静かな家

めあ

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消えた父

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父がいなくなって、家の空気が変わった。最初はそれが何なのか言葉にできなかった。ただ、夜に台所の蛍光灯を消すとき、いつもなら父の影がコップの向こうに映るはずだと身体が期待することに気づいて、初めて「欠けている」と思った。
朝、食卓に置かれたままの財布を見たとき、現実は急に重心を持った。財布はきちんと折り畳まれ、コイン入れには小銭が頼りなく揺れている。そこに手を触れた母は、何も言わずにそのまま頭を下げ、皿を洗い続けた。彼女の動きは以前と同じ速度なのに、どこか無感覚で、塩味のないスープのように冷たかった。
美空はもっと露骨だった。父の名前が新聞の片隅にでも出ようものなら、顔が固まって、箸の先でご飯を突く手に力が入る。「知らない」と言い放つときの彼女の声には、守るべきものを突き崩すための刃が忍ばされていた。中学三年の反抗を超えた、固有の恨みがそこにあった。
俺はどこかで家族のバランスを保とうとしていたらしい。学校では冗談を混ぜて話題をそらし、友達には「また出張かな」と笑ってごまかした。でも夜、布団の中で目を閉じると、母の沈黙、美空の鋭さ、そして財布の冷たさが、三つに折れた矢のように胸に刺さる。眠気はいつもより遠かった。
ある晩、廊下で小さな物音を聞いた。軽い、靴が床を滑るような音。美空でも、母でもない。布団から抜け出して、暗い廊下をそっと歩くと、玄関の靴が夕方に見たのと違って並んでいた。父の靴だけが、微かに外向きにずれている。誰かが履いたような跡はない。だが、つま先の向きが、家の外を示しているように見えた。
俺はそのまま立ち尽くした。誰かがここを通り過ぎたのか、それとも――財布を残して出て行ったのは、本当に「出て行った」のだろうか。母の呼吸が背後で止まるのを感じて、振り向くと、彼女は廊下の端で小さくため息をついた。ため息は言葉を持たなかったが、確かに何かを飲み込んでいた。
翌朝、物置の方で埃がはねた跡を見つけた。触れてもいないガラスの瓶が少し動いていて、奥の箱の角がめくれている。古い紙の匂いが、かすかにする。記憶は、いつも正確ではない。だが、今日は確かに、その箱はずっと閉まっていたはずだ。
――玄関の靴は、夕方とは違っていた。誰かが触れた痕跡が、静かに家の中で乾いていく。誰が、何のために触ったのかを知る者は、まだどこにもいない。

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