華の剣士

小夜時雨

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揺らぎ

王城にて

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「…様!!」

 男は何者かに呼び止められ、ゆっくりと振り向いた。そこには青龍部隊の__つまり歩兵隊の隊長、アン・ジョンチャンが立っていた。

「何の用だ。アン殿。」
「徴兵のことで相談したき議がございます!」

 ジョンチャンが最敬礼しながら述べる姿を見て、もうここの城では自身が主なのだ、男はその快感に心の中でほくそ笑んだ。

「申してみよ。」
「はっ、先日軍議で決定された兵糧では雑兵(徴兵された兵士)たちに十分行き渡らないことがわかりまして…。もう一度検討の場を設けていただきたく存じます。」

 ジョンチャンは男を真っ直ぐ見つめながらそう言った。彼の目は揺るぎなく、瞳には燃えるような強い光が宿っている。彼はもう青年の時期も終わりを迎えようとしているにも関わらず、どこか少年のような熱意を感じ取った。男は内心舌打ちをしたいほどに苛立った。

(この手の者は厄介だ…。国のために、城のためにと一直線で、私が思うようには動いてはくれぬ…。)

「アン殿。それは軍議の際に言ったであろう。これ以上増やせば長期戦になる場合、餓死する兵が多数出るから不可能だと。」
「しかし…!これでは先陣を切っていくこととなる雑兵達が、十分な食事を得られないために、逆に犠牲となる雑兵達が出てしまいます…!たしかに、下々の者まで食糧が届くようにはなっていますが、それは僅かでしかなく、餓死に至らずとも圧倒的に足りないと思われます。彼らは長年の不作に苦しみ、栄養状態は元から良い状況とは言えません。これでは確実に飢えます」

 男は深くため息を吐いた。民のため、国のため、犠牲、こう言った言葉が、男は大嫌いだ。これらの言葉を真っ直ぐに伝えてくる者は犠牲を払う事に対しても躊躇いのない者が多い。これならば、己の私利私欲のために、裏であれこれと手を回し横領をする貴族の方が幾らかましだと男は彼の言葉を聞きながら、頭の隅で考えた。

「ならばどうしろというのだ。この国は近年の日照りのせいで収穫量が少ない。民のためにと減税までして、国の食料庫にある分はせいぜい民が一年過ごせるかどうか、というかぎりぎりの状態。もしこの戦を終え、冬を越し来年も不作だったら…?もう雑兵どころの騒ぎではないだろう。」

 男の言葉に、ジョンチャンはうなだれた。男はこう言ってはいるが、これはただの建前である。本当は自分の身に何か起きた時の保険として取っておきたいのだ。

「なら、こうすればいい。民たちから食料を調達するのだ。徴兵された家族の分をな。そうすれば雑兵たちの数と、家族が差し出した食事の分は同じで足りるはずだ。」
「し、しかし!それでは徴兵されて、食料も自身で負担する状況となり…!」

 いつまでも思い通りにならず、反論し続けるジョンチャンに男は耐えきれなかった。人差し指をジョンチャンの心の臓の辺りに当てる。突風が起こり、指で突かれた部分から、陣が光を発しながら彼の体に広がった。男は彼に呪術をかけたのだ。
 先程はあれほどに熱意を込めて訴えていたのに、彼は一瞬で黙り混んだ。表情は打って変わり、虚ろだった。彼の瞳の輝きは消え失せ、覗き込めば深淵に引き摺り込まれるかと思うほどの空虚で、生命の力強さが失われた無機質なものとなっていた。

「ご理解いただけたかな?アン殿。」
「…はい。あなた様の仰せのように」

 そう答える彼の目は、男を見てはおらず、どこか遠い場所を見つめたまま、だった。そして訴えに来た際と同じように最敬礼をし、何事もなかったかのようにその場から立ち去った。

「人間とは何て弱いものだろう。私が心の臓を一突きしただけで、容易にしもべと成り下がる…。」

 男はそう言ってくすくすと笑いながら、ある部屋に向かって歩いていく。先程のように、眩しいほどに真っ直ぐな人間を、一瞬にして己の意のままに操ることは、どことなく戦や狩をする際の高揚感に似ている。しかし、気分良く歩いていたその途中で男は何度か咳き込んだ。口元を抑えた手のひらを見れば、目が覚めるような鮮血がべったりと付いている。男は思わず舌うちをした。

(やはり、ここまで多くの人間を操るのは愉快だが、少々堪えるな…。こんなに大勢の人間を、しかも遠く離れた者も含めて操るのはいつぶりだろうか…。ああ、忘れてしまった。たしか、この国が出来上がる前の頃だ。)

 男は始めにリョンヘを王を弑虐した犯人に仕立てあげるため、数人の女官や臣下を操った。そして、その者達の証言を鵜呑みにした者達が次に他の者に伝え…とねずみ算のように噂が広がると踏んでいた。
 実際、多くの者が王はリョンヘによって暗殺されたと思っていたが、やはり聡い者や王族と近しい者は怪しむ。男はそう言う危険因子や、民のために動き、男に服従しない者も操り始めた。そのせいで男が操る人間は城内の人間の半分を越えている状態なのだ。

(本当は王族や王子を操ってしまえば手っ取り早い。しかし忌々しいことに…)

 男はほぞを噛んだ。目的の部屋にたどり着いたので、苛立ちをぶつけるように荒々しく扉を開ける。そこには一人の青年が椅子に座っていた。やつれ、顔色は悪かったが、目だけは力強く光っている。先程のジョンチャンという男の瞳が重なった。

「今日はどうされたんです、イルウォン。」

 リョンヤンが低く鋭い声でそう声をかけてきた。彼の険しい声はなかなか珍しい。しかし、男が王城を掌握してからは常にこの状態である。

(以前はあれほどに慕っていたくせに、今は随分と嫌われたな)

 男は心の中で嘲るようにして笑った。それもそのはずである。彼はこの国の宰相で、リョンヤンの指南役を担っていたイルウォンだったのだ。

(これほど嫌われているならば、この小僧を意のままに操ることは難しい。なんせ王の血をひいている者には、私の術は効かない…。)
「いえいえ。今日こそはあの在処ありかを教えて頂きたくてね。」

 イルウォンはそう言いながらリョンヤンの座っている椅子に近づいた。彼の足には足枷がつけられ、足枷の鎖の先は椅子の脚に繋っていた。その椅子に座っているリョンヤンはイルウォンを見上げ、睨みつける。以前、彼は王城内で品行方正な王子としてほめそやされていたが、痩せて頬骨が目立つようになった今では、睨みつける眼光は鋭くなり、その面影は鳴りを潜めている。その姿は孤高の狼を彷彿とさせた。









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