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その後のお話*第十二話
しおりを挟む一人暮らしをしているマンションの部屋に帰り、真っ暗な部屋の電気をつけた。
部屋の中を見渡すと、いつの間にかそのどこかしこに筧の形跡が残っている。互いに多くの物を持ち込むことはしていないが、筧が忘れて行った服や小物、読みかけの本などが、さりげなくその存在を主張している。
付き合い始めの頃は君島が一方的に、かつ強引に筧の部屋に押し掛けることがほとんどだったが、ここ最近は筧が何の連絡もなく突然やってくるということもさほど珍しくはなくなった。
自分ばかりが会いたいのではなく、筧ももしかしたら自分と同じように思ってくれ始めているのでは? などとようやく一方通行ではなくなりつつある距離感に安堵を覚え始めた矢先にこの仕打ちだ。
リビングでスーツを脱いだ君島は、半ば八つ当たりのように乱暴にシャツを洗濯機に放り込んでシャワーを浴びた。
「──ったく。断れよ、あんなん!」
恨みがましい言葉を吐きながら、滴るシャワーの水が身体を伝って排水溝に吸い込まれていくのをぼんやりと見つめていると、筧の顔が脳裏にチラつく。
「……マジキモイ、俺」
惚れられたことは数知れずだが、自分から惚れて、しかもここまで本気になったことなど初めてだ。
筧に認められたい、褒められたい──そんな一心で仕事に力を入れ、その努力の甲斐あってか筧にも部署内の人間にも認められるようになり、この春にようやく大きな取引先の担当を任されることになった。
一人前と認められるようになったところまではよかったが、自分が完全に独り立ちしたことで、なんだかんだ面倒見のいい筧は、また今年も新人教育を任されることになった。
今まで自分がキープしていた筧の隣というポジションをまるでやる気のなさそうなフワフワした新人に独占された挙句、仕事柄社外に出ている時間のほうが多く、同じ職場にいても筧と顔を合わせるのは朝と夕方程度になってしまった。
筧は筧で全くやる気のなさそうな今年の新人教育に相当手こずっている様子で、帰社後は残務処理に追われているため、以前のように仕事のあとの約束を取り付ける隙も無い。
やっとのことで取り付けた今夜の約束さえ、取引先に邪魔され反故になるなんてツイてないにも程がある。
風呂から出て、冷蔵庫から缶ビールを取り出した。リビングのテーブルの上に放置されたスマホで時刻を確認。すでに午後十一時近い。
「飯食って帰るだけにしちゃ、遅すぎんだろ」
不安が大きいと、無意識に独り言が多くなる。
食事を済ませて、二人で飲み直してるとか?
案外、いい雰囲気になっているのかも?
筧が女性を持ち帰るようなことする軽薄な男ではないのは分かっているが、逆に相手に持ち帰られるということも考えられる。
「あの人、押しに弱いとこあるんだよ……」
筧は基本的に人がいい。
君島がアプローチしていた頃からそうだが、相手から強引に迫られて断わり切れずに……なんてことも絶対にないとは言い切れない。事実、今夜の食事会という名の見合いの場がまさにそれだ。
「くっそ、ムカつく!!」
自分の勝手な想像ではあるが、そんな想像にさえイライラが募っていく。
君島は手にした缶ビールを一気に飲み干して、空になった缶をグシャッと片手で握り潰した。
──その時、ガシャン! と玄関のほうから物音が聞こえはっとした。この部屋の鍵を自由に開けることができる人間など自分の他には筧ただ一人しかいない。
握り潰した缶を放って慌てて玄関へと向かうと、ちょうどドアを開けて部屋に入って来た筧と目が合った。
「おー悪かったな。遅くなって」
靴を脱ぎながら、少し酔っているのか「ははは」と気の抜けた声で笑いかけてくる筧の姿に安心すると同時にふつふつと込み上げてくる怒り。
あーもう! そんな呑気なテンションで帰ってくんじゃねぇよ! 俺がどれだけ──。
そんな思いをぶつけるように、筧を乱暴に抱きしめると、その反動で筧の手にしたバッグがドサッと音を立てて床に落ちた。
「うお! ちょ、ま、苦しい。なぁ、おい。君島って!」
「連絡ひとつ寄越さずいい気なモンですね。そんなに楽しかったですか? 西東社長の娘との食事の席が」
「おいおい。何言ってんの、おまえ」
後ろにふらりとよろけながらも、笑いながら君島の身体を受け止め、そっと背中を撫でる筧の温かな手に妙にほっとする。
「遅くなって悪かったよ。食事のあと社長に無理矢理娘と二人きりにされてな」
──は? 二人きり?
