば‥‥‥無能呼ばわりした王都の連中の鼻を明かせるかもしれない。
 砦の外壁に通じる通路の上で、エバース卿は薄闇の中にうごめく無数の眼光と、おぼろ月夜の雲間から月光が儚げなくも映し出す、数十のモンスターの群れを目にしていた。

「まあ、普通の冒険者なら無理だな。
 俺はそうでもないが」

 自分に強がりを言い、彼は手にした槍を天に翳すと、魂の雄叫びを上げていた。

 ――翌朝。
 エバース卿の侍女はすぐ近くの砦に逃げ込むことに成功していた。
 援軍を求めた彼女に城主は冷たく、追い返されるように亜人の少女と馬は雪の降り積もる荒野に放り出された。元いた砦に引き返すわけにもいかず、彼女の心はさまよっていた。
 あの城主は数日内には‥‥‥御主人様の砦に向かうだろう。
 だけどその時、もう彼は生きていないかもしれない。
 戻るべきだ。
 馬をエバース卿の待つ砦へと向かわせる侍女の考えた嫌な予感。
 しかし彼女の予感は当たらずとも遠からず‥‥‥ほぼ事実となっていた。

「なんだ。
 あんたか‥‥‥」
「なんだ、はひどいわね。
 こうして来てやったのに」

 また、俺は壁際にいて、彼女は真紅のその髪をうねらせて戦っている。
 同じ光景、同じ関係、そして――もう二度目はない。
 エバース卿はおのれの魂の終わりが近いことを知りながら、最後に苦戦してしまった敵をあっけなく剣の一閃だけで仕留めた彼女にぼやいていた。

「すまないな。
 これでも、無能なんだ。
 多くは勝てないよ‥‥‥」
「そう?
 でも、誰かは救ったでしょ?
 有能な勇者の盾じゃない?」
「勇者の盾‥‥‥か」
「ええ、たぶん」

 そう呼んでくれるなら、これ以上の喜びはない。
 エバース卿は喜びをかみしめながら、二言三言願いを口にしてみた。

「頼みがあるんだ。
 侍女が、亜人の子だ。戻ったら保護してやって欲しい。できれば、従者に。
 まだ、幼いんだ‥‥‥」
「何歳?」
「確か、十四、だった。かな?」
「いいわ、後継者になれそうならそうするし。
 だめでも旅の連れは欲しいから。名前は?」
「クロエ、だ」
「あなたのよ」

 俺?
 俺の名前かよ。
 あの時は無能呼ばわりした癖に。
 ひどい剣士だ。
 そう思いながら、自嘲気味に笑うと彼は返事をした。

「エバース。
 エバース・アド・エルサムだ」
「いい名前ね、英雄エバース。
 私はエレーナ」
「エレーナ‥‥‥?」
「エレーナ・デル・シュバイエよ」

 シュバイエ?
 あの、ああ‥‥‥そうか。
 真紅のエレーナ。
 伝説の剣聖の‥‥‥後継者。
 神殺しの剣聖、真紅のエレーナ、あんたか。
 そこから先は、もう言葉にする力は彼には残されていなかった。
 ただ静かに光を失いつつあるエバースにエレーナは語り掛ける。

「勇者ライルの盾にして、英雄エバース。
 覚えておくわ。安心して眠りなさい」

 ――ああ、あんたに看取られるなら武人として本望だ。
   ありがとう、エレーナ‥‥‥。

 それが、後に語り継がれる勇者の盾エバース卿がこの世で聞いた、最後の言葉だった。

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