驚いて筧の顔を睨みつけると、筧がそれを察して言葉を続ける。
「いやいやいや……『あとは若いモンで~』みたいな感じで、近所のカフェに無理矢理な? べつにちょっとコーヒー飲んだくらいだけども」
「どんな子でした? その娘」
「……どんな子、って普通に可愛いらしい子だったぞ。西東社長とは全然似てねぇな。たぶん奥さんが美人なんだろうな」
筧の彼女に対する“可愛らしい”という些細な言葉にさえ、こめかみがピクリと動く。
筧がほんの少しでも、自分以外の人間を褒める言葉など正直聞きたくもない。
筧がゲイだというのは出会ってしばらくして知った。始めはそうかもしれない、という勘だけであったが、カマを掛けたら筧はあっさりそれを認めた。
もちろんそれを知られたくはないみたいだったが、君島がゲイであることを知っている手前フェアじゃないとでも思ったのか、隠すようなことはしなかった。
自分と付き合う前はバリバリのタチで、筧は本来中性的な“可愛らしい男”が好みのタイプだと言っていた。
いつ何時、筧好みの“可愛らしさ”を持つ誰かに、心変わりされるのではないかと君島は内心気が気ではないのだ。
「可愛らしい女にグラつきでもしましたか」
不機嫌さを隠さずに訊ねると、筧が何を言ってんだとばかりに表情を崩す。
「バァカ。んなわけねぇだろ。何をそんなにカリカリしてんだよ? 知ってんだろ? 俺は女に興味はない。つか、美人さっつうか、可愛さならお前のほうが断然上だわ」
「……は?」
これは褒められているのか。それとも顔だけだと言われているのか。
「……バカにしてんすか?」
「だから……何をそんなカリカリしてんだって。ホント意味分かんねぇな」
そう言った筧が依然抱き締められたままの状態で、君島の背中を優しい一定のリズムで叩く。まるでへそを曲げた子供をあやすように。
「なぁ。──先に結論聞きたいんだろ? なら、まず俺に話をさせろよ」
筧の言葉に君島は素直に頷いた。彼の肩に顎を乗せたまま大人しく次の言葉を待つ。
「つか、この体勢はどうにかなんねぇの?」
「なんないです」
君島は未だ筧を腕に抱きしめたままでの状態で、筧が少し苦しそうに息を吐いた。
「社長いなくなってからちゃんと二人で話したよ。見合いってのも、結局は社長が勝手に盛り上がってただけで、娘さんのほうは全く乗り気じゃなかったんだと。向こうも父親のあまりの強引さに一度会っておけば納得するかと思って今夜のことを了承したそうだ」
そう言いながら筧がふぅと息を吐いた。
「いい娘さんだったよ。『父には改めて私が断っておきますから』って言ってくれて」
その言葉に君島はようやく、筧を抱きしめる腕の力を緩めた。
「……じゃ、もうこの話はこれきりってことですか?」
「最初から言ってんだろ? 一度会うだけだって。娘のほうから断ってくれりゃ、俺の立場も悪くはならない。すべて丸く収まったってことだよ、納得したか?」
筧の言葉に心底ほっとした君島は、力が抜けたようにへなへなとその場にしゃがみ込んだ。
「おい。どうした、君島⁉」
「や。……ほっとして」
ふ、と笑った筧の手が君島の頭の上に伸びて、その髪をクシャクシャとかき混ぜた。
筧はあえて目線を合わせるように同じようにその場にしゃがみ込んで真っ直ぐ君島を見つめる。眼鏡のレンズ越しの目は、相変わらずとても優し気だ。
ああ、まただ。この男のこの表情に、俺は弱いんだ。。
「変な奴だなぁ。どうしてそこまで……。俺みたいなの、そうそう若い女の子に気に入られたりするかよ」
いつかの出来事を彷彿させるこの鈍感発言。
本当、自己評価が低すぎる人間はいろいろと鈍くて困る。
「前にも言いましたけど、筧さん結構モテるんですよ? 俺がアンタ落とす前にどれだけ予防線張って、アンタ狙いの女ども蹴散らしたと思ってるんですか!」
「だから、それおまえの勘違いだろ。んなわけねぇ」
「──だから、なんでそうなんすか、アンタは」
鈍い奴はとことん鈍い。その鈍さが、ある意味罪だということをこの際とことん教えてやるべきか。
